視聴率を考える (3)  − PID による番組評価の提案 −

 突然だけど、「幸せって何?」と考えた時に、幸せとは現状の満足度だけではなくて、満ち足りた時間がどれだけ長く続いたかとか、過去から現在に至るまで満足度がどのくらい増加したかにも関係するよね…とつねづね思っている。制御工学で言う P(proportional: 比例)、I(integral: 積分)、D(differential: 微分)の3要素が関係すると言ってもいい。最近自分が PID に凝り始めたきっかけはたぶん、戦国時代に日本統一を果たした信長・秀吉・家康の3武将がそれぞれ D、P、I 的な役割を担当した、という工学者 大前力氏の文章を読んで面白いと思ったことだった。幸福論についてはまた回を改めて書くことにするが、こういう考え方は物事の評価全般に当てはまるかもしれない。(制御と評価は違う種類の作業だけれども)

 以前から興味を持っている「テレビ番組の評価」について無理矢理 PID の考え方を適用させてみようというのが今回の主旨。いまのテレビ番組の評価基準にはもっぱら番組平均視聴率が使われている。スポンサーにとっては番組視聴率が高ければ自社の CM がたくさん視聴者に見られたことになるからそれでいいのだが、結果、視聴率至上主義が刹那的で質の低い番組の氾濫を生み、長期的には視聴者離れを引き起こし、テレビ界の先行きを危うくしていることが以前から指摘されている。平均視聴率だけの番組評価はもはや限界に来ている。新たな評価基準を導入すべきだ。そこで PID を使ってみたい。

 番組平均視聴率(例えば1時間番組なら1時間の視聴率の平均)は時間経過の概念を持たないので、P を表わす量と考えられる。これに加えて、D に関わる量を設定するとしたら何だろうか。番組時間内での事象で考えれば、視聴率の時間変化(時間微分)だろう。たとえば1時間の番組中ずっと 20% の世帯が番組を見ていれば、視聴率の時間変化は下図中央のように平坦なグラフになる。いっぽう下図左のグラフは、番組開始時には 40 % の視聴率があったものの、時間とともに視聴者が愛想を尽かして離れて行き、番組終了時には誰も見ていなかったという極端なケース。右図は逆で、時間とともに視聴者が続々と食いついて視聴率が最終的に 40 % まで上がるケース。明らかに、右に行くほど高い評価を受けるべきだといえる。しかるに現行の方式では3ケースとも「視聴率 20 %」という同じ評価をもらってしまうのである。視聴率の時間微分を考えれば、左のケースはマイナス、右のケースはプラスの評価点がつく。

 さらに I に関わる量。これも番組時間内の事象について考えれば、視聴率の時間積分、つまり「平均視聴率」×「番組時間」と考えられる。なんだ、これ 11 年前に書いていたことだったわ。要するに、視聴者を長時間テレビに釘付けにするのはそれだけすごい番組だ、という仮説。いまの方式は視聴率が同じなら1時間番組も2時間番組も同じ評価しか受けないが、長時間の番組はそれだけ高い評価点を加算されるべきだ。

 もっとも私はテレビ・広告業界の内幕に詳しい訳ではないので、上に書いたような事はじつは業界ではとっくに考慮されているかもしれない。ただそうだとしても我々の目に触れる評価は相変わらず視聴率のみであるのは確か。ビデオリサーチでもテレビ番組表雑誌でもいい、何らかの媒体でこういう丁寧な番組評価をやってくれないだろうか。工学の PID 制御と同様、テレビ番組の PID 評価にも、P、I、D それぞれの要素にどのように重み付けするかが鍵になる。いくつかの雑誌でそれぞれが独自の重み付けを採用して、異なるランキングを公開するのも面白い(『ザ・ベストテン』と『ザ・トップテン』みたいに)。

 これだけで番組の評価が完全にできるとは思っていない。できれば視聴者がビデオで録画したものを何回再生したかまでカウントしてほしいし、連続ものであれば回を追うごとの視聴率の変遷なども判断材料になりうる。以上はあくまで視聴者にとっての番組の価値を評価するもので、もちろん CM が大衆にどの程度視聴されたかの指標にはならない。高評価を受けた番組のスポンサーにメリットが生じるような仕組みを考える必要がある。ランキング表には番組名と共にスポンサー名をすべて併記するとか…。スポンサーのほうも「CM が何人の視聴者に見られたか」という量的視点だけではなく「CM がどれだけ好意的に見られたか」といった質的な視点を持ったほうが結果的に有益なのでは。