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2006-05-12 村上隆と東浩紀

jo_302006-05-12

[]著作権をめぐる議論再び

東浩紀が村上隆への批判を展開

先日村上隆がこども衣服メーカーを訴えた件について、

東浩紀が彼の

私が生きている現代アートの世界はオリジナルであることが絶対的な生命線です。一つひとつコンセプトを考え抜き、心血を注いで造形した,私の子供の様に愛し育てて来た作品達。まして「DOB君」の世界観は誕生させて10数年, ゆっくりと育てて来たものです。

これらのキャラクターは、キャラクターであると共にアート作品です。日本ではアートの社会的評価や理解度は低いままです。功利主義で、文化発展への尊敬の念乏しき,文化の民意が著しく低い国。それが日本です。

しかし,こうした現状に甘んじるのではなく、オリジナルアートの価値を社会に認識してもらうことが重要です。私は、これからもそのために精力を注ぎ続けていきます。

…というあたりの発言に、激しくひっかかりを覚えたそうです。

http://www.hirokiazuma.com/archives/2006_04.html

そりゃまあそうでしょうねぇ。


先日地元のゲームセンターを流したときに、一山いくらのプライズ機(売れ残りの景品寄せ集め状態になってる所)の景品の一つにのまネコストラップを発見して感慨に耽りました。この問題と昨年ののまネコ問題はどう関連させて考えることができるでしょうか。


まず「公共財」のような存在である『カルチャーとしてのジャパニメーション』意匠をアートの世界に持ち込むという戦略を取ったのが村上氏。前者が商業主義の世界で後者が趣味の世界であったために、問題視する人もいましたが(主に力関係…アニメ<アート、という世界観の下で)東氏のように「それは許容されるべき」と考えられてきたのではないかと思います。そしてその村上氏が商業主義に「パクられ」たとき、村上氏は逆にその商業主義を訴えた、と。


これを「のまネコ」問題に置きかえてみると、「モナー→のまネコ」というAvexによるパクリを2ch住人が批判した際に、

 『あやしぃ住人(ギコ発祥)が2chを批判した件』=お前も元々パクリだろ批判

 『2chFlash板が抗議行動を批判した件』=パクリが2chの文化だろ批判

 『現代社会のお約束による批判』=パクリは現代文化だろ批判

などが起こったわけですが、これらの批判はいずれも、『上の村上氏の立ち位置=2ch住人の立ち位置』とした批判ではなかったでしょうか。そう考える人に、両者の違いをどう説明すべきかがどれくらい話合われたでしょうか?


私は両者が全く異なると思っています。

では2ch住人の抗議には正当性を認め、村上氏の言い分に説得力を感じない理由とは何か?

それは東氏のブログではからずも言及されている、余りにも古い…それでいて重要な価値観である芸術の神秘性(アウラ=オーラ)に関係していると思います。

東氏の批判は、基本的に村上氏の今回の声明がこれまでの彼の戦略と矛盾するのでは?というものですが、しかし結論部分ではその矛盾を全面に出すのではなく次のように記しています。

いずれにせよ、ひとつ言えることは(そして残念なことは)、このニュースを見て僕のなかでDOB君のオーラが消えてしまったことです。実は、僕の自宅のリビングには、DOB君の版画がここ数年かかっていました。僕にとってDOB君のシリーズは、村上さんの価値転倒の戦略を代表する作品だったからです。しかし、そろそろレイアウトを再考すべきかもしれません……。

もちろんこれは比喩的表現に過ぎないわけですが、東さんが「オーラ」という表現で自らの否定的な見解を表明されたことを非常に面白く感じました。なぜなら、村上氏が実行し東さんが擁護し、そして今それを根拠に東氏が村上氏を批判したところの考え方こそが、芸術の神秘性(アウラ=オーラ)を否定したW.ベンヤミンの「複製技術時代の芸術」の延長線上にある考え方であり、また一方で、超越した複製技術が逆に再び人知を越えた知覚的ショックという意味での『神秘性(=アウラ)』を我々にもたらすだろうという主張などで再生産されていくような「複製とアウラ」をめぐる言説に新たに付け加えられた一ページであるからです。東氏は、この「DOB君のアウラ」という表現で、逆説的に村上氏の戦略が失敗であった(アウラの消失を果たしていなかった)こと…言い換えれば『村上氏の本質が、戦略的美術家でなくただの小器用な文化偽造者に過ぎなかった』ことを指摘しているのだ…といえば深読みに過ぎるのでしょうね、多分。

村上氏の作品は、主芸術(メインカルチャー)と副芸術(サブカルチャー)、あるいは美術と商業主義の垣根を下げたのではなく、東氏の見解に基づけば実は「創造と批評」の垣根を下げただけだったのかもしれない。その意味で、1000年後に残るのは結局村上氏の作品ではなく、商業的に成功した「エヴァンゲリオン」であり、また批評性ということを高いレベルで実現した右上にあげたようなヌイグルミたちであろう*1と私は思います。そう考えれば、村上氏の行為は上で述べたような「小器用な文化偽造者」に終わらざるを得ず、その彼が自らの「作品」を偽造されたところで、同情する謂われはないように感じます。

では、2ch住人は「偽造者」ではないのか?と言われれば、それはもちろん違います。そもそも法律的に罪を問われる可能性があるのは明らかに2chにおける数々の著作権法違反の方であることは明白でしょう。しかし、2ch住人が「偽造」し「盗んだ」ものは、彼らが逆に「盗まれた」として怒ったものの本質ではありません。市販の楽曲を使って数々のFlashが作られましたが、それらの楽曲がなくても(たとえばAAのみでも)モナーというキャラクターは生き生きと動き掲示板におけるボケやツッコミを繰り返す中で洗練され、2chの精神(良くも悪くもある種の無責任さ、及びイノセンス。一言で言って『ひろゆき』的性質)の象徴として作り上げられてきました。そのこと自体はどこからのパクリでもない、集団的創造物であり古典的な意味でオリジナルなものです。2ch住人の多くが行っている「盗み」が賞められたモノでないことは事実としても、それが、2chから2chの財を「盗み」出していいという理由にならないのは明白です。

そしてまた、2ch住人の多くは「補償」や法律的決着を求めて憤っていたわけではありません。そもそも誰かにお金がわたるから許せるとかそういう問題ではなかったので、実際、同時期に起こった墨香オンラインにおけるモナー使用の件では、そのことに何らの対価を求めなかった「ひろゆき」さんの姿勢を批判する声はほとんど見られなかったと記憶します。そのあたりを含めても、公平に言って多くの2ch住人のモチベーションと村上氏のそれとには大きな隔たりがあると言わなくてはならないでしょう。問題は真似たかどうかではなく、そこにアウラの尊重があったか否か、ということだったのではないでしょうか。

その意味で、今回の件について考えることは、当時の問題を再検討する良い機会なのではないかと思いました。

(追記)

ちなみに、「画家としての村上隆の可能性から考えろ」という批判を展開している方がおられたので、引用&TBしておきます。この問題を、そのまま「村上隆批判」文脈につなげようと思うならその前にこの批判は参照しておく必要がありそうです(というか、はてなキーワードを見て、参考になりそうなダイアリがとりあえずここだったとも言う)。なんというか、熱い。熱いですよこのblog。

ちなみに、このblogエントリは、確かに「村上隆の絵画作品は凄く、彼の芸術家としてのポテンシャルは凄いのだ」という話をしつつも、あくまで造型作品に関して言えばその出来に疑問符をつけ、今回の件についても東氏の指摘に反論しているわけではない。今回の件を安易に「村上隆批判」の文脈に繋げることを批判しているのだと思います。その点に関しては、まことに仰る通りで、こうして上のようなエントリを書いている私は確かに村上氏の仕事やその可能性の総体のほとんどを知らない…商業的に(彼自身が)広めている像しか見えていないと思います。

しかしだからといって、「じゃあ批判するために村上の仕事を追ってやろう」と思うかというと、それはそれこそが村上氏の戦略にすっぽりはまっているという気がしなくもない。結局の所商業的な自己像それ自体も作家の作品であるとすれば、それへの批判もまた彼の予期する所だという話ですよね。作家の手のひらでああだこうだと言わされる程の愚は無いでしょう。その意味で、

村上氏自身が、自らの作品価格の下落を予感しているからこそ、手っ取り早く現金化できるものを引出した、と考えなければ今回の「和解」は理解できない。

この状況から抜ける道は1つしかなくて、それは戦略とかコンセプトを遥かに上回ってしまうような作品を作る、という事だけだ。

…つまり、村上氏に残された道は、お金をもってさっさとトンズラするか、衆目を集めたところで多くの人をうならせるような凄みを持った作品を提示するしか無いのではないか、という提言。首肯すべきものがあると思いました。果たして村上氏がこのエントリを読んだら何を考えるでしょうか。

*1:左上…PostPetのモモのヌイグルミは、『ヌイグルミが動いてメールを運んでくれるというコンセプトのソフトウェアのキャラクターのヌイグルミ』という転倒した存在です。左下…リラックマは、背中にファスナーがあるのを見れば分かるように『自らがヌイグルミであることを雄弁に主張し続けるクマ』であり、やはりそのヌイグルミがこうして存在することは三重・四重の転倒を象徴する存在です。ちなみにこの着ぐるみバージョンに至っては「自らがヌイグルミであることを雄弁に主張するクマのヌイグルミを模した着ぐるみ」というもはや収拾のつかない存在になるわけですが、その着ぐるみをクマに着せてみたらどうなるのだろうという転倒に至ってはさすがにまだ実施する人がいないようでほっと一息です(冗談)。右下のキャラ…名前忘れましたが、少し前に一世を風靡した「どう見ても色も形もヌイグルミなのに口から血を流し牙をむく残虐なクマ」のヌイグルミで、これまたヌイグルミのクマそれ自体を批評し、その批評が同時に作品であるとともに商業的成功を収めたという意味では、明らかに村上氏より上を行く存在だと私は思います。

2005-10-29 雨の仕事場から

[]大阪梅田にのまネコがキタらしい

そして自分はモナーだと認めたらしいです!

証拠画像はこちら

一言。

分かる人には分かる洒落。

[]雨の中で思う

のまネコ問題(暫定)終結とともに、いよいよ仕事の多忙化が深刻な事態になり約一週間…仕事の合間にようやくすこし暇をつくりブックマークを覗くと、楽しみに読んでいた「ネコ裁判ブログ」が最終回を迎えていました……orz

まあ、スッキリとしていいやめどころなんじゃないでしょうか。番外編があるとはいえ、とりあえず本編は打ち切っておかないとホントに「復讐ブログ」と化してしまうかもしれないし、だいたいフルタイムで仕事してる社会人にはそんな暇なんて無いですわな。今はゆっくりとこれまでの記事を振り返っておられるのでしょうか…。

私も「のまネコ問題終結宣言」してから、改めてこの問題を振り返っておりました。どこまでが許されるラインなのか、どこからが許すべきではないラインなのか。

たとえば日立の「かわいいコックさん」はありなのか無しなのか……。

知財をめぐるこれらの風景は、実は古い問題なのだと思います。何を守り何を許すのか、それによって社会的に何が生まれ何が死ぬのか。声なき人々の声を誰がどう伝えどう守るのか。今回の問題は、外からは「声がない」と思われていたけれど実は「日本一うるさい」連中を相手にしていたからこそ浮かび上がってきた問題だったと思います。しかし、これでもし相手が本当に「声なき」人々だった場合、こんな問題は問題として浮かび上がってさえこなかったことでしょう。全く同質、あるいはこれ以上に悪質なケースであっても。きっとそんなこと、たくさんあるのでしょうね。

「権利の上に眠る者は権利を奪われる」というのが法の倫理の根底にあると昔習いました。確かに権利とは不断の努力によって守られなくてはならないものなのだとは思います。しかしそれは「フェア」な競争環境が整っていてはじめて成り立つ話ではないでしょうか。どれほどの声をあげてもそれを圧倒する力が一方にある場合、「おまえは権利の上に眠っているようなものだ」という決めつけは単なる暴力にしかなり得ない。そして複雑化する法の隙間をつくような商売がそれにお金をかけられる人にのみ開かれているような場合、攻める側と守る側が「法の下に平等」だとは、私には到底思えないのです。法の大切さは当然の前提とした上で、法だけが我々の社会を維持し守るのだと私は思いませんし、またそういう社会が理想の社会だとも思わないのです。今回のように、たとえ法的責任を問えるかどうかは微妙な事例であっても、社会的にアンフェアだと思われれば多数の告発の声が上がる社会というのが、私には安全な社会だと思われます。『専門家の解釈が正しいんだ、素人は黙っとけ』という社会が良い社会だと私は思わない。それは単なる判断の停止であり盲従でしかない。それよりも、誰もが法の運用に対して「チョット待て!」を言える社会…それこそが、実は誰もが「権利の上に眠るべきでない」ことをよく理解している社会と言えるのではないでしょうか。

2005-10-17 それさえもおそらくは平穏な…

[]圧力?

 こちらのまとめサイトに紹介されていますが(10/17付)先頃ラジオでavex批判をかました伊集院光氏の番組が急遽番組欄から消え、電凸した人によると「急遽緊急ミーティング中、今夜の番組でプロデューサー自らが経緯説明」となっているらしい。これはマズイと思う。なぜ今の段階でこういうことになっているのか。周辺もしくは関連会社の暴走か、それとも計画通りなのか? もしこれがavexの了承無しに行われている暴走だとしたら、何のためにavexが公式表明で譲歩したのか分からない。騒動に再び火を付けかねない暴走である。今のところ、木村氏ブログで10/12声明についてのコメントがないことも(あえて今はそちら関係の情報に触れないようにしていて、本当に何も無いからかもしれないけど)気になっている今日この頃、もしこの圧力がavexの密かな巻き返し策の一端だとしたら、最悪の事態を回避し平和裡に終結することが見えてきていたこの問題に再び火がつきかねない。

 …という風にこれは大きな影響を持ちかねないことですので、どうか関係者には冷静で理性的な対応をお願いしたいものですが…。

(追記)全然マズくなかったことが判明。したの「らぃ」さんの書き込みやリンク先に有るとおり、普通の放送だったそうで……。これが所謂「釣り」というヤツですね。orz

 

2005-10-12 その時歴史は動いた

jo_302005-10-12

[]avex歴史的譲歩!

当ブログで、これまでかなりavexに厳しい意見を書いてきました。その埋め合わせというわけではありませんが、本日のavexの公式発表素直に称賛したいと思います。グッズそのものを全面的に取り下げには至らないまでも、「のまネコで金儲けをすることはやめる」という決断は、現時点での決断としてはもっとも譲歩した決断であり、ビジネスの論理のみで押し切ろうとしたこれまでの発表とは異なる「ネット住民への配慮」を込めた決断であり、そして公式に「ネット住民へのお詫び」を表明したことは、ネット住民を一つの謝罪すべき「主体」としてavexが認めたという意味で重い意味のある行為だったと思います。

今回の発表は確かに「ネット住民の声を取り入れた」発表でした。誰がどういう形で関わったのかは分からないし今後も分からないかもしれませんが、その筋の意見をとりあげこの形の発表に至ったことは、歴史的な決断と言っていいと思います。またコメント後半にあった

ネット・コミュニティーにおいてクリエイティブな活動をされている方々と共に、新しい創作物を生み出すためのより良い環境作りや、その支援といったことについて積極的に検討

という一節は、AA板などにも受け入れられる意見であり意味のある声明だと思います。

まだ様子を窺っている2ちゃんねる住民の皆さんも多いと思いますが、今回の声明でひとまず問題は終結したと考えて良いと私は思います。みなさんの活動は無駄ではなかった。非常に意味のある結果を生んだと思います。素直に誇って良い。木村さん津久井さんをはじめ真っ先に実名で抗議の声をあげた方々、街灯にたってビラ・チラシ配布をしたみなさん、まとめサイトを運営したりブログを書いたり、電凸・メル凸をし、あるいは署名して抗議の手紙を送るなど、合法的で地道な活動を続けた皆さん、掲示板で抗議方法を話し合い工夫し、作戦を練り、そして落としどころを必死に話し合っていた皆さん、見守っていたみなさん。まもなくひろゆきさんから終結宣言が出るのではないかと思います。明日からはゆっくり眠れますね。

……

そして私も、ようやくゆっくり眠らせて貰えそうです……

今日まで温かく見守って頂いた当ブログ読者の皆様。

そして何よりも、狂ったように記事を更新し続ける私を生温かく見守ってくれた相方。

…ありがとうございました。

_

最後に、本日のタイトル画。初めてモナーを描きました。5分でですが(笑)

これを有志の皆さん、お世話になった皆さんに捧げて(まだいくつか各論での議論は続くものの)事件の終結宣言としたいと思います。m(__)mありがとうございました。

(追記)10/13早朝

2ちゃんねる管理人ひろゆき氏から「個人的」見解がでました。

「のまネコ」に関して、エイベックス社は「不快な思いをしたネット参加者にもおわびしたい」と書いてあるとおり、謝罪をしているようですし、キャラクター使用料を受け取らないことも明言しているようです。

とりあえず、謝罪してキャラクター使用料を放棄するというのは、のまネコのパクリ疑惑に関しては実質認めたようなものだと思います。

下記3点のうち、あと1点が成就すれば、騒ぎのオチとしては十分だと思います。

・エイベックス社がパクリに関して認めること < 実質的には認めた

・エイベックス社が謝罪をすること < 謝罪した

・キャラクター使用料が恵まれない人たちの幸せのために使われること

とした上で、残るは「TAITOなどキャラグッズを作成している会社が受け取る(元々ロイヤリティとしてavexに支払われるはずだった分の)お金の行方について。それがそのままTAITOなどの会社の儲けになるとすればおかしい、という話とのことです。

TAITOの話は、なるほど「のまネコ問題」としては残る問題かと思いますし、実際抗議のメールが数多く行っていたにもかかわらずプライズ展開を中止しなかったTAITOは、(他のメーカーがいくつも、早々とグッズ販売見合わせに動いたことを考えれば)「善意の第三者」の枠を越えているとは思います。avexの表明を受けて早々と動かないとすれば、運動の矛先がTAITOに向いてもおかしくないでしょう。しかし、当ブログでこれまで扱ってきたこととは話が少しズレることもあり、私としてはそれは「運動の後始末」に属することと思います。TAITOが全く知らんフリをきめこむとも思えないし、もしそうするようであればそれはまた別の問題と思われます。

2005-10-11 秋雨

[]まとめとお礼〜徳保氏に

まず最初に徳保氏に対し、ここまで話につきあっていただいたこと、そしてねばり強く「双方の意見の着地点」について考えて頂いたことを感謝したいと思います。

少し私事を述べさせてください。「ブログは議論のツールである」という意見があり、実際「掲示板での議論の不毛さ(終わらなさ)」に疲れてブログに移行した人間としてはうなずけることも多いのですが、それでも「見られる形に議論をまとめる」労力自体が減少するわけではありません。むしろ、積極的に議論をしかけ/しかけられやすくなった分、むしろ疲労は増大する傾向にあると言えるでしょう。私自身も、ここしばらくの、二、三本の議論がちょっと平行しそうな状況の下で、あっという間に締切りを複数抱えた作家のような、好きで始めたことにもかかわらず逃げ出したくなるようなプレッシャーを感じたりしていました^^;。もちろん、議論することは嫌いではありません。しかし、もしそれが最終的に勝ち負けという結果しか(それも自己満足的な)得られないゲームであれば、これほどの時間と労力を費やしはしなかったでしょう。今回の議論を始められたのは、徳保さんというお相手を得て、そこに何かあとに残る物が生まれるという(たとえ漠然としたものであっても)確信が得られたからです。逆に、徳保氏には深い申し訳なさを感じています。いきなり通り魔に襲いかかられたように議論をふっかけられたわけで、まさに青天の霹靂であったことでしょう(徳保さんのブログが、決して「のまネコ関係」ブログでもなんでもないことは承知しております…)。いわば全く本業と関わらないことに、おそらく多大なお時間をお使い頂いたことと思います。私自身は非常に多大な示唆をいただいた今回の議論が、徳保さんご自身にとっても必ずしも無駄な時間ではなかった…と感じて頂けること(そして実際そうであること)*1を祈りつつ、私の側からは最後のまとめに入りたいと思います。

・SafariとKHTMLの件

事情は多分徳保さんの方がお詳しいことでしょうから、またどこかで「8月の大きな進展」について教えて頂ければありがたいです。両者の対立点にどのような解決案が持ち込まれたのか興味があります。

・対処について

私は私の立場から、まず批判しました。しかし「説得は不可能」と諦めている通り、結局のところ、彼らとうまく付き合っていかなければ、有望な市場のひとつをむざむざ見逃すことになります。

なるほど「説得は不可能」はそこにかかってくるわけですね。そういう意味ならよく分かります。それを踏まえて「西村博之さんに相談するのが最適だったろう」という判断になることについても同感です。徳保さんのおっしゃるような「現実的な妥協策」を練る上でも、あるいは私が先に述べた「感情的な配慮」という意味でも。

そもそも商標登録はダメだ、些細な違いにオリジナリティは認めない、となると、私は妥協できません。今回、諦めるのは、事の経緯からして仕方ない。でも一般には、認められるはずだし、認められてきました。それをひっくり返されては困る。

今回徳保さんと話し合って、まさにこの微妙な点に線引きができたことが私の中では収穫でした。私なりにまとめるならそれは、「商標登録などをして独占販売しようとすること」と「オリジナルであると主張すること」の間に線引きができたということです。前者は法律問題であり後者は感情的な問題。そして両者への配慮ができるならば利益衝突を回避することも可能でありうるし、我々は積極的にその方策を探っていくべきだということです。

そしてまた私は、id:Dryad氏のところ(@「パクリ論争と帰属」)で、次のようなことを書きました。

私は「オリジナル」とそうでないものの違いは、歩幅と方向の問題であると思います。未来志向か、単に後ろ向きか(方向)、そして原典から十分な距離の跳躍があるか無いか(歩幅)。それが原典を持つこと自体が問題なのではなく、方向と距離…つまりベクトルが問題なのではないでしょうか? 

これは私なりに徳保氏の意見を消化しつつ、かつ積極的に新しい創造をしようとしているクリエイターへの賛辞をも込めたつもりの表現です。

ある「行為」の形よりもそこに「未来志向の跳躍」が有りや否やを問う…という表現は、創造行為が社会自体を変化させていく価値を持つという意味で、必ずしも「神聖なる芸術の領域」を前提としなくても、創造的行為の価値を評価していくという意味であり、またその「心意気」を評価するといういみであります。津久井氏がこの件に反応した理由も、その「心意気」における部分での反感だったと理解していただいていると思います。

その上で、形として二者が「同じか否か」ということを論じる泥沼を離れるべきだというメッセージもそこにはこもっています。これは主に徳保さんとのやりとりの中で私が納得したことでもあります。それよりも「結果思考(結果として社会的財が増大することならば認めていく方向)」で考える見方を受け入れつつ、同時にその線で創造という行為の自由さを確保することが妥当であるという考え方。これを、私風に敷衍すれば「どんなに似ていても問題のないケースがあり、逆にどんなに似ていなくても問題のあるケースもある」ということであり、そのための判断の基礎が自分なりにできた、ということになります。

以上のまとめに問題がなければ、私の方としても、大体お互いの「合意できる点」と「そもそも一致し得ない点」の結論がついたように感じていますので、これにて一端論を閉じたいと思います。

(追記)10/13

上に上げたDryad氏の所で、更に以下のようにコメントを追記しました。

今回の件、徳保氏との議論を重ねながら「似てる似てない議論の不毛」にあらためて気付きました。思えばアンディ・ウォホールのキャンベル・スープが「有り」ならば(当然「有り」だと思うわけですが)「見た目の類似」は創作活動において論じるべき対象ではないことは自明のことであり、論じるべきはそこでないことは明かだからです。

今回の件で、反応した2ちゃんねらーの「ダブルスタンダードを批判する論/批判する資格があるのか論」などを多く見ましたが、私はどちらかというとそれよりも、avexの行為に(俺様2chさん風に言うと生理的に)鋭く反応した多くのクリエイターの方々*2の記事に多く示唆され触発されました。その中で再度自分の「オリジナリティ」概念を洗い直すことができたのが大きな収穫でした。ご協力いただいた皆さんに、深く感謝します。

また、Dryad氏のところでTakahashi氏の記事を紹介いただきました。氏の「失望」はつまり上に上がった「ダブスタ論」と同じことを2ch寄りの視点から書いたものだと思いますが、私は先に書いたように2chのavexへの批判それ自体は倫理的には正当であると思っています。47氏の行為と比較して言うならば、「ねらーの多くがあのFlashモナーのFlashだと認識していたうちは、これほどavexが叩かれてはいなかった(つまり、実は『パクって商売したこと』は批判のポイントでは無く、『独占(の怖れ)』が批判のポイントであったと考えられる)」という一事をあげれば十分ではないでしょうか?

*1:とりあえず、今度jo_30的な通り魔に襲われた際には「アッチのブログに全部書いておいたからヨメ!」と一言で追い返して頂ける…という程度の役には立つかと(’ー’;)タタナイカナ?…

*2:音楽家、著作家、研究者など

2005-10-10 体育の日が体育の日に

[]犯罪予告の人が謝罪?

タイトルの件についてこちらで紹介されています。トリップの構造を考えても、おそらく同一の人でしょう。そもそも、これが本人によるものでなければすぐにトリップを使って「このトリップはキーワードがばれました。あれは別人です。キーワードは○○でした」と宣言されればそれまで。そして他人による騙りにしては内容が踏み込みすぎ。

また、個人的にはあの起伏のない、かつ終始論理的で破綻しない文体の特徴からいっても同一人物であろうと感じました。

書き込みの内容をそのまま信じるほどこちらも純粋ではありませんが、*1とりあえずこの内容からいって犯行は起きないのでしょう。*2…とすると、ひとまず事件は一段落したと考えて良いのでしょう。それだけでも良かったと思います。

全ての騒ぎが、可能な限り少ない被害で終結しますように…。

(追記)

上の見解は、それなりに2ちゃんねるに対する知識があればそれほど難しかったり珍しかったりする見解ではないと思いますが、果たして大手マスコミはこれをどのように報道するのでしょうか。のまネコ関係のblogなどではしばしば「マスコミはavex寄りだ!」という批判がありますが、私は単に知識がavex並みだということでしかないと思います。大抵の場合は。

そもそも、ある問題が起こったとき、「公平な報道」をしても6割以上の人間がそれぞれ「相手サイドに有利な記事だ」と感じるそうです。ある問題に関して一般に対立がある場合、人々の主張は「中間地点」を中心とした正規分布でなくむしろそこを谷間とする二極に分化するわけで、報道がどちら側から見ても「相手側有利」に見えるのはむしろ当然だといえるでしょう。

ただし、今回の件について言えばそこに「ネットに対する知識の有無」という事情が絡むはずなわけで、いわゆる「中間地点」報道をしている程度の知識しかないマスコミが上の書き込みの裏事情を正確に読み取るとすると、どうも「意識的に偏った報道をしてきた」という疑いもやや強まるような気はします。まあ、あるとしてもそれは言われているような「圧力」というより、「あうんの呼吸」による「配慮」位でありたいした問題ではないという気もしますが。

[]みんなが幸せになるルール(徳保氏に)

昨日のコメントでは、当初「説得は無理」としておられた【フォークロアを『若干改変してオリジナル主張』するのは冒涜ではない】という点に関する説明をしていただいたことに感謝します。お陰で徳保さんが見ておられる事例(私が知らなかったこともたくさんありました)やそれに基づいた判断〜主張の流れを見ることができました。ありがとうございました。徳保さんとのやりとりのお陰で、私も自分なりの考えを整理できてきた気がします。以下に、上記を見た上で考えたこと、そして私なりにまとめたことを書きたいと思います。

まずLinspire*3やTurboLinuxについて。逆にお伺いしますがLindowsやLinspireの「L」って何でしょう? TurboLinuxが「Linuxである」ことを隠したりしたでしょうか? RedHatだってVineだってLinuxの一バージョンであることを誰かに誤認させようとしたりはしなかったのでは?*4これらの会社が本家Linuxの出自について鈍感であったワケがないので、私が「パクリにもルールがある」と書いて言いたかったのはまさにこういう「ささやかな気遣い」のようなことです。かならずしも「ロイヤリティの分配」が必要なわけではありません。こういう「出自への配慮」は、普通に商売するときにも(単にトラブルを避けるためだけにでも)必要なことだとあらためて感じました。創作物と過剰に主張しない、オリジナルであると主張しない、原典が何であるかを明記し原典を尊重する、……そういう「振る舞い」の部分まで含めて、それが「パクリのルール」でありavexに欠けている欠けていると言われている「リスペクト」だと思います。*5

ちなみに「Apple の独占商品 Safari がオープンソースの KHTML の派生物だなんて一般ユーザは知りませんが、やはり問題視されません。」とありましたが、必ずしもそうではなく、実際こちらにみられるように、両者の利益や感情的な対立を解消するのは大変なことであるようです。そこにある『この衝突を、オープンソースプロジェクトに取り組んだ企業が経験する失敗を象徴している、とする意見もある。』などの一節は、気軽にやったつもりのavex担当者には、反省の意を込めてぜひ理解してほしい一節です。

 KDEの開発者で、同グループの広報担当を務めるソフトウェアコンサルタントのGeorge Staikosは、「オープンソース側が制約を受けないことを誇りとしている事柄から、企業は制約を受けている。Appleは、KDEのKHTML開発モデルとうまく相容れない問題を社内に抱えており、その意味では以前から問題があったといえ、それがKHTMLとSafariの急速な分裂へとつながった。そして、時間が経つのに従い、この問題は複雑化してしまった」と語っている。 (引用元:上リンク)

『制約を受けないという誇り』は残念ながら利益を旨とし納期制限を守らざるを得ない企業の体質とは衝突するし、コミュニティが求める『透明性』は「守秘義務」がなければ利益を独占できない企業の目的と衝突せざるを得ない。両者には深刻な利益対立があり、決して単純に片づく問題ではないのです。

また、上記を踏まえ電車男に関する件について言えば、「電車男」というタイトルを使い続けている時点で何一つ出自は隠されていない、それが重要だと思います。私はテレビのドラマも映画も漫画も、そもそも書籍版すら見ていないので(まとめサイトだけは昔読みましたが)論じる資格があるかどうか不明ですが、「タイトルを変えない」ということは、上のような事情を考えたときとても大事なことだと思われませんか?

これまでこれらの「リスペクト」は必ずしも明文化されていませんでした。それは問題の質からいって明文化が難しい内容である(そもそもケースバイケースであることが多い、保護されるべき権利の『主体』がそもそも明確ではない=近代法の基本的な考え方と合わない、生じる被害も回避できたことによる利益も数値化できない、など)ためであると思われます。しかし、少なくともトラブルを可能な限り避けるやり方は他にもあり、avexは事前にそういう配慮を一切しなかっただけでなく、問題があることを認識してもいなかった、というのはほぼ間違いのない所であり、このような問題に見切り発車でGOサインを出せる…という社内のチェックシステムの不備・リスク管理の甘さも含め今回はそのツケを払うことになったということではないかと思います。KDEとの交渉に頭を悩ませるApple担当者に、あまりにも警戒心のないavexの態度とコメントを交えてこの事例の話をしたら、同情は示されてもむしろ「そんなのと一緒にしてくれるなよ」と言われそうでさえあります。

【「のまネコ」を成功例にする方法はもちろん『あり得た』と思います】。【「のまネコ」を成功例にすることが悪かったとも思いません】*6しかしavexが失敗したことは事実であり、失敗の原因は「2ちゃんねらーが子どもであり法や商慣習に無知であったこと」ではなく*7「avexが企業として無知であったこと、パクりにはパクりのルールがあること」である、というのが私の主張です。今回の件は確かに一コミュニティの問題に見えるかもしれませんが、徳保さんの表現を借りるなら、それが「300万人」という人口の(それも社会の様々な場所に普段は所属する)コミュニティであり、そのことからくる影響力は大きい。それがどういう決着を迎えるかによって今後の社会全体の流れも変わってきかねないと思っています。その意味でavexには今回の騒動の原因がどこにあるかを分析し理解する「責任」があるし、この問題にきちんと決着をつける「責任」がある。でないとavexが残したのは「企業がオープンソースコミュニティに手を出すと失敗する」という事例でしかなくなります。できれば「どうすればそういう失敗から再度信頼を構築するかという成功事例」、最低限「どうすれば成功できたかという教訓のための失敗事例」にしてこそ、今回の事件自体を「社会的な財」とすることができる。そして今後の社会的財の形成も保証することになり、そうしてこそ一部上場企業としての社会的責任を果たしたと言ってもらえるのではないでしょうか。

「2ちゃんねらーが馬鹿だったから失敗した」では、今後に何も残さない。2ちゃんねるが「圧力団体」然と振る舞うことに嫌悪感や危機感を感じられる気持ちは分かりますが、社会的な影響力を及ぼすほど2ちゃんねらーが一つになってねばり強く活動するというのは結構稀なことです。2ちゃんねらーであることに何の要件も強制も無い(匿名公開掲示板である)以上、それがどれだけ多数を抱えるコミュニティであってもそもそも力となる保証がない。たとえ過激な風説をもってしてもそれを一方向にコントロールするのは難しく、従ってそれは本質的に何の力もないイノセントな存在でありつづける他はない…という話は、以前書きました。逆に言えば、これだけの数の人が、一円の得にもならない活動をしているからこそ、この問題の根っこに「馬鹿だから」では済まない何かがあると感じられるのです。たとえば昨日TB下さった「俺様かく語りき」さんが述べておられた「生理的な不愉快という感覚」は、以前私が述べた「宗教的イコン」説まで含めて述べられた話ですが、私のまとめより相当説得力がある話です。*8法が必ずしも想定していなかった事例において判断を求められている、という状況認識が正しいとすれば、今回の件を「圧力団体(2ちゃんねらー)による横紙破り」だとみなす必要はなく、単なる一コミュニティの利害の問題というより法を改善する根拠となる(それゆえ一般にも益のある)事例と考えることはできないでしょうか。

…まあ、こう話しながら、ここ数日私もかなり徳保氏のものの見方考え方の影響を受けたなと感じています。現時点で感情的には依然としてavexと関連企業に許し難いものを感じますが、そういう問題が発生する素地は常にありむしろ問題は既にかなりの数で起こっており、かつ単純に「avex=悪」で了解し合えない考え方の領域がある、ということを知ることができました。その点、素直に感謝したいと思っています。*9

*1:もし本当に「avexの自演」をいうなら、ここまでくれば身分を明らかにすべきだし"した方が安全"です。それをしない時点で、「自演だ!命を狙われた!」というのは多分嘘でしょう。「自首(というか出頭ですが)がない場合…」と書いているところを見ると、このままなんとかフェードアウトし最後までavex側に罪を被せようと努力している様子が伺えます。おそらく「見つからない」ことに賭けてなんとかこのまま騒ぎが(avex不利の方向で)収まらないかと考えているのでしょう。そのあたりを含め、犯人はそれほど年齢の高い人物ではなく、むしろ中学生くらいではないかとも感じました。

*2:これが実はavex側を油断させ警察のガードを少しでも甘くさせるための作戦だったりする可能性もわずかながらありますが、その場合犯人は相当危険な人物でありそうなるともう手の施しようもないですね…

*3:余談ですが、パクリパクラれ…という事情に関して、Linspireというのも現時点では相当ややこしいことになっているのですね……^^;:http://japan.cnet.com/news/ent/story/0,2000047623,20086922,00.htm

*4:知らずに新OSだと思って購入した人が"もし"いたら本当にお気の毒ですが…。

*5:後出しで「インスパイヤ」などと言ったから許せるというものではないです。また、後出しならせめて後出しなりの言い方というのもあるわけで、「インスパイヤ」といい「オリジナル」というその言い方には、配慮の欠片も感じられません。同時に「PVキャラは別」という主張を始めたこともいかにも「工作」っぽく、総じてavexの対処は悪印象でした。

*6:今更ながら思うのは、まだ素直に「マイヤヒぬいぐるみ」とでも言えばよかったのでは?ということですね。モナーという言葉を使わずにあのキャラを問題なく売る方法も無いではなかったと思います。「マイヤヒぬいぐるみ」といえば「マイヤヒ(のFlashに出てくるネコ=モナーの)ぬいぐるみ」と都合良く受け取って貰える可能性も無いではなかった。少なくとも批判者の数を減らすくらいのことはできたでしょう。

*7:KEDOの技術者が子どもであるからトラブルになったのではなく純粋に利害が対立するから問題となったように

*8:余談ながら、『「十字架に磔にされた全裸のモナー」とか「古いフードをかぶり子供を抱いてほほえむモナー」とかアリだよなとか変な方向に考えが進んだりする』。それは留保付きで「有り」でしょうね(ちょっと想像して笑ってしまいました(^^;))それは「パロディ」または「リスペクト」だと思いますので、グレーだと思います。某宗教の人に怒られたらやっぱり無しになる、という意味で。(・・)ノ"パロディ必ずしも白ならず。"

*9:…と書いても、別に問題を終わらせようとしているとかそういうつもりではありませんので、その点にかんして配慮的なお気遣いは無用です^^

2005-10-08 詰めの甘さ

[]オリジナル?〜徳保氏へ

レスありがとうございます。一方的に話を振ったのに、また「自分としては得る物はなさそうだ…」と(おそらく)判断しておられるにも関わらず、放棄せずに相手をしていただいていることに感謝します。

前回までで、双方の「立脚点の違い」というのが見え、またその「立脚点の違い」はある程度埋まらないものである以上、そこにおいて同意に至ることは難しい……という話が出てきたと思います。しかし一方で、双方の同意点と思われる点が見えてきたこともまた事実だと思います。今回はそこをベースに話をしたいと思います。

その同意点とは、双方とも"権利を放棄することで生まれる価値(jo_30)"、"文化の振興の為に価値の独占は許容されるべき(徳保氏)"という風に、その主要な観点の一つとして『文化が栄えることの重要性』をあげていることです。これについては(手段についての見解は違っても目的については)対立は無いものと考えますがよろしいでしょうか。「文化の振興」はつまり社会的財の創出であり全体の益になるという意味で『正しく』、かつ文化はそれが生まれるための環境を適切に整備したり、そこからきちんと利益が得られることを保証して人を継続的に集めたりするという風に、社会がそれを援助する必要があるという考え方です。つまり、経済的には、文化もまた食肉や穀物と同じく「人の心」という畑や牧場に生まれる社会的財(生産物)であるという見方で、生み出された文化それ自体に高く崇高な価値や目的があるにせよ、そのこと事態はここでは問題ではないと考えるということです。生産物…それも嗜好品ではなく生活必需品として考えるという考え方。

そう考えると、まずjo_30の言う「権利を放棄することで生まれる価値」があるのか無いのか、ということが一つの対立点になると思います。この場合、「多少」が問題なのではなく、「オープンソース開発」が実際に「独占的開発」より優秀なソフトを制作し得るか?という問題で考えてみれば、価値が生まれる「こともある」位で手を打っておくのがいいかと思いますがいかがでしょうか?

「オープンソース開発」が万能だとは思いません。万人のために必要なソフトが、常に万人にとって魅力的とは限らない。トータルで見ればマイナスとしても、人は目先の利益に引きずられるし、そもそも「個人に責任を背負わせない」ことがその目標なわけですから、「責任が求められる仕事」には明らかにオープンソース開発は無力です。たとえば〜までに〜という仕様のソフトが必要だ、というとき、よほど共通の関心や危機でも無い限りは、オープンソース開発に任せるより素直にプロに任せた方がいいはずです。オープンソース開発の有利な点は、ごく趣味的なジャンルに、時間と労力を(採算を度外視して)無制限に使えるという点にあります。また、関わる人間のモチベーションの高さや、関わる人数が保証する動作検証やフィードバックの高さなどは、できあがるソフトの質を(採算ベースの場合よりも)高めてくれる場合がありうるでしょう。「特許制度」が発明をおしすすめたことも歴史的な事実ですが、「特許制度」がある以前から様々な「無名の優れた発明」が人類の生活を高めてきたこともまた歴史的事実です。それらはいわばオープンソースで開発されてきましたし、そのことは工業などの世界だけでなく芸術などの世界でも同じです。『そのどちらか一方だけが(こそが)価値を創出する』という偏った主張をこそ、我々は避けなくてはならないのではないでしょうか。

だから、理想としては両者は共存することが望ましい。しかし残念ながらそれは大抵の場合かなわないのです。なぜなら、その二つの思想はしばしば現実社会で利益対立してしまうから。今日の社会では、大抵の場合一方が一方を踏みにじらずにはおれないからです。従って、両者が共存するためには、両者が「別々の領域」で活躍し、互いの領分を侵さない(そしてクロスする場合には、利益対立が起きないよう慎重にする)というのが望まれることではないでしょうか。電車男の事例が出ていましたが、電車男への反発が最終的に「毒男板」のレベルを超えなかったのは、あくまでそれが「ネットに配慮した形での展開」であったからではないでしょうか(先に例にあげた墨香オンラインモナー使用も)。今のところ「電車男ブーム」は2chに取って(住人の住み心地等は別として)プラスであったと思うし、その限りにおいてそれは許容されてきたのだと思います。たとえばいきなり「電車男そっくりのストーリーのドラマをあるTV局が別名で発表…2chには一切の断りも言及も無し」という展開であったら、いかに徳保さんが「それは社会的にはプラスであり認めるべきである」と主張したとしても*1、あきらかに反発は今回と同じく社会問題レベルで起こっていたでしょう。

そんな風に「互いの領分を侵さない」ようにするのは、要するにネットが第二第三の「金の卵」を生む存在であり続けるためにも必要なことだと考えます。オープンソースで開発していたソフトが次々と第三者によって勝手に権利取得され商売にされ社会がそれを認めてしまえば、オープンソース開発をするコミュニティ自体を滅ぼしかねません。それは社会全体にとっても「益」とは言えないと思います。*2今、今回の問題の成り行きを息をひそめてみつめている人々がいるだろうことを、私は強く危惧しています。avexの行為がもし許容されれば、第二第三の"わた"になろうと待ちかまえている人々、次にどのキャラをパクれば売れそうかなと第二第三のavexを狙う玩具系会社。その先に「文化が振興する」未来があるとは、私には思えない。それが社会的財の増大につながるとはとても思えないのです。

また、ここ10年ほど「著作権意識」が非常に高まった現実世界とは逆にネットでオープンソース的な動きが盛んだったのは、結局人々がそういう二つの世界の「バランス」を強く求めたからだったのではないかと思います。最近、著作権の過剰な保護が創作の弊害になることが危惧されていますが、その主旨はおそらく徳保さんがおっしゃる「文化振興のためにある程度のパクリを許容すべき」だということにあるのでしょう。私はそれに加え「パクリにもルールがある」と訴えたいのです。そのルールを無視した「パクリ」を看過すれば、それは文化を振興するどころか破壊してしまう可能性がある。*3二つの世界がバランスを取ってこそ文化は振興すると思うのです。今回の問題を最初に知ったとき私が感じた危うさを正確に分析すると、そのバランスが失われることへの危機感…というものに近かったような気がします。

下の注にあげたような「オリジナリティとも言えないレベルの剽窃物」であったのまネコの独占を法的に取り締まれないのは、それが「無名の共同者による集団的制作物キャラクター」という現行法で扱いにくい対象であるからに過ぎないと思います。モナーに明白な「著作者」が存在すれば、avexの行為は法的にも許容されない。avexを取り締まれないのは法に問題がある…と言ったのは、現行の商習慣や法運用に対する文句ではなく、そういう「新しい概念への対応の遅れ」の問題を言いたかったのです。

(追記)今回の話題に近いと思われる話の乗っている日記がまとめサイトで紹介されていました。参考まで。

*1:そう主張されるのかどうかは分かりませんが

*2:前回私が「むしろ、あえてその世界に企業が踏み出すことに大きな意義」がある、と書いたのは、企業が積極的にその「自分たちと異なるコミュニティの存在をこそ認めるべき」という意味であり、「2ちゃんねらーにCDが売れなくなるから損」というだけの話ではないつもりだったのです。上手く伝わらなかったことを申し訳なく思います。

*3:今回のavexの「パクリ」が看過できないルール無視の「パクリ」だ……というのが、木村氏や津久井氏のいう「狂気の沙汰」「汚い」という批判の肝なのではないでしょうか。彼らはクリエイターだからこそ、「パクリのルール」についても厳密に考えており、avexのプロデューサーはそのことに余りにも鈍感になっていたと私は思います。許されないパクリ…たとえば「どう考えても見分けがつかないレベルの真似(というか剽窃)」行為などがそうでしょうか。あちこちでみかけると思いますが、最初に発表された「PVキャラをそのまま使った『のまネコ』」がいかにモナーそのものであったかというのは、たとえばこれ(http://f.hatena.ne.jp/jo_30/20051008215818)を見ていただければ分かると思います。どれがモナーかのまネコか完全に判断できるのは、画像のソースを知っている人間や細かな画風から書き手が誰かまで推測できる人間くらいではないでしょうか。