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日々平安録 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018-01-14

[]明治150年

 

 明治維新が1868年なので、今年は明治150年ということになるらしい。

 去年がロシア革命100年だったわけで、この1〜2年いろいろと節目の年ということになるのかもしれない。

 明治維新というのは、日本が自己の規範を中国から欧州へと切り替えた年

ということになるのかと思う。

 わたくしは昭和22年生まれであり、自分にとっての外というのは一貫してヨーロッパであり続けてきたと思う。つまりわたくにとっての文学と音楽にはヨーロッパという刻印が押してあり、そこにはシェークスピアがいて、ゲーテがいて、スタンダールがいてフロベールがいて、トルストイがいてドストエフスキーがいた。あるいはベートーベンがいてシューベルトがいて、チャイコフスキーがいた。その当時のわたくしにはロシアもヨーロッパだった。

 終戦後に日本が直面した外とはなによりアメリカであったわけだが、ただの一人のまともな文学者音楽家も生んでいないのだから、そんな国はまったくとるにたりないものであるとしかわたくしには思えなかった。

 林達夫が1950年に書いた「新しき幕開き」の一節、「日本のアメリカ化は必至なものに思われた。新しき日本とはアメリカ化される日本のことであろう―そういうこれからの日本に私は何の興味も期待も持つことはできなかった。私は良かれ悪かれ昔気質明治の子である。西洋に追いつき、追い越すということが、志ある我々「洋学派」の気概であった。「洋服乞食」に成り下がることは、私の矜持が許さない」に自分を重ねることは滑稽でしかないだろうが、わたくしもまた小さな「洋学派」の一人であったのだろうなと思う。

 それなら、そのヨーロッパとは何なのだろうか? M・クンデラがそのエルサレム講演でいう「個人の尊重、個人の独自な思想と侵すことのできない私的生活の権利の尊重」といったものに近い何かなのだとろうと思う。そしてクンデラがそれに敵対するものとしていうアジェラスト(ラブレー用語で、笑わぬ者、ユーモアのセンスのない者の意)が、林達夫にとってはアメリカであったとして、わたくしにはロシアも中国もまたその列につながってきており、プーチン大統領も習近平国家主席もトランプ大統領もみな笑わぬ者であるとしか思えない。

 わたくしは吉田健一が1970年に刊行した「ヨオロツパの世紀末」の決定的な影響下で生きてきたと思うが、このわたくしが23歳の時に刊行された本は、アジェラストとしてのヨーロッパを19世紀ヨーロッパとして否定し、クンデラが称揚するヨーロッパをそれこそが本当のヨーロッパであるとして、その精華を18世紀のヨーロッパにみるというかなりなアクロバットでなりたっていた本なのだろうと思う。

 フォースターは「私の信条」で「偉大な創造的行為やまっとうな人間関係は、すべて力が正面に出てこられない休止期間に生まれる」というのだが、わたくしが生きてきた70年ちょっとというのはかろうじてささやかな休戦が保たれていたのかもしれない。

 しかし、そろそろその休止期間も終わろうとしていて、明治維新以来のわれわれの目標であったヨーロッパはもはや沈んでいくしかないのかもしれない。とすれば明治150年というのが一つの区切りになるのかもしれない。

 

 

まつやまつや 2018/01/15 21:29 吉田健一訳「不思議の国のアリス」・・・これは 大いに期待できそうな
訳書・・・のはずなのに・・・がっかり・・・残念ですが。

御薦めなのは・・・柳瀬訳 ちくま文庫 ですね。

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