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2011-05-31

フロリレージュ国際合唱コンクール Florilège Vocal de Tours

 日曜日。夕方に同僚 B から駅前広場のワインの祭りに行かないかと誘いが入るも、なんとなく億劫なのでことわった。そのあと部屋でのんびりしていたら、どこかからブラスバンドの生演奏が聴こえてきた。行ってみた。
 近所のレジスタンス広場に特設会場が設けられて、ステージ上で吹奏楽団が演奏している。ワイン祭とは無関係らしい。1時間ほどのプログラムが終わると、こんどはさまざまな合唱団が短時間ずつ交代でステージに上がって歌を披露する。広場は聴衆と出番待ちの合唱団のメンバーでいっぱい。お、浴衣姿の若者達がいるぞ。「すいません、日本の方ですね」と声をかけてみたら、相手も喜んで応対してくれた。その会話の中で知ったこと。

(1) 彼らはこの祭に参加するためにはるばる東京からやってきた大学生の合唱団だった。(最初、市内の日本人学校の生徒さんかと思った…)
(2) この祭はヨーロッパ6大合唱祭の1つとされている有名なものである。(町内会の夏祭りかなと思ってた…)

 さらに、あとでネットで知ったこと。
(3) 祭の名はフロリレージュ国際合唱コンクールという。毎年この時期にトゥールで開かれる。東京から来たその合唱団の名はハルモニア・アンサンブル
(4) 広場で行なわれていた催しはいわば後夜祭で、本番のコンクールはその前に何日かに渡ってちゃんとしたホールで開催されていた。(たしかに予選本選をこんな小さな広場でするわけないな)
 そして
(5) 昼にあったコンクール本選で、この東京ハルモニア・アンサンブルがなんとグランプリを受賞していたのだった! 僕との会話の中では彼らは受賞のことはおくびにも出さなかった。なんと謙虚であることよ。なお本合唱祭の 40 回の歴史の中で、日本団体の出場は3回目、グランプリ受賞は2回目。おめでとうございます。

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 後夜祭のステージ上では米国カナダインドネシアなどなど、12 の国の合唱団が次々に登場し、民族音楽宗教曲、ジャズカントリー前衛など、まったくバラバラなジャンルの音楽をアカペラで奏でている。この自由さ、リラックス具合は後夜祭ならではなのだろう。トリで浴衣姿のハルモニアがステージに上がると、客席からひときわ大きな拍手が沸き起こる。1曲目は宗教曲だったが、2曲目で期待通り、日本風味の強い土着的な漁歌のような曲をやってくれた。涙腺のツボを押されるね。グランプリを穫っていたことをこの時に知っていたらもっと感動しただろうけど。
 同僚 B には悪かったが、ワインを飲みに行かなかったおかげで、この合唱祭や日本の合唱団の世界的活躍のことを知ることができて幸せになれた。自分はワインより音楽が好きなのだ。いや両方あればさらに幸せだけど。来年はこのコンクールを最初から注目していよう(たとえ日本人が出なくても)。

2011-05-28

原発は危険だ、と皆が知っていた

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 以前話題にした、私が中3の時に使っていた英語の教科書(1979 年、東京書籍)の本文最後のページ。昨年末に教科書図書館に行った際にひそかに撮影してきた。今日になって写真を見直してみて驚いた。この単元はとある地球型惑星が滅亡するという SF 短編小説なのだが、滅亡の原因はなんと原子力発電所による放射能汚染や爆発事故だったのである。以下私訳。

 「私たちにとって原子力エネルギーの平和利用は簡単でしたが、自然との闘いに直面するとは予想できませんでした。あまりに多くの原子力発電所を作り過ぎたため、空気と水は放射性物質まみれになってしまいました。ひどい事故が何度も起こりました。ほとんどの人は病気になりました。たった今もテレビで、私の町の近くの発電所でまた事故が起こったと言ってるわ。聴いて! あの大きな音が聞こえる? このまま電話を切らないでね。すぐ戻ってくるわ」

 しかし彼女は、二度と戻って来なかった。

 チェルノブイリスリーマイル島の事故よりも前の 70 年代当時ですら、原発には危険性がつきまとうという事実を一般国民の誰もが常識として持っていたことに改めて気付く。この頃はこんな内容が文部省検定を通ったということに時代の違いを感じる。近年はおそらく各方面からの圧力ゆえ、原子力に批判的な記述が教科書に載ることはまず無くなっているのではないか。
 それもあってかあらずか、私たちの多くは昔は認識していた原発の危険性をいつのまにか心の中から消し去っていた、もしくは封印していた。だから今になって「安全だと言ったじゃないか」と政府や電力会社を責める資格は自分にはないと思っている。

2011-05-26

津和のり子

D

 そんなわけで 1977 - 1978 頃の『夜のヒットスタジオ』のオープニングメドレー映像を見まくる日々である。なぜこんな高画質映像が今流通しているかというと、CS で再放送されているからなんですね。もっとも全ての回が再放送されるわけではないらしい。中島みゆき出演回(1977. 12. 26)の OP はいくら探しても見当たらない。あと、連続して見ていると当時人気のあった歌手(新御三家、高三トリオ、沢田、布施、五木、森、小柳、和田、...)がやたら頻繁に出てきて、さすがに飽きる。他局で『ザ・ベストテン』(1978〜)が生まれた目的にはそういう人気至上主義の当時の歌番組に一石を投じるという意図もあったのよね。

 それでも、その一方で珍しい歌手も見られるのが楽しい。例えばこの津和のり子という人を私は全く知らなかった。上は夜ヒット初にしておそらく唯一の登場回(1978. 6. 5)で『曼珠沙華』という曲を歌っている映像。 OP ではちゃんとにこやかにメドレーを歌ったり順ちゃんのイジリにお茶目に反応しているけど、歌唱を聴くと完全にアングラ文化の世界の人だな。芸能人離れした迫力あるルックス、往年のシャンソン歌手を思わせる声量、スタジオなのに地べたに座り込んでギターを弾き語るスタイルが強烈に印象に残る。まあこの人本人が、というより、夜ヒットというメジャー番組とアングラの歌手との異色の組み合わせが印象的だったと言うべきかもしれない。
 ネットでこの人の情報を探しても、その後の消息などわからなかった。YouTube で他の曲がいくつか聴ける程度だ。中でも『蛾』(1976) という歌が私の心にスーッと入ってきた。言語感覚が面白い。しっとりした情感あふれる音の流れが心地良い。「暗い」と言って毛嫌いするのはもったいないと思う。

2011-05-22

プロジェクト応募までの顛末

f:id:joe0212:20110509074331j:image:w360:right 締切の1ヶ月ほど前からひそかに応募のことを考えていた。今回は地域の自治体が運営する補助金で、国の補助金に比べたら額は小さいものの、3年間の研究には困らない予算がつく。所長や共同研究者 G、同僚 R と話しているうちに、このメンツで応募して当たれば皆にとって良いだろうという所長の提案があり、ちょうど良いので乗ることにした。とはいえ自分で書くからには自分のやりたいテーマで行きたい。が、同僚 R と話すうちに、自分の作るべき試料は彼の測定装置とは相容れないことがわかる。ベンチャー企業の G と話し合うも、早い話「額が小さすぎて興味がない」という意味のことを言われてやんわりと断られた。そういうわけで一旦は応募する気を失くした。

 その直後、グループリーダーから別のテーマで応募してみないかと勧められる。昨年から別口の予算で準備している研究テーマの一環となる。学内の締切まで2週間しかなかったが、共同研究者への打診はリーダーがしてくれ、彼らと会って打ち合わせるうちにだんだん面白いと思い、少なくとも最初のテーマよりは実現可能性が高いような気がしてきた。

 書類提出は2段階になっている。最初は研究の目的と社会的意義だけ作文した書類を出し、それによって1次審査が為される。1次を通った提案だけが、より詳細な研究計画を記した書類を提出して2次審査を受ける。合理的ですね。1次用の書類は短いとはいえ、全てフランス語で書かねばならない。頼りのリーダーが急用で何日か不在になったため同僚2名の助けを借り、最後は締切ギリギリになって仏文のチェックを自分では全くせず大学事務に提出。ところがパートナーとなる企業のトップのサインが必要だと判明する。急遽その企業に赴くも所長は留守。結局ある人がマネジメントしてくれて週末の間に所長のサインをもらうことができ、学内締切には遅れたが自治体の締切には無事間に合った。綱渡りの連続になってしまった。

 これだけ努力したのだから当たればいいなあと思う。異なるテーマに従事している研究者との橋渡しをしてくれたリーダーの働きがなかったら、応募は無理だっただろう。逆に考えると、日本にいた時にも、もっと積極的に異分野の研究者と会って話をするべきだったのだ。

2011-05-21

05/21 - 05/31 の記録

 5/31 (火):晴、7〜18℃、陽は暖かいが風は冷たい KKSにて共同研究者Dとリーダーと討論。溜めていた質問を全部吐き出していろいろクリアになった。職場へ移動してお買い物計画。
 5/30 (月):曇、10〜23℃ お買い物計画つづき。夕食後再出勤。昼食時に食べたSt Nectaire fermierというチーズがいまだにオフィスに臭気を残している。納豆に似た匂い。フランス人納豆わりと平気なんじゃないかな。
 5/29 (日):快晴、12〜27℃ 久々に電子工作。夕方、近くの広場でやっていた合唱祭を見る。日本からの出場グループがいて、声をかけて少し話す。
 5/28 (土):快晴、8〜22℃(いや25℃は行ってた) 急に体重が減ったせいか動くのが億劫だった。同僚Bから電話で頼まれて建物入構カードを貸す。夕方Petite Archeへ買い物に。帰りに市中心部でBからカードを返却される。
 5/27 (金):曇、7〜20℃、肌寒い 配管できて水を流すも流量計の1本から漏れ。未解決。リーダーとお買い物計画。帰って食事せず寝る。
 5/26 (木):曇、9〜19℃ お買い物計画。ルールがわからず戸惑いつつ。精神的に疲れる。再出勤なし。
 5/25 (水):快晴、12〜27℃ 装置選定つづき。月曜に依頼した部品が完成したので組み合わせ、追加工少々。共同研究者が秋に短期滞在する案が浮上し、対応。夕食後再出勤。ターゲット搬送棒の設計。
 5/24 (火):曇→晴、8〜22℃ 水系配管少々。入構カード更新手続き。リーダーから急かされて測定装置選定のための調査。退勤後、今日までだったのでStudio Cinémasにトラン・アン・ユン監督『ノルウェイの森』(2010) 観に行く。★★★★★ とても真面目に作られている。日本映画で手垢のついた演出とも、外国人監督にありがちな奇妙な日本の描写とも無縁である。それもあってストレートに胸に迫ってきた。
 5/23 (月):曇 ターゲット回転軸の設計と工作依頼(技術職員JP)。夕食後再出勤。光学系デザイン少々。
 5/22 (日):曇、9〜22℃ 外出せず。書類整理少々。髪を少し切る。
 5/21 (土):晴、13〜26℃ 主にYouTubeで昔の夜ヒットの映像を見て過ごす。夕方Petite Archeに買出し。外れかかった眼鏡のネジを眼鏡店で嵌めてもらう(無料)。

2011-05-20

『ひとこと言えば』岡崎ひとみ (1976)

D

 懐かしい!! これタイトルも歌手もずっとわからなかったんですよ。メロディーと断片的な歌詞だけ覚えている。映像中の会話によればこの子はドラマ『たぬき先生奮戦記』(1975-76, フジ)でデビューしたとのことで、なるほどだんだん思い出してきた。ドラマの中で歌唱シーンがあり、僕はそれを聴いて覚えたのだ。6/8 の軽いリズムと | Am Em | Em Am | で始まるしっとりしたコードとの組み合わせが印象的な佳曲。
 今日になって判明したきっかけはというと、最初クールファイブや佐良直美の歌の歌詞を調べていて、その流れで佐良直美の『夜のヒットスタジオ』出演映像を視聴したことだった。オープニングメドレーで佐良の歌うこの歌が思いがけず記憶の奥底に残っている歌だったので「おおお!」と歓声を上げた。タイトル・歌手が不明な歌について知るにはこんなふうに偶然に頼るしかない。その点、夜ヒットのオープニングメドレー映像は消えた歌や歌手の宝庫であり、幻の歌との再会を果たせる可能性が高いかも。

 それにしても、歌手が他の歌手の持ち歌を歌って紹介するというこのオープニングメドレーは、温かみを感じる企画だった。現在も活躍するような大歌手が、結局無名のまま表舞台から消えて行った新人歌手を親しげに紹介しているのを見ると、感慨深い。今の歌番組ではメドレーどころか、番組収録時に出演歌手が一堂に会さないことさえフツーだなんて、なんと味気ないんだろう。

2011-05-19

論文が公開されました [(Ba,Sr)(Ti,Zr)O3, PLD, IBAD]

Ion beam-assisted pulsed laser deposition of (Ba,Sr)(Ti,Zr)O3 films on Pt-Si substrates
J. Appl. Phys. 109, 104104 (2011)

 現在は仕事ページを別に持っていないため、仕事上の公式情報や近況も本ブログに書いてみる。
 先頃受理された自分の論文が web 上で公開された。概要だけは上記リンクからどなたでも見られるので、ご興味がありましたらどうぞ。J.Appl.Phys. 誌にアクセス権のある方は本文もよろしければぜひ。

2011-05-17

宇野誠一郎氏

 コドモの頃に親しんだ音楽は一生心の中に残るものだ。自分の場合、幼少の頃に見ていたアニメのテーマソングや BGM が長じてからも折に触れて脳裏で再生され、それらの多くはじつは宇野誠一郎氏の作曲だった。

 『ムーミン』(1970) はテーマ曲が特に有名だけれども、哀愁のある BGM の旋律が番組全体を忘れられないものにしていた。まあ幼稚園児だった初見時に BGM までそらんじたわけではなく 10 年くらい経って再放送で見て脳内に固定化されたのだけど。サントラが発売されないかなあといまだに夢想する。『小さなバイキングビッケ』(1974)、『一休さん』(1975) の BGM にも印象的なものが何曲もある。
 楽しい曲はカーニバルのような高揚感がはじける。しっとりした曲は優しく包みこむ。いずれもコードがとりわけ独創的。『ひょっこりひょうたん島』(1964) のイントロ、5小節すべてをメジャーコードで導入するのは斬新で、さぞ当時の人々を驚かせたと思う。『ネコジャラ市の 11 人』『山ねずみロッキーチャック』『悟空の大冒険』『ふしぎなメルモ』…みんな宇野誠一郎。あ、『ベルトクイズ Q&Q』もそうだったのか(いま Wikipedia で知った)。

 今の子供番組は云々などと言うつもりはないが、この人の 40 年前の仕事がその後の子供番組の劇伴に大きな影響を与えたのは間違いないのではないかな。ともあれ我々の世代の子供時代は、彼によってより情緒豊かなものになった。そのことを感謝したい。ありがとうございました。

D

2011-05-15

インポート

 MT 形式(txt 形式)の過去ログファイルで先述の2つの問題に取り組む。
 要は「&lt;」「&gt;」を「<」「>」に、文章区切りの「-----」を「◇ ◇ ◇」のような別の記号に一括置換すれば解決なのだが、MSWord 上で置換したらテキスト形式でセーブしても全くインポートできない。いろいろ試しては失敗し、一時は絶望的になってすべて手作業で修正することも考えた。しかし何のことはない、ふつうにテキストエディット(Mac 標準装備アプリ)で開いた状態で置換したら難なく事が運んだ(最初、テキストエディットで置換はできないと思い込んでいた)。無事、2003 〜 2010 年のログを正常な画像やリンクと共に新ブログで表示させることに成功。あ〜嬉しいあ〜嬉しい。

 残る一番の問題は、日付だ。MT 形式ログの中身を見ると記事の1件1件に年月日と時刻が付記されているが、これは実際にその記事を(最初に)作成した日付であって、さるさる日記上でその記事にラベルされた日付ではないのだ。私はよく旅日記などを後日に書き、それをあたかも旅行中に書いているかのように旅行当日の日付をつけて投稿したりしていた。インポート後はそれらがすべて実際の執筆日のところに並んでしまう。これは困る。世間はなかなか自由に生きさせてはくれないようで。よく他の人が旅行中などに「あとで編集します」と書いてとりあえず空白のエントリーを作成しているのはそのためか。
 幸い投稿後に日付を修正する機能はあるので、これは手作業でちまちま場所を移動している。ここでまた面倒なのが、日付の修正は記事単位でなく日単位でしか行なえないこと(はてなダイアリーだけそうなのかどうかは知らない)。つまり同じ日に投稿した複数の記事がことごとく日付修正されてしまう。たとえば月火水と3日間旅行して、各日につき1個ずつ計3個の記事を土曜日に一気に書いて投稿していたとしよう。新日記では3個の記事はすべて土曜の日付に現れる。これをそれぞれ月、火、水に1つずつ割り当てたければ、月曜の日付に月火水の3記事をコピーし、同様に火曜・水曜にもそれぞれ3記事をコピーし、そのうえで月曜の欄から火・水の記事を消去、火曜の欄から月・水の記事を消去、……という具合の手順を踏まなければならない。面倒この上ないけど他に方法はなさそう。

 実際の作成日を優先させるという方針は良いとしても、さるさる日記上での表題の日付が MT ログに全く残らないことはいささか意外だ。さるさる発足当時はそういうふうに建前上の日付と実際の作成日を使い分けていたが、ブログが発達するにつれ記事に2通りの日付を持たせるという概念は無くなっていったのかもしれない。夏休みの宿題の絵日記みたいに後から書くのはダメですよ、ということらしい。

2011-05-14

ブログの引っ越し

 8年半お世話になったさるさる日記が6月末に終了するのを受けて、新たなブログを開設せねばならなくなった。ついでに、さるさるを始める前に2年半ほど旧職場のサーバーで個人ページを作っていて、放置したまま残っているのだが、既にその職場を退いた以上いずれはそのページも終了させねばと思っている。
 これらの過去の記事にはそれなりに思い入れがあるので、新ブログには今までのさるさる及び個人ページに書いた内容も移植して、11 年間の自分史がこれ1つで振り返れるようなものを作りたい。ただ FC2 でやっているフランス関係のブログは独立して継続する。さるさるの方も終了前日の6月29日までは更新を続け、最終的なログや訪問人数などを記録して終わりたい。

 で、今日はブログサービスを選んで新規登録した。どのサービスも機能にはあまり差がないので、単にイメージや「他に誰がやっているか」といった観点から選ぶ。はてなダイアリーを選んだのは広告が無い点、デザインがゴテゴテしておらず見やすい点、普段見ている他の人のブログの印象、そしてさるさるからの引っ越しサポートを実施するという宣伝に乗せられたから(だがべつに旧さるさるユーザ限定の優遇措置などは無いと後で判明)。

 MT 形式でエクスポートしたさるさる日記のログを新はてな日記にインポートすれば簡単に引っ越しができる、というのでやってみたが、そうは簡単に行かなかった。
 とりあえず全過去ログのインポートをした。エクスポートと違い、3〜4時間かかったと思う。そうしてできた 2003 年以降のコンテンツを含んだ新日記を見てみたら、看過できない大問題が2点ある。

(1) タグの三角括弧
 さるさるの記事内で他のページや画像へのリンクを貼る時、自分で html タグを書いていたのだけど、そのタグに使う「<」や「>」の三角括弧が、MT 形式ログでは「&lt;」や「&gt;」といった記号に変化している。これをはてな日記にインポートしても、その変な記号のままで、当然リンクは機能しない。おかげで画像の全く無い殺風景なブログ画面になってしまった。

(2) 半角ハイフン5連
 自分はよく記事の中で、話を区切りたいときに「-----」と半角ハイフンを5個(以上)書いて罫線代わりにしていた。さて新ブログを見ると、5連続ハイフンおよび記事内のそれ以後の文章が表示されないという現象が起きている。原因を考えるに、MT 形式ログでは、1つのエントリーの始まりと終わりが半角ハイフン5個で示されている。ということは途中に「-----」が来ると記事の終わりと見なされてしまうらしい。

 いずれも全く予想していなかったことで「なんでじゃー」と逆上したくなるような事態であるが、多分しかるべき理由があってのことなのだろう。ともかくなんとか正確に情報を画面に反映させねばならない。とりあえず 2011 年の記事については1つ1つ手作業で編集して正常化した。その前の8年分まで手作業していたら気が遠くなるので、MT ログ上の該当箇所を Word などで一括置換するなどの方法を試しているが、未だにインポートまで成功していない。
 なんだかんだで本日は 2011 年と 2000 年の一部の記事のみ公開ということで。

レターサイズ


 友人 S 氏のブログで Power Point のページサイズについて語られていたのをきっかけに少し考えをめぐらせたり。
 米国で使われている一般的な書類サイズはいわゆるレターサイズ [Wikipedia] で、雑誌も多くがこの判型になっている。大きさは 11 in. × 8.5 in. ( in.:インチ) という少しずんぐりした形。A4 判と違って半分に切ったら元の相似形になるわけでもなし、なぜこんな半端な数字を採用したのかずっと前から不思議だった。一方 PowerPointデフォルトのページ設定が 10 in. × 7.5 in. であるのはまだ理解できる。10 はキリの良い数字だし、アスペクト比 4:3 はテレビ画面にも使われてきた単純な整数比だし。すると米国PowerPoint を使う人は通常 10 in. × 7.5 in. の領域に内容を書いて 11 in. x 8.5 in. の用紙に刷るんだね。
 …ここまで考えて気がついた。はじめに書類の有効サイズを 10 in. × 7.5 in. と決めて、次にその上下左右にそれぞれ幅 0.5 in. の余白を設けた結果、11 in. × 8.5 in. という用紙サイズが決まったのではないかと。真偽は知らない。あるいは米国ではそんなの常識だよと言われるかもしれないが、自分で発見して自分の中で腑に落ちたので満足。

 いつも仏語に辟易しているから、せめて英語が通用する国に住みたいと夢見たりもするけど、米国英国度量衡がヤード・ポンドだから困ってしまう。英語とメートル法が共に通用する国となると、インドあたりになるのか? 日本語とメートル法の通用する国に住めるのが一番便利には違いないな。

05/11 - 05/20 の予定と記録

 5/20 (金):晴、10〜24℃、蒸し暑い 冷却水系の流量計の設置。
 5/19 (木):晴、12〜25℃ 冷却水系+排気系配管(途中)。
 5/18 (水):快晴、12〜26℃、夏の陽気 技術職員JPに材木で台座を作ってもらい、学生の手を借りてチラーを移動。水配管準備。足りない部品を買いに退勤後L.M.へ(3日連続)。
 5/17 (火):快晴 出勤後、Atlantesの建材屋に初めて行ってみるも、めぼしいもの無し。光学系組む。退勤後またL.M.へ。夕食後再出勤。
 5/16 (月):快晴 朝、KKSで所長の署名入り書類を受け取り、8:30頃大学本部へ移動し提出。2週間かかりきりだったプロジェクトの応募がこれにて完了した。職場へ。これからしばらくものづくりモードに入る。Leroy Merlinトゥール南店に行き大学の金でパーツを買うも在庫切れ等のため予定の品すべては買えず。夕方、L.M.トゥール北店でさっき買えなかったパーツを自腹で買う。不本意だが。
 5/15 (日):晴→曇、7〜17℃ 掃除。髪を少し切る。新ブログへの旧ログインポート作業。午後、職場へ。実家にスカイプ。さして仕事せず。
 5/14 (土):晴、7〜17℃ 新ブログ登録・整備作業。普段に増してPCから離れない引きこもり状態に。夕方ようやく外出してPetite Archeに買出し。夕食:酸辣湯。

(表形式のテスト)


天気気温(℃)行動
13快晴9〜21℃(かそれ以上)プロジェクト応募書類提出するも不備があり提出完了は月曜に持ち越される。とりあえず内容については忘れて週末モードに。夕食:鮭と野菜の味噌汁
12快晴12〜23℃くらい応募書類書き。自分が英語で書き、ルーマニア人同僚Bが仏語に訳し、仏人同僚Aがこなれた仏語に書き直す。同僚2名によって大幅に文章が改訂され、内容に少し不安が。でも3名で侃々諤々しながら文章を仕上げて行くのは楽しかった。夕方に仮案が完成し、リーダーに送信。疲れた。帰って食事して寝る。
1112~22体調は復活した。応募書類書き。自分は英語で書いて同僚Bに仏語訳を頼む。共同研究者による記入ページが手元に揃う。もう少しだ。でも相談すべきリーダーが家庭の事情で急遽パリへ旅立ったり、波乱含み。

 文字数の多少に応じてバランスよくコラム幅が自動調整されれば(あるいはせめて手動で設定できれば)よいのだが、等幅にしかできないようだ。残念。

2011-05-03

ジーンズ


 何故かこの国では、前がファスナー式のジーンズはほとんど売られていない。それがイヤで今まで買わないで来たが、ついに初めてボタン式のジーンズを購入。用を足すときにいちいち複数のボタンを外したり嵌めたりするのが煩わしい。まあ郷に入っては郷に従いますけどね。あまり切羽詰まってトイレに駆け込むことのないようにしなければ。

2011-05-02

高級コンデジ


f:id:joe0212:20110501184410j:image:w350:leftf:id:joe0212:20110501183819j:image:w350:leftf:id:joe0212:20110501181130j:image:w350:left 当地に来てほどなく買った安デジカメは、残念ながら昨年 11 月にグルノーブルに行った時に失くしてしまった。3年使ったからまあいいやと諦めた。以後、写真を撮りたいときは携帯電話のカメラでごまかしてきたけれど、気候も良くなったことだしそろそろ本当のカメラが欲しくなってきた。近頃は人のブログを見ていて鮮明な写真が載っていると「どんなカメラを使っているのだろう」と気になる。たぶん安デジカメではなく、マニュアルで絞りやシャッタースピードが設定できて、レンズ交換も可能な、観光客が首からベルトで下げているようなやつだろう。世の中では最早それが一般的かもしれない。自分はそんな高級機は持った事がないけど、どうせ買うなら今度は画質のイイやつが欲しい。かといってかさばるのはちょっと…。
 と思って店頭を眺めていて目を引いたのが、2月に発売されたばかりの OLYMPUS XZ-1 だった。コンパクトデジカメなみのボディだが高級機なみの価格。さぞ高機能なのだろう。帰ってネットで情報を拾ってみる。レンズが明るいのが売りらしい。利用者の評判も良い。エイヤッと買ってしまった。
 ここに載せたのは今日の散歩中に撮ってみたショット。カメラには詳しくないので上手い表現ができないけど、たしかに嬉しくなるくらい鮮明な絵が撮れる。前のコンデジの写真とは明確に違う。3枚目のはアートモードの「ドラマチックトーン」を使って撮ってみた。うはは、映画のポスターみたい。僕はこういう嵐の前のような空模様が好きなんですよ。といっても現実を表していないし、このモードは実際あまり使うことはないかな。
 まだ機能を十分使いこなしていないので、今後練習したい。

2011-05-01

05/01 - 05/10 の記録


 5/10 (火):曇 少し体調が悪い。身体の節々が軋む。週末に自転車に乗りまくったことによる筋肉痛かと思ったが、風邪の症状だったようだ。書類書き。帰って早めに寝る。
 5/9 (月):晴、13〜24℃ 応募準備。書類原案第1稿を共同研究者に配布。夕食:牛トマトスープ。さるさる日記が6月末に停止する旨通知され、一瞬パニックになる。でもMT形式で過去ログをエクスポートする作業は意外に簡単で、8年分の自分の日記が10秒ほどでバックアップできた。なんだか気抜けした。近いうちに別のブログを始めざるを得ないが、さるさるの日記も終了前日までは更新を続けようと思う。
 5/8 (日):快晴、半袖で行動 RER Bに自転車を積んでパリ郊外のメゾン・ド・フジタへ。昼過ぎにパリへ戻る。時間を持て余し、カルチェラタンなどうろつく。夜10時半頃トゥールに戻る。
 5/7 (土):快晴、26.5℃(街角の温度計による) 1泊でパリへ遊びに行く。運良く宿に午前中からチェックインできた。予約した貸自転車を借り、オペラ界隈、ポンピドゥーセンター。一旦宿で汗を流し、友人宅にお邪魔して夕食を御馳走になる。
 5/6 (金):プロジェクト応募書類英語下書き。
 5/5 (木):快晴、9〜22℃(いや夏のように暑かったが) プロジェクト申請準備。KKSにて共同研究者になりそうな人と打ち合わせ。なんとか形になってきて、行けそうな気がする。
 5/4 (水):快晴、7〜21℃ 終日プロジェクト申請準備。案の断片を紙にメモして、それらを切り貼りしてまとまった形にする。
 5/3 (火):曇時々晴、7〜18℃? ワイヤボンダ納品に当たり使い方の説明を受ける。あとはプロジェクト準備。リーダーと打ち合わせ。どんどんずれて行く。夕食は冷蔵庫に十分な食料がないので町のケバブ屋で。そのまま帰らず再び職場へ。
 5/2 (月):曇一時雨、9〜22℃ プロジェクト関係。リーダーと打ち合わせ、次いで共同研究者になりそうな化学の先生の研究室に出かけて打ち合わせ。話が当初の予定からどんどんずれて行く。
 5/1 (日):曇→晴、12〜20℃ 花粉症か、動くのがしんどい。夕方1時間余り散歩。