Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

生活のリズムと普段のやる気の底上げ

今週のお題「やる気が出ないときの◯◯」

 

 やる気が出ない時にどうるのかということは、多くの人が考え悩んでいることではないだろうか。このやる気が出ないという状況は、精神的な側面によるものではあるが、精神的な充実は肉体的なものや周囲の環境により左右される。大別すると、おおよそ3つほど(大きく括れば2つと考えることもできるが)の理由により生じると思う。

 

 一つ目は、自分のバイオリズム(バイオリズム - Wikipedia)と合致していない状況である。人にはそれぞれ生活のリズムがあり、体調のリズムがある。これは、多少コントロールをすることができるが、常にベストの状態を保つのはなかなかに難しい。例えばスポーツ選手も常に緊張し続けることができないように、弛緩と緊張を精神的あるいは肉体的に調整して必要な時にベストな状態に持って行けるように苦労している。ただ、一般的には自分の体調や精神状態を的確に把握、あるいは調整できる人はそれほど多くはない。自然に任せていると、調子の良い時もあれば悪い時も生まれる。男性はそれほどではないが、女性の場合には生理なども影響するためその浮き沈みが激しくなる面もあるだろう。ただ、バイオリズムはやる気があれば多少のコントロールは可能である。

 一方で、病気や怪我などの不意に起こる不調はこの範疇から外れる。自分の精神や体調というある程度コントロール可能なもの以外の、外的要因により生み出される不調。これも精神的、あるいは肉体的不調と結果的には同じと見ることもできるが、自分でコントロールできないという側面で別の状況と見ることもできるだろう。ただ、そういう事態に至れば「やる気」どうこうの問題ではないと言えなくもない。

 

 一方で、精神的な側面で考えれば、すべき仕事(あるいは作業)に興味がないか、あるいは嫌悪しているということが考えられよう。興味ないものに集中することは強制されでもしない限り困難だし、ましてや嫌悪していることに対してやる気が出るはずもない。それを排除するためのやる気は出るかもしれないが。「好きこそものの上手なれ(好きこそものの上手なれ - ウィクショナリー日本語版)」という言葉を見てもわかるように、やる気がでるためには感情が作用しなければならない。義務感のみでは心や体を動かすのに力が不足するということである。

 

 さて、それではやる気が出ない時にどうすればよいかであるが、実は私は何もしないというか、〆切ギリギリまで自分を追い込むという方法を取っている。やる気がないというのは、自分自身のモチベーションが高まっていない状況。それを上げるために自分でニンジンをつるすということも不可能ではないが(例えば、自分へのご褒美等)、それをやるには少し世間ずれ(文化庁 | 文化庁月報 | 連載 「言葉のQ&A」)し過ぎている。結局のところ、私の場合の最後の砦は責任感のようである。責任感があるのであればやる気を出して早々に仕上げればよいのはわかっているが、それができないのはまさに人であるが故と考えるしかないか。

 バイオリズムの調整も、一時期取り組んだことがある。ただ、いつ突発的に忙しくなるかわからなければ調整のしようもないし、常に忙しくなればほとんど無意味である。解決策はそんな状況から抜け出すことなのだが、好きで選んだ道(仕事)なのでこれまた不可能なのだ。だから、諦めて自分に残された最後の砦である義務感あるいは責任感に任せることで逃げている。それを失ったときには、もはや今の仕事はできなくなるだろう。

 

 直接的には上記のように上手く「やる気を出させる」のは難しいのだが、普段から「やる気」の底上げをするための方法を一つ実践している。それは、常に「自分がやっていることは楽しい」と考える、あるいは声に出すことである。「楽しい」でも「面白い」でも、「もっと面白くしてやる」でもよい。ポジティブシンキングと呼ぶのが良いかどうかはわからないが、自分の心をそのように教育し続けることである。自分の考えや声を最も聴いているのが自分なのだから、ネガティブな言葉やイメージをわざわざ自分に聞かせる必要はない。努力しなくて良いという意味ではなく、きついこと、厳しいことに対してもポジティブな精神状態でいられるように、無理やりではなく保つようにする「心掛け」といえば良いだろうか。

 それでもネガティブになるときには、寝て忘れるか、数日間は徹底的なネガティブ期間を取る事を実践している。その時には、無理やり徹底的にネガティブな思考をする。それが苦しくなって通常に帰還したとき、私の場合ではあるが少し解放されたような気になる。そこからは再びポジティブ期間の始まりである。

 それからなかなか難しいことではあるが、人からネガティブなことを言われた時には、それを逆転するように何をすればよいかを考える。これもポジティブシンキングの一つなのかもしれないが、世の中をゲームと捉えて、自分の状況を覆すには何をすればよいかと考える。そして、この時に最も必要なことは俯瞰的に見ること。ゲームを持ち出したのは、俯瞰的な思考を誘導するためである。苦しい時にはどうしても人は近視眼的になってしまう。俯瞰視ができない。ただ、それは良い状態とは言えない。多くの場合は責任感が視野を狭めてしまうのだが、ゲームと捉えることで責任感を忘れるわけではないが、自分を拘束するしがらみを少しでも解き放つのである。

 

 こうした方法論は人によって異なるものだと思うので、私の方法がベストだというつもりは全くない。ただ、短い人生の時間を苦痛と後悔に大きく割きたくないというのが私の持論である。同じ生活を送っても楽しいと思った人の方が人生の勝ち組である。

 もちろん成功するための努力は必要だし、スマートにそれを実行するための方法を考えることも重要だろう。だが、何より過程を楽しめることが最も重要ではないかと思うのだ。その上で、反省はしても後悔はしないと開き直る。そうすれば、何となく楽しそうではないか。もちろん、人に迷惑はなるべくかけないようにすることは当然である。

 

 話がそれてしまったが、普段からポジティブに生きて、やる気のレベルの底上げをしておく。その上で、どうしようもない時には開き直る。人生は、開き直りにより改善できる。そのための自分だけの方法論を探すのが、人生の一つの目的かもしれない。

久しぶりの投稿

 2年弱の期間を空けて、本当に久しぶりの投稿を行ってみたい。経済情勢では、私が思っていたよりも株価上昇が長続きしたが、今年(一部の指標では昨年夏ごろ)からようやく下落基調となってきた。売りスタンスだった個人的なポジションも、予定よりも時間がかかったがきちんと利益となったので、ほっとしている。

 

 さて、現在株価は年末に向けて一時的な上昇(とは言ってもベアマーケットの中での一時的な上昇)になりつつある。これは、金利上昇がそろそろ年末ごろに終わるのではないかという思惑が最大の理由で、それに加えて中間選挙に伴うアノマリーが後押ししている感じではないだろうか。ただ、私の個人的で当たらない見立てでは株価はまだ下がるし、来年はちょっとした経済的なパニックが来るかもしれないと感じている。どの程度下がるかも、いつが底になるかもわからないが、皆が呆然としているときに少しずつ買い出動していくのは悪くないだろう。もっとも、その状況はまだ先だと思う。

 インフレについても、景気悪化を織り込み少し下がると思うが、それにかこつけてFRBが利下げなどの緩和に踏み切れば、再び上昇し始めるといういたちごっこが続くのではないかと思う。そのいたちごっこは、場合によっては2~3年にわたるかもしれない(来年度終わる可能性もなきにしもあらずだが)。そのたびに、株価は上昇と下降を繰り返しながら変動する。繰り返すが、いつが底になるのかはわからないしその程度も不明ではあるが、おおむねの下落めどは高値の50~60%ダウンではないだろうかと見積もっている。

 

 さて、ロシアの予想外の侵攻もあり世界情勢は混とんを極め始めた。中国も習近平独裁体制が着々と進行しているが、これは経済的にはもう中国を以前のような状況には戻せないという諦めの境地が招いた結果かもしれない。世界は、金利安とお金のバラマキというユーフォリアを永らく楽しんできたが、そろそろその終末が近づいてきているのではないだろうか。そこに対して、締め付けで行くのか、協力体制で乗り切ろうとするのか、あるいは無為無策のまま直面するのか。中国は国民に苦しみを与えながら、目をそらすため軍事的挑発をかけられる状況を構築しつつあるような気がしている。それが、習近平一派の権力独占を誘発したのではないか。一方で対立する派閥の権力者たちは、逃げられない責任を習近平に擦り付ける方向に傾いた。その駆け引きの結果により、中台関係は危険性を増していると感じている。

 こちらも、いつ暴発するのかは全くわからない。ロシアの侵攻を多くの識者たちが予測できなかったのと同じように、台湾海峡問題もメリットデメリットだけでは読めない状況に陥りつつある。ロシアの理由も中国の理由も、どちらも自業自得の側面があると思う。だが、武力はそういった責任論を無効にできる力を持っている。もちろん、背景のない武力に正当性が与えられることはないが、ロシアには資源、中国には安価な生産力という裏書が存在する。これらを気軽に無視できれば良いが、それが難しい世の中をグローバル化によって私たちは強固に構築してしまった。

 個人的には、ロシアの言説に理はないと考えているが、欧米(日本も含む)の理想主義が彼らの行動を後押ししている側面もあるだろう。中国も、結局はロシアと同じムジナとなろうとしているかのようだ。個別の状況は異なるものの、制裁を受け徐々に首を絞められていく状況。それに至ったのは欧米の価値観に合わせなかった(自分たちの価値観をぶつけ始めた)ことではあるが、これには落としだころを見つけにくい。すなわち、危険だとわかっていても避けることができない流れである。

 習近平独裁体制への移行は、ある意味において中国が方針を固めたということでもある。今回責任回避に徹した一派が失敗後のフォローに回るケースもあるかもしれないが、果たしてうまくいくだろうか。集団指導体制を国是としてきた中国が、変わったとみてもよい。知識人が弾圧され始めれば、第二の文化大革命として理知的な判断能力を失っていくだろう。

 

 そんな中、日本という国の迷走状況は目も当てられない。岸田総理も総理だが、野党の質が全く上がらないことにむしろ危機感を感じる。そして、最も劣化しているのは政治以上にメディアである。メディアは意気揚々と政治家を叩いているが、私には政治家以上に情けない状況に彼らは立っているとしか見えない。そんな状況でよく政治家を叩けるものだと、面の皮の厚さに驚くばかりだが、実際には面の皮が厚いのではなく、自分自身の状況を客観視できない能力の低さが現状を導いているのであろう。

 一部メディアと野党が結託して、政治判断の足を引っ張り続ける状況が現在の日本を最も端的に表しているのではないか。政治的な論争で勝負しろと言いたい。

 

 全然投稿ができなかった理由は業務繁忙が全てではあるが、その状況は今も改善どころか悪化の一途というのが現実である。個人的には何とかしたいのだが、どうも回避は難しそうである。ただ、たまには何か気になることに触れていきたいと思うので、気が向けば覗いていただければと思う。と言うことで、だんだん寒くなってきてはいますが、皆様もお体を大事にしてください。その上で、今後迫ってくるだろう不況とデフレをうまく乗り切りたいものです。

本命台湾おまけに尖閣

 今日描くシナリオは現段階ではまだ低い確率のものだと思う。ただ、一方で生じてもおかしくないと考える気持ちもあるため、思考実験としてここで考えてみたい。内容は、タイトルの通り中国が台湾に侵攻する可能性である。

 これについて中国共産党政府は、常に台湾は中国の一部であるというスタイルを貫き通してきた(一つの中国 - Wikipedia)。かつて台湾は、これもまた逆の意味で台湾が中国の正当な統治者であるという意味において一つの中国を公言してきたが、最近では台湾独立論(台湾独立運動 - Wikipedia)がかなり高まっている。それに危機感を抱いたのか、中国も盛んにけん制している(中国、台湾独立は「戦争を意味する」 アメリカは台湾支援を約束 - BBCニュース)。前トランプ政権も、当初より台湾への肩入れはある程度行ってきたが、政権末期になりそのスタンスを強めるに至った。それでも政府高官を次々と台湾に派遣するまでには踏み込めなかったのが事実である。バイデン政権がどのようなスタンスを取るかは現時点では何とも言えない。実際、識者の意見も割れているように思う。いろいろと見る限り、弱腰になるか強硬に出るかは人によりまちまちである。その上であくまで個人的な根拠のない感想だが、バイデン政権は口では強硬を振る舞いながら実質的にはそれほど強くは踏み込まないと感じている。もちろん、中国が行き過ぎたと感じるとトランプ政権以上に過剰に反応することもあるだろう。戦争に至る確率は共和党よりも民主党の方がずっと高い。

 

 少なくとも、アメリカの台湾への関与を中国が相当に気にしているのはわかる。これは米中対立を機会として、従来の一つの中国をアメリカが徐々に無効化しようとしていることもある。だが、私はそうした外交関係以上に中国の内政的な問題を理由に、むしろ中国はアメリカと部分的に事を構えても良いという方向に舵を切ることがあり得ると考える。一つには中所得国の罠(中所得国の罠 - Wikipedia)に陥る事への危機感、そしてもう一つは国内(不動産)バブルの崩壊を制御できなくなることがあるため。いずれにしても、中国共産党は徐々に成長を希望する中国国民の期待に応えられなくなっている(中国経済が米国を抜くとの予測、実現は困難 - WSJ)。それを回避するために、中国共産党政府はありとあらゆる方法を使い国民統制システム(顔認証、信用スコア等)を構築しているが、これらは平時に機能しても混乱時にはおそらく役に立たない。中国共産党政府が最も恐れているのはアメリカではなく、中国国民の不満である。

 鄧小平以降の解放改革路線の勢いで最近まで国民をそれなりに満足させられたが、ここからの更なる成長が期待できなくなりつつある。その危機感が高いからこそ、現在必死に好調な中国経済という宣伝を行い続けている。アメリカからの経済的な締め受けによりドルが徐々に枯渇(RIETI - 中国、ハイテク産業と金融システムが瓦解の兆候…事実上の「ドル本位制」が行き詰まり)しつつあり、一方で対外的な面子のためオーストラリアからの石炭輸入を抑制し、冬にも関わらず各地で計画停電に追い込まれた(真冬の中国で恐怖の大停電、市民によぎる暗黒の記憶 各地で電力使用制限、一体なにが起きているのか?(1/4) | JBpress(Japan Business Press))。

 あるいは、突然市中資金を引き揚げ株価を下落させた([注目トピックス 外国株]28日の中国本土市場概況:上海総合1.9%安で反落、人民銀の資金吸収を嫌気 (2021年1月28日) - エキサイトニュース)。世界最大級のフィンテック企業であるアントをアリババから接収しようとする動き(ジャック・マー氏の影響力恐れた中国共産党-アントは危機モード - Bloomberg)も建前上は法律違反を装っているが、実質的には共産党支配体制の維持(抵抗勢力を排除)と同時に巨大資金を手に入れるためであろうと考えている。以前のエントリでも、中国の不動産価格は数年前よりかなりの場所で下がっていることを書いたが、規制によりいつまで塩漬けできるかは不明である。時間が経つほどに資金繰りに問題の出る企業が増えていくだろう。現在でも国営・民間を合わせかなりの企業倒産がある(RIETI - 中国、企業債務が過去最悪圏、破綻急増に警戒高まる…米国の会計監査強化が追い打ち)が、経済危機には結びついていない。そのコントロールもどこまで継続できるかお手並み拝見といったところである。

 

 メディアではコロナ感染症が広がる中で中国の経済一人勝ちと報道するが、私はそれをあまり信じてはいない。確かに現時点で輸出は多少好調かもしれないが、むしろ衰退しつつある状況を必死に誤魔化しているのではないかと予想している。もちろん、本格的な崩壊が始まれば情報の広がりを抑えきれないだろう。だから、現時点で既に大きく悪化しているとまでは言うつもりはない。ただ、失業率は非常に高いまま(中国の失業者、農村部を入れれば1億4000万人か 政府発表より多い(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース)なので、景気が良くなっているというとはとても言えないだろう。良い部分のみを抽出して宣伝するのは、中国や韓国では常套手段である。

 どちらかと言えば、現状は経済状況や今後の見通しはかなり悪化していることを認識しているのだが、米中対立のみならず欧州を含めた主要国とも徐々に関係性が悪化する中で、弱みを見せられないというのが正直なところではないだろうか。今後も、バイデン政権になったからと言ってアメリカが極端に対中政策を弱めることはない。というのも、議会が反中国で一致しているためであり、意地の張り合いが今後も継続する。ただ、現状でそのまま経過する時間は中国にとって不利な方向に働く。だからこそ、日本に秋波を送り韓国を取り込もうとする。

 そして、この状況に耐えきれなくなった時に取り出す方向性が、おそらく台湾進攻であろう。ただ侵攻により得られるメリットは正直それほど高くない。仮に台湾を戦争により実質的な支配下に置けたとしても、経済的メリットはゼロに近い。どちらかと言えば中国国内の戦意高揚と、それによる統治力の強化である。尖閣問題については、そのついでに奪っていこうといった感じか。尖閣の方を施工的に先に奪いに来る可能性も低くない。それにより日米の反応を確かめるというのもあるだろうし、それにより日本の動きを封じ込めるというのもあり得る。

 

 さて、こういった予想をすると中国を暴発させないために、話し合いによる妥協を図ったほうが良いという意見が出るだろうが、それが上手くいかないのは南シナ海の埋め立て基地問題で既にわかっている。そもそも話し合いで解決できるのなら、チベット問題もウイグル問題も、香港問題も内モンゴル問題も生じてはいない。そうした声に対し嘯き、強引にねじ伏せてきたのが中国のやり方である。

 随分前に、ウイグル問題をナチス以来の大虐殺と書いたことがあったが、前トランプ政権は退陣間際にそれをようやく認定した(米、中国のウイグル族「虐殺」を認定 新政権発足直前に発表 | ロイター)。バイデン政権もその認識を踏襲している。中国自身も世界を敵にする火遊びをしたいわけではないだろうが、そうせざるを得なくなるような状況に向かい徐々に歩みを進めているようにも見えているから気持ちが悪い。

次のバブルはどこか?

 第二次ITバブルと私は呼称しているが、現在の株式市場が歴史的な高値になるのは今更言うまでもない(Shen on Twitter: "ドットコムバブルの時と今のフォワードPERランキング… ")。もちろん2000年のITバブルと比べて届いていない指標(Shen on Twitter: "Nasdaq 100のPER… "Shen on Twitter: "米国の50mm USD以上の倒産件数。確かに過去最高ではないわな… ")もあり、過熱感はまだまだという考え方もできる。逆にITバブル期を超えている指標も当然数多く存在する(jeroen blokland on Twitter: "Margin debt...… ")。実際、バブルがはじけるきっかけは誰にも予想できるものではない。それでも、バブル期に生じるいくつかの事例は今の相場においても見て取れる。一つはボロ株(赤字で成長の見込みもない企業の株式)がマネーゲームにより上昇(レディット上に新たな熱狂銘柄、株価1000%近く上昇-無名の石油会社 - Bloomberg)すること(ファンダメンタルズを無視すれば市場崩壊の恐れ - WSJ)であり、もう一つは相場に参加している個人の多くがレバレッジをかけ、熱狂する状況である。

 有り余る資金は未だ健在のためバブルの熱は容易には抜けないが、直近で株式投資冷や水をかけたのが個人投資家たちとは正直予想外だった。ロビンフッターたちによるズルい機関投資家への挑戦状は、見事にいくつかのヘッジファンドに大きなダメージを与えた(Losses on short positions in U.S. firms top $70 billion - Ortex data | Reuters)。その結果として倒産(解散)するヘッジファンドもあるだろう。同時に、加熱するネットを通じた株式取引は、サイトのダウンや遅延という形(​​​​​​​Retail Brokerages Suffer Another 'Coordinated' Outage As Short-Squeeze Surge Spreads | ZeroHedge)で取引環境の脆弱さを露呈している。また、マネーゲームを取り締まるという意味でSECその他の当局による規制論議James DePorre on Twitter: "ROBINHOOD PLACING FREEZES AND SEIZING CAPITAL ON ACCOUNTS THEY SUSPECT OF MARKET MANIPULATION PER SEC ORDER")も高まるだろう(GME Soars 75% After-Hours, Erases Losses After Liquidity-Constrained Robinhood Lifts Trading Ban | ZeroHedge)。どちらにしても、ボロ株相場は徐々に縮小していくことになると予想している。元々、赤字企業の株価が跳ね上がるのはマネーゲーム以外の何者でもないのだから。株取引に対する強い規制が議論されるほどに株式投資熱は冷え込むことになるが、その次に来る問題は溢れている資金の受け皿である。これまでは債券投資が株式の受け皿になってきたが、歴史的な低金利によりその資格をかなり失った。さて、路頭に迷う巨大資金はどこに向かうことになるのだろうか。

 

 これはあくまで個人的な予想であるが、その大部分は一旦現金化されるか債券に向かうと思う。低金利ではあっても、株式市場の祭りが終了したとの認識が高まるほどに、避難先として検討される。問題は、少しでも高い金利を求めてジャンク債に多くの資金が向かうことではないだろうか。その際には、コモディティ市場(エネルギー、金属、食糧等)にも資金が向かうことになるだろう。あるいは仮想通貨の更なる暴騰も考えられる(T.Kamada on Twitter: "株の買い規制で、資金はビットコインへ向かうという意見が出ています。ビットコインは現在6.27%の上昇です。… ")。資金規模(日本株はバブルなのか?株式市場より大きな債券市場の状況を俯瞰すると答えは自ずと見えてくる(ダイヤモンド・ザイ) - Yahoo!ニュース)からすると

          債権市場>株式市場>コモディティ市場

なので、ロビンフッターたちの暗躍と同じように、コモディティのどこかに資金が集中すれば容易にバブル化する。既に、売り玉の溜まっている銀を購入しよう(Max Keiser on Twitter: "Documented/proven, banks can print fake silver sell orders (the physical market $2 billion, the ‘paper’ mkt $70 bn) )という動きが始まっている(Bloomberg on Twitter: "Reddit investors have discovered silver: Spot prices soared as much as 6.8%, the biggest jump since August https://t.co/D0hsb7l6iH":ただし、小さな企業の株と違い現実的には踏み上げは容易でない)。

 

 ただ、多くの場合バブルは予想もしていなかったところで花開く。個人的には、規制が厳しくなりそうなアメリカ市場を離れて、新興国の株式や債券に飛び火するのではないかと考えているが、あくまで想像に過ぎない。それが不動産やハイイールド債の市場を崩壊させてもおかしくはない。こうした巨大資金が自由気ままに荒らしまわった後には健全な市場が残らず、疲弊した残滓だけが残ることになるのかもしれない。何にしても、ボラティリティの高い状態が半年から1年近く続くような気がする。

鉄火場の後始末

 私は現在の株式市場を過剰流動性が生み出したバブルだと考えているが、そう考えない人も少なからず存在する(すばらしい経済がやってくる:ジェレミー・シーゲル – The Financial Pointer®)。安全性の高い債券投資が歴史的な低パフォーマンスとなっているため、市中に溢れた資金の行き場所は株式市場しかないというのが根拠である。実際、その通りだから株価はアメリカでは連日株価は過去最高を更新しているし、日本もバブル期の跳びぬけた高値に近づきつつある。強気の根拠は、資金は効率的な投資先がないため結局のところ株式市場を求めるようになり、バリュエーションとしてはまだ上昇の余地ありという訳である。シラー指数で有名なロバート・シラー教授(ロバート・シラー - Wikipedia)も、金利等を考慮すれば現在のバリュエーションはある程度正当化されるという見方の様だ(CAPEレシオによる将来の株式リターン予想:ロバート・シラー – The Financial  Pointer®)。燃やすものは減りつつあるが、ガソリンをどんどんと加えて燃やしているように見える。本来は、燃やすものと燃料のバランスが取れていなければならないのだが。

 長期的に見れば、今後も株価が上昇していく可能性はかなり高い。世界の株式市場の長期チャートを見れば、一目瞭然である。上下動を繰り返しながらも株式市場は上昇を続ける。それは本来インフレ率と横並びであるのだが、市中資金の増加によりブーストしている側面はあろう。あるいは日本市場の場合には日銀がETFを買い続けている(なぜ日銀はETFを買いまくるのか? 「政策の問題点」を点検する(ビジネス+IT) - Yahoo!ニュース)のだから、お上には歯向かえないという理屈も成り立つ。ただ、リーマンショック後のアメリカにおけるGDP成長率やFRBの供給した資金と比べて、株式市場は過大に増加しているという側面はあるが(Sven Henrich on Twitter: "One inconvenient fact that keeps eluding the 2009 analog proponents is that market cap to GDP was recovering from 50% going into 75% in 2010 versus the 193.3% clown show we got going now. https://t.co/ZHlr6I6zqr… https://t.co/CdCIeVCTsR")。

 諸条件を勘案して私は目先一旦下落するだろうと考え、昨年末より徐々にショート側での投資を中心に始めた。正直に言えば、現状では若干踏みあげられている(1月中旬から2月初旬が天井としているので、ある程度の含み損は想定内であるが、あまり気持ちはよくない)。ちなみに、以前より投資してきた貴金属の大部分を10日ほど前に売却した。本来、貴金属は株式と異なる動きをすることが多く、安全資産と位置付けられるが、ここ数年は連動性が非常に高いように見える。おそらく同種の資金が投入されているのではないかと判断している。とすれば、株式市場が大きく下げれば貴金属もある程度下落するだろう。その時点で再度買い直す予定である。個人的には貴金属は今後も長期的に上げ続けると考えている。

 

 現状、株式市場の一部の狂乱を見る限り市場心理はかなり過熱しており、今が歴史的な大暴落のきっかけになるかはわからないが、一定の下落(20~25%程度)の可能性は少なくないと見立てている。その狂乱の一つには、ロビンフッターと呼ばれる投資家たちの活躍(シタデルとポイント72、メルビン支援-ゲームストップ空売りで損失か - Bloomberg)がある。活躍という言葉は正しい使い方ではないが、ヘッジファンドを追い落とすほどの過熱は正直異様である。心理面で見れば、まさしくバブルの賜物と言えよう。また、株式指数は大きく上昇しているにも関わらず、手持ちの株はその恩恵にあずかれていないという人も少なくない。というのも、今回の株価上昇が特定の株式に集中しているというのが特徴だからである。典型はテック株と呼ばれる一群であり、今広がっているのはペニーストック(日本で言えばボロ株:ペニー・ストックとは? | 証券取引用語集)の爆発である。資金循環の一つと言えなくはないが、資金がハイパフォーマンスを当然のように追い求め始めた結果でもあろう。だが、実際の社会はそんな成長を成し遂げていない。あくまで、政府や中央銀行による資金提供に踊っているに過ぎない。

 問題は、それがいつ終息に向かうのか。FRBは経済的影響を考え当面金利を上げないと宣言しているが、テーパリング(テーパリング|証券用語解説集|野村證券)については今年度後半から来年度初めに開始されるというのがコンセンサス(Shen on Twitter: "テーパリングの開始時期アンケート。今のペースでもネット供給超になるのにだいぶ前のめりですね… ")となっている。インフレ率についても、様々な予想が為されているが、年末には2%弱に到達するのではないかと予想されている(Shen on Twitter: "GS 10年金利雑予想… ")。金利上昇は政府財政支出の紐を固くする。FRBの自由度も奪うだろう。株価が正常なら問題はないが、過剰なら調整せざるを得ない。その上で株価は半年から1年先を読む。ワクチン効果が高まるほどに、市場に流される資金は少なくなっていくのだから、それに反応することもあろう(社会や経済が正常化するほどに株価が下落する)。あとは、日々の感覚的なものではあるがそろそろ高値追いが苦しくなってきたようにも見える。まあ、下落というものは高いから落ちるのだ(アングル:急激な株高に「異常」の声も、米で広がるバブル警戒 | ロイター)。

 これが大幅な下落に転じた時には、ロビンフッターたちが今度は売りに回って暴れだすことも想定していた方が良い。過剰流動性は、上にも下にも行き過ぎを生み出すだろう。アメリカ株の下落の流れを予想するとすれば、最初に中傷株のRussell2000の下落から始まり、次にNASDAQ、そしてS&P500という流れだろうか。日本でもMothersからJASDAQそしてTOPIXにつながると思う。日経平均は、日銀ETF買いの程度によっては若干遅れるかもしれない。現状は銃のトリガーに指がかかり、きっかけを待っている状態であると認識している。

(1/28追記:昨晩アメリカ株が大きく下げた。まだ今後の動きがどうなるかはわからないが、トリガーをロビンフッターたちが引いたとすれば、それもまた新鮮で面白いのかもしれない。早速、個人的には一部の売りに利が乗り始めた。あくまで当たらない予想だが、今後は株式市場も含め様々な市場でのボラティリティがかなり高くなるだろう。そんな中、気づけば徐々に下がっていくのではないだろうか:ショートスクイーズが株式市場を下落させる:デニス・ガートマン – The Financial Pointer®

変わり者率と非日常の日常化

 メディアの信頼性はかなり低くなったと感じているが、それでも日本における新聞やテレビなどに代表されるメディアの信頼度は世界的に見ればまだ相当に高い(世界各国の「新聞・雑誌」や「テレビ」への信頼度をグラフ化してみる(2017-2020年)(最新) - ガベージニュース)。とは言え、お騒がせな記者がいるのは多くの人も知っている(自衛官に私的戦闘訓練 | ロイターTsukasa Shirakawa(白川司) on Twitter: "共同通信が、自衛官が休暇をとって自主練習しているのを「私的戦闘訓練」と曲解して世界に配信。共同の石井暁記者は土地所有者に「風景を撮る」と嘘をついて写真を撮り、抗議すると「取材妨害で警察に訴えるぞ」と居直ったそうだ。Simon_Sin on Twitter: "『自衛官に私的戦闘訓練 特殊部隊の元トップが指導』)。関連する情報を見た限りの判断なので間違っている可能性もあるが、私からすれば取材する記者も取材された人もかなり独特の人の様である。

 

 人は一人として同じではないため、個性を持っていることは決して非難されるべきことではない。だが社会を集団としてみた場合に、こうした報道に頻繁に登場する人たちは普通に考える一般値から外れており、大部分の庶民から見れば多くの場合かなり個性的である。穿った考えをするならば、世の中で発表される大部分の報道は、こうした個性的な人たちにより構築されている。すなわち、報道に出てくる多くは一般論を示してはない。その上で、それがわざと為されているのではないかと言う疑念を抱かずにはいられない。ホリエモンしかり、ひろゆきしかり。変わり者の変わり者による変わり者のための報道。それがバラエティならよいだろう。日常に疲れた人たちを楽しませるためのものであれば価値もあろう。だが、非常に腹立たしく思うのだが、それが少なからぬ力を持ち日常の社会に影響を与え動かしている。

 特に近年のメディア界では、記事や報道に如何にインパクトを持たせるかが求められており、社会的な平均値からは明らかに異端な人たちが活用される。これは、一般人も容易に情報入手が可能となったからであろう。普通のニュースを流しても関心を惹くことができないのだ。だが、こうした登場人物が求められるのはあくまで少し離れたところから楽しむための非日常であり、日常には侵入してはいけないのではないかと思うのだ。だからこそこれまでの報道では、様々なチェックと検証によりイロモノは排除されてきたと思う。そのチェック作業が何より大切であった。ところが、変わり者の量が増えていくことが常態化したため、近頃の検証作業そのものが曖昧になっているのではないかと感じる。本来、非日常の世界にいたはずの変わり者たちの社会が日常化しつつあるのだ。

 

 考えてみると、これはひょっとするとすごく怖いことではないか。エンタメは、日常と切り離されるからこそ意味があり、報道はエンタメとは一線を引いてきた。だが、近年の状況はその境界を意図してか無意識でかはわからないが曖昧にされつつある。そして私たちの普段感覚は大量の変わり者たちの登場によって染め上げられ、日常と非日常の境界がどんどんと不明瞭になっている。あたかも、それが良いことのように考えられている。だが、これは考え方からすればすごく怖いことではないか。社会における当たり前や常識という概念が徐々に削られ、無秩序が席巻する社会に方向が向いている。

 私たちが自らの人格を認識するのは、自分を構成する様々な環境や要素により構築された自我からであろうが、同じことは社会においても言える。社会が感じる自分たちらしさには幅があってよいと思うが、その中心には同意できる幹(あるいは骨)が必要である。それを取り崩して一時的な享楽を追い求めているような気になってくる。

 

 人は情と理により生きており、この両者のどちらが勝ちすぎてもバランスに欠ける。ただ、情に流されるのは比較的心地よく、それを何とか押しとどめようとするのが理の働きだと思う(だからこそ、理が勝ちすぎると殺伐とする)。個性の氾濫は、理の立ち位置を濁してしまう。理が機能するためには根拠となる芯が必要であり、個性の過剰な暴走はその芯を劣化させていくのだ。もちろん物事には常にバランスがあり、過剰な没個性は逆に社会の発展を阻害すると思う。世の中の大部分の事象は振り子のように揺れ動いている。そして、現在は少数の変わり者が跋扈することを推奨する方向に振れていると感じている。

 私たちが、日常と非日常の境界を失うとそんな問題が生じるだろうか。問題など生じないという人もいるだろう。だが、私は人のアイデンティティが曖昧になり、明確な自我を失う人が増加するのではないかと思う。個性的な登場人物たちは、明確な自我を持っているからよい。だが、世の中に生きる多くの人たちはそうではない。本来社会的に獲得すべきであった自我を、精神社会のアナーキズムとでもいうべき現状により構築が難しくなっていく。だが、報道に取り上げられるのは大部分が個性的な自我を持った人たちのみ、そして、個性を持てと諭される。だが、無理やり強烈な個性を獲得することは本当に必要なものなのだろうか。

粘る力

 人生において、諦めないことと諦めるべきことの見極めは非常に大切である。だからここでも何度か諦めることの大切さを書いたりしてきた。ただ、全てを諦めれば人生は無意味だし、全てに拘り続ければ何も手に入れることができなくなる。取捨選択という言葉で括れば簡単に説明できるが、実情はそう簡単に割り切れるとは限らない。私自身のことを考えると、目標として定めたことを諦めた回数はそれほど多くはない。子供のころの夢であった天文学者になるとか、有名スポーツ選手になるという目標とは言えないレベルの希望に関しては諦めたが、実現すると自分に対して言い聞かせた(定めた)ものではないので、諦めたという言葉を使うのは適切ではないだろう。逆に目標を立てた道筋は紆余曲折あったとはいえ、それなりに達成してきた。夢という朧げなものは単なる願望であり、諦めるというレベルにすら達していない。

 また、ビジネスでも勉強でも取り組んだチャレンジを、状況が変わった時に方向転換することは必ずしも諦めたとは言わない。代替目標を定めそこに至ったとすれば、目標を達成したと言ってもよいと思う。この辺りの機微に関しては人により考え方が異なるかもしれないが、目標が何らかの形での成功という具体性に若干欠けるが夢よりは明確な具体性を持つ場合、至る道筋が違ったとしても目標を達成したと考えてよいケースは多いと考える。もちろん、どうしたも手段が大切だと考える人もいるだろうから絶対的なものではない。

 

 さて、強い精神力で粘り続けるというのは正直ストレスの大きな状況である。私が考える「粘る力」はタイムスパンを長くとることにより気軽に粘ろうという方法論だ。いつまでに終えなければならない、完成させなければならない、というケースはビジネスにおいて少なくない。ノルマと呼ばれるものである。だが、人生における目標とは少々異なる。ノルマをスマートにこなす力も別途触れてみたいと思うが、それよりも人生において自分が成し遂げたいと思っている目標に至る時間軸を伸ばせるケースは少なくない。試合に勝ちたい、著名なスポーツ選手になりたい、大企業に入りたい、その他様々な目標には明確な期限が存在する。だが、こうした期限が定められていない目標においても私たちは多くの場合において短時間で成し遂げようと自分にプレッシャーを与えていることが多いと思う。

 ただ、目標到達のための時間軸を少し伸ばしてみるだけで、見えてくる景色がかなり違うのではないかと思うのだ。これは努力をずるずると引き延ばそうというものではなく、心にゆとりを持とうというものである。それが容易に持てれば苦労しないが、何度も諦めては次のチャレンジに進むよりも、諦めないままに別のチャレンジも行うという並行的な認識を持つことをお勧めしたい。ただ、そうした方法論を取る人は私が知る限りあまり多くない。一つ一つ問題を解決し目標に到達するという人は多い。あるいは、実際には並行でいろいろな問題に取り組んでいながら、目先の問題に飲み囚われて視野が狭くなっているケースもあろう。

 だが、目標達成には多くの場合自分が思っている以上に時間がかかるものなのだ。物事が成功するには自分の能力や頑張りもあるが、周囲の認識や一緒に動いているれる人の状況、あるいはそれを受け入れてくれるような環境といった多種の要素が複雑に絡み合っている。それは自分が認識しているよりもずっと複雑で難しい。それが一気に流れ出すのを「機が熟した」と言うが、熟すためには時間が必要である。多くの人は、熟す前の青い状態で完成したと認識してしまうことが多い。

 

 ここで考えている「粘る力」は、「放置できる力」あるいは「待つ力」と考えてもいいだろう。時には偶然、とんとん拍子で進むということがないわけではない。だが、それは非常にレアなケースであり、多くの場合には思っているよりも倍近く、時にはそれ以上の時間がかかるものなのだ。その間、ずっと気を張り詰めて耐え忍ぶ事のできる人もいるだろうが、私にはそんなことはできやしない。だから、上手くいくと感じられるときまで地道に自分にできることを積み重ねていく。その時がいつ来るかは正直分からない。それでも自らの取り組みが成功すると信じられ続ける限りにおいて、諦めることなくゆっくりと機を待つのだ。

 最近の若者は忍耐力がないという話はあるが、それは社会が忍耐を求めないように変化したからであって、若者の責任ではない。それよりも問題だと思うのは、一つのものやことを極めずにどんどんと取り組みを変え続けることである。変化の激しい社会なので、その方が向いている分野(例えばITなど)もあるかもしれないが、変わっていいのは方法論であって、目的ではない。自分が定めた目的(あるいは目的レベル)を変えないということは重要ではないだろうか。忍耐力という面でも、手段を変えるのは構わないが、目的をあやふやにしていくということは推奨できない。ただ、それが大きなストレスになってしまうような心構えではなく、定めた大きな目標を抱きつつもそこへの道のりには余裕を持とうという形を推奨したい。

 若くして成功する人たちを見ると、羨ましく思うことも少なくない。また、地道な努力や効率的な方法論の模索も重要だろう。だが何よりも、努力を長く続けるための心のゆとりこそが、最も重要であろうと思う。焦る気持ちをコントロールするのは容易ではないが、粘りとは一つに拘りすぎないことでもあると思っている。

トランスジェンダーと女子スポーツ

 数年前より、アメリカを中心に性別を女性に変更した男性がスポーツ界で優秀な成績を上げることが増えてきている(トランス女性選手が陸上競技女子の枠でトップ独占し、生物学的な女性選手が苦境に。スポーツの公平性を訴える動画が話題に(FINDERS) - Yahoo!ニュース)。LGBTの概念に含まれるトランスジェンダーと言う存在で、すでに日本でもお茶の水女子大学が生物学上の性別が男性であっても、性自認が女性的であれば入学を受け入れると発表している(「トランスジェンダー学生受入れに関する対応ガイドライン」の公表について | お茶の水女子大学)。ただ、日本でのスポーツ分野の変化はアメリカほど激しくないため見逃されがちだが、アメリカでは女子スポーツそのものが揺らぐような状況に拡大しそうである(Male Transjacking Will Ultimately End Women's Sports)。現在は、オリンピック委員会はトランスジェンダーによる女子競技参加に関し、調査検討中ということで認めてはいないが、どこかの段階で大きく火が付くであろう。もちろんトランスジェンダーの選手たちは、女子競技に参加できるのは当然の権利であり、それを妨害するのは人権侵害だと考える(トランスジェンダーの自転車王者、女子種目出場禁止は「人権否定と同じ」 写真9枚 国際ニュース:AFPBB News)。(1/25追記:バイデン大統領はトランスジェンダー選手が女子競技に参加することを妨げてはならないという大統領令にサインしたとの情報もある。ただし、LGBTへの差別禁止が主なので競技への参加を直接言及したものではなさそうである:バイデン大統領が就任初日にLGBTQ差別禁止の大統領令に署名し、コミュニティから続々と賞賛の声が上がりました | LGBT研修・セミナー・マーケティングのOUT JAPAN Co.Ltd.(アウト・ジャパン)バイデン大統領令にLGBTQが歓喜もスポーツ界からは懸念の声(東スポWeb) - Yahoo!ニュース。どちらにしても今後の展開を注視したいと思う。)

 

 個人的な意見は、生物学的に男性の肉体を持っていれば女性より明らかに筋力等が高いため、性自認(あるいはテストロン値:男性ホルモンの量抑制)のみをもって女性競技に参加させるというのは不平等であると考える。不当に貶められていた性的マイノリティの権利をある程度拡大することに対しては必要な部分もあると思うし、それをもって差別をしようとは思わないが、近年の流れは少々行き過ぎではないかと思うケースもある。

 そもそも男性と女性のスポーツ競技を分けているのは、生物学的な差により平等な競争が為されないという認識があるからであろう。極端なことを言えば人間にはそれぞれ種々の差があり、男女と言う二分ではとてもではないが区分できるものではない。それでも女子サッカー代表が高校生にも負け、女子テニス王者が男性のランキング100位に敗れるという避けることのできない現実があり、それを区分するのが妥当であるという認識に基づいて現在のルールが作られている。性別による区分だけでは完ぺきではないが、それでも多くの人たちが時間をかけて妥協できる区分であると考えてよい。更に言えば、体重が大きな違いを生み出す競技(ボクシング、柔道、レスリング他)では体重別のランクが用意されている。

 仮に性自認が女性であったとしても、生物学的な成長により男性的な肉体を得ているとすれば、競技は男性部門にエントリすべきであろう。人権どうこうではなく、スポーツ競技の建付けにおける公平性の問題である。あるいは、トランスジェンダー部門を設定して男女問わずに行うというのもあるかもしれない。そうすべきと考える理由は、この状況が広がれば女子競技が成立しなくなってしまうからである。全ての女子競技においてトランスジェンダーの元男性がトップを占めるようなことが生じたとして、それを応援できる人がどの程度いるのであろうか。何も、トランスジェンダーの人がスポーツをするなとは言わないし、競技に出るなとも言うつもりはない。だが、社会において長年かけて構築された秩序を崩すとすれば、何らかの補正が為されるべきだと思う。

 

 それよりも私が個人的に疑問なのは、今私が書いたようなことが当然として行われずに、既に数年にわたりトランスジェンダーが女子競技に参加し女性を圧倒しているという事実である。ポリティカルコレクトネスは、アメリカの自由さを蝕んでいると個人的には感じている。もちろんマイノリティを抑圧せよと言っているわけではないが、社会が健全に成長しあるいは推移するために支払うコストが高くなりすぎていないのかという議論である。それは「マジョリティの権利を著しく奪っていないのか」と言い換えてもよい。今回の問題では、女子スポーツ選手の権利を不当に奪うことになっていないのかになる。

 社会的な問題は、論理だけで決めることができないケースが多い。感情に支配されるということではなく、積み上げてきた歴史と慣習を容易に覆してよいのかという点に集約される。議論をするのは良いだろう。だが、この問題に関しては世界的に積極的な議論がなされたようには思えない。私の意見は既に述べたようなものであるが、ある側面で見ればトランスジェンダー選手による女子選手への簒奪ともいえる状況は、女子競技の在り方として健全ではないと思う。もちろん、個別に見ればいろいろなケースや議論もあろう。だが、大きな目で見た判断が為されてほしい。今の男女競技区分は、必要があって生まれてきたものなのだから。

コロナとワクチンのいたちごっこ

 ボリスジョンソン首相が、イギリスのコロナ変異株の致死率が未確定ながらも65%程度増加しているという情報を発した(イギリス株で致死率は65%も跳ね上がった 新局面を迎えた対コロナ戦争【コロナ緊急連載】 | 木村正人 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト:当初のニュースでは30%程度の増大だったと思う:英変異種、高い死亡率 1000人中13人―政府発表:時事ドットコム)。数倍といった極端なレベルではないが、恐れていた強毒化が進行しているようである。まだイギリス株にはワクチンが有効とされているが、南アフリカ株やブラジル株は現在出ているワクチンを高い確率で回避するのではないかと言う予想も広がりつつある。元々、コロナウイルスはどんどんと変異を繰り返しており、インフルエンザのように季節性の流行疾病になるという話は存在した(季節性コロナウイルスの防御免疫は持続しない:日経メディカル)。インフルエンザより変異が少ないのではないかという意見もあったが、現時点では甘く考えるわけにはいかなそうだ。

 さて、ワクチンの効果が出ない変位種が見つかっても、mRNAワクチンの開発には6種間程度あれば可能であるとされる(ファイザーCEO、mRNAワクチンの応用に期待…インフルエンザなどの変異にも比較的短期間で対応可能 | Business Insider Japan)。ただ開発期間は短くとも、その後の治験に数か月を必要とするため即時の対応ができるというものでもない。個人的な想像では、4か月~半年程度の期間が必要になると思う。実際どの程度で対応可能かは、ワクチンの効果が低いと想像されている南アフリカ株への対応時間で推測できよう。

 

 強毒化が進む理由は、コロナウイルスの伝染性の高さが大きく寄与している。特に、無症状の段階で他者に感染させるというのは、他の感染症でもそれほど多くない特徴である。無症状段階で他者に感染させるため、弱毒化方向に劣化変異したコピーを広げるがほとんどないという訳だ。弱毒化するためには、強毒化した(あるいは変化の少ない株)の伝染力が低くならなければならない(例えば早期に死亡するため他者に広がらない等)が、そうなる前に感染していくため弱毒株も変わらない株も強毒化した株も同時並行的に広がっていると考えた方が良い。むしろ、感染力を高めた株が生き延びて広がり続ける。

 また、この変異の激しさは新たな問題を広げる可能性がある。昨年にも紹介したがADE(抗体依存性感染増強)の問題である。当初は、武漢で広がっていた段階での劇症化において想像したものであったが、デング熱のように異なる株に再感染することで劇症化するADEの危険性を無視できないように思う(influenzer on Twitter: "一方で非中和抗体はあまり低下していません。となると、考察内には記載はありませんが、再感染によるADEのリスクも考慮すべき変異株だと思います。SARS-CoV-2 501Y.V2 escapes neutralization by South African COVID-19 donor plasmahttps://t.co/dw1CMxNWn0")。

 また、これは勝手な想像であり恐怖を煽るつもりもないが、ワクチンにより生じた抗体が異なる変異株により悪さをする危険性もないわけではない。この問題については、まだまだ研究がなされなければならないだろう。

 

 とは言え、ワクチンが効果がないわけでもない。ワイドショーなどではワクチンの副作用の危険性を煽っているが、現時点で報告されているものは一般的なワクチンレベルであり、ワクチン接種を直接の原因とする死亡者はほとんど報告されていない(『新型コロナワクチンで6人のアナフィラキシー』は、どれくらいのリスク?アレルギー専門医が考察(堀向健太) - 個人 - Yahoo!ニュース)。また、アナフィラキシーショックを発症した人も、その後回復しているとされる。倦怠感や仕事ができないほどの反応が出る人はある程度いるようだが、リスクとメリットを比較して判断すべきものであろう。自分自身で判断するには、もう少し結果を見ていきたいと思う。

 一方で、イスラエルの報告ではファイザーワクチン1回接種のみでは、効果が33%程度という情報(英米の戦略に打撃? イスラエル、ファイザーのワクチンは1度の接種では「思ったより効果が小さい」 | Business Insider Japan)もあり予断を許さない。ワクチンが十分に供給されるようになってから対応するほうが効率的である。日本でも、ワクチンが普及するまでは感染拡大を最大限に抑制する方向で取り組むべきだろう。中途半端な妥協案を推進するのが最も始末に負えない。

 

 個人的には、海外でのプロジェクトが1年以上停止したままなので、早期に感染が収まってほしいと思うし、安全性がより確認された段階でワクチン接種も考えたいと思うっている。それでも、現時点ではもう少し(あと1年程度)は感染しないように気を付けたほうがよさそうだ。

宗教家を目指す芸人Youtuber

 日本のアイドル産業も一つの宗教であると言ってもよいかもしれないが、それ以上にここにきて目立ってきたものとして、宗教家じみてきたYoutuberの存在がある(西野亮廣のオンラインサロンが物議 信者は7万人、大悟の「詐欺師」呼ばわりは妥当か? - wezzy|ウェジー)。芸能界の経験がない生粋のYoutuber(このカテゴリが適切かはわからないが)というよりも、芸能界から移動してきた群がそれにあたる。特にお笑い芸人枠でYoutubeに移る理由には、金銭的な側面が少なくないように見ている。マネジメント会社に支払う費用を惜しむ(というかそのあたりから始まるトラブル)ケース(オリラジ中田が相方・藤森を“道連れ独立”のウラに、吉本が見限った「個人活動」(週刊女性PRIME) - Yahoo!ニュース)、あるいは不祥事等でテレビに出られなくなった層が目立つが、それ以外のケースもあるだろう。確かに、Youtubeはというプラットフォームは新しい稼ぎの場を社会に提供した。特に芸能界出身で一定の知名度を有する人たちにとっては、非常に敷居が低く都合の良い舞台でもある。だが、逆に言えば今問題になり始めていることは今後に大きな課題を投げかけているとも言える。動画配信が劇的に簡単になったため、上手く人気を集められれば稼ぐことができる。更には、Youtube以外の集金方法に導くことも可能である。黎明期のYoutuberたちが大きく稼いだため、タケノコのようにチャレンジする人が増えている。だが、テレビを見る人の数に限界があるように、Youtubeを見る人の数にもどこかで頭打ちが生じると考える。更にはAlphabet(Google持ち株会社)が支配しているプラットフォームであり、収入の永続性は担保されにくいとも思う。既に何度か報酬配分は変更されてきた。

 

 それでも一攫千金を狙う人たちが、「我こそは」と凌ぎを削る場所。まだこの動画配信の世界は飽和には至っていない。成長の余地がある世界では、少なくとも条件が担保されれば誰もが成功に近づける。これまでテレビと芸能界が共同して、芸能人の報酬を引き上げるための努力を積み重ねてきた。そのためのルールや縛りは時には理不尽に思えるものもあるが、一定の保険として機能していたと思う。だがそれが個人に帰された時、無保険状態のサバイバルが発生する。Youtuberとして成功した人は安定を求め、オールドメディアであるテレビにも触手を広げる。

 全ての価値がお金により判断されるプラットフォームとしてYoutubeを認識する人が増加するほどに、発信内容は質が低下していくと思う。場の自由さは内容の質を担保しない。その上で、全てのリスクは発信者が追わなければならないのだが、その責任を担保させるための仕組みが追い付いていない状況がある。まだ、多少は時間がかかるがオカルト的な発信、あるいは虚偽の内容を交えた発信、はたまた扇動や洗脳を行うような発信は、そのうち公式に淘汰される仕組みが整うのではないかと予想する。

 だが、そこにどっぷりとはまり込んでしまった移住組のYoutuberたちは、その時にどうするのであろうか。アナウンサーが独立してフリーになる場合は、同じ放送業界に身を置くことで不安定さの中にも一定の安定性を担保する。だが、ほぼ個人事業主となる芸能界出身者のYotuberは一時的に過去の知名度で多額の報酬を得られたとしても、どこかで行き詰まってしまう。その時彼らはアングラ化(あるいは過激化)するのか、あるいは頭を下げて再び芸能界に復帰するのか、興味は尽きない。

 もちろん、本当に人脈とマネジメント能力を有する優れた芸能人は、成功街道をひた走ることもできるだろう。だが、組織によるコントロールを外れた人たちが自分を律し続けられる可能性はそれほど高くないと見る。

 

 5~10年ほど経た後で、Youtubeは芸能人の墓場と呼ばれる時代が来るかもしれないなと考えている。もちろん変化の激しいITの世界なので、プラットフォームそのものがまた変わっていくだろう。TVを中心とした芸能会で得た知名度が、どれだけの期間存続するのかについても興味深い。

 またアングラ化と呼ぶべきか、集金マシーンになった芸能界出身Youtuberがどのような変貌を遂げていくかについても生暖かかく見守りたい。それを乗り越えられる人がいるとすれば本物の芸人であると思うが、島田紳助氏が復帰しないことを決めた状況を見て、生半可なことでは生き延びられないだろうと思う。