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日々平安録 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-01-28

[]大井玄「人間の往生」(1)

    新潮新書 2011年1月

 

 著者の大井氏は、1935年生れということであるから、現在75歳くらい? 東大医学部で公衆衛生を教えた後、国立環境研究所所長。そこを65歳でやめた後、臨床医として、10年くらい終末期医療に携わってきているということである。本書はその終末期医療臨床現場での経験から、日本の終末期医療の問題点についていろいろと論じたものである。

 氏はいう。「日本には、畳の上で家族に見守られ「往生」するのは幸せな最期であるとみなす伝統がありました。/ しかし延命技術の発達と、老衰の「病気化」、先進国でも突出した病院による死の囲い込みなどは、死を遠ざけ、異質なものに変化させてしまっています。」

 こういうあたりを読んで、どこかできいたことのある話と感じる。それはたとえば、エリアスの「死と歴史」である。

 死をなじみ深く、身近で、和やかで、大して重要でないものとする昔の態度は、死がひどく恐ろしいもので、その名をあえて口にすることさえもさしひかえるようになっているわれわれの態度とは、あまりにも反対です。それゆえに、私はここで、このなじみ深い死を飼いならされた死と呼ぶことにしたいのです。

しかし、このような「飼いならされた死」は十九世紀のなかばから次第の消失しはじめ、代りにわれわれがもっているのは「タブー視される死」であると、アリエスは主張する。

 人はもはや、わが家で、わが家族の者たちのまん中で死んではいかず、病院で、しかもひとりで死ぬのです。

 病院で死ぬようになったのは、病院がもはや家では与えられなくなった手当の与えられる場所となったからです。病院はそもそも貧窮者や巡礼者のための収容所だったのですが、それがまず医療センターとなり、そこで治療がなされ、死との戦いが行われるようになりました。この治療の役割は相変らずもっていますが、ある種の病院はまた、死を迎えるのに一番よい場所と考えられ始めています。かって、病院で死ぬのは、医師が治療に成功しなかったからでした。今では治るためではなく、まさに死ぬために病院に来るようになっている、あるいはこれからそうなっていくでしょう。(中略)

 病院での死は、これまでに何度もふれた、死に行く者が親戚や友人の集まりの中で儀式を主宰する機会とはもはやなりません。死は看護の停止により生じる、つまり医師と看護スタッフがある程度はっきり認めた決定により生じる、技術上の現象なのです。それに大部分の場合は、死に行く者はそれよりずっと前に意識を失っています。死は一連の小きざみな段階に解体、細分され、最終的にどれが真の死であるかわからなくなっています。意識を失った段階がそうなのか、息を止めた段階がそうなのか・・・こういったいくつかの小きざみな静かな死が、死の大きな劇的行為にとって代り、それを消滅させてしまい、もうだれも、その意味の一部を失った一瞬間を何週間を待つ力も忍耐心も持たなくなっています。

 大井氏は在宅での看取りを推奨する。そこでは穏やかな最後が普通であるからと。第二次大戦後十年位までは日本でも家庭での看取りが多く(わたくしの祖父も1960年に自宅で死んでいる)、また病院で死ぬ場合も、医師は延命の努力をしているふりをすれば家族が納得してくれた。それは儀式であったと大井氏はいう。しかしその後延命の技術は進み(つまり儀式ではなくなり)、人工透析、胃ろう、心臓バイパス、臓器移植などさまざまなことが行われるようになってきたのだ、という。ここでの「延命技術」の定義は「健康」を完全に取り戻すことはないが、生命を長引かせ維持する技術とされているから、かなりの抗癌剤治療もここにふくまれるのではないかと思う。人工透析とか心臓バイパスを延命技術といわれると抵抗を感じるひとも多いかもしれない。事実、本書でも実際に問題にされるのはほとんど「胃ろう」についてである。

 

 胃ろうの問題:

 わたくしの記憶では、ある時期まで「胃ろう」をつくるということはほとんどおこなわれていなかった。それがある時から急に広くおこなわれるようになったのは、ほとんど医療制度上の問題であると理解している。医療が出来高払いから包括制度になると、病院はなるべくコストをかけないようにしないとやっていけなくなる。点滴は医療行為である。しかし胃ろうをつくってそこから栄養を注入する場合には、その栄養投与は食事代として別に請求できる。現在の医療制度のもとでは療養機能を担当する病院は包括制度となっているから、点滴が必要な患者さんがくると採算がとれない。したがって肺炎をおこして入院し、とりあえず治療がうまくいったが、もともと肺炎の原因が誤嚥によるものであったような場合、経口摂取を再開するとまたすぐに肺炎となることが予想される。しかし、胃ろうをつくらないと療養型の病院で転院をうけてもらえない、それが胃ろうが頻繁に使用されるようになった最大の原因であるとわたくしは理解している。以前はそういう患者さんは点滴で栄養補給していた。点滴から胃ろうへと栄養補給の方法が変わったのである。点滴の場合、中心静脈栄養をしない限りは、十分なエネルギー補給は困難である。しかし点滴というのはいかにも治療をしているという印象を周囲にあたえる行為でもある。家族としては、医療行為はしっかりとうけているが、それでも病気は勝てず(あるいは年齢には勝てず?)次第に衰弱していって最期をむかえるというのはきわめて受容しやすいストーリーであった。しかし保険制度上の問題で点滴を病院側がしてくれないとなると、胃ろうをつくらないと患者さんは“飢死”である。とすれば家族としては胃ろうをつくることを拒むのはきわめてつらい選択となる。実際にわれわれがよく経験するのは、「胃ろうをつくるのはかわいそうだからやめてください。何とか口から食べさせるようにお願いします」という家族の意向である。しかし、そうするとすぐに誤嚥である。看護師さんが飛んできて吸引する。それでも肺炎になる。また食止めになって抗生物質が再開されるということになる。何とか口からという希望が、「窒息してもかまいません、肺炎がおきても治療はいりません」とペアになっていればそれなりに整合性はでてくるのだが、病院で誤嚥で窒息しかかっているひとに何もしないでただ見ているということはまずありえない。

 大井氏は胃ろうを歓迎する高齢者はほとんどいないという。上に述べたように家族にしてもほとんどがそうだと思う。しかし、積極的に死につながる選択を誰も口にできないままに誰も望まない処置が継続されているというケースが多いのではないかと思う。

 問題は経口摂取がむずかしくなった場合、それをもって寿命であるとすることが許されるだろうかということである。それが許されるとするのは、現在の日本では決して多数意見ではない。むしろそのような方向を選べば、司法的に処罰される可能性さえある。家族がそのような方向の選択を選べないとすれば、あらかじめ本人の意思を確認しておくことであると大井氏はいう。

 しかし、ある年齢に達したひとに、将来、腎機能が低下したら透析をするか、根治不能の癌になったら延命のために抗癌剤を用いるか?、経口摂取が不可能になったら胃ろうをつくるかというようなことを確認しておくというようなことが可能だろうか?、それがわたくしにはわからない。こういう質問をされるときには、まだ透析は必要でなく、癌にかかっているわけでもなく、口から食べられてもいるわけである。

 尊厳死という考えがあって、将来、何かあった時に無駄な延命はするなという意思表示しておくことは可能である。しかし、それはまだ元気な時にするでのあるから、いざ病気になった場合にも、その意思が変わらないかどうか、それはわからないことのように思う。わたくしが長くつきあっている患者さんが、60歳くらいの時には「先生なにかあったときに無意味な延命は一切しないでください」といっていたが、80歳をこえると「先生、この年のなると一日一日が大切で、なにかあっても少しでも長く生きたいと思うようになるものですよ」というようになった。健康な時、あるいは若い時に考えたことが、老いて病気になったときにもそのままであるのか、わたくしにはわからない。

 大井氏は無理に食べさせようとすることがかえって誤嚥性の肺炎をおこすので、無理に食べさせる努力はしないほうがいいといっている。しかし食事をとめていても、唾液で肺炎をおこすひともいるので、これがどの程度普遍的になりたつのか、それもよくわからない。

 自発的に食事や水分摂取をやめた人はほとんど半月以内でなくなるのだそうであるが、その終末の質はきわめて高いのだという。わたくしの経験からすると、少量の点滴(一日500ccくらい)でみた人の「終末の質」は高いように思う。大井氏は、枯葉が静かに散るような「往生」を理想としている。それにかなり近いように思う。

 

 進行癌の告知:

 氏はまた進行癌の告知についても懐疑的である。

 これが氏もいうようにアメリカで主として訴訟対策としておこなわれるようになったのは事実と思われるが、結果として患者の自己決定権という考えが広まったこともまた事実であると思う。そしてそれがパターナリズム的な医療への批判とペアになったことも氏のいう通りであると思う。

 問題が微妙なのは「医療過誤」の問題と、これが深くかかわるからである。医療過誤によって患者さんが不幸な転帰をとった。「それを患者あるいは家族に告知することで誰か得をするだろうか? この結果は患者の持つ疾患からくるやむを得ざる結果なのであると説明したほうがお互いに幸せなのではないか?」という論理は癌告知以前の医療の世界にはまかりとおっていたと思う。それがみんなのためというのは(本当は自己保身のためであるのだが)パターナリズムからは容認されてしまう可能性がある。そして医者は隠すものであり本当のことはいわないものであると患者家族の側が思っていると、信頼関係を樹立するのは容易ではないことにもなると思う。

 告知の問題の一番の根底には、日本において医者が患者さんの側から信頼されていないことがあると思う。はなはだ無神経に進行癌の告知をするようなことが横行していることは実に由々しき事態ではあると思うが、それでもとにかく医者が隠さずに本当のことをいうらしいということは少しは患者さんの側にも共有されるようになってきているのではないだろうか? 患者さんの側から、かくさずにいてばいいというわけではない。何でも本当のことをすべていえばいいというのではない。告知するにしても、もう少し常識をもって気配りをして告知をしろ、というような意見がでてこないかぎり、現在の無神経な告知はしばらく続いていくのではないかと思う。病院でおきたことをすべて包み隠さず開示すべきであるということと、患者さんに場合によっては本当のことをいわないほうがいいこともあるというのはどこかで矛盾が生じるところがある。

 インフォームド・コンセントはあまり機能していないと氏がいうのはその通りだと思う。わたくしの乏しい経験からいっても、重大な病気の告知の場合、最初に病名を告げた途端、患者さんも家族も頭が真っ白になってしまい、その後の話はほとんど理解できていないということが多いようである(その場では、「わかりますか?」「ええ、よくわかります」というようなやりとりはされているのであるが)。何人か身内や親戚が病気になったときの経験では、告知の翌日きいてみても内容をほとんど理解できていない場合が多かった。身内であるからざっくばらんに聞けるが、通常の患者さんの場合には、あれだけ時間をかけたのだから、ちゃんとわかっているはずという気持ちがついつい生じてしまい、なかなか同じ話を二度三度とはする気持ちにはなりくくいものである。ここには、自分に都合の悪い話は排除してしまうという脳のメカニズムも働いているのかもしれない。わたくしの経験であるが、癌の再発で外科で抗癌剤治療をしているひとが内科のわたくしのところにきたことがある。「どうも具合が悪いです。どこが悪いのでしょう。外科の先生はどこも悪くないというのですが」という。後でその外科の先生にきくと、腫瘍マーカーのCEAの値までもふくめて実に詳細に話していて、段々とCEAが上昇してきていて厳しい事態であるという話までも逐次しているらしい。つまり癌の進行をリアルタイムに告知しているわけである。しかし、それがまったく患者さんには伝わっていない。患者さんはどこも悪くないと思っている。告知というのは本当に難しい。

 本書を読んでちょっと驚いたのだが、進行癌の場合は、海外、アジア、アフリカ、南米の医師は家族にまず伝えるという点で共通しているのだという。日本ではほとんどが本人に告知しているのではないだろうか?

 ここから先は、議論が「自己意識」「世界の認知」「自由意思」「宗教」といった抽象的なほうに論が移っていくので、とりあえずここまでで一区切りとする。

 氏がいうように、今の日本において、死が異質なものになってきているというのはその通りであろう。そしてエリアスもいうとおり、それは日本に限ったことではなく、西欧などの近代化した地域において共通にみられる現象であることも確かであろう。いくら在宅での看取りが望ましいとしても、それが実際にはそうなっていないのは、単に単身者の増加や少子化といった家族構成の変化によるのではなく、もっと根の深い問題に起因するのだと思う。

 われわれが西欧化し近代化してきたことそれ自体がそうさせているのだと思う。さらにいえば、単身者の増加や少子化といったこと自体も近代化の帰結なのだと思う。

 なぜ近代化するとそうなるのかとといえば、近代化した人間がやれることはなんでもしてしまう存在になるからなのである。それで、とにかくも医療は進歩してきて、数十年前なら治せなかった病気が治るようになってきている。わたくしが医者になったころは前骨髄性白血病はなすすべもない病気だった。今では完治して当然の病気になってきている。夏目漱石胃潰瘍で死んだのだと思う。正岡子規結核である。今では胃潰瘍で死ぬひとはほとんどいないであろう。結核はまだまだ大変な病気ではあるが、なすすべがない病気ではない。そして医療が進歩すると当然、延命技術も進歩する。延命医療とは延命そのものを目指して発達してくるのではなく、重篤な病気に濃厚な治療をして乗り切るために必要とされる技術の開発の副産物としてできてくる。Aという病気の治療に有効であることがわかっている技術を、Bという状況では使わないということは実際にはできない。胃ろうにしても最初から延命のために開発されたのではない。大きな手術や重篤な疾患をのりきるための一時的な手段として開発されてきた。しかし、いったんそれができてしまえば、別の状況に使えるのであれば、それは当然使われてしまう。

 大井氏も書いているように、かつての延命は儀式であった。それはいくら延命させようと思っても実際には大したことができなかったからである。現在ではそれが可能になった。可能であることをしないという選択、それは容易にはできない。だから氏が書いているように、イスラエルのシャロン首相が脳出血で意識を失ってから5年以上も「生かされて」いるということになる。それが可能であるからそうされてしまう。わたくしが医者になったころは胃ろうもなく、中心静脈栄養もほとんどおこなわれていなかった。今では「胃ろう」キットや「中心静脈カテーテル」セットが普通に使われている。

 そのような医療の動向になじめないものを感じている大井氏は、どこか反近代という志向を感じさせるところがある。自分には「あまりに盛んに増える生物に対する違和感」があるといい、「人類に対するひそかな違和感」をもつことも認めている。しかし、そういうことはいささかも感じない人たちが医療技術の開発にいそしんでいるのであるから、大井氏は負けると決まった戦いをしているように見える。

 「便利な生活」と「悲惨な死」というのはワンセットになっているのであり、「便利な生活」と「穏やかな死」の両方を手にいれようというのはあまりに欲張りな要求であるように思う。大井氏はどこかで「便利な生活」を手放してでも「穏やかな死」を手にいれたいと思っているのではないかと思うが、現在の医療も「便利な生活」の延長線上にあるものなのだから、便利な生活を放棄すれば、現在の延命技術も利用できなくなり、延命しようと思ってもできない「儀式としての延命」だけが残り、そこに「穏やかな死」は自動的に実現されてしまうことにはなる。

 しかし「穏やかな死」を目標に現在の生を設計していくのは、どこか本末転倒なところがあるような気がする。

 内田樹さんが自分の全共闘運動時代をふりかえってこんなことをいっている。http://www.tatsuru.com/php/phpBB3/viewtopic.php?f=14&t=66 これは内田氏のゼミの学生の論文の一部で、内田氏からの聞き書きである。(最近偶然みつけたものだが、とても面白いのでいずれ独立して論じてみたい。)

 『67年の時に興奮したっていうのは日本人全体がうって一丸となって、ぐわーっとなるんじゃないかと思ってた。一部の人がわーっと跳ね上がっていって、何か国内に激しい対立ができるとかそんなんじゃなくて、皆がこう一億火の玉みたいなものになるような。僕は基本的に対立が嫌いな人だから、対立とか競争とか嫌いで、俺は皆がうって一丸となるのが好きなのよ(笑)。/ だからきっと60年代に僕が何となくイライラしてたのは、だんだんと社会が高度成長の中で、消費社会がどんどん進行していく、どんどん解体していく、人間がどんどんアトム化していく、特に都市の中でどんどん近代化が進んでいって、家族も解体し、どんどん人間が砂粒化していくことに対してものすごく不安といら立ちを感じていて、何とかしてまた皆と繋がりたい、大きな広大な、こうね、万有共生の中でという時に、その時に、67年の時に万有共生の兆しを感じたの。だからそこの運動にコミットするとかじゃなくて俺はここにいなきゃいけない、ここで作んなきゃいけないという風に思ったんだけどさ、出来なかった(笑)。』

 大井氏もまた、人間がアトム化し、近代化が進んで家族が解体し、人間が砂粒化していくことにいらだちを感じて、なんとか共生の方向をつかめないかという模索の試みとして終末期医療にとりくんでいるのはないかと思う。そこがささやかな切り口になって、そこから共生にむかう一つの方向を提示できないか、そういった思いがこの本を書かせているのではないかと思う。D・H・ロレンスを評して小川和夫氏がこういっている。「現代文明にたいする彼の挑戦は、その主張が正しいにしろ誤っているにせよ、はじめから結果が分かっているものだった。戦いはロレンスの敗北にきまっているのである。/ 負けるにきまっている戦いはしない方がよい。それが賢明である。しかし、真実の生活の幻影に憑かれ、虚偽の生活の現前に苛まれている人間が、いかにして賢明であり得ようか。彼は負けることの承知な戦いにあえて身を挺しないではいられぬ。」

 大井氏も自分の戦いが時代遅れのあるは反時代的なものであることは充分に承知している。だから「私は早く立ち去るべき存在なのです」と書くことになる。大井氏はわたくしよりも10歳くらい歳が上であるが、どこかに全共闘世代の一部にみられる独特の何かを感じさせる部分がある。本書に挿入されている全体の流れから見るとちょっと異質な(おそらく氏と終末期医療を結びつけたものを説明するため書かれたのでもあろうが)弟武正氏の紙碑の部分にそれが一番色濃くあらわれている。敗北の美学とでもいうのだろうか?

 

人間の往生―看取りの医師が考える (新潮新書)

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無意識の幻想 (1966年) (南雲堂不死鳥選書・別巻)

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