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こころはどこにゆくのか? このページをアンテナに追加 RSSフィード

2005-10-05 長い長いレス

[]昨日のコメント欄に対するお返事

「(ぱ)」さんの昨日コメントに対して、長くなりますのでこちらでレスします。

>そもそも引用先にもある「モララーに酒瓶持たせる自由が無くなる」件が事実である以上、

引用先のblogの管理人ですが、私が書いたのは、

>『今』「酒瓶持たせたモララー」のぬいぐるみを出したらやっぱりパクリだと思います。(中略)『線引きに微妙なところはあるかもしれませんが』。

>『強いて言うなら』、『ちょうど今』、偶然モララーに酒瓶持たせることを思いついてグッズ販売する自由だけは奪われた『かもしれません』が

ということです。それが確実にパクリと見なされるとは書いてないし、思ってもいません。

 しかし、偶然、モララーに酒瓶持たせることを思いつく人もいるかもしれません。しかし、今この時点で、「俺はたまたまモララーに酒瓶持たせたら面白いと思ったんじゃゴラア」とわめいている奴がいたとしたら、やっぱり単なるヤクザなのでは? そうは思いませんか? (Y/N)

まず、現在時点で「(偶然であろうが偶然でなかろうが、)モララーに酒瓶持たすことがグレー」だとは判断しておられるようですよね。そしてavexの件が無ければそんな心配は「一切必要無かった」ということもよろしいですよね?

そして今、「酒瓶持たしたモララー」を発表したら、avexに訴えられる心配をし、(ぱ)さんには「ヤクザなのでは?」と思われてしまうわけですよね? それが「自由な状態」なんでしょうか。「そういう心配がある」というだけで作るのを控えてしまう人がいる時点で「制作する自由」は侵害されていると思いますが、いかがでしょうか。具体的にavexが訴えるか否かという話ではないと思います。私が「自由が無くなるのは事実」と書いたのはつまりそういうことなのですが。

…というわけで、私は(ぱ)さんの上の主張を加えても、私が(ぱ)さんの文章を「AAを使う自由が制限されたことを認めている」という文脈で要約し引用したことを間違いだとは思えないのですがいかがでしょうか。

 また、問題点の1) についてですが、徳保さんが問題にしているのは「どのように独占的に販売していけばよいのか」ということなのであって、「オリジナルを主張するのが」どうこうという話はしていないと思いますよ。よって「オリジナル主張』するのは冒涜ではない」という主張から、まず話を始めるべきである。」というのはむちゃくちゃです。そもそもavexからして、のまネコを完全オリジナルとは主張していない。

徳保氏がもし、『のまネコ問題』ではない仮想の事件についてその法解釈論や経済学的分析をしておられるなら、確かに私のレスは「むちゃくちゃ」であるかとは思います。しかし現に今起こっている進行中の事件について公の場で論じているのに、その事件のまさに最も犯罪的な(これは比喩です)部分について問題がないと前提した上で仮定の話をすすめることには問題がある…というのが私の指摘です。これは別問題ではないでしょうか。

また、「完全オリジナル」については、おそらく(ぱ)さんの考えられる「完全」の定義がこちらで仰るような「この世に存在しない」ような物である以上、そんな狂気の主張が出来ようはずもないと思います。私としては素朴に、「インスパイヤされ…新たなオリジナリティを加えて…」という文言を「オリジナル宣言」ではないという主張の方に無理があると思うのですが、いかがでしょうか。また、その発表の時点でavexは(ぱ)さんが仰る「一番メジャーなの*1」だけでなく、堂々と「モナー/モララーそのもの*2」にも「のまネコ」と銘打って販売していたわけで、抗議がいかなければそのまま商売が続行されていたことは確実ですよね。

 「のまネコは完全オリジナルだ。モナーなんか無関係」という主張を白として、「のまネコはモナーそのものだ」という主張を黒とするならば、avexは9/8の時点で既にのまネコの立場がグレーであることを認めている。そして実際、黒でもないでしょう。目が「。」で口が「ω」ののまネコを「モナーそのものだ」と主張したら、それこそ2ちゃんねらが怒りそうです。となると問題は、グレーの領域内でどの辺に位置するか、という程度問題だけとなります。

 avexの見解を見て、グレー中のずいぶん白のほうだと主張しているじゃないか、本当はもっと黒寄りではないか、と思う人もいるでしょう(印象論にしかなり得ませんが)。しかし、「海賊版は排除しなければいけない」という「大人の事情」を鑑て、まあそこらへんは多少のことは大目に見て、ひとまず落とし所とする、という判断は、十分あり得ると私は思っています。

「のまネコ 何が問題なのか」でGoogleするとこんなスレがひっかかりますが、

http://qa.2ch.net/test/read.cgi/argue/1126281792/

>29の意見が妥当だと私は思います。』 (2005/10/05 03:13)

>29氏の意見は上で述べたような事情を完全にスルーしていると思います。

9/8時点で起こっていた事実は

『avexが「全くオリジナルではない(判別不可能な)キャラクター(旧PVキャラ)」に「別名(のまネコ)をつけて」「出自も明らかにせずに」販売し、抗議が来たので「しぶしぶ出自が2ちゃんねる『など』であることを認めた」上で「新たに(メジャーなキャラについてのみ…とは限定せずに)オリジナル宣言をし」、「販売には問題がないと開き直った」』

ということです。2ちゃんねる住民が抗議したことの正当性を考えるならば、こういう時系列を踏まえた議論が必要です。当ブログでは9/5からその日その日の時点で問題となっていたことを整理していたつもりです。特に注記がない限り基本的に過去記事についても明かな誤字等を除いて手を入れておりませんのでご参考に。

…では、現時点でのavexの声明には問題がないのか?ということですが、それについては、既に過去のエントリ(9/30付)で触れていますので、ご参照いただければ幸いです。

[]再び著作権とネット(更に(ぱ)氏に対して述べる)

上のエントリはレス。以下は、(ぱ)さんのブログ((4))に対する意見です。また、『のまネコ問題』に関して現在私が考えることの中間的なまとめでもあります。

今回の問題でavexはいくつもの間違いを犯しましたが、その中でも問題の核心に関わる二つの問題をここでは指摘したいと思います。

  一つは前近代的部族的社会への無知から来る「無神経な振る舞い」

  もう一つは近代的市民社会のローカルな領域における「グレーな振る舞い」

・まず前者について。

(ぱ)さんの仰ることを使って述べさせていただければ、フォークロアというのは、本来「海賊版OK」という物だと思います。「パクリパクられを許さなければ文化ではない」その通りだと思います。そしてそうでなければ文化伝統というものは成立しない、これもその通りです。しかし、近代市民社会における「著作権」概念は、それを許すようなシステムでないことも事実です。では、近代市民社会において「フォークロア」はどういう存在なのでしょうか。そこに問題のベースとなる部分での認識の差があると思います。フォークロアは本質的に「近代市民社会」の「著作権概念」の下では死ぬしかないものなのです。

近代市民社会の「著作権概念」は「のまネコ」が「誰かの著作物である」と認定します。それは他者による改変を許しません。一方前近代的社会の下で生まれた「モナー」は他者による改変を許し数多くの「文化」を生み出してきました。「のまネコ」が「モナー」の一バリエーションでしかない位置に止まっていれば、つまり「のまネコ」の立ち位置があくまで前近代的部族社会のような位置に止まっていれば、(ぱ)さんが仰るように「のまネコの存在を許容することこそがモナーの精神であるはずだ」という主張は成立したと思います。しかし事実として「モナーそっくりの図像」を「のまネコ」と呼び、ぬけぬけと「のまネコとモナーの違いは見る人の主観」などとavexが答えたため、「のまネコの著作権(オリジナル)主張=モナーの独占(改変を制限)」と理解されてしまったのが、今回の問題の根幹であり、そうさせたのはavexのこの問題への認識の不十分さだと思います。*3

「著作権」という近代的市民社会における「個人」を前提とする概念と、「フォークロア」という前近代的部族社会における「伝統的血族的小集団」*4のようなものを前提とする概念に、折り合う地点はあるのでしょうか。その二つの社会について、私はそのどちらがより優れているとも劣っているとも主張するつもりはありません。どちらにも利点があり欠点があるでしょうし、強いて言えばその二つがぶつからずに併用されれば一番いいと思っています。そういう「落としどころ」は2ちゃんねるでは議論されています*5が、果たしてavexにそれを前提とした落としどころを考えるような考えがあるのでしょうか。

「皆様において「モナー」等の既存のアスキーアート・キャラクターを/使用されることを何ら制限するものではございません。」((有)ZEN9/8声明文より)

この木で鼻を括ったような宣言へのツッコミはもう散々しているので止めますが、これが「上記を踏まえた上での落としどころ」だと考えていたとすると(現在もこの「AAモナー使うのがダメとは言ってないから問題ないだろう」という認識が変わっているとは思えないのですが)、上で見たような「相互の立ち位置の違い(別の社会集団を前提としている点)への配慮」や「自分たちが後出しであることへの配慮」など一切が無く、従ってそこに「共存共栄しようという意志」などは全く見られないと思います。そういう意志の無い所で、両者が穏やかに共存するのは無理だと私は思います。

数多くの黒Flashやそして「マイヤヒFlash」自身も、2ちゃんねるという前近代的部族社会を前提にしないと成立していないことは明らかです。市民社会がそれを使って「市民社会で金儲け」することが「市民社会の法では問題ない」と言い、その上で「まああなたたちが今までしてたことは止めませんが、ウチの商売の邪魔になることについては保証しかねますけどね」などというニュアンスの声明を出してトラブルを起こしたのは、偏にavexのネット認識の不十分さであり、その点2回目(9/23)の声明で反省していたことは評価できるにせよ、結果として何をしたかを考えれば全く評価すべき点はありません。単に「市民社会的にもグレーっぽい」と考えられそうな所を切り捨てることでアリバイ作りに精を出しただけで、現時点での対応のどこに『いわゆるネットコミュニティのみなさま』との『より一層深いコミュニケーション』の成果があるのか疑わしいと思います。コミュニケーションというのは相互通行という意味を持つので、「一方的に推測して様子を伺う」ような行為をコミュニケーションというならそれはストーキングをコミュニケーションというようなものでしょう。

まあ、ここで私が述べるようなのは、たとえばインターネットの「フリーソフト的思想」*6という形で既に散々述べられていることの焼き直しかもしれませんし、その意味でソフトウェアの世界で早くから主張されてきたことが、絵画や音楽などの創作・著作物の世界でも問題化してきたということに過ぎないと私は捉えているのだと思います。avexの担当者は、そういった思想を鼻で笑うのかもしれませんが。以上が問題一つ目についての私の考えです。

・次に二つめの点。

これは、今回の問題以前から指摘されていたことかとは思いますが、avexこそが実は「近代市民社会の中の流行音楽村という部族的社会の中で悪気無くパクリパクられを実行し、しかしそれによって近代市民社会における評価(金)を積み上げてきたグレーな会社である」ということが問題です。「のまネコ問題」への抗議活動を批判する側からえてして抜け落ちているのがこの視点で、「2ちゃんねらーに批判する資格はあるのか」と言った批判がその最たるものです。今回の問題を批判する資格が2ちゃんねる住民だけにあるわけではないですし、「2ちゃんねる住民の悪」が「avexの無法」を免罪する根拠たり得るかといえばそんなことは全然無い。*7

そして、その無法を指摘した人間に圧力をかけるという更なる無法が、何万人という人間に目撃されていること*8は言い逃れの効かない事実であり、そのこと一つを取ってもavexは公式に見解を発表し、謝罪すべき点については謝罪すべきだと思います。

また、それを含めて「真似ても盗むな」という例のポリシーについての線引きをきっちりと行うべきでしょう。何が「真似」で何が「盗み」なのか。『市民社会的立場』で言うならば、少なくとも、原典と並べられて恥じ入らなくてはならないような「真似」ならばすべきではないし「剽窃」と言われてもやむを得ないでしょう。許されうる「真似」といえば、たとえば「パロディ」、「オマージュ」、「本歌取り」、「リスペクト」…などいくつかの単語が浮かびますが、総じて言えば原典への配慮を失っていないもの、そして原典と並べられることによって相互に高まりあうものでなくてはならないのではないでしょうか。いくらこれらの行為に似ていても、一方が一方の価値を激しく減じるような場合には残念ながらこれらの行為は認められないと思います。その意味で、少なくとも「出典を明記できない」ようなものが、「セーフな真似である」などと間違っても口にすべきではないということです。原典である「モナー」と並べてみたときに数多くの人を失望させた「のまネコ」は、従って残念ながら市民社会的常識で明らかに「盗み」のレベルでしかないものだと私は考えます。2ちゃんねるのAA板などで主張される『(部族社会的=フォークロア的には)これにオリジナル主張することは認められます』というような意見は、その意味で別の問題だと考えます。*9

そして付け加えて言えば、現時点でavexはこの点について「インスパイヤ」という非常に奇妙な単語以外、いかなる声明もしていません。お陰で「インスパイヤ」という妙な言葉は大層流行している模様ですが、avexの考え方は不明のままです。

(追記)

問題を広げることを好むわけではないのですが(というか積極的に忌避したいくらいなのですが…(汗))おとなり日記を参照すると、この問題に関連しそうな日記ネットのフリー思想と絡めた日記があったので、リンクしてみます。

(追記2)

木村氏のブログに、再度踏み込んだエントリがありました。木村氏の考える「インターネットの可能性」の火を消さないようにするために、今回の事件を踏まえて書いた上の主張がささやかながら関連を持つのではないかと思いました。

*1:(owo)の絵、と仮に称します

*2:いわゆるPVキャラ(旧)

*3:問題の一つは「のまネコ」のキャラを立てるべきものが(PVがのまネコでないという以上は)図像しかなく、しかもその図像にしてからがPVキャラクターを一緒くたにして「のまネコ」扱いしているという杜撰な定義であったことにもあります。「のまネコ」は現時点で依然として「独立しえていないキャラクター」なのです。酒瓶を持っている以外に、彼にどのような「オリジナリティ」があるのでしょうか(酒瓶を持っているギコ図像ならば、既に札幌雪祭りで使われているそうです)。彼がどんな口調で何を喋るか分かりますか?ツッコミキャラなのかボケキャラなのか萌えキャラなのか、現時点で何か決まっていますか?決まり文句は何でしょう?どういうシーンでどういうリアクションを取るキャラなのですか?……一切ありませんよね。図像的にも定義が杜撰で、性格づけもできていないキャラクター…。オリジナリティというなら、まだカメモナーの方がはるかにオリジナリティに溢れていましたよ。

*4:これらの名称はあくまで比喩ですが、それが学問的にどの程度適切かについては自信がないので、詳しい人によるツッコミは希望です

*5落としどころを考えるスレ…など

*6:エリック・レイモンド等。彼についてはこちら(http://www.ojw.or.jp/crossnet/waves10.html)など参照

*7:今回の件に関して私はかなり2ちゃんねる住民に同情的ではありますが、悪は悪でありそれが「2ちゃんねるの限界である」というのは以前のエントリでも指摘したことがありますのでご参考まで。

*8:参考:木村氏ブログに起きたこと

*9:市民社会のものが市民社会の行動原理で動いた結果を部族社会の法で裁けと主張しても、余り意味がないということです。