Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

主客転倒の結果

 アメリカがシリア派兵で迷走している。当初は強気で臨んでいたオバマ大統領も、気付けばゲタを議会に預ける形を取った。これは短期的に言えばオバマ大統領とっては妙手かもしれないが、アメリカという国家としてはどうだろうか。この現状は、世界の警察たらんとすべきか迷っているアメリカの現状を如実に示しているとも言える。

米国は「世界の警察官」を辞めてしまうのか(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38615

 元々シリア情勢について言えば、サウジアラビアクウェートなどに民主化の波が押し寄せないこと以上にアメリカが介入する必要性は高くない。確かに、シリアがイスラエルを脅しに使っているという面はあるのだが、シリア自体も積極的にイスラエルと事を構えるつもりもない。あくまで、攻められるならば対抗しようという駆け引き上のカードの一つだと思う。
 一枚のカードが大きなトラブルを引き起こす例がないとは言わないが、今回の件でアメリカが積極的に関わろうとするほどの理由とは思えない。少なくとも今重要なのは、チュニジアから始まったアラブの春(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%96%E3%81%AE%E6%98%A5)が必ずしも地域の安定に寄与していない状況を考えると、混乱を拡大させないことが喫緊の課題だと考える。仮に現在の政府を転覆しても状況が改善する見込みは立たない。
 もちろん背景にはイランとイスラエルの鞘当てがあるのだろうが、これが即イスラエルの攻撃へとなりがたいと思う。この点に関しては面子問題の様相を呈しているように私に見える。

 さて、報道を見る限り確かに化学兵器の使用は間違いなさそうだが、それを使用したのが誰なのかを特定することは容易ではない(少なくとも国連は特定しようとはしていない)。アメリカはそれなりの情報を保有しているのだろうが、現状として明らかにされている内容が少ないのは証拠が不十分であることの証左のように感じられる。すなわち、現時点での攻撃は失敗や間違いのリスクを多大に抱えた状況下のものとなる。これは政治的にも、テロとの戦い以上に不利な条件であろう。
 また、化学兵器の使用は人道的には許しがたい蛮行ではあるが、残虐な殺戮と言う面では他の兵器によるものと比較してどれだけの差異があるのかと言うこともある。化学兵器で殺された1000人と、銃で殺された1000人にいかほどの差があるというのだろうか。
 シリアでは既に内戦(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E9%A8%92%E4%B9%B1)により7万人以上が死亡していることが国連人権高等弁務官事務所から発表されている(http://www.cnn.co.jp/world/35026450.html)が、兵士やレジスタンス以外の死者数も非常に多い。

 フランスは軍事介入に前向きだとは言われているがしかしながら単独介入には消極的(http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTJE98202L20130903)で、アメリカの変節は世界の平和秩序に大きな変化の予兆を投げかけるものとなるかもしれない。アメリカが世界の警察の役割を、縮小させているという認識が広がれば世界の混乱が高まる可能性が少なくないだろう。
 アメリカが世界の警察官を自認していた理由は純粋な正義感(もちろん一方的な)もあるだろうが、それ以上にアメリカの覇権を維持する意味合いの方が大きかった。イラク戦争のそれは、大量保有兵器の嘘にあるように結果的に言えばまさにそうであったではないか。今も躊躇するのは、イラクやアフガンの教訓が生きている面がかなり大きい。
 しかし、何よりも経済的に苦境にある(とは言え基軸通貨であり、かつシェールガス革命でエネルギーの中東依存度を下げつつあるが)状況では軍事費の支出にも四苦八苦し、単独で介入するだけの余力と気概を見せるのが困難になりつつある。

 アメリカの富を守るための世界的な警察行動が、逆にアメリカの経済的苦境を招いているとすれば本末転倒である。とは言え、これまでの態度を豹変させることは過去の行動が我田引水的なものであったことを認めることにもつながりかねない。これもまたアメリカの威信を傷つける。オバマ大統領は、その決断を議会に委ねた、、、というか押し付けた。
 先ほども触れたが、積極的だったオバマ大統領が世論の動きを機敏に察知したと言えば聞こえは良いが、大統領個人の一時的な政治判断としては正しくとも国家としての判断としては問題があるのではないかと思う。もちろん、それはアメリカの立場に沿っての話であり日本がどうこう言う話でもない。

 アメリカの変節(変調)は前からジワジワと世界中が感じつつあったが、それがここにきて明らかになりつつあると言える。それはアメリカが実質的な緩やかな世界支配からさえ、一歩退こうという消極的な意思表明でもある。すなわちアメリカの影響が及びにくくなる地域が増えるということでもあり、国際協調がない限り横槍を入れにくいという状況が広がることもイメージできる。
 独立志向や反体制志向の強かった者たちも、大きな行動を起こそうとすればアメリカを中心とする国際的なパワーを常に考えなければならなかったが、その恐怖が少しではあるが和らぐことになる。これは、場合によっては世界の混乱をますます広げるきっかけとなりかねない。

 別にアメリカが世界の警察として振る舞う状況が良いというつもりはない。ただ、その後を担う組織が全くと言ってよいほどに育っていない状況での動きとしては必ずしも歓迎できるものではない。現状の国連の無能さを見れば暗澹たる気持ちになってしまう。中国やロシアが攻撃に反対するのは、表向きはその正当性を問うものだろうが現実にはアメリカなどの介入を様々な場所で行いがたくさせることがある。もちろんその方が自国が追求されにくくなると言う思惑を持っている。
 どちらにしても現状は袋小路にあるのであって、今考えるべきことはアメリカ後を至急考え構築することであろう。スーパーパワーにはその弊害があるが、それがない世界にもそれ以上の弊害がある。その弊害を取り除く仕組みは今のところほとんど出来上がっているようには思えない。それを考えるにつけ、世界はアメリカにぶら下がっていたのだということを思い知らされる。