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2013-07-07

神話を製造しない

「神話」というのは、人間の深層心理と関係が深い。実際の事件を描く際も同じですが、結局のところ歴史というのは人間がものごとをどのように見ているかということの現れなので、同じ出来事でも見る方向が変われば記述は変わります。まして、記号化された歴史、すなわち「神話」の場合、そこには、それを描く人間の心理の根底に横たわるものが現れているのでしょう。その事情は、インターネットの世界に多数現れる「神話」についても、多分同じなのだと思います。



先日、フィギュアスケート安藤美姫選手の妊娠・出産について、いろいろな意見が出た中で、彼女を批判するいくつかの記事に対して強い批判を向けた記事がありました。

「安藤美姫選手に対する常軌を逸した集団マタニティ・ハラスメントについて(人権は国境を越えて)」

記事の趣旨については、何の異論もありません。というより、積極的に賛成。TV画面越しの「応援」とかいうお気楽な立場にいる人間が、アスリートの人生の選択について、保護者気取りでああでもないこうでもないと言うのは、余り見られた構図ではありませんね。もし、実際の保護者が言うのなら、(見られた構図でないことは変わらないにせよ)愚痴の一節くらいには付き合う義理もあるか…と思うところですが、それにしたって、それだけです。他人の人生に何の責任も取らない人間は、他人の人生に口を出すべきではない。ですから、それらの行為を「常軌を逸した」と批判されるのは全く当然です。ただ、その一部に、インターネットにおける「神話」のことを考えさせる一節があったことが、とても気になりました。



ブログの書き手伊藤和子氏は、この集団的なハラスメントについて、こう書いています。

ネット上では最近、これに限らず炎上騒ぎがひどくなってきているが、日本はどんどん不寛容になっていると思う。

人々がつながってプラスのエネルギーを作り出せるはずの、大手メディアとは違う表現手段として新しい可能性を秘めているはずのSNS、ネットが、社会の不寛容を増幅し、心無い誹謗・中傷となって表れているように思う。健全なネットの使い方になっていないのもとても悲しいことである。

おそらく、ここは彼女の主張の中心ではなく、単にちょっとした実感、感慨を書き留めただけのことだろうと思います。が、個人的には、とてもガッカリしてしまいました。ああ、またか。ここにもまた「日本の道徳は低下した」神話がでてくるのか。こうして神話が再生産されていくのか、と。



「日本の道徳は低下」したのでしょうか?

明治、大正、昭和の新聞や雑誌を、仕事柄ずっと眺めた経験で言いますと、日本人はこの間何も変わってないというのが偽らざる実感です。そして、むしろそのまったくの「変わらなさ」こそが、道徳心とかそういうことよりずっと問題なのだと思っています。

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けれども、そういう「物語」は、どうやら余り好まれないようです。一般に「変わらない」ということは「問題がない」ことだと思われています。そして「低下した」と言えば、それが問題化できるように。ですが、「低下した」ことへの対策として行われる施策は、「変わらない」ことへの対策としては、大抵の場合有効に機能しないのです。

特にこの「日本の道徳は低下した」という神話は、「もともと日本人の道徳心は高かった」「戦後教育により低下した」「だから道徳教育を…」云々の言説と結びつきやすいという意味で、問題が大きい。実際のデータで、犯罪率の低下、特に若年層における低下(「低下する前」のはずの高年齢の方々の犯罪(粗暴犯)率の高さ!)などの実証が示されても、それらの主張は揺るがないのです。きっと、元の「神話」がある限り、主張者の心の中には、データよりも人々は実感として自分たちの主張を否定しないだろう、という安心感があるのでしょうね。



そりゃあ、まあ、そうでしょう。

『日本人は、もともとお調子者でその日暮らしで、西洋的な意味での道徳観や倫理観は持ち合わせてこなかった、ぶっちゃけ野蛮人でした。』

といった主張をすとんと飲み込むのは、苦労がいります。自分たちの親、祖父母、曾祖父母の世代を素直に尊敬し、祖先を敬愛し、だからこそ、素晴らしい人たちであったと信じたい、という気持ちが溢れていれば、こういう言説に耳を貸したくはならないでしょう。

こういう言葉に耳を貸すのは、現実を憎んでいる人や、ニヒリストや皮肉屋、あるいは「西洋的な道徳・倫理が全てじゃない」ということを論理的・実証的に理解し納得した人たちしかいないのでしょう。そしてそれは、残念ながら、そう多い数ではありません。*1ですから、大多数の人にはそういう意見は届かない。



こうして、犯罪を低下させ粗暴な行為を減らし人権感覚を広めてきた*2有益な教育は改められ、よくて無益、悪く言えば行き当たりばったりで有害な教育施策が一段と進み、そして有益な改革は一層後回しにされていきます。そして、「道徳」と名付けられたある種の歪んだ「伝統」的価値観の押し付けが一段と強化されます。*3

これは大げさな話ではありません。現に今、起こっていることです。

そして、現に起こっているそれらを押しとどめる方法が、多分ない、その絶望的な事実が、私にこの記事を書かせています。本当に、悲しいくらい、どうしようもない。



インターネットの「神話」からほの見えるのは、私に言わせれば、まさに大昔から何一つ変わらない日本そのものの有りようです。私たちは、昔から何一つ変わらない。変えることができていない。それが、私たちを惑わせている問題の根源であり、安藤美姫選手への批判も結局はその現れの一つなのだ、と私は思います。*4



追記

コレを書いたあと、こんな記事が…

東京都内、高齢者の万引増加 初めて少年上回る

いや〜。

もう、なんというか。

*1:書きながら、自分はどれに当たるのか考えたが、おそらく2番目であり4番目なのだろうと思います。日本人は西洋的に言えば「野蛮人」でしょうが、それは西洋が日本の「文化」を理解できなかっただけです。けれど、今や日本人ですら…特に「日本の伝統ガー」と言う人が、日本の「文化」を西洋の目を通してしか理解しようとしておらず、それ自体が問題だ、と私は考えています。

*2:それらは、洋の東西を問わず広められ行われるべき、というコンセンサスを、人類はこの間広げてきました。

*3:安藤選手への一連の批判は、「母親」神話に由来するという意味で、明らかに明治以前の日本の伝統そのものではないと思います。例:「江戸時代、子育ては母親の主たる役割でなかった。」良妻賢母の光と影など

*4:思わせぶりな言葉で誤解させたくはないので書いておきますが、これは、安藤選手への批判が些少なことだと言いたいのではありません。安藤選手への批判を批判するなら、自らのもつ同根の偏りに、一層敏感になる必要がある、という話です。

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