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2001-10-29

かぼちゃ大王ワルツ


 突然、昔TVで見たピーナツのアニメスヌーピーかぼちゃ大王」(原題:"It's the Great Pumpkin, Charlie Brown")をもう一度見たくなって、レンタルビデオ屋で借りてきた。ピーナツはたくさんビデオが出ていていいなあ。
 ピーナツのTVアニメシリーズは1968年くらいから米国で製作されていて、初期の作品はヴィンス・ガラルディが音楽を担当していた。彼がピーナツ用に作った曲を最近になってジョージ・ウィンストンがカバーしたのがアルバム「Linus and Lucy」。それを聴いた時に私の心をとらえたのが「The Great Pumpkin Waltz」という曲だった。子供の頃アニメで流れていたのを聴いたはずなのに、申し訳ないがその曲の印象は全く残っていなかったのだ。で、どんな感じで使われていたのかなと思ってビデオを再見したわけだ。

 ウィンストンのカバーでは4分音符=100くらいのスローバラードとして演奏されていて、その寂寥感がなんとも心に染みたのだが、オリジナルは4分音符=140くらいの軽快な曲だった。ちょっと意外。「耳コピ」で書いたように、「Linus and Lucy」という曲は子供の頃から印象に残っていた。これは一つには「Linus and Lucy」が流れているときには台詞が少なくて曲の音量が大きいなど、音楽が前面に出るように作られていたからだということもわかった。「The Great Pumpkin Waltz」が流れているときは台詞が前面に出ていて曲は完全にバックグラウンドだった。だから印象に残らなかったんだな。

 アニメ作品そのものはなにせ33年も前の作品だし、今の日本人の感覚で見るとやや冗長だったりするが、絵本のような美しい色彩の映像とジャズのBGMが不思議にマッチして、アメリカ郊外の閑静な住宅街の雰囲気が良く伝わってくる。自分の作った作品世界にこんないい曲をつけてもらえた原作者シュルツは幸福だったなあと思う。もちろんガラルディもピーナツシリーズに曲を提供したことでそのメロディが長く人々の心に残ったのだから幸福だったろう。

2001-10-20

プロジェクトX


 今週の『プロジェクトX』はカップラーメン誕生物語であった。この話は結構有名で、新聞雑誌などで何度も紹介されていたから、それらとNHKの扱い方の違いがわかって面白かった。

 以前読んだ記事によると、日清食品の社長(当時)の安藤百福氏がアメリカチキンラーメンを売り込みに行ったが、現地にドンブリが無かったので途方に暮れた。すると交渉相手のアメリカ人がカップにラーメンを割り入れてお湯を注いで食べ始めた。それを見た安藤氏は驚き、これだ!とひらめいて帰国後カップヌードルを開発した…ということだったと思う。
 さてプロXではどう描かれていたかというと、「アメリカにはドンブリが無かった」話から突然「カップラーメンを作れと安藤が部下に命じた」ところへ飛んだ。一番の鍵である、「アメリカ人がラーメンをカップに入れた」部分は描かれなかったのだ。
 これを見ると、良し悪しは別として、やはりプロXは「ニッポンのお父さんたちは頑張ってきたんです」というコンセプトの番組なのだなぁと感じる。アメリカ人が重要な役割を演じるようなストーリーにしたくなかったようだ。この番組のファンは多いけど、こういう「美談にならないところをあえて描かない」製作方針が好きでないという人もいる。

 それはわからなくもない。以前『知ってるつもり!?』についても似た感想を持った。一人の人間といえどもいろいろな面を持っているが、その一生をたったの55分間で紹介する以上、「コロンブスは名誉に目がくらんだ極悪人だ」というように、どうしても一つの側面だけを語って単純明快な結論を示さざるを得ない。余談だがこの番組は、新作の映画とか始まったばかりの大河ドラマの主人公の人物をいち早く取り上げて、その映画やドラマとは反対のストーリーを作ってぶつけてくることが多い。なんかホームルームで反対意見ばっかり発言するひねくれ者の生徒に似ていなくもないな。

 まあプロXの場合、起きた出来事のごく一部しか見せてくれないにしろ、その断片を繋いだ物語を見て自分が感動して元気になれればそれでいいのではないかと。
 ちなみに私はあの番組の、言葉をぎりぎりまでそぎ落したナレーション台本と、わきあがる感情を抑えこんだような田口トモロヲ氏のナレーションが好きです。

2001-10-08

FF


 連休中は当地はいい天気で結構。しかしついにアメリカタリバーンへの攻撃を開始したと聞いてあまり浮かれていられなくなった。結局「勝った方が善」となる不毛な戦いだ。早く終って欲しい。

 さて、映画『ファイナルファンタジー』(FF)がさんざんな興行成績で、製作のスクウェアは映画事業から撤退するとのこと。米国での興行収入は、目標の100億円に対して1/3程度だったそうだ。でっかい花火を打ち上げて華々しく散っていったな。公開当初にTVのニュース番組で映像を一部見た時には、実写と見紛うばかりの人物に、正直、度肝を抜かれ、CGもここまで来たかと素直に敬服したものだけど、それでもヒットしなかったんだね。オレ? 映画館では見てない。ビデオが出たら見るよ。そうか、こういう奴ばかりだからコケたのか(笑)。

 古い話だが倉本聰脚本、とんねるず主演という異色の組み合わせの『火の用心』というドラマがあった。倉本ファンととんねるずファンの両方を取り込もうとしたのだろうが、結果は視聴率一桁台に終った。おそらく倉本ファンにとってはとんねるずの存在は猛烈な違和感だったろうし、とんねるずファンには倉本脚本が堅苦しく馴染めなかったのではないか。
 FFの場合も「普通のラブストーリー映画を見る大人」と「ゲームやCGが好きな子供(含・成人)」の和集合が見に来ると踏んでいたのに、実際には両者の積集合だけが客として来たというところか。

 手塚眞氏は「絵はリアルだが、人物の演技は無声映画時代なみ」と評した。映画がすべてCGで作られ、俳優がみんな失業する時代はまだ先になりそうだ。
 こんどやってくる『シュレック』も画像の陰影のきめ細かさ、人物や構図の動きの激しさという点では『FF』と同じく、コンピュータゲームを映画にしたような作品だ。ただ登場人物はデフォルメが施されていてコミカルだ。子供にターゲットを定めたからこそ全米でヒットしたのだと思う。現状ではまだCGは生身の人間の代用品にはなれずに、現実に存在しないキャラクタを造形する手段にとどまっている。

2001-10-04

最高の食材+腕利きの料理人 −『サトラレ』−


 小さい頃、もしかすると自分以外の人間はみんな宇宙人で、突然うしろを振り返ると全員化け物の顔に変わっているのではないか…などと思ったことありませんか? 「そんなんお前だけじゃ」と言う人もいるが、後に読んだり見たりした作品にもしばしば幼少時にそういう妄想を抱いたという人物の記述があり、自分だけではないことを知って少し安心した。だからこの漫画のような「自分だけが特別な立場にいることに自分だけが気付いていない」という状況の物語には感情移入してしまう。

 民間伝承妖怪に、人の心を読む「サトリ」というのがいる。本作品に出てくるサトラレはその逆で、思っていることが周囲に筒抜けになってしまう人のこと。それだけならなんだか筒井康隆ショートショートに出てきそうな情けない人物で、ノイローゼになって自殺してしまうというオチで終るような話だ。ところが作者はもう一ひねりして、このサトラレたちはずばぬけた優秀な頭脳の持ち主であるという設定を加えている。彼らが自殺でもすれば人類にとっての大損失である。そこで、彼らに自分がサトラレだということを絶対に悟られないよう、政府は秘密裏にサトラレにSPをつけて厳重に身辺警護している。かくして「自分が特別であることに気づいていない」サトラレたちの悲喜劇生まれる。

 うまい設定だなぁ。この設定で作者は半分勝ったも同然だな。料理に例えれば、最高の食材を手に入れた料理人のようなものだ。もちろん最高の食材も料理の腕が下手では台なしで、この設定からどのような話を展開し、どのような結末へと導くのかは作者の腕の見せどころ。本作品では「もしもサトラレが恋愛したら」「もしもサトラレが医師だったら」…といった命題を置き、それに対して「こうなるだろう」というアイデアを次々に繰り出して、読者との知恵比べともいえるシチュエーションドラマを繰り広げる。それはある時はラブストーリーに収束し、またある時は涙を誘う人情噺に結実する。が、各エピソードに共通して言えるのは、どれもサトラレという宿命故に人一倍傷つきながら、それを克服して強く生きる道を見つけていく彼らの姿を描いている点だ。それゆえ読者は心を動かされる。作品全体に人間肯定の姿勢が貫かれていて、清々しい読後感を味わわせてくれる。作者の料理人としての腕は確かだ。

 一つ気になったこと。作品に登場する西山というサトラレは、自分がサトラレであることは知らないが、世の中にサトラレという人種がいることは知っているらしい(1巻1話 13 ページ)。優秀な頭脳を持つ彼のことだから、いくら周囲がひた隠しにしても「もしや俺はサトラレなのでは?」という疑いがふと頭をよぎることはないのだろうか。サトラレにはサトラレの存在そのものを秘密にするのが政府のとるべき方針なのではないか? もちろんそのためにはサトラレのサの字もマスコミに乗せられなくなり、非サトラレへのサトラレ情報の伝達が難しくなるのは確かだが。他にも、子供2人が落ちた縦型の排水溝は、なぜ落ちた時は空だったのに落ちた途端に水が溜まり始めるのか(1巻2話)など、細部に合点のゆかぬ点が無きにしもあらずであるが、ま、とにかく面白い作品なので細かいことは言うまい。

 物語のメインキャラクター的なサトラレは西山と里見の2人である(もちろん彼らは互いに面識はない)。注意して見ると、2人とも左利きだ。おそらく作者の意図だろう。実際、天才には左利きの割合がふつうより多いのはよく知られた事実。何か関連があるのかもしれない。
 ストーリー上、西山は主に情けない妄想や恥ずかしいハプニングの担当、里見は生命や倫理といったシリアスな問題に直面する担当、というふうに役割分担しているようだ。「日本に13人しかいない」サトラレのうちすでに7人が作品に登場した。今後は様々なタイプのサトラレの描写よりも、サトラレを取り巻く普遍的な状況や問題がより深く堀下げられる模様。

 サトラレは不幸なのだろうか。
 確かに彼らにはプライバシーというものがない。動物園で見せ物になっている動物と同じだ。彼らが真相に気づけば、ストレスによる苦痛は想像を絶するものだろう。
 しかしある意味では幸福だとも言える。なぜなら、彼らは他人から誤解されることがない。疑われることもない。言いたくても言えないことで人間関係がぎくしゃくするようなトラブルとは無縁だ。考えを他の人に伝えるのがどちらかというと不得手な私としては、サトラレの思念波が周囲50mに伝わる様子に軽いカタルシスすら感じているようなのだ。
 「人の心が見えないことの方が、現在では人の心を苦しめているのかもしれない。そしてそんな時代が彼達(サトラレ)を生み出したのかもしれない」という東医師の独白(1巻4話 145 ページ)が、そのまま作品のテーマを語っていると思う。

 この先、終盤が近づくにつれて、サトラレどうしが出会ってしまったり、サトラレが自分の正体を知ってしまうシーンも描かれるのであろうか。最後にはサトラレたちが自分の不思議な性質を受け入れて、SPなどいなくとも非サトラレたちと幸福に共生する方法が提示されるよう願わずにいられない。いずれにしても、今後の展開から目が離せない。(01. 10. 4)

 ◇ ◇ ◇
佐藤マコトサトラレ』月刊イブニング連載中/コミックス2巻まで既刊(2001- 講談社

2001-10-01

突発性書籍収集症


 土日の2日間に突発性書籍収集症が発症し、複数の図書館を駆け回って計8冊借り、書店で1冊買う。集めるだけで満足するのがこの症例の特徴。一度でいいから図書館で借りたものを全部読んでみろ>オレ。

 借りた中の1冊は韓国カルチャー解説本。みこ半別館で北朝鮮のルポ漫画を描いていた松田洋子氏がここでは韓国ルポ漫画を描いている。韓国のほうが先に書かれたものだが、韓国編ではおちゃめで明るい自画像が、北朝鮮編ではアングラ女優ふうになっていた。サイバラを思わせる変貌ぶり。そんなことを考えながら執筆者紹介を見ると、音楽ページ担当の執筆者に佐藤行衛という名があった。なんと、高校で1年先輩だった行衛さんじゃないですか! 紹介文によると日本人による韓国ロックのバンドを結成して日韓両国で活動しておられるとのこと。へえー、すごいな、本物のミュージシャンになったんだ。高校時代からギター持たせれば日本一のお祭り男だったからなあ(すみません>行衛さん)。でもよく知っている人がやりたいことをやって活躍しておられるのを見つけたのは嬉しかった。

 購入したのは漫画で、「月刊イブニング」で途中から読んでメチャクチャ面白かった『サトラレ』(佐藤マコト)の第1巻。ようやく最初から通読した。メチャクチャ面白い。この設定だけで半分勝ったも同然だなあ。あとの半分は物語だが、これも秀逸。人間肯定の姿勢が貫かれていて、掛け値なしに感動する。雑誌に発表されてからアッというまに映画化されたのも故なしとしない。しかもこれは作者の初めての連載作品だという。なんというか、漫画界における代打逆転サヨナラ満塁優勝ホームランのような快挙だと思ったりした(それほどでもないか)。