Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

ものには限度がある

 最近、何かと忙しい日々を過ごしており更新が滞りがちな事どうぞご容赦ください。このたび、非常にマイナーな雑誌にコラムというかエッセイを連載することが決まりました。そちらは本名で書いていること、内容やテーマがこのブログとは全く異なることから判らないと思いますが、「知っていた・偶然知った」としても武士の情けで他言無用と願います。
 では、今回は最近話題となっている中東から移民問題について書いてみます。


 当たり前で取り立てて説明する必要もないことだが、「ものには限度がある」という言葉がある。健康に良い食べ物でも食べ過ぎれば体を悪くする。水も飲みすぎれば死に至る。そんなことは誰でも知っているはずなのだが、こと思想や主義主張に限ってはこの限度というものが無視されやすい。
 むしろ、思考実験的に限度を無視して考える(時に行う)ということが良くある。当たり前のことだが、頭の中で考えるだけであれば実害はない。問題が生じるのはその主義主張に身を捧げ行動を起こそうとするときだ。多くの宗教紛争はそれにより起こる。詳しくない私が言うのも何だが、それでも歴史を見たら明らかであろう。

 さて、随分前から問題になっていたテーマではあるが、昨今中東からあぶれ出した欧州に流入する移民(難民)問題がホットな話題となっている。正確に記すれば、移民と難民は明らかに違う。しかし、現状の流れはそのどちらと取りがたい状況であるように見える。更に言えば、移民は出稼ぎ労働者とも異なる。
 報道ではその違いについて明確に説明していないが、実のところそれぞれの性質に大きな違いがあり、同一視することは大変大きなリスクを抱え込むことになる。

独、移民対策を強化 大規模受け入れでメルケル氏への批判相次ぐ 与党内に不協和音も(http://www.sankei.com/world/news/150907/wor1509070032-n1.html

 もともと、欧州は日本と比べると随分多くの移民を受け入れている国も多い。その典型の一つがドイツである。移民受け入れが成功しているかどうかは評価が分かれるところではあるが、それにより産業界が一定の利益を得ているのは疑うまでもない。
 日本でも移民受け入れが話題に上るのは、概ね経済界から(http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS23H3A_T20C15A7EE8000/)である。生産年齢人口の減少を補えるのはそれしかないからである。しかし根強い反論(http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/160/)があり、実際にはまだ日本はその方向に舵を切ったという状況にはない。

 さて、今回「移民」と呼ばれているのは自力で移動できる(すなわち一定の財産を持ち、それを得るスキルを有している)からである。難民ともなれば、自力でドイツへ向かうことすらできない。そして、出稼ぎと異なるのは片道切符であることだ。
 もちろん一部には平和が訪れれば祖国に帰ろうという者もいるだろうが、移民先で生活の拠点ができれば帰らないという者も少なくないだろう。そもそも移民とは「移り住む」ことなのだから、当たり前と言えばそれまでである。

 さて、今回の移民騒動は規模は小さいものの民族大移動と言えなくもなく、数百万人の移動が起こりかねない状態にある。既に今年だけで40万人を超える移民が欧州に入った(昨年は20万人強)とされる(http://mainichi.jp/select/news/20150912k0000e030170000c.html)。この状態に、世界中で移民を受け入れるべきとの議論が欧州より出ておりアメリカは大規模な受け入れを表明する(http://www.sankei.com/world/news/150911/wor1509110018-n1.html)ようだが、ロシア・中東・アジアは全体として積極的ではない(http://www.sankei.com/world/news/150910/wor1509100039-n1.html)。もちろん、数を限定しての人道的受け入れは今後も表明されるであろうが、許容できるレベルと言うのが如何に国により違うかが明確になるだろう。
 どこの国も、国内騒乱の原因なりかねないことはしたくない。少なくとも需要等に応じて選択的に受け入れるのであれば許容できようが、無秩序な流入を好む国などありえない。

 さて、国の余力がある時には難民を中心に受け入れようという議論(http://blogos.com/article/133358/)が出ることはわかりやすい。しかし、難民と言うキーワードを使うのは数を限定しようという話である(それでもメルケル首相は80万人の受け入れを表明している)。
 コントロールできる移民は政策の一つと言えるが、コントロールできない移民の流入は恐怖である。今の欧州は、理性がいつ恐怖に負けるかと言う綱渡りをしているように見える。恐怖心を抱くボーダーは人により異なるが、まさにそれこそが現在の欧州全体に広がる論争の根源だ。

 さて、限度は一体いくらなのか?日本の待機児童問題と同じように、欧州が受け入れるという噂が流れるほどに、移民が増えるのではないかと私は考えている。さて、それが明らかになった時にどうするのだろうか。
 加えて、既に現段階でも難民を装った移民(時にテロリスト)の流入が囁かれている。身辺調査を始めれば、実際には受け入れ速度は制限されるであろうが、今度は移民が留まる国が被害を受けることになる。その不満(http://www.afpbb.com/articles/-/3060012?ctm_campaign=topstory)をドイツが上手く説き伏せられるのか。
 他人事で構えることは、ある意味とても不誠実な態度だと自分自身知っている。しかし、限度を超える民族の移動はおそらくあまり良い結果をもたらさない。国際的な要請に、日本でも様々なメディアや識者が声を上げるであろう。しかし、今は日中問題に欧州が大した注意を払わないのと同じように、日本はだんまりを決め込む(資金面での援助はきちんとする)というのが良いのではないかと私は思う。
 実のところ仮に日本が受け入れると言っても距離が遠いことがあり、希望する人がどれくらい出るかはわからない。ただもし中国や北朝鮮で何かあったらと考えれば、少なくとも私たちは今欧州で起こっていることをきちんと見ておくべきだろうとは思う。