Hatena::ブログ(Diary)

こころはどこにゆくのか? このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012-09-22 言葉の「意味」

基本と応用

以下の記事について。一応国語の畑の人間として、一言コメント。

カギ括弧の意味について

ekken氏が、以下のツイートに対して、それは常識なのか?と疑問を呈しておられる件。

『あままこ※現在のんびり中 @amamako (愚痴)頼むからさー……鍵括弧付きで言葉を使ってる時は、その鍵括弧が特別な意味持っていることを前提において読んでくれないかなぁ……現代文読解の基礎じゃん……』

ekken氏は、これに対して

・義務教育における引用符の意味に、上記は入っていない。

・文化庁の「くぎり符号の使ひ方」*1

の二点を踏まえて、カギ括弧の特別な意味は、「読書や作文の習慣から身につくもの」であり、「ブログやTwitterを閲覧している人」みんなには共有されない。だから、

文脈によって判断できる場合もあるとは言え、短い文章の中で何の説明もなしに「カギ括弧をつけただけ」で「特別な意味があることを理解してくれ」ってのは、ムシが良すぎるのではないでしょうか。

気付いてくれた人、分かる人にだけ通じれば良い、というのならばともかく。語句に何か特別な意味を持たせたい、そしてそれを読み手に的確に伝えたい、ということであれば、その「特別な意味」を説明すべきであって、説明なしに「カギ括弧をつけたのだから特別な意味があるんだよ、そういう前提で読んでくれよ」というのは書き手の傲慢でしかないと思います。

…と結論づけておられます。



私の直感的な感想は、あままこさんに近いと思います。「そんなの『常識』じゃねーの(sigh)」という。でも、ekkenさんが言うことにも理由はあるわけです。



そもそも、これ、一見あままこさんへの反論のように見えますが、実はそうではないですよね。だって、「実際に僕も作文の中でよく利用している」というekkenさんは、それが「現代文読解の基礎」であることは何一つ否定してないわけですから。問題は、〈「現代文読解の基礎」だからといって、読み手にそれを理解しろというのは、無理筋じゃないかな〉という点であって。その点に関しては、私も、ekkenさんに同意すべきではないかと思います。*2



というのも、自分自身、以前、ブログを書きながらしみじみと、〈皮肉〉というのは、この界隈では通じないのだなあ、いや、通じないというより、ここでは〈使用が禁じられている〉のだなあ、と感じたことがあったからです。皮肉を言っても、通じない。それどころか、通じないような言い方をする方が悪いのだ、という言論が、ここでは大手を振ってまかり通っています。誰にでも(本当に誰にでも)分かるように書いていなければ、読み手がどのように誤解をしても、誤解をさせた書き手に責任があるというモンスター議論。

これは、別にekkenさんを批判しているのではありません。そういう状況が現に存在すること自体において、私はekkenさんが述べていることを否定するつもりはありません。ただ、そういう状況を肯定的に見るか否定的に見るか、という点においては、やはり違いがあるのかもしれません。

個人的には、皮肉に象徴されるような、「基礎・基本」から一段上がったレベルで使用される「応用編」の言葉の使用や、そのレベルでやりとりされるコミュニケーションは、書き文字によるコミュニケーションが閉じられたサークルの中にとどまっていた時代の異物となりつつあることに、深い懸念と危惧を覚えます。だって、こんな風潮があと数十年も続けば、そのうち、昭和初期ぐらいの人の書いた文章の意味が、全然通じなくなるでしょうからね。……けれども、そんなことは、言葉の歴史を振り返れば、当たり前のよくある現象なのでしょう。実際、江戸時代くらいの一般の知識人がさらさらと書いたような随筆ですら、今楽しんで読んでる人などほとんどいないですしね。*3そんなふうに埋もれ消えていく思想やことばや文化は、歴史上どれほどになるか。

だから、極端な言い方でまとめると、〈猫も杓子もじいちゃんも小学生も、ネットを介して自分の言葉を世界に発信できる「よい時代」になった以上は、せいぜい高校生レベルの現代文読解の常識ですら、知識として前提することを許されないよ〉というekkenさんの主張は、「分かるけど認めたくねえなあ」という感じです。分かっていただけますか、この感じ。



というわけで、私は、ekkenさんのおっしゃることは「現象として」は理解します。一方で、あままこさんが言うことも「筋がとおっている」と考えます。まあ、仕方ない。私は、そういう「時代」そのものが嫌なんですから( ´ー`)。…なんというか、まさに、自分で言いながら古イ奴ダトオ思イデショウガ(「傷だらけの人生」)という感じを彷彿としております。



というわけで、あままこさんも、今度から皮肉を言うときには、文末に「(皮肉)」とつけるとよいと思います。(皮肉)

*1:戦後すぐに出たもので、今では時流に合わない部分もあるが、一応文化庁の国語施策の中に今も位置づけられているので、ekkenさんがオーソリティとして引用してくるのは正しい。ただ、文化庁は、別に、「これ以外の使い方をしてはいけない」と言っているわけではない。

*2:もっとも、もとのあままこさんの文章のカギ括弧が、皮肉の意味で用いられていたとしたら、ekkenさんの批判も当たらないことにはなります。だって、皮肉は本来「分かる人にだけ通じればよい」という表現なわけで、「誰にでも分かる」なら、それは皮肉ではなく単なる悪口です。皮肉の意味を「誰にでも分かるように書け」と言っているなら、的外れな批判になってしまいます。

*3:たとえば、石川淳の「雅歌」とか読むと、ほんの60年程前の世代の人が普通にできていたそんなことが、今の自分らにはできないんじゃないかなあと思うわけです。参考:石川淳と村田了阿の季節−電気石版ノート

はてなユーザーのみコメントできます。はてなへログインもしくは新規登録をおこなってください。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/jo_30/20120922/1348283038