Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

言論の自由

 安倍総理がフランスのデモに参加しなかったことを未だに論う声も聞こえるが、以前にも少し書いたようにこの問題は単純な言論の自由を争う内容ではない。そもそも、言論の自由は権力に抵抗する手段を確保するための必然として生まれてきたものである。民主主義の根幹と言っても良い。権力の暴走を抑止する意味合いが込められている。
 だから、言論の自由がない中国や北朝鮮は民主主義国家ではないし(国名にその言葉が含まれるのは諧謔趣味といっても良いかもしれない)、政府とマスコミが主導して日本に対する好印象や良いことを表明するのを妨げているのも同じ文脈の中にある。

 ここで抑止の対象となるのは一義的に政府(統治者)であろうが、現代においては同じ権力者のカテゴリにマスコミも含まれている。ネットにおけるマスコミに対する揶揄は、この言論の自由がある意味発揮されている場所とも言える。
 しかし、今回のフランスにおける言論の自由を守ろうと声を上げたのは、大多数は国民であるがその中心には政治家とマスコミがいる。各国首脳も参列し、大きなうねりとなっている。こうした連帯はめったに見ることができるものではないため世界中の注目を集めており、暴力による状況改変を許してはいけないという大前提に異論をはさむ余地はない。テロは許されるべきではない。
 もっとも、立場を変えればテロはレジスタンスに容易に変わり得る。受ける側からすればテロであり、実行する側から言えばレジスタンスである。繰り返すが、レジスタンスと表現しても一般市民を虐殺することは許されるものではない。

 さて、大同団結は良いとしてもフランスにおける表現の自由には非対称性があることが指摘されている。「新聞では銃弾を防げない」と風刺した少年を逮捕 一方過去シャルリは「コーランで銃弾は防げない」(http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1825874.html)
 今回の銃撃の標的となり多くの犠牲が出たシャルリと同じことを立場を変えて表現した少年が逮捕されているという見事なまでのダブルスタンダードである。もちろん、取り調べ後に容易に釈放されているのかもしれないが、少なくとも表現の自由の扱いに明確な差が表れている。
 言論の自由を守るということが一部の者にのみ認められるのであれば恣意的操作であって、言論の自由を守ることの本来の目的を逸脱する。言論の自由という権利の下に平等でなければならないのは、言うまでもないことではないか。

 言論の自由に一定の歯止めが必要であることは誰もが認めることであろう。それが根拠のない個人攻撃や誹謗中傷であれば多くの国において法律により罰せられる。しかし、宗教などの実態を持たない手段に際しては適用条件が曖昧になる。
 近年、ユーモアやウイットに対する寛容性が世界中でどんどん失われつつあると感じることもあり、それがなぜなのかについてもいつか考えてみたいと思っているが今回は特に取り上げない。
 ローマ法王とキャメロン首相のやり取り(http://www.jiji.com/jc/zc?k=201501%2F2015011900028)もあるように人や立場により考え方は様々である。どこに正解があるというものではなく、社会の状態や人々の考え方の変化により時々の妥当なラインが存在するのみだ。だから、ある意味どちらも正しく同時にどちらも間違っている。

 しかし、ここで思い出してもらいたい。今回の言論の自由を訴える動きには政府とマスコミがそろって参加している。両者とも一般庶民の言論を封鎖する(あるいは誘導する)可能性を持った存在である。この両者が言論の自由を訴えるということは、その敵(あるいは監視すべき対象)を明確に定めているということにつながる。あたかも、普遍的な言論の自由を主張しているように見えるが、特に政府などの権力者は言論の抑圧を可能な存在だ。
 だとすれば、自ら(自国)の言論の自由を保証するために、自国に反する考え方を抑圧するという考えに至ることはあながちおかしな話ではない。そして、上記の事例で逮捕された少年はその犠牲とも言えよう。

 性善説に立てば、程度問題と見なすこともできる。ただ、あくまで個人的な感想として政府が主導する動きは、これまで安い労働力として利用してきたアラブ人を追い出す一つの根拠と利用することに繋がりやしないかと感じている。それも国家としての権利だと思うが、平等を謳う体面を守りながら実のところ自らの失敗を認めずに方針変える良いきっかけに利用するための方便なのかもしれない。
 私の考えはかなり穿ったものだろう。自分でもそう思わなくもない。ただ、政府(加えてマスコミ)が主導する言論の自由にはちょっと嫌な感じがしているのだ。