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2016年12月17日

ハマること&本当に自分がしたいことをする。。。!

君の名は』を観て数週間たったある日、子供たちとYOU TUBEで動画を見てたら、
君の名は」の主題歌を替え歌にしているのがあるのを知って、
子供たちと替え歌を歌っては、げらげら笑って楽しんでいた。


そこにまた、『君の名は』じゃなく「オタの名は」なんていう動画を見つけて、なんじゃこりゃっ?て
最初見ていたのだけれど、いつの間にかその動画に

ク・ギ・ヅ・ケ!
https://www.youtube.com/watch?v=_1NFU6vtl-o
気が付いたら、夜中2時近くになるまでその動画にハマってた。

一つのことから、全く違う世界にどんどんハマる。
なんでハマったのかって考えてみたら、踊るのが好きだった自分がいたことを思い出した!

BREAK DANCE

高校時代にそういえば流行ってた。
中学・高校と体操部だったけれど、自由に体を動かして”踊る”ことは考えもつかなかったあのころ。

高校を出て、親元を離れて、校内で月一くらいにパーティーがあって、そこで初めて自由に踊ることに開放感を覚えた。
ワーホリでカナダのBANFFへ行ったときは、毎晩クラブで踊って、踊って、踊る♪


自由に踊ること
子供が生まれる前に、カンティーフェアの最終日にダンスパーティーがあって、そこで踊ったのがたぶん最後。
それから子供が生まれてからは、マクロでカチコチ頭の時代に突入してた私。

今年の冬になって、ひょんなことから奈良を旅することになった。”飛鳥”ASUKAの言葉の響きに惹きつけられる自分がいた。
それは、このあと、空港の出発ロビーの本屋でなぜ?の答えがやってくるのだけれど。

いままで奈良は行ったことがなかった。シカと大仏と法隆寺しかイメージの中にはなかったけれど、ご縁ができた宿は生駒市。
宿に着いたのは夜10時過ぎで、長距離の運転で私も子供たちも疲れてその日はすぐにGo to bed..
広くてシンプルな空間に、壁にはトトロの絵。
居心地が良くて、ふかふかのベッドに私も子供たちもあっという間に眠りの中へ。

翌朝、窓のカーテンを開けると、親しみの湧く風情のある景色に朝からとても心が落ち着いた。
景色が気に入ったことを宿の方に話すと、ここはお水もきれいなんですと言われて、水の神様に呼ばれたのかなって、とっさに思った。
山梨を出るときに、水の女神さまがいそうな湧水へ向かい、その湧き水をボトルに詰めた。そして車もその水で清めたくなって。お水の神様ご縁をありがとう。

朝食の後もゆっくりとおしゃべりを楽しむ。
「今日は生駒山のお寺さんで大根炊きがあるんです」という言葉に
子供たちは歩くのが好きだし朝から生駒山へ登ることになった。

どんな山なのか見当がつかなかったけれど、何かのご縁と歩きはじめて、
宿から10分もしない辺りから高松の金毘羅さんのような階段が現れて、
数年前に登った金毘羅さんを懐かしく思いながら登り、そして、子供たちはさっさと先を登ってく。

境内を通り生駒山をもう少し登っていくと、眼下に見えたのは
君の名は』に出てきた鳥居のある神社のお祭りの景色。

映画を見てから、あの景色に行ってみたい!
と心の中で思っていたことがここで叶った気がした。
私にとって生駒山から見下ろした景色は『君の名は』のあの景色。

奈良を旅して、家路についた私。
奈良は過去の自分の思いへの終止符を打つための旅だったんだ。
君の名は』のラストシーンで、心にこみあげてきた感情は
別れた旦那さんに繋がる気がしていたから。


そして、奈良へ行ったばかりだというのに、数日後には沖縄へ飛んでいた私たち。
沖縄へ行くなんて、金銭的余裕はなかったけれど、背中を押してくれるものがいくつもあったから。
お金がないことへの不安や、困惑よりも、自分を信じることの方が大切なんだな。

自分の深い気持ちに素直に行動すること

沖縄に行くの?って何度も自問自答して、最後に

”迷っている暇はない。”
”あなたがやりたいと思って、今まであきらめていたことは何?”

って問いがやってきて。
そして、お金はちゃんと確保でき、帰ってきて思うことは、やっぱり行って良かった。
”扉が開くよ”
そんなメッセージもあって、本当にこれまでの自分の心境とは打って変わった。

でも、沖縄に着いたはじめの数日は”誰かのために”行動しようとしている自分がいて、その数日はとてもどんよりとして、何か間違えている感じだった。
その晩じっくり自分と対話


”わたしが心から楽しめることを選ぶ”


子供が生まれてから、子供の気持ち優先で走ってきた私。
翌朝から、”自分の心が楽しめること”を大切にしようと動いてみた。そうしたら心が透き通る感覚がやってきて、目の前にはハワイでも見たことがないくらいの、とっても分厚い虹が現れ、やんばるの森が歓迎してくれてる気がした。

やんばるの森の自然の中で遊び、今まで忘れてた”素直な自分の気持ち”を思い出した。

山梨へあと2日で戻るという日になり、これまでいろんなところを旅してきた私がはじめて、どこにいても心地いいって思える場所に遭遇もした。

沖縄の旅は、私の未来への一歩がはじまった感じ。
山梨へ帰ってみると、周りの目は冷ややかなままだったけれど、私のハートにはすごい変化が起きていた。

長旅で疲れているというのにも関わらず、翌朝から自分の心に浮かぶものをどんどん実行して、形にしていた。
ハートの奥に熱い何かが常にある。

これまで、何をするにも心と頭と体が重くて、それを何とか持ち上げて日々を送っていたというのに。。。


”自分の思いに素直に動くことは自分の心と体にとても大切なこと”


沖縄へ行ってそれを身をもって体験した。
自分が思い描くことを日々実行することが楽しくなって、達成感や心地よさを感じることが増えて、
毎日、整理と創造と新しい形が心地よいものとなって、新しい自分の心地いい時間を生み出していってる。


最近、いや、もうだいぶ前から
サグラダ・ファミリアへ行きたいってどこかに感じてた。建築家の父から小さい頃いろんなものを吸収していたからなんだろうなって、なんとなく思っていたけれど。
あれから、空間に対していろんな発想が湧いて、体と手が動いていく。
自然なエネルギーの中で建築をつくっていたガウディー。ガウディーに会いたいんだ。

沖縄から帰ってきて、作りかけの家やトレーラハウスに、毎日どこかしらに気持ちがハマって楽しんでる自分。
沖縄へ行くまでは、心の中から全く楽しめてなかったのに、空間を自分なりに作っていくことに楽しさを感じて、ワクワクと達成感がやってきた。自分は建築家の元に生まれたんだと心と魂の中心にそれをやっと感じとれた。

その週末、数にまつわる本を探しに図書館へ足を運ぶ。そこで検索して手に取った本を開くと、なぜか冒頭からバルセロナのことが書かれている。
その言葉の在り方は、全く私には理解しづらいものなんだけれど、その本が伝えたいことを読み解きたい気持ちが勝って、夜な夜な読んでる。

バルセロナ、秘数3 (中公文庫)

バルセロナ、秘数3 (中公文庫)

バルセロナに住む人々の在り方は、私の周りにいるようなパリ的な人たちとは違う。人間的で、大地の上に生きてる感じが伝わってくる。私の感覚に近いものがある気がして、、だからバロセロナに今は興味津々。

そして、最近いくら見ても見飽きない。笑っちゃうほどに大好きな、R.A.B。

オタクなんてー!!

って、いつの間にかハマってたR.A.B。
BREAK DANCEもやってみたい!

ピカソのアートやガウディーの建築のある場所へ、こどもたちと訪れてみたい。
生身の人間から沸き起こるアートは心を熱くする。
R.A.Bのパフォーマンスをバルセロナ見られたら最高ー!そんな日が来ますように!
https://www.youtube.com/watch?v=E2djlWdyxz0

2016年11月20日 自分を恐れず

周りの目は冷ややかだとしても、自分の感情に素直に付き合うことは自分の過去の思いを知ることになって、
心の暗い部分と付き合いきったら、次に見えてきたのは、

自分を大切にしたい。自分の時間を大切にしたい。

そうゆう思いだった。

なんでそんな過去のことを今さら!なんで、そんな感情に戻らなくちゃいけないの?

そう思って過ごしていた時期は、もう、どん底の気分だったけれど
自分の過去の思いにしっかり心を向けて付き合えたことは
表面的に自分を何とかしようとするのが性に合っていない性分だったからっていうのもあると思うけれど

私だけにとどまらず、私に繋がっていたものたちの感情や背景をも知ることになって
そうやって自分をようやく理解できた

そうかそうゆうことか!って腑に落ちた秋

それからは

『私』

を楽しむ!にフォーカスしたくなって、自分の心が向かう方へ。

気になっていたアート

HIDEKI IINUNAの彫刻・Fighting The Goddesses

http://www.hidekiiinuma.com/

落ち葉舞う秋の松本へ足を向けてた。

彼の彫刻はとてもセクシーで、どの作品からも目が離せなかった。
それは忘れかけてた”女”を
私にとてつもないPassionを送られた気分。


秋空の中、市内を散策して今の自分にフィットしそうなカフェを見つけた。

古い街並みの通りにあって、木製の階段を上っていくと、落ち着いた空間と奥に本棚が見えた。

クコの実入りのチャイを頼んで
奥の本棚の中に気になる本。そこに自然と手が伸びて、

「呼吸一つで生き方が変わる」

そこでおもむろに、カフェでひとり姿勢を改め深い呼吸をはじめたのでした(笑)


その翌日、知人に誘われてお話し会に赴いてみると、もうどうにもならないだろうと半ばあきらめていたことが

するっとほどけていったり。

今まで、心を向けたくなかった人にさらっと心を向けられたり。

今朝は急に、たくさんのお野菜がやってきた。


呼吸一つで、自分の心の中身が変わったようで、それがなんだか周りにも影響しているようで。

本屋さんで”今の自分が浸りたい本”を探してみたら

ちょうど今の私そのもの!

ニーチェが京都にやってきて・・・』
原田まりる 著




知人が私に「今の君はキケンだ」そう言ってきたけれど、私は自分に正直に生きたいの。

何かを恐れて自分に向き合わないのは、私はこれからの私を充分に楽しめないだろうから。

あと半世紀、自分を存分に楽しむの♪周りの目を気にしていたら、何もしないで時間だけが過ぎて終わるだろうから。


自分の思いに繋がるように、私が動くことでしか私は満足できないのだから、できることやっていこうっと。


........ニーチェの言葉........

・祝福できないならば呪うことを学べ

・情熱をもって生きないと、自分の世界は妬みに支配されてしまう

2016年11月02日 Before The Flood

レオナルド・ディカプリオって好きじゃない

レオナルド・ディカプリオって俳優として、好きじゃない。
頑張って大人になろうとしてる気がして。

でも、そんなことどうでもいいや。

元旦那から面会交流したいって家裁へ呼ばれたけど
2か月経つのに子供に会おうという意識は見えてこない
息子に渡した携帯にも何年も電話はかかってこない
会いたいっていう割に、話は進まず、、


もっと素直に生きられないのかな?

素直に生きたらもっと楽だろうにって思う



レオナルド・デイカプリオは、自分のハートのままに
世界を2年かけて旅して、
美しく、そして分かりやすく映像にしたんだと思う


自分が納得したいから。たぶん。

Before The Flood
http://www.ngcjapan.com/tv/lineup/prgmtop/index/prgm_cd/2058

2016年10月31日 まだまだハロウィーン

去年ハワイから帰ったらハロウィンだった

人生に理由付けはいらない

コロンブスが「いやーでもさ、海が荒れたらどうしよう?、食べ物がなくなるかもしれないじゃないか!何もないよたぶん、、今で充分じゃない、誰かが待ってるの?」

旦那が帰ってこないからって、3か月もハワイへ行っちゃうなんて、ばかじゃない?
被災地支援へっ行って、そのままあれがるからこれがどうのと言って帰らない旦那を待ってるくらいなら、
自分の人生をエンジョイしたい、そう思ったらどんどん体が動いて行った

もしも、心の思いを図るモノサシがあったら。heat hart of degreeとか?

heat hart degree 私はそれを重視して生きたんだ

そうだったんだ。

昨日ある人から、”何かのついでにこちらへ?”
そう問いかけられて、その問いにすぐには答えられなかった。
でもその問いがあったから、自分が歩いてきた道のりを
やっと心から認めて、自分を認めることと繋がった。

授業の中では、
理由付けと他より、より良く生きるための何かを学んでる
高校を卒業した時の自分の中で、それは、明確じゃなかったけれど、

そのまま、また学問を学びたいという気持ちにならなかった私の選択は、そのあと最高な時間が待ってた。

でもいつの間にか、自分の在り方への冷たい風が私の体を凍らせて、こどもたちが育っているのにもかかわらず、何もできなくなっていく自分をいつの間にか卑下し、自分で自分をナナメに見はじめている、そんな自分がいた。
でも、そんな自分にも気が付かなかったんだ。

神の子はあなたが産んだのだよ

そう言われて泣いた。すべてOKって言ったばかりなのに、まだ自分に覆いかぶさってる幕を知ることは自分ではできなかった。

自分を誇りに思うことを受け入れていなかった。

子宮という地球から、タイムスリップしたり、ぐるぐる回ったり、その子の方法で、ビックバンが起こってやってきた我が子

heat hart of degree

自分がこれだって思うものを、自分でアプローチしなきゃ、
まだそこが足りないって思ってる自分がいたら
誰もそのことを望んでいないかもしれないけれど
私の意識がそこへ向いたことと、自分がアプローチしたいことを、私が繋げる努力をしないと

私が満足しないで終わるんだ

何も繋がる保証はないけれど、会うことを楽しみにしてますって言ってくれる人がいることにも胸が熱くなるし
今日は理由付けより 自分の思いと何かを繋げるコロンブスになって出掛けます

まだまだハロウィーン
自分を可愛く生きよう

2016年10月27日

過去の記憶は危険信号として大脳に残り、フラッシュバックされる

”7歳と44歳の時に何か心に深く残る出来事がありましたね”
今年の9月にキネシオロジー*1のセッションを受けてそう言われたとき、そのとき7歳の自分に何が起こっていたのか、何も思い出すことができなかった。

先週の日曜日、横浜でNVC*2ワークショップを受けて
キネシオロジーで言われていた7歳のころの出来事が何だったのか、それがはっきりと分かった。

小学校に入って入間に引っ越し、同じ団地に住む友達兄弟と、コンクリートで囲った花壇の淵の上を走って遊んでいた。
私は足を踏み外して、コンクリートにお腹をぶつけてしばらく動けなかった。でも、そうゆうとき、なぜか自分の体が苦しいということを周りに言うことができなかった。
すぐ近くに姉はいたけれど、私の様子を遠めに見ているだけ。

声をかけることも手を差し伸べることもなかった。

その時の記憶。それが7歳の記憶。


同じような体験をしたことがあったのは、飛騨で木工の勉強をして材料部でお手伝いをしていた時のこと。
大きな材を人工乾燥機に入れる作業をしていて、自分の足を滑らせて材の上に落ち、お腹を思いっきりぶつけたことがあった。でも、その頃の私は、自分の身に起きたことや失敗を、周囲の人にに気づかれないように、何食わぬ顔をしてしまう癖があった。私の人生の中で、一番信頼していた彼氏にも言うことがなかった。

そのときの体は、過去の記憶をフラッシュバックさせていたのかもしれないけれど、自分の内面に気づく自分はまだいなかった。それから私は、カナダへ初めての旅に出た。それは、自分探しの旅のはじまりだったのだろうけれど、それさえも明確じゃなくて、行く先々でいつも違和感を感じながら、旅を続けていた。

私が生まれて育っていく中で、身近な家族から気を止めてもらう経験が少なかったことが、自分と他人を身近に感じることができずに壁を作り、そしてそれを隠すように振舞ってきたんだと思う。
NVCのワークから、自分の過去の記憶と、今の自分が苦手とする理由の、こんがらがっていた糸がほどけていくように理解できた。

赤ちゃんは4か月で自分とお母さんの関係から、筋肉や心の動く範囲が決まる


それはその子の心や体の発育に大きく影響を与える

結婚してから、母が私の赤ん坊のころの話を何度かしてきたことがある。
歩行器で何度も転んで失神っを起こして、、何度も転んでこんな風に失神して、と言って母はその時の私の失神した様子を楽しそうにやって見せていた。

その母の話し方から、母の母性を感じることがなかった。母はひっくり返ることが分かっていながら、その環境を変えることがなかったんだろうと私は感じた。そして、母は子供たちが1歳になる前の段階で、表情豊かに接していなかったことは私や兄弟の表情のなさに表れているし、愛情を与えてこなかったということは自分のことを振り返れば察しがつく。

家族に対して手を差し伸べる親の姿を見たことがない姉は、同じように手を差し伸べられる人間にはならなかった。
それが彼女の人生で当たり前だから、近くで苦しい思いをしているのを知っていても、手を差し伸べることがないのだと、40を過ぎてやっと理解した。彼らに感じていた”はてな”が解けた。

AIR STREAMに気持ちが向かない


今年の夏、本格的にAIR STREAMの内装工事をはじめて、家に散在している材料を整理していきながら、使えるものを使ってAIR STREAMの1/3の形を整えることができた。

でもそこから先にすすめない自分がいる。
もういいかなって。時間の経過の中で誰かがやるかもしれない、くらいに気持ちが遠のいていて、ただ家から眺めていた。AIR STREAMの改装は停まってしまった。


それはたぶん、幼稚園から高校までの女の子を満喫できた時期、青春の時期を、私はこらえるばかりの時間を過ごしてきてしまったから。
私の最初の社会との接点は、武蔵野音大付属第二幼稚園だった。
毎日がピリピリしていて、担任の先生が穏やかに笑っていたという記憶が私にはない。お弁当の時間はみな押し黙ったままで、今思えば、どこにも子供の心が穏やかに解放できる場がなくて、何かをやらされて毎日が終わる。そんな感じだった。だから、自分に子供が生まれたとき、私の体はそういったシステム的な保育機関を排除したがったんだと思う。

”柔軟でありたい”

その思いがとても強かった。父は大学教授だったけれど、教会員でもあるのに暴力を働いて、人間として尊敬できずにいた私だから、教育者をあまりいい目で見てこれなかったのだとも、今思う。

AIR STREAMの内装をはじめて少し形になったところで、もうこれ以上、女として過ごしていたい時間を削られたくない、体がそう感じていた。前に進むことに楽しさを感じられなくなってしまった。

でもそれは結局のところ、自分で自分を満たすことに、自分で区切りをつけずにいるから、苦しいのかもしれない。

誰かが近くにいることに違和感のような、不安がある


ごちゃごちゃしていることに嫌気もさして、そしてやっと、AIR STREAMを整理しはじめたのだけれど、誰かに手伝いを頼みたい気持ちはあっても、誰かが近くにいることに違和感のような、気恥ずかしさを感じる自分がいた。
それがどこから来るのかも、今回のNVCのワークでわかった。

生まれて数か月から、高校卒業後の親元を離れるまで、いつもどこかに疎外感を感じていた私の体。
NVCでサラ・ペイトンに抱きしめられて、初めて心の底から涙が出て、体の痛みが消えた気がした。

アルバムのどの写真を見ても心から笑っている私がいなかったのは、両親や兄弟の間に肌で暖かさを感じる時間がなかったから。母より、暴力をふるっていた父を責めないのは、小さい頃、車の中で私が眠ってしまうと、父がいつも私を両手で抱いて部屋まで運んでくれたから。抱っこされたことに気が付いても、寝たふりをしていた私は、そこに人肌を感じたかったからなんだと思う。

これまで、自分はシャイな性格なのだと思って生きてきたけれど、違う。私の幼少期はユーモアがいっぱいあった。想像力も。でも、創ったものは翌日にはどこにもなかった。そのときはがっかりしても、すぐに忘れていた気がする。小学校の時は泣き寝入りをすることが多かったし、私が私を存分に楽しむ時間がこの家にはなかったんだと、今気が付いた。


自分と自分以外に、深い崖のような隔たりが自分の周りに出来ていることも、そんな感覚が自分にあることさえも、今まできちんと認識していなかった。

兄弟たちは、家族なのに、家族ではなかった。家で生活しているけれど、繋がりというものがなかった。

体に痛みを感じていても、心に痛みを感じていても、母が父が兄弟が手を差しのべた記憶は私にはなかった。
どんなに苦しくても、どんなに悲しくても、ひとりでこらえるしかない、そうゆう家族の中にいた。
高校を卒業して親元を離れてからの人生は、愛されることが毎日あって、本当に薔薇色の時間だった。その理由を当時の私は全く理解していなかったから、私を深く愛してくれる人の気持ちを、充分には受け取ることができなかったんだということも、今は受け入れられる。

親が愛情を注げない理由


その原因は、親自身の人生で家族や身近な人を亡くしたり、不安定な環境や未熟な理解のために、産まれてこなかった者への自分の心の整理をつけないまま私達が生まれてきたからということが言えるよう。
親やパートナーが素直な心になれないでいるのは、戦争が起因しているんじゃないか。色々整理していく中でそう思い当った。そして、それはNVCのワークショップでも行きついたことだった。

父や母が戦争前後に、愛情を充分にもらう代わりに、寂しさや差別的なことを受けていたことが、体や心の記憶に未だに残っていて、それを水に流すことができないでいるから、身近なものへ自分がされてきたことをしてしまうのだ。

私の両親はこちらを見ることも、愛情を注ぐこともできず、教会という括りの中で自分は守られていると、今でも何かからか自分を守るために通っているのかもしれない。

なんで気づいてくれない?
自分を見つめようとしない?


親が愛情表現をしないもどかしさに、イライラしている自分がいる。

そのイライラや疎外感を埋めたくて、マクロビオティックにハマり、自分の心の満たされない部分を埋めようとしていた、と気づけたのは離婚をしてから。

何かに飢えていて、カフェやレストランに出かけてみたけれど、満たされることがない。
自分を満たすことができるのは、自分の料理だけなんだと再度気づくのに、かなり遠回りをしてしまった。


私が居心地よくいられるところは?どこかのカフェ?スタバ
違う。。。

自分を満たせるものは、自分で作るしかない。


フレンズ*3に出てくるようなリラックスできる空間。息子の名前はフレンズから来てる。
そんなことも、忘れかけてた。

自分で作れる気がしてきた。
AIR STREAMのタイヤハウスの上にソファーを置いて
ソファーを探してきて、自分でリビルドして、居心地のいい空間が作れたらいい。
そんなとき携帯が鳴った。息子からだった。

”家の北の林が、、木がほとんどなくなってる。。。”


JOEYと小さい頃によく散歩に行った林。その奥にはホタルも飛んで、年々増えていた林。

”木がなくなって嫌だ”
”JOEYはどうしたいと思う?”
”木を植えたいよ・・”
”今から帰るから、あとで一緒に見に行こう”
”うん”

林は潰されて、大きな道を作るように、地ならしをしている最中のようだった。うちは地元とのつながりが薄い家。
道路ができても、文句を言うのはうちくらいだよね。
明日、現場と役場に聞きに行こう。

ここの土地も、もう潮時かも。

ハワイアンヒーリング介護施設を癒して回る FLOW


わたしはあのとき一度死んだんだのだと思う。
それが始まりでもあった。
その辺りから、自然と自分にそぐわないところとは縁が切れて、頭に浮かんだことを実行に移すことにしたら、
自分がやりたいことの方へご縁ができてきていた。

少しの時間でも、ハワイアンヒーリング介護施設のおじいさんやおばあさんに施すと、
みなさん、とても深いリラックス状態に。
介護施設のスタッフの心にも余裕が生まれて、いいサイクルになっているよう。

祖父や祖母との縁が薄かったから、自分で縁を繋いでいきたいって体が動いているんだと思う。
介護施設ボランティアで日本の各地を回って、日本を、世界も回りたい。
それが今の夢。
自分に素直な形で動いていきたい。

良さを知っていただいたスタッフや一般の方には正規料金で施術をしています。
ハワイアンヒーリング FLOW お声がけお待ちしています。
https://www.facebook.com/Utasaya/

*1:筋反射テスト

*2:共感コミュニケーション

*3:アメリカのTVドラマ