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あうとわ〜ど・ばうんど

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2011-06-29-Wed

エリック・ドルフィー没後47年

さて。生誕83年の20日から続けてきたドルフィー特集も、本日、没後47年の命日をもって終わる。最近放置しがちだったブログを10日連続で更新したのも久しぶりだが、すべてドルフィー・ネタで、というのは、かつても一度もやらなかったことである。特に目新しいことを書いたわけでないけれど、自分にとってドルフィーが、やっぱり特別な存在であることを再確認する、いい機会だった。

Complete Last Recordings in Hilversum & Paris 1964

Complete Last Recordings in Hilversum & Paris 1964

エリック・アラン・ドルフィー・ジュニア最後の一カ月の歩みは今こうして一つのアルバムにまとめられている。かつて私は、1964年6月2日の「Last Date」でのドルフィーの演奏について、それまでとは違うものを感じ、死が迫りくる状況の中、よほど体調が悪かったのか、と思っていた。しかし、こうして4つのセッションを聴く限りでは、その考えは間違っていたようである。

5月28日のケニー・ドリューらとのパリ・セッションでは従来のような流麗なフレージングが随所に聴かれ、6月11日のドナルド・バードやネイサン・デイヴィスらとのやはりパリ・セッションでも所々2日の演奏のような部分を残しながらも、基本的にはやはり元に戻ってしまっている。「Last Date」だけが別様相を見せている。

6月1日のリハーサル(?)を経て、2日のミシャ・メンゲルベルクやハン・ベニンクらとのセッションで、次代を担う(ことを歴史が証明する)オランダの若き才能たちに触発され、化学反応が起こったのだと考えたい。もはや黒人バッパーたちとのセッションでは新しいものが生まれなかったのだ。

ドルフィーは、特にミシャを『ミーシュ』と呼んで気に入り、その後に予定されていたコペンハーゲンのカフェ・モンマルトル出演には、このトリオと共演するつもりで打ち合わせていたそうである。このグループがドルフィーの『ヨーロピアン・カルテット』としてその後も活動を続けていたら・・・・・・ジャズ史上の痛恨事の一つだろう。

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