Hatena::ブログ(Diary)

今日日の私・新

2000 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2001 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2002 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2003 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2004 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2016 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2017 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |

2000-10-29

米国見聞メモ (5) 買う 〜インコンビニエンス・ストア〜

 コンビニは私の生活の一部と化している。買う物が無くてもつい習慣的に立ち寄ってしまう。だから本場米国コンビニがどんなものかは興味あるところであった。
 今回バージニアビーチしか歩いていないので他所のことはわからないのだが、この街のコンビニセブンイレブンの独占状態であった。サークルKとかローソンとかampmは皆無。このうちのどれが米国発でどれが日本オリジナルかも知らないけど。
 折しも現地で書類をコピーする必要が生じた。コピーといえばコンビニだ、と直観し、早速セブンイレブンに入ってみた。

 店内に一歩入った瞬間、自分の思い描いていたコンビニのイメージとは程遠い、おどろおどろしい空間が目の前に出現した。

 独特の匂いが鼻をつく。人工甘味料とヌガーに、カーオイルの匂いも混じっていただろうか。場末のジュースの自動販売機横のゴミ箱の匂いというか、いかにも身体に悪いものしか置いてねーよ、という匂い(では日本のコンビニには身体に良いものが置いてあるのか、と言われると困るが)。雰囲気的に、スーツにネクタイで入店するのはやや場違いのようだ。スナック菓子とカーオイルが並んで棚に配置されているところなど、さすが車社会アメリカだな。
 照明も薄暗い。光量は日本のコンビニの半分位か。日本コンビニの真昼のような電気無駄使い照明に慣れている人は、米国コンビニで長時間過ごしていると気が滅入ってくるかもしれない。

 飲物は、炭酸系かミネラルウォーターばかり。種類も少ない。最近日本では、限りなく水に近い野菜ジュースとか、ミルクセーキのペットボトルとか、次々と新しい種類の飲料が発売されているけど、アメリカで飲まれている飲物は十年一日のごとくずっと変わっていないのではないか。逆に言うと日本人がいかに熱しやすく冷めやすいかを示すものでもある。新種の飲物が登場する分、消えていく飲物があるわけで、昨年新発売だったビールが今年は生産中止になるのも日本では日常茶飯事。

 で、目的のコピーだけど、ない。米国コンビニにはコピー機もないし、生ビデオテープもないし、整髪料もないし、音楽CDも映画のチケットも扱っていない。宅急便も送れないし、受信料も払えないし、御中元御歳暮の注文も承っていない(あたりまえ)。あ、でもポケモンカードは売っていた。びっくりした。

 日本人がコンビニの基本概念を米国からいただいて、それにどんどん自分たちのアイデアを付加して発展させた歴史を垣間見た気がする。日本人は独創性に乏しく、他国の創ったものを改良するだけである、とはよく言われることであるが、コンビニに関してはまさにそのとおり。ただし、その改良の勢いはすさまじい。「プロジェクトX 〜挑戦者たち」(2000年10月31日放送回)で日本初のコンビニをオープンさせたチームの悪戦苦闘ぶりが紹介されていたが、莫大な契約金を米国の本家に払ったものの、経営ノウハウは結局のところ自分たちでゼロから積み上げるしかなかったらしい。枠組だけを輸入し、内容物はほとんど自前で作ったのだ。苦労の甲斐あって今や本家を抜く収益を上げている。同じデザインの「7」の看板を掲げていても、米国と日本のセブンイレブンは似て非なるモノだ。

 コピーは結局、町のプリントショップでやった。コピーはコピー屋で、CDはCD屋で。ある意味健全かもしれない。

 というわけで、普段日本のコンビニに入り浸っている者から見ると、バージニア州コンビニはひどくインコンビニエント(不便)だという印象を持った。日本のコンビニは、ピクニックに出かける家族連れにも、商談に出かけるビジネスマンにも、デート中の若い男女にも対応可能なマルチパーパスなスポットだが、米国のそれはほとんど部屋で寝そべって菓子をパクつくカウチポテト族のためにのみあるのではないだろうか。
 やはり映画チケットも受信料宅急便も、とコンビニの機能がどんどんふくれあがっていったのは日本くらいのものなのか? 米国人からみると日本のコンビニはなんて節操が無いんだ、ということになるかもしれない。コンビニだけでなく、最近は本屋がサンドイッチを、薬屋がゴム長靴を、ホームセンターがチョコの詰合せを売っている時代である。もはやカオス。何だかわからないぞニッポン。

 結論。米国コンビニは陰欝だ。日本のコンビニは無節操だ。バージニアビーチ以外の米国コンビニ、または他の国のコンビニを体験された方、どうでしたか? (01. 1. 31)

米国見聞メモ (4) 喋る 〜YES or NO?〜

 会話はキャッチボールである。
 とりわけ米国にいるときは、かなり速い球をコントロール良く投げたり受けたりすることが要求される。

 デトロイト空港は日本人の案内係がいたから困らなかったが、そこから先はいよいよ日本語が通じない世界。ちょっと武者震いする。道を聞く時、タクシーの交渉する時、タクシーの中でドライバーと会話する時、全部英語だ。おお。
 ホテルに着いてタクシーから降りたら、早速ホテルからポーターが出てきた。

「荷物運ぼうか?」
「あ、えーと」(英語を理解するのに時間がかかる)
「どっちなんだよ! (YES or NO?)」
「い、いいです、自分で運びます」

 本人は詰問しているつもりは全くないと思うが、普段瞬時にボールを投げ返すのに慣れていない私にはキツイ。この国では常にYESかNOか、自分が何をしたいのかを、素早く明確に表現することが求められている。

 私の場合、喋りはなんとかなったが、聞く力がかなり弱いことを今回自覚させられた。
 何が難しいって、巻舌の「r」やいわゆる曖昧母音を含む発音が聞きとりにくい。それとイントネーションのメリハリが強くて、前置詞や助詞などは猛スピードで通り過ぎる。そのくせ前置詞ひとつ聞きのがしただけで文全体の意味がわからなくなることも多い。
 差別するわけではないが、学会事務局の人々が話す英語は比較的わかりやすく、飲食店の店員など町の人々の英語はわかりにくいと思った。俗語が入っているのだろうか。それに加えて町の人々は、よりわかりやすい言葉で言い替えるということをしてくれない。

「○×★△■◇」
「え?」
「○×★△■◇」
「すいません、もう一度」
「○×★△■◇」(ひたすら同じ内容を同じ速さで繰り返す)
「…ごめんなさい、わかりません」
「………」(ため息をつく)
「もしかして、「このカードは使えない」ということですか?」
「そう」(冷たく)

 まあ英語わからん奴はアメリカに来るなということかもしれないが。

 喋りが一番わかりやすかったのは、ビーチで出会ったボブ・マーリー似のドレッドヘアの若い男。
 晴れた日、私がベンチにすわって休んでいると、
「まったくクソ暑くてやってられないぜ」とかなんとか言いながら親しげに近付いて来た。彼の話し方はスローでだるそうで、私はきっと彼は少々ドラッグが回っているのだろうと思った。しかし、そのせいで喋っている内容を聞き取るのは容易だった。
「おまえはどこから来たんだ」
「日本だ」
「ほう日本か。日本人てのはクールな奴が多いよな」
「そうかもしれない」
「(笑)お前の仕事はなんだ」
「研究だ」
「へえ、ビーチの研究か?(笑)」
「いや、自然科学だ」
自然科学だって? ハッハッ、こりゃいいや」
 別に笑うところではないんだが。
 その後も「おまえの髪はいい」などとしきりに話しかけられるが、私は面倒なので早々に「バイ」と言って立ち去った。髪をほめられたのはうれしいが、せっかくアメリカに来て髪がどうこうといった会話しか満足にできないとは情けない。ただ、町の人々も、こちらが英語に堪能でないことに気付いたら、このボブ・マーリーのようにゆっくり喋ってくれればいいのに、と少し思う。

f:id:joe0212:20110523042527j:image
 ボブ(仮名)と出会ったバージニアビーチの海岸。

 見ず知らずの相手と会話を始めるのが不自然でない雰囲気は気に入った。日本では飛行機などで隣の席の知らない人に話しかけたら「何だコイツ」と警戒されることも多いが、米国ではそうしたことが気軽に行なわれる。方法も確立している。まずちょっとした話の枕をふり、そして自己紹介をする。
 帰りの飛行機の中で。

「この夜景はいいね」
「そうだね」
「ステファンだ(手を差し出す)」
「ジョーだ(握手する)」

 こうして隣の人との会話が始まった。まさかこの後、彼と超伝導について議論することになるとは思わなかったけど(彼は技術者だった)。

 とにかくヒアリングが弱いと致命的だと感じた。機内でもし何か重要なこと−たとえば、当機はハイジャックされました、とか−をアナウンスされても理解できないのだから。今度行く時はリベンジしてやる(=普通の人の喋る内容の70%くらいは理解してやる)。それまで映画や二か国語放送でヒアリングを特訓しようと心に決めたのだった。(00.11.5) (revised 01.7.22)

米国見聞メモ (3) 食べる 〜高カロリー食とダイエット商品と〜

f:id:joe0212:20110523042325j:image
 メニューを勘違いして注文したために、スペアリブとフライドチキンを計2人前食べる羽目になったバーベキューレストラン。

 朝はベーグルヨーグルト、果物、コーヒー、ジュース。昼は、肉、卵、ポテト、コーラ。これが今回の旅行中の典型的食事だった。おそらく米国人の平均的食事とそう違わないであろう。緑黄色野菜は? 食物繊維は? といったあるある大事典的ツッコミをする人はここにはいない。
 食事の度にコーラを注文する風習はマクドナルドでお馴染みだけど、ほんとうにどこで食事してもコーラがメニューの目立つところに出ているのに驚く。米国人は1人1日1リットルくらい飲んでいるのでは? それはオーバーにしても、米国コーラ会社の社長は日本のコーラ消費量が少なくて不満だろうな、などと余計なことを考える。

 帰国後たまたま雑誌で、中国ジャーナリストが書いたコラムを見た。中国人にとって食は人生のもっとも大きな喜びであるのに対し、米国人は食物を味わうことにあまり幸せを感じないようだ、という内容だった。同感だ。勿論米国にも料理番組はあるし、料理が趣味の米国人も多いのだが、今回接した米国料理を見ると、やっぱり質より量、微妙な味わいより大味を好む国だと思う。私の行った店が安い店ばかりなのだと言われれば反論できないが。

 12年くらい前になるが、牛肉輸入自由化をするかしないか議論されていた頃、米国産牛肉のビーフステーキを食べさせる店があったので、入ってみたことがある。安いのが取り柄だったが(だからこそ?)、肉は薄切りで穴ボコだらけで、まさにボロゾーキンのような代物。味も国産牛に遠く及ばなかった。
 その後は米国から日本に入る牛肉はもう少し日本人好みの肉質に品質改良しているみたいだけど、米国内では今でも案外ボロゾーキン系牛肉が出回っていたりする。

 さて、バージニアビーチのサブウェイに入ってサンドイッチを食べた。その時に添えられてきた紙ナプキンに面白いことが印刷してあった。
 サブウェイは低カロリーが売りらしいので、サブウェイの各メニューについて脂肪、コレステロール、カロリーの数値が具体的に示されている。そして比較対象としてマクドナルドバーガーキングのハンバーガーにおける数値も書いてあって、サブウェイのメニューがそれらに比べいかに健康的かということを強調している。紙ナプキンにまで比較広告を載せるところがアメリカらしいと思った。

 このように物を食べながらも常にカロリーや脂肪を気にしているのを見ても、ダイエットアメリカ人の最大関心事の一つなのだということが伝わってくる。日本で放映されている米国製のTVショッピング番組で、実に様々なダイエット器具が毎日登場していることからもわかる。
 だったらコーラを飲まないようにするなりバターの量を減らすなりして、カロリーを控えた食生活をすればいいじゃないかと日本人は思うが、彼らの多くにとってはもう肉とか炭酸は生活の一部になってしまって止められないんだろうね。さもなくばベジタリアンのように反対側の極端に行ってしまう。ああ、YESかNOか、白か黒か、高カロリー食か菜食主義か、はっきりさせなければ気が済まないアメリカ人気質がこんなところにも。(00.11.2) (revised 01.7.22)

米国見聞メモ (2) 食べる 〜感謝感激雨あられ〜

 成田デトロイト行のノースウェスト機で、初めての機内食を経験する。メインディッシュは2種類から選べ、給仕されるときに "Beef or chicken? " と聞かれる。答えるとすぐ小学校の給食で使ったようなお盆に全ての品が載ったセットを手渡される。狭い飛行機で大勢の乗客に給仕せねばならないので多少の見栄えの悪さは致し方ない。とにかく飛行機の中で食事が出てくるというだけで楽しかったので、食器がプラスチックだろうがなんだろうが全然構わなかった。
 チキンソテーを頼んだ。味のほうは…わりといけるが、味付けが濃厚で油っぽい。バターをふんだんに使っている。米国機だから調理も米国風なのだ(と思う)。カロリーを必要以上に摂取しているアメリカ食生活を垣間見た思いがする。今回のアメリカ食べあるき(べつに食べあるきが旅行の目的ではなかったが)はこの機内食から始まった。
 初めてのアメリカなので、旅行中あえて和食は食べず、1週間アメリカ食に浸ろうと決める。

 米国に来て3日目。ちょっとアメリカ食にも飽きてきた。
 ホテルの自室でデスクワークしていたら、ふと荷物の中にある日本のあられ(ピーナツに醤油味の衣がかぶせてあるやつ)の袋が目についた。出発前に家族が持たせてくれたものだ。「荷物になるなー」とぶつぶつ言いつつせっかくだから持ってきた。なんとなく袋を開けて1個口に含む。

 うまいっっ。

 後を引く。ポリポリポリ、気がつけばあっという間に1袋空けてしまった。うーむ、さすが海外経験豊富な人はこんな時に何が欲しくなるか知ってるなあ。くやしいが俺の負けだ(何に?)。何のヘンテツもないあられだが、たった3日間アメリカ食に浸っただけでこんなにも旨く感じるとは驚きだった。
 このとき、自分が早くも日本の味を渇望していることに気づかされた。そして残りの4日間をどうやって過ごせばいいのか…と、ちょっと途方に暮れた。

 バージニアビーチにも和食レストランはある。今回の自分の行動エリア内で見かけたのは「Osaka」という店。どう見ても日本風ではないあやしい着物を着た女性の絵が窓硝子に描いてある。一緒になった日本の人達は何回かこの店に夕食を食べに行っていた。寿司が中心で、安くて旨い、となかなかの評判であった。1度くらい現地の和食レストランがどんなものか行ってみてもよかったのだけど、私は夜は時差ボケでホテルでダウンしていたのでついに行く機会がなかった。そして1週間(ピーナツのあられ以外は)アメリカ食で通した。最後にはもはやそれは苦行の部類に入るものであった。

 最終日、デトロイト空港内をうろついていると、どこからか懐かしい匂いが漂ってくる。そこにはなんと、うどん、そば、ラーメンの立ち食いスタンドが! 一瞬ここは西武池袋駅の地下改札口かと錯覚してしまった。この空港は日本人利用客が多いらしく、建物内の案内表示に日本語が併記してあるなど、やたら日本色が濃いのである。そのスタンドから発せられる醤油ラーメンの匂いは、1週間ベーグルオムレツやスペアリブばかり食していた私の唾腺と涙腺を刺激してやまず、私はノックダウン寸前となった。かろうじて踏ん張ったけど。

f:id:joe0212:20110522211748j:image
 西武池袋駅地下改札口前…ではなく、デトロイト空港内の立ち食いスタンド。やはりお客は日本人が多いですね。

 情けないが、日本食が懐かしかった、という平凡な結論に落ち着いてしまう。これはもうDNAレベルで刷り込まれているとしか言いようがない。日本人の遺伝子には、醤油とかだしの風味に引きつけられるDNAが備わっているに違いない。中国などに旅行したらまた違う印象を持つのかもしれないが、ことアメリカにいると日米の食に対する感覚の違いをまざまざと認識させられる。
 帰国して最初に何をしたか? 天ぷら屋と寿司屋をはしごしたさ。(00.10.29) (revised 01.7.22)

米国見聞メモ (1) 飲む 〜スヌーピーも飲んでるルートビア〜

 ルートビアという、アメリカではポピュラーな飲物がある。
 子供の頃よく読んでいた漫画「ピーナツ」の中で、スヌーピーウッドストックの家(ていうか巣)のパーティーに行くたびにガブ飲みするのがルートビア。「ゆうべは54本飲んじゃったよ」などと独白するシーンを見て、スヌーピーがそれほどまでに愛飲するルートビアとはどんな美味な飲物だろうと憧れていた。日本ではほとんど売られていないので、いままで口に入る機会がなかったのだ。

 この飲物について断片的に知っていたことといえば
  (1) アルコールは入っていない
  (2) 薬くさい
ということだけ。
 今回、たまたまデザートタイムに出されたので念願かなって初挑戦した。

 炭酸飲料である。今回のものはコーラなどと同様、350ml(単位は違ったかもしれないがそんな大きさ)の缶に入っていて、よく冷えている。プルトップを開けたときに漂ってくる香りもコーラに近い。口に含んでみる。

 なるほど、薬臭いな。美味というほどでもないが、独特の芳香があって、ハマる人はハマるかもしれない。でも一晩で54本はさすがにちょっとねぇ。
 だけど何かに似てるぞ。過去に自分が味わったことがあるナニカと非常に近い味だ。なんだったかな。うーん…。
 約10分間考えて、突然わかった。

 ああっ、改源だっ! 改源だっ!

 風邪を引いたときにいつも飲んでいる「改源」と同じ味がする! そりゃ薬臭いハズだわ。こんなところで漢方薬の味が味わえるとは思わなかった。アメリカで風邪を引いたら、ルートビアを飲むと効くかもしれない(←でたらめ)。
 しかし米国ではこれがコーラジンジャーエールと並んでコンビニ自動販売機に入っていたりして、極めて日常的に飲まれているようだ。コカコーラも最初は薬として発売されたという。ドクターペッパーって奴(懐かしいっしょ)もかなり薬臭かった。アメリカ人にとって炭酸飲料とは薬なのだろうか?

 ルートビアというからには根っ子が原料なんだろうね。漢方薬もよく木や草の根を使うから、改源と同じ味なのも原料が近いためであろう。
 根っ子系飲物というジャンル分けがあるかどうか知らないが、考えてみれば根っ子が原料の飲物は世界各地にある。高麗人参茶もそうだ。養命酒もそうだ。養命酒は虚弱体質の人が飲む薬だと思われがちだが、一般の酒として飲んでも味わい深くて結構イケる。根っ子系飲物はワタシ的には注目株だ。(根っ子だけに注目”株”、なんてね)

 スヌーピーのあの小さな犬小屋の中に子供が何十人も入って遊ぶことができる、という不思議なエピソードが初期の「ピーナツ」にあった。もしかしたらパーティーでルートビア54本飲み、ピザ30枚食べてしまう彼の胃も、小屋と同じように4次元空間なのかも。(00.10.29)

2000-10-27

研究日記


久々に平穏が戻ってきた感じ。この10日間ほとんどマグネット実験に従事していた。とくにここ3日くらいは非常事態が発生して、霜や氷とのいつ果てるとも知れぬ闘いが続いていた。ホワイトアウト織田裕二もこの手の苦労はしなかったろう。いつもながら、同じ講座の助教授の先生に大変お世話になる。我々の実験系の状況チェックも含め、いくつもの仕事を並行して進めるさまは、さながら将棋の十面打ちのようだ。自分はこれができないんだよな。

日記


 とはいうものの(前回の当欄を参照)、ドラマは視聴率20%くらい出せばまあ当たりと言われる。てことは人気ドラマは、大雑把に言って日本中で2000万人が見ている。一方漫画の人気作品の読者数は、コミックス、雑誌合わせてせいぜい500万人といったところではないか。つまり今の日本では、漫画人口よりドラマ人口の方が断然多い。いい大人が漫画など読んでいると世間の冷たい視線を浴びることもしばしば。
 「ドラマより漫画」派としては、なぜ皆がドラマは見ても漫画は読まないのか知りたい。
 たとえば「TVはタダだから」という理由もあるかもしれない。ドラマには好きなタレントが出るからという人も多いだろう。もっと本質的な理由としては、漫画よりドラマの方が見る側は消費エネルギーが少なくて済む、という事情も考えられる。小説ファンからは噴飯ものだと非難されそうだが、漫画を読む際にもそれなりに想像力を駆使する必要がある。それに対して普通の人気ドラマは考えさせる要素を極力排除して作られる(例外もあるが)。メッセージを持った人気ドラマが今のTVにあるだろうか。
 「編集王」「ショムニ」「金田一少年の事件簿」「東京大学物語」「研修医なな子」「君の手がささやいている」「ぽっかぽか」「味いちもんめ」「いいひと。」等々、同一タイトルの漫画とドラマ両方を見た方。どっちが良かったですか?

2000-10-13

日記


 漫画をドラマ化する時に、話の展開や台詞をどの程度原作に忠実にするかは難しいところであろう。「じっちゃんの名にかけて」のようにそれが無ければキャラクターが成立しない決まり文句は別として、通常原作の台詞はそのまま使うことは少ないと思われる。使うと単なるコピーのようになってしまう。だから同じ場面でもドラマ脚本家はあえて原作と違う台詞を考えねばならない制約がある。
 さて「編集王」だ。少し期待していたのだが、最初の10分見てもういいやと早送り。理由はまずキャスティング。原田泰造カンパチは悪くないと思ったが、青梅デスクが中山秀征というのが自分の中では納得いかない。原作では昔のショーケンのようなイメージだったのに、性格設定が全く変わっている。原作者の土田世紀は、多くの登場人物を実在の俳優や有名人に似せて描いている。そのモデル(と思われる)人物−西田敏行大仁田厚豊川悦司、宮史郎ら−をちょっとでもドラマに登場させてくれたら楽しいのだが。そして台詞。土田世紀の書く台詞は練り上げられていて奥深い。特に、原作で青梅カンパチを励ます時に言う「お前の人生は全20巻じゃねえ」という台詞がカッコ良くて好きだった。ドラマの該当シーンでは中山ヒデが酔ってわめくだけで、原作に勝る台詞は無かった。(もちろん、つまらないのはヒデが悪いと言ってるわけじゃないよ)
 ドラマで大ヒットした「ショムニ」にしても、漫画のはじけた世界がドラマでは抑え気味で物足りない気がした。漫画とドラマは別作品と考えるべきなのだろう。

2000-10-06

日記


 笑っていいとも!テレホンショッキング志村けんが初登場したそうだ。新聞の番組表にドカドカと「あの志村けんテレホンに初登場」と記述してあるところを見ると、よほど画期的なことらしい。
 このコーナー、今でこそ明日のゲストにTELする時は一発で繋がるし、「明日来てくれるかな?」の問いにはまず間違いなく「いいとも!」と返ってくるけど、番組開始当初は相手の居場所がなかなか掴めなかったり、「明日は仕事で…」と断られることも多々あったものだ。いつのまにか今のようにスムーズに事が運ぶように変わった。事前に裏で出演交渉が済んでいることは、いまや視聴者も暗黙のうちに了解しているだろう。実際、筒井康隆は出演する1週間ほど前に局から出演依頼が来たことを日記の中で公言しているし、誰か忘れたけど女の子アイドルが本番で「緊張して、おとといの夜から眠れなかったんですぅ」と、はからずも裏事情を暴露してくれたこともあった。
 ところが、既にそんな予定調和的な「いいとも!」の返事が当たり前になっていた7〜8年前、「明日来てくれるかな?」の問いに「明日はゴルフだからダメですよ!」と断って我々を唖然とさせたのが、志村けんだった。本当に彼が前触れなくドタキャンしたのか、それともこれもまた番組側了承済のシナリオだったのかは知らない。だがおかげで、今日の彼の出演は確かに番組史に記念すべき出来事になったのだった。
 「いいとも!」と一発で返ってくる現状は、今のTV番組に真のハプニング性なんてほとんどゼロに等しいことを我々に示唆している。そう認識していれば、夫婦がモメたり別れたりといった「やらせ」など非難するにも値しないと思うが、どうか。

2000-10-03

3つのトマト

 ドキュメンタリー映画「地球交響曲」(龍村仁監督、1992年製作)の中で、トマトの栽培について独自の方法を試みている野澤重雄さんという研究者が紹介されている。
 彼はトマトを最初から最後まで水栽培で育てる。土の中では根の発達が妨げられるという理由からだ。水中には養分を十分に供給し、発育に応じて水槽を大きいものに換え、トマトが存分に根と枝を広げられるようにする。
 映画はトマトの種1個が発芽したシーンから始まり、時が経つごとにその成長を追う。
 小指の先ほどの小さな芽が、8カ月後には大きめの家一軒分はあろうかという大木に成長し、見る者を圧倒する。通常、1本のトマトの木になる実の数はせいぜい50〜60個。ところが映画に登場したその木は、驚くことに5000個の実をつけた。過去に野澤氏は13000個の実をならせたこともあるという。
 ストレスがない状態で、最大限に成長の糧を与えてやると、生物はここまで伸びるという例である。

 永田農法というトマト栽培法をTVで見た。
 これは上の野澤さんの方法とは正反対で、トマトの木を極限まで厳しい環境に置くやり方だ。養分や水をわざとギリギリ最小限だけしか与えず、土も石混じりの粗悪なものを使う。するとトマトは生き延びるために必死になって根を張り、栄養になるものは何でも取り込もうとする。そうしてたくましく強い木に成長していく。
 結果、それは果物のように糖度が高く、肉の厚い実をつけるという。「永田のトマト」「フルーツトマト」として店先に並んでいる。
 じつはトマトの原産地ペルーの土壌も水や養分が少ない環境だそうで、従ってこの栽培法は理にかなっているとの説明だった。方向性は同じだが、おそらく原産地よりも苛酷な条件を課しているのだろう。

 上に紹介した最初の栽培法は、恵まれた環境だけを与えて自然に成長するにまかせる放任主義、2番目は獅子がわが子を千尋の谷に突き落すようなスパルタ主義といえる。子育てや、もの作りの方法論などに通じるところがありそうで面白いと思う。

 昔から、放任主義とスパルタ主義はどちらが子供をより伸ばすのか、という問題がある。こういう問題には決着は永遠につかないだろう。実際スポーツでも、「幼い頃から自然にそれに親しんだ」系と「親やコーチが特訓して鍛え上げた」系の両方のタイプの選手がいて、どちらの実力が上かは一概に言えない(スポーツの場合、両者が必ずしも相反するとは限らないが)。
 野澤トマトと永田トマトは異なった特徴を持つ。そもそも野澤氏はトマトの生命力そのものを研究対象にされており、食用として考えておられるわけではない(らしい)ので、永田農法と比較することさえ無意味かもしれない。それでも、普通の種子からスタートしたトマトが、その後の環境次第でこれほど違う道を歩むという事実は興味深い。
 しかしながら、上の2つの方法には共通点があることに気づく。それはどちらもトマトに本来備わっている、自ら成長するパワーを引き出していることだ。

 それに対して、最近は遺伝子組換えトマトというのも現れた。遺伝子組み換え作物とは、他の生物や品種などの遺伝子を組み込み、新しい性質を加えたもの。上の2つの方法とはさらに次元の異なった育て方だ。素人なのでよくわからないが、スポーツでいえば、足の速い選手を作るためにカモシカの遺伝子を人間に移植するようなものだろうか?
 米国では開発が盛んな遺伝子組み換え作物だが、日本や欧州では一般に安全性を疑問視する声が強いらしい。日持ちの良い遺伝子組み換えトマトの開発に取り組んできた日本の企業2社が、「消費者の不安を尊重せざるを得ない」と最近開発から撤退したという(朝日新聞、2000年8月27日)。

 遺伝子組換えトマトを食べたところで、消化してしまうのだから人体には影響ないような気もする。
 しかしトマトはともかくとして、人間の遺伝子組換えが行なわれるようになったら、どんな世界になるだろう。少なくとも、オリンピックなどはもはや意味を成さなくなるのは確かだな。(00. 10. 3)