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2007-06-16 はてな「な」サービス、はてな「の」サービス

[]『ブックマーク村』の外れから

いや、下書き色々書いたけど、書けば書くほど無理だなあということが見えてきたので、この日の記事は没ということで。いやはや。すんません。

とりあえず参考リンクのみ。

好奇心と怠惰の間

匿名ダイアリーのこのツリー

2006-05-23 仕事仕事

[]仕様変更の影響?

URLが背景からはみ出さなくなったのはいいのですが、そのせいか、右側のサイドバーモジュールがずいぶん下の方に表示されてます。まあまた数日で直るだろうなぁ、と楽観。それまでしばらく見づらいですね。すみません。

(追記)

長いエントリを書いたのでとりあえず見た目は治ってますが、本質的には治ってません。

2005-10-10 体育の日が体育の日に

[]評価の一元化

かつてjo_30は「ゆるやかなサイト連合」としての「ポータルサイトはてな」について語り「はてなIDが通貨となる」可能性について語りましたが、そのために必要なのは、それぞれのサイトで通用しているはてなIDに対する「評価」を一本化する作業ではないか? と、ふと考えました。それは現在の「人力検索ポイント」とかではなく、「はてな」内部での振る舞いを元にその人のコミュニティへの貢献度を表すような制度です。現状では、フォトライフでどれだけおもしろい写真を公開し人々がそれを楽しんだか、ブックマークがどれだけ他の人に参照され利用されたか、どれだけ有効な回答を行ったか、ダイアリでどれだけ有用なエントリを書き続けたか…はそれぞれ異なる尺度でしか評価されなかったりそもそも評価自体得られなかったりします。それをたとえば★マークの累積……というような形で一本化することができれば、「私ははてなID××で、★17個の持ち主です」ということの意味が増すのではないでしょうか。個人的には、この★は「有効と見なされる行為」に対し「そのジャンルの一般的な能力の持ち主がどのくらいの時間を費やすれば同じくらいの成果をあげることが可能か」といった基準で評価されるのが良いと思います。個人的には「よく参照されたダイアリのエントリ一つ」が「有用とみなされる人力検索の一回答/質問」と同じくらいではないかと思いますし、それはまた「実装されたアイデア一つ」や、「よく参照された写真一枚のアップロード」と同じくらいの貢献度ではないかと感じられます。これらをそれぞれ1はてなポイントとして、30hpを★一つ、とするとか。これはユーザーをランク分けするものではなく(かけた時間によって当然★の数は増大していく一方なので、「質」を保証する評価ではありません。まあ悪質な行為に対して「★の剥奪」はあってもいいと思いますが。)単に「功績」を表彰するものです。*1

ではこのID一元的表彰制度は何の役に立つかというと、それはいわば「はてな」における「公共心」を醸成するためのシステムということができると思います。自分の「はてなID」に帰属意識を持っている人ほど「はてな」のために活動する傾向が強く、そうでない人ほど逆の傾向が強いということは一般に言えるのではないでしょうか。ならば、「自分のはてなIDに対する帰属意識」を強めるインセンティブを作ることで、「はてな」の為を考え活動する行為を増やす…というのがこのシステムのねらいです。また、現在「ダイアリだけ」とか「ブックマークだけ」で活動する人々の活動範囲を広げることも期待できます。「はてなIDこそがはてなという世界における通貨」という話を以前しましたが、現状ではフォトライフで活躍しておられる方のコミュニティへの貢献度がどの程度であるか、たとえば人力検索のみのユーザーにはよく分からないわけです。その意味で、IDはまだ「通貨」と呼ぶには物足りない。このシステムはそこを補うためのものです。

…とはいえ、デメリットがないわけではありません。たとえばその計算方法を公開すれば、サーバーに負担をかけるような無意味な競争を煽りかねない。★の付与は自動化されるべきではなく、どこかで複数の人によるチェックが入ることは絶対に必要です。*2。また、従来複数領域で活動していた人が、「自分的には活動時間から考えて○○で活動することは★の数からいって不利だから」ある領域(たとえばダイアリのみ)での活動に専門化していく…などの弊害です。が、これは「★」の設定の仕方の上手下手によるわけで、「★」がはてなコミュニティへの貢献度の正確な評価であればあるだけ、「★」を多く稼ぐ方向にユーザーが動くことはコミュニティの益の増大を意味することも明らかです。★への換算レートは自在に変化してもいいと思います。フォトライフが活性化してほしいとはてな運営が考えたら、フォトライフの★価値が高くなると発表する、など。それによって人の移動を促すこともできる。結構使いであるシステムになると思います。

…てなことを、のまネコ問題の合間に考えました。とりあえずアップしてみます。こういうのってはてなアイデアに出すのがいいんですかね?

*1:サブIDでの振る舞いはすべて本IDのポイントとするようにするのがいいと思います。本IDのありがたみも増すと思いますし。

*2:煩雑さをさけるために、小さい★と大きい★を分け、たとえば自動的に付与される小さい★が30個たまった時点で、それを「大きい★」にすべきか「全て取り消し」か「一部取り消し」かを論議し決定する……などが考えられます。小細工で小さい★をいくら増やしても、大きい★にはつながらない等のやり方を考える。

2005-03-20 あとから書き日記

[]『はてなポストモダン村』シリーズ補遺の(1)

今回の論考に関連すると思われるリンクを上げてみます。

・「インターネットコミュニティはまだ村だが、インターネット上には既に2chという『大都市』があるUnforgettable Daysより

・「匿名→特名、とは何か?おいらブログより

・「ネット上では、認知関係こそが貨幣である。ではその経済はインフレに向かうのかデフレに向かうのか?HPO個人的な意見より

・「人力分散系の未来C-Net Japan Blogより

今回私が喋ったようなことは、かなり多くの人が(特に、下の二件は「はてな」を視野に入れて語っておられる)既に考えていたんだなぁ、と改めて思いましたm(__)m。

2005-03-19 専門家(プロ)の存在価値

[]『はてなポストモダン村』(ゲゼルシャフトとゲマインシャフトからはてなを考える、に触れて2−(4)最終回)

今日は、一昨日の続きで、「ポスト2ちゃんねる」サイトの要件や方法論について語ろうと思います。

jo_30は、3/16付の日記で次のように書きました。

・ただし、2ちゃんねるが持っている機能のうちいくつかを分解して、その欠点を克服し、かつその良さを残した形で改良されたサイト(システム)をつくる事は不可能ではない(たとえば質問に対して回答が来るという機能)→理想としての「人力検索」

・「はてな」の成功のカギは、2ちゃんねるのように単一化された形ではなく、それぞれの別種のサービスがゆるやかに一つに統合されたような「サイト連合」のイメージの中にある(a〜zまでをサービスで埋め尽くす!)。

これが、jo_30のイメージする「ポスト2ちゃんねる」サイトの要件であり、あり方です。その機能的ポイントは

 (a)機能を特化したサービス

 (b)サイトの連合

 (c)反匿名性

です。昨今ブログが非常にもてはやされ、その新たな可能性が様々に喧伝されていますが、私見ではブログもまた上記を実現するために特化した一つのツールと考えるのが妥当ではないでしょうか。人力検索だって、フォトライフ、アンテナ、ソーシャルブックマークだって、ブログに劣らない立派なコミュニティツールたり得ると思います。各種の検索サイトがポータルサイト化した際に多様なサービスをID制とともに導入しましたが、「はてな」がそれらと違うところはここで述べたような、ゲマインシャフトとしてのコミュニティ(を形成する力)に対する意識ではないでしょうか。

それと関連して、ソーシャルブックマークのページで見かけた「これからのオンラインビジネスのキーワードは、ブログとRSSを使ったSMO(社会的マーケティング最適化)」という記事は、今回の議論に絡んで非常に面白いです。要は「企業も、"ブログ"やろうぜ」っていう元の英語記事を訳してくれているんだけど(こちら元記事がすらすら読めるほど賢くないんで(苦笑))、その中で述べられていることは、

 ・ブログのコミュニティ形成力は、他のメディアと比較してとても重要だ

 ・そのポイントは、ブログの持っている「対話性」*1が醸成する「信頼感」であること

 ・デジタルカンバセイションの市場では、信頼こそが通貨である*2

 ・つまりブログとは、「生きたメディア(ライブメディア)」なんである。

そして、「近い将来ブログを制することが広告戦略のキーになるだろう…合い言葉は『会(デジ)話してるかい?』だよね」、と結ばれるんだけど、それはまあおいといて、ここでまとめられているブログの可能性というのは日常使いの我々の感じているブログの利点をなるほどとてもよく説明してくれていると同時に、それが実はブログだけの特徴ではなくインターネット接続環境というハードウェアがここまで整えられた現在人々がそこに求めているソフトウェアが何か、という方向性を非常によく示してくれているという点でとても興味深いわけです。なぜなら、それはまさにここまで述べてきた「はてなの未来」とピタリ重なるから。匿名性を廃し、かつ信頼という通貨の流通によって築かれる、固定化されない緩やかな連帯に基づくコミュニティ。

それはゲゼルシャフトでもなくゲマインシャフトでもない。運営する側からすればゲゼルシャフトでありながら、参加者にとってはゲマインシャフト的であり、かつその二つの望む利点を利用可能なもの

両者の特徴を併せ持つ結果として、完成された形は「一見完成とは見えない雑多な姿」としてある種の「ゆらぎ」を内包し続ける 

(いずれも、3/16日記事より)

そのようなものを「はてな」が作り上げることができたとすれば((おそらく社長id:jkondo氏はそう言った類の(この通りとは言いませんが)明確なビジョンを持って動いている筈です))、はてなユーザー100万人単位化、そして世界に羽ばたくコミュニティシステムの構築、というのも満更ホラではなくなるだろうと思います。

……というわけで、今後色々と追記することになると思いますが、ここで一端話を閉じます。

*1:ブログを使って交わされるのは、 話ならぬ「デジ話(デジタルカンバセイション)」なのだ!

*2:はてなにおいてはIDこそが通貨なのだ!という話に似てますね

2005-03-17 議論は続くよ

[] 『はてなポストモダン村』(ゲゼルシャフトとゲマインシャフトからはてなを考える、に触れて2−(3))

3、と銘打ったものの、おおきな目論見(全体の目次)を昨日で提示してしまったので、今日からはそれを一つずつ片付けることになる。

といいつつ、先に余談を一つ二つ。

(余談1)今日本屋で

原稿用紙10枚を書く力

原稿用紙10枚を書く力

「原稿用紙10枚を書く力」を立ち読みしたんですが、「書く力」とは端的にこの「目次を作る力」のことである、という話が書いてありました。確かにそれはそうだと思うのですが、だからといって「目次を作る力」を育てる…というのもなんだか予備校の小論文対策講座じみていて今ひとつだと思いました。斎藤孝さん自体は嫌いではないのですが、そういう実用講座みたいのだけが大手を振ってまかり通る時代というのが少し嫌ですね。

(余談2)余談というか、yukatti氏に私信。はてなポイントについては、昨日触れたsasada氏の日記の中で(さっきリンク貼りました)かなり詳細な考察がなされています。ご参考まで。

さて、昨日書いたことのうち、まず最初に

・現在の2ちゃんねるがベストの形ではない。そこには多くの欠点が存在する。

から書き始めようと思います。「2ちゃんねるに多くの欠点が存在する」ことなど一見自明なことのようですが、実際にそれを指摘するのはなかなか厄介なことです。批判というのは対案がある場合に限り意味を持つわけで、実現性を無視した原則論を唱えるだけなら批判されている側は痛くも痒くもないことです。そして、有効な対案がある場合2ちゃんねるでそれが見落とされることはほとんどあり得ないでしょう(何せ一週間のユニークオーディエンスが20万近いサイトなわけですから)。従って2ちゃんねるは限りなく「欠点のないサイト」に近いと言えます。これを個人的に「2ちゃんねる=完全性定理」とでも呼んでおきましょう(笑)。

しかし、それがどんなに完全に見えても、「あるもの(2ちゃんねる)があるもの(2ちゃんねる)であるが故に持ち得ている利点のマイナス面」を避けることは不可能です。たとえば「(一応は)匿名である」からこそ2ちゃんねるは2ちゃんねるなわけですが、それは2ちゃんねるが、匿名性がもつ弊害からは決して自由になれないことを意味します。一部の固定ハンドルはその弊害を低減はしますが、固定ハンドルであっても名無しで書き込みができ、またいつでもハンドルを捨てることができるわけですし、それはその弊害を0にすることはできないでしょう。その書き込みは、局所的にはどんなに高いレベルの物があったとしても、平均すればやはりしばしば批判される「便所の落書きレベル」に長期安定していくでしょう。質の高い暴露とともに、低レベルの大量の中傷のために、ひろゆき氏は2ちゃんねるがある限りこれからも訴えられ続けることでしょうし、裁判には負け続けることでしょう。近い将来2ちゃんねるは閉鎖せざるを得なくなる(というより、突然「やめます」ということになるのではないでしょうか。ライブドアが買い取るとでも言うならともかく(笑)(そんなリスクの高いことをするとは思えませんが))でしょう。また、参加が無限に自由である限り、荒らしを完全に防ぐことはこの先も絶対に不可能ですし、どれほど削除人や運営を増やしても対処は不可能でしょう。また、本質的には無政府主義的ユートピアであるが故に、2ちゃんねるはいかなる方向性も持つことはなく、社会的にはついに「イノセント」な存在であり続ける他はないでしょう(2ちゃんねらーの多くが『弾圧』されたりすることはあり得ないでしょう)。なんらかの事件をきっかけにそれは明らかになるのではないかと思います。そしてそれは、2ちゃんねるの自由さよりも、「無力さ」を人々に対し決定的にアピールすることでしょう。そしてまた、参加の自由の裏返しとして、その結果として起こって来るであろう「人の流出」を止める術も2ちゃんねるにはないでしょう。既に数年前に大勢を占めていた「2ちゃんねらー」のほとんどは、専門板の底の底に潜ったか、あるいは2ちゃんねるを離れて新たなコミュニティの建設に向かったような感じを受けます。その結果2ちゃんねるに継続して参加する層は果てしなく愚民化していかざるを得ないでしょう。これを個人的に「2ちゃんねる=不完全性定理」と呼ぶことにします。

つまり、『匿名掲示板システムとして』という留保つきで「完全性」を持ち得ている2ちゃんねるは、同時に『匿名掲示板として完全である』が故に、その限界点に到達しており、そしてその限界点をこえることもできない「不完全性」を既に露呈している(例は上記の通り)のです。モリタポシステムや●の販売などで一時をしのいでも、2ちゃんねるを成り立たせているのが実はシステムではなく「思想」である以上、人がその「思想」に魅力を感じなくなったとき、(あるいは「ひろゆき」氏が魅力を感じなくなったとき)2ちゃんねるはいともたやすく崩壊し、それを止めることも誰にもできないでしょう。

2ちゃんねるから学べることはまだまだたくさんありますが、「2ちゃんねるという実験」は既に終わったと言って良いでしょう。今後は、その実験結果を個々のサイトがどう生かしていくかが問われているのではないでしょうか。私の感覚では、「はてな」もまたそうした「ポスト2ちゃんねる」サイトの一つであると思います。

(追記)

私はここまで非常に2ちゃんねるを理想化して語りましたが、本当は多分これらの言説は「今の2ちゃんねる」にではなく、(私見では)閉鎖騒動(2001/8/31)の前までの2ちゃんねるに対して捧げられているのだと思います。私が上記で「ポスト2ちゃんねる」と呼んでいるのは、従って2001/8/31以後の時代のことであり、その意味で「はてな」がまさに2001年夏にスタートしていることは非常に示唆的であります(てなことを勝手に言って、id:jkondo社長のご機嫌を損ねることになったら大変申し訳ないのですが(−−;))。

ちなみに、現在の2ちゃんねるに対して私は語る言葉を持ちません。余り語りたくもありません。一つだけ言えば、現在の2ちゃんねるは、「ポスト2ちゃんねるサイト」ではありません

「みんな、引っこしをする時がきたんだよ。とうとう閉鎖になるんだ。ぼくたちは、ひとり残らず、2ちゃんからいなくなるんだ。」

フレディは悲しくなりました。ここはフレディにとって、居心地のよい夢のような

掲示板だったからです。

「2ch閉鎖危機時の名コピペ、AA」集http://www.updown.org/toku/2chheisa.htmより

このコピペを書いた人は、今、どう思っているのでしょうか……。

(追記)

http://d.hatena.ne.jp/bmp/20050318/1111147289

id:bmp様、日記でのご紹介恐縮です。m(__)m。

私の理想の政治イメージはやはり「小国寡民」なのです。つまり、bmpさんが、意識せずコミュニティを形成しているこのような状況を作り出す「はてな」というシステムが、更にうまく運営されていけばいいなぁ、と。余談ですが、仰るとおり、インターフェースの改善、更に言えばサーバーの増強、という非常に基本的なことも重要だと思います。結構忘れがちですよね(笑)


(追記2)

得意気に「2ちゃんねるは終わっている」なんて書くとこういう恥をかく羽目になる……。という自らへの反省をこめてリンクさせていただきます。

GLOCOM「2ちゃんねる時代の終焉について」

それへの返答として

ひろゆき「2ちゃんねるは終わってますよ。何度も言ってるんですがね…」

私が思いつく程度のことは、とっくに言うべき人が言ってるということですね。

というわけで以上二つは

鈴木健氏のblogから飛んで読ませて頂きました。感謝m(__)m。

2005-03-16 [はてなシステム]yukatti氏に頂いた宿題

[]てな話をしていたら……

第2回はてな公聴会のお知らせが……この素早さがはてなの魅力ですね。

(追記)社長の日記でも。