永井洋一のフットボールスピリット

2016-08-16

ルールの精神と日本サッカーのアタマの堅さ

11:57

 大阪学院大付属高校が大会の開会式に参加しなかったことで棄権扱いになり、全国大会への道を閉ざされたそうです。

 同校は150人近い部員を抱えながら、各校最低7人出席が「義務」の式に誰も行かず、大会本部から確認の電話を受けて慌てて選手を送ったものの「時間切れ」で後の祭りだったとのこと。

 同校の失態を云々を語る前に、まず感じたのは、開会式なるものを試合日とは全く別に別会場で開催し、そこに「最低7人の参加』を義務づけている大阪高体連のお歴々の古式ゆかしき意識の滑稽さです。

f:id:johan14:20160816115606j:image:medium:left 想像するに、「わざわざ開会式だけ半日かけてやるなんて...。大切な練習を休ませてまで部員を主席させるほどの意味があるのか?。誰かが出てればいいんだろう」と、たとえばマネージャーだけが参加するなどの形式的出席が過去にあったのではないでしょうか。そうした状況にオエラ方が憤慨し「大きな会場を埋め尽くす盛大な開会式という体裁が整わねばダメだ」と色めき立ち、「絶対に7人以上参加しろ』という「義務化」が通達されたのではないでしょうか。

 私の若い頃も少年大会の開会式を大きな市営体育館で行う際、「欠席したら出場取り消しにする」という通達を受けたたことがあります。大会場が大勢の参加者で埋まらないとバツが悪かったんでしょうね。当時、私のチームには1、2年生しかおらず、退屈極まりない進行の間、子供たちを大人しくさせていることに苦労したことを覚えています。

 さて、開会式の意義はさておき、同校は150人近い部員がいながら、部長先生、顧問先生、マネージャーを筆頭に、ただの一人も開会式のことに気づかなかったのでしょうか?みんな、片時もスマホを手放さず、ヤフーニュースなどを見ている時代なのに...。一軍が20人として、「その他大勢」が130人もいると、誰が何をやっているのかすらもわからなくなるんでしょうね。

 同校が開会式に誰も来ていないことを確認した上で連絡し、慌てて部員が駆けつけても「遅刻、時間切れ」とバッサリ切って落とす大会役員。「スポーツの大会だからルールはルール」という、どこに出ても胸を張れる大義名分ゆえの行動でしょうね。ワイドショーで不倫をなじるレポーターと同じ。正論、社会正義という後ろ盾がある人間は一番、態度がでかくなる。もしかして、大会失格を告げた人、同校が出場しないと助かると思っているライバル校の関係者??などと勘ぐりたくもなります(笑)。

 同校がもともと「そんなばかばかしい式、出席するつもりはありません」と拒否しているならまだしも、学校挙げてアホで(笑)、すっかり忘れていて、遅れてでもとにかく式に主席する意思があり、実際、式場に駆けつけているのなら、特例として遅刻参加を認めてもいいのではないか、というのが私の考えです。式典に遅刻することが、一つの大会、それも高校生にとって最も大切な大会に出場することを取り消すほどの重大な「罪」だとは到底思えません。中国で麻薬にかかわったら即、死刑になるのと似た感じです。

 大会役員は「一つ例外を認めてしまえば...」と言っているようですが、「あの時、大阪学院大付属が遅刻を認められたんだから、オレたちも堂々と遅刻するぜ」と今後、遅刻、遅刻で開会式が収拾がつかなくなることなんてあり得るんでしょうかね(笑)。

 以前、同じ大会の東京予選で、顧問が選手証を忘れてしまい、慌てて取りに帰ったもののキックオフに間に合わず、失格負けになったチームがありました。もちろん、ルールに沿った処置なのですが、いくらでも救済方法はあったはずです。例えばスタメンの名前を確認しておき、選手証がとどいてからハーフタイムに改めて照合するとか...。選手証は出場している選手が本人であることを確認するためのツールなんですから、その目的が果たされればいいわけでしょ?これも「一つ例外を認めれば...」が大義名分でした。しかしそれを認めたことで「選手証がなくてもいいんだ」とごり押しするチームが多数出て収拾がつかなくなることなんて、現実にはあり得ないわけです。

 スポーツだからルールに厳格というあり方は、ある意味、大切かもしれません。しかし時としてそれは、本質から遠ざかるナンセンスな縛りを生みます。ルールにはそれが制定される背景があります。何を守るため、というルールの精神が存在します。しかしその「ルール成立の精神」を忘れてしまい「守る」こと自体が目的になってしまい、もともとの精神を尊ぶことではなく「守ったこと」そのことに価値を見いだしてしまう人がいるのです。

 こうした、いわゆる「アタマの堅さ』は、日本のサッカーの弱点そのものです。「何のために」であるかはどうでもよく、決めたことを守ること自体が大切であり、それが和であり日本が世界に誇るチームワークであると。そして、その「自分たちのサッカー」で世界に出て「決められたことしか出来ない」「試合運びがつたない」と嘲笑されるのです。


 

 

 

2016-08-12

日本の「お家芸」の踏襲

10:57

 リオ五輪サッカーグループリーグで敗退しました。

 多分、「コロンビアと引き分け、スウェーデンを下したことは立派」「進歩が見えた」「収穫があった』「あと一歩、悔やまれるナイジェリア戦」みたいな評価が飛び交うことでしょう。

f:id:johan14:20160812105712j:image:medium:left しかし、全体の印象として「よくやっている」「将来に期待は持てる」のだけれど、結果はともなわない...という試合はすでに日本の「お家芸」になっています。

 それをよく表しているのがA代表W杯の試合です。98年フランスW杯大会ではアルゼンチンとクロアチアにともに0-1、「日本よくやった、惜しい」という声が多く寄せられました。2002年日韓大会ではトルコに0-1と惜敗しましたが、圧倒的にボールは支配したのに...と。2006年ドイツ大会ではオーストラリアに大逆転負けしましたが、後半35分までは勝っていたのに...と。0-0のクロアチア戦では決定的なチャンスがありながら「急にボールがきたので」とシュートミスした選手がいました(笑)。2010年南アフリカ大会PK戦で負けたパラグァイ戦も「惜しい」試合だったと言われています。2014年ブラジル大会でもリードしていた試合を3分でひっくりかえされ、前半35分に退場者を出して10人の相手に勝ち切れませんでした。

 今回の五輪代表もまた、着実にこの「ああ惜しかった』「もうちょっと」というお家芸を踏襲したというわけです。

 みんなでパスを回して「チーム力』で戦う。耳障りの言い表現ですが、言い換えれば「誰が決定的な仕事をするか」ということがぼやけている。何となく「みんなで」攻めて「そのうち誰かが」得点していくれるだろう。というサッカー。だから負けるときも何となく「良くやっている」感じなのだけれど、決め手がないまま何となく時間が過ぎて、終わってみれば負けている。そして「可能性は見えた』とくる。

 そもそも世界の強豪国の大半は五輪なんかまったく重視していません。だって、こう言っては何ですが、あんなスウェーデンが欧州王者なんですよ。ロンドン大会では日本がスペインに勝ちましたよね。

 強豪国ではU-23なんてもうA代表で活躍しなければならない年代で、A代表に上がれず五輪代表あたりでウロウロしているような選手は基本的に相手にされないのです。だから国民的関心も薄い。

 FIFAではA代表の下はもともとU-20で、U-23という概念は薄かったのですが、五輪にもそれなリの選手を出してほしいというIOCの願望に応えた形で、半ば無理矢理に「五輪U-23の大会』という規定にしたわけです。だから、そこで勝った負けたといっても世界の関心は薄い。

 そんな五輪に必勝を期して向かっている日本ですが、あいもかわらず「あと一歩」のお家芸。「可能性が見えた」という???の自己評価。これじゃぁW杯で10人のギリシャに勝てないはずだ(笑)。

 

2016-08-10

弱者排除の声とスポーツの勝利至上主義

11:17

 五輪報道で下火になってしまった相模原の事件報道ですが、どうしても忘れてはいけないことがあるので、敢えて今、もう一度、振り返ります。

 私が「忘れてはいけない」と強調したいのは、容疑者障害者を「世の中の役に立たないから死んだ方がいい」と考えたことに対して、ネット等で一部、賛同する声が挙がったことです。

 経済原理に基づき、生産性の高いものに価値があり、そうでないものは切り捨てていくべき、という思想は、私たちの生活の根底に根強くあります。幼い頃から受験に血眼になるのも、結局はいずれ経済的に裕福になるため、という考えに基づいています。進学する大学や学部を選ぶのも、多くは学びたいことがあるという知的好奇心からではなく、就職に有利か否か、という経済原理からです。音楽や芸術など経済的生産性不透明なものに熱中すると「それで食えるのか」と非難されます。

f:id:johan14:20160810110827g:image:w360:left 今やスボーツも有名校への推薦入学の手段となり、それが実現するなら、暴君のような指導者に罵詈雑言を浴びせられ非科学の極みのような練習をすることさえ受け入れることが普通になっています。

 地元の少年クラブで学校の友達と勝ったり負けたりを楽しむことでは不十分と、「強い」とされるチームに遠方から通って「結果」ばかりを追求する親子も珍しくありません。チームの活動も、少しでも無駄なく効率的に強化するためと、練習回数と大会参加をどんどん増やしていきます。それでも足りないと、チーム練習がない日には他のスクールに通って、徹底的に技術を磨きあげている子もいます。

 そうした勝利のための「経済効率」が支配するチームでは「運動能力が低い」、つまりドンくさいということが、一番、チームを困らせます。経済原理に基づき、勝利至上主義を貫くなら、ドンくさいという最も非効率的な要素は、真っ先に切り捨てねばなりません。ドンくさい子が試合に来ると困るので、わざと連絡網を回さず欠席するようにした、という近隣チームの実話を聞いて驚いたことがありますが、少年スボーツで経済原理を徹底すれば、そうしたことも起こりえるのです。

 スポーツで勝利するために、それに貢献しない者をのけ者にする、目的に対してムダなものは排除していくという思想は、相模原の事件に根底でつながります。容疑者賛同する冷酷な声の持ち主たちは、ドンくさい子の家にわざと連絡を回さない母親と根底では同じなのです。

 ところで、「世の中の役に立たない者は排除すべき」とする容疑者とそれに賛同する者たちは、自分と家族、親戚一同が死ぬまでずっと壮健で常に高い生産性を発揮できると思っているのでしょうか?

 彼らは自分が仕事を病欠することになった時「オマエは休んだ数日の間は役立たずだから」とクビにされる覚悟はあるのでしょうか?

 いつか病気や怪我をして入院するようなことになった時は、生産性がなく医療費をムダ使いしている人間だからと、殺されてしまう覚悟はあるのでしょうか?

 仮に自分の子が、あるいは親類の誰かの子が障害を持って生まれてきたとしたら、すぐに抹殺するのでしょうか?

 そもそも、視力が悪いとか、内臓に疾患があるとか、関節が痛いとか、アレルギーだとか、誰でも多かれすくなかれ健康上の障害を抱えて生きています。自分は何もかも100%理想的な健康体で、どこでも誰にも少しの世話になっていないのでしょうか?

 そして、自分がやがて年老いて歩くこともおぼつかなくなったとき「オレは社会の無駄遣いだからすぐに殺してくれ」と宣言する覚悟があるのでしょうか?

 そもそも他者と自分の「強弱」などまったく相対的なもので、その時、その場の状況でいかようにも変化するものなのです。弱者を排除せよと声高に叫ぶ輩は皆、自分が弱者になる時のことを想像することができていません。強ければいい、勝てばいい、ドンくさいヤツは邪魔、と優勝劣敗の思想にまみれているチームの子たちには、そうした大人になっていく可能性があります。恐ろしいことです。

 

 

 

2016-07-29

規定に忠実!?

10:38

 相模原で起きた狂気の犯行の容疑者の取り調べが続いています。彼が以前、精神疾患の状況を確認するために入院した際、大麻の反応が出たとのこと。しかし、現在の法律では大麻の「所持」は犯行になっても「使用」には法的拘束力がないため、相模原市はその件を明らかにしなかったとのことでした。

 彼の狂気の行動と大麻との関係は明らかではありません。しかし、入院までさせて様子を観察しなければならない人物から大麻の反応が出た場合、法的拘束力は別としても「念のため」としてその情報を関係する機関で共有しておくことは無駄ではないでしょう。しかし、法律、規則、規定、という部分から見れば、それをしなかったことに対して相模原市関係者の誰かが責任を負うことはありません。

f:id:johan14:20160729102229j:image:medium:left このニュースを聞いて、私は少し前になりますが、同じ相模原の市営グラウンドを使ってサッカーの試合をした時のことを思い出しました。

 グラウンドは2時間単位での貸し出しです。公式戦の90分ゲームをその2時間枠内でこなすには、試合前のライン引きや負傷等で費やすアディショナルタイムを考えると、相当、効率よく動かねばなりません。相手チーム、審判団と事前に細かな段取りをつけて待機していたのですが、一つ前の時間枠のグラウンドには、いつまでたっても利用者が来ません。

 1時間が過ぎても前の時間枠の利用者とおぼしき人は一人も現れません。どうやら利用はキャンセルされたようです。そこで窓口の職員に問い合わせてみました。

 「前の枠の方がキャンセルされたようですが...」

 「いや、そうした連絡はいただいておりません」

 「しかし実際、誰もこられないようなので、時間前に準備を始めてもいいでしょうか?ラインだけでも引いておきたいのですが...」

 「ダメです」

 「なぜですか?」

 「遅れて来て使う可能性が残されていますから』

 「いや、もう1時間も超過しているのに、ただの一人も来ていないのですよ。サッカーか野球かわかりませんが、仮にこれから来たとしても、実質的に何もできないでしょう?」

 「それはアナタの考え方です。どう使うかは利用権のある方の勝手です』

 「ナルホドね。解りました。では、終了30分前になったらどうですか? あるいは15分前でもいい。ライン引きだけやっておきたいのです。プレーするのはきっちり利用時間になってからでいんです」

 「ダメです。サッカーのラインを引いたら、もし前の枠の利用者が来て野球をする場合、即刻ラインを消さばならないでしょう」

 「いやいや、利用時間の終了15分前にきて、それからライン引いて野球やりますかねフツー?」

 「やる可能性はゼロと断言できません。使い方は利用者の自由です」

 あ~あ、「役所」とよばれるところにゴロゴろいる典型的なコームインだな...。マニュアルを連呼するマクドナルドの高校生アルバイトと一緒(笑)。では違う切り口から攻めてみよう。

 「こうしてアナタと話している間に利用枠は残り45分になっています。恐縮ですが、この枠の利用者の方が本当にグラウンドを使う気があるの否か、連絡を取って確認して下さいませんか?」

 「そういう業務は行っておりません」

 「ハァそですか。では確認は私が直接とります。その方の連絡先を教えて下さい』

 「個人情報保護があるので教えられません』

 ...というわけで、私たちのチームと対戦相手、審判団は、誰ぁ~れも来ないグラウンドを前にじっと辛抱強く待ち続け、きっちり利用時間になってから入場し、慌ただしくラインを引いて試合開始、なんとかギリギリに利用枠内で試合をこなすことができたのでした。

 この相模原市の体質、変わっていないのだなぁ~。

 


 

2016-07-21

あ~あ、親は泣いてるぜ、きっと...

12:06

 またまた審判講習会での一コマ。

 私の隣に座った高校生、着席するやいなや、スマホを取り出し夢中になってゲームをしています。そのまま講習中にもゲームを続けたなら、私も黙ってはいませんでしたが(笑)、講義がはじまるときちんと止めてスマホはかばんの中に。フム、見かけによらずきちんとしていねのだな...と少し安心。

 ところがどっこい(笑)、講義がはじまると、彼は下を向いて一心不乱に何かを始めました。横目で見ると、紙にマンガの似顔絵のような絵を書いているのです。もちろん講義など一切、聞いてはいません。

 定期的にチラチラ見ていると、紙の上にはキャラクターのような顔が次々に増えていきます。お世辞にも上手いものではないのですが、作品(笑)は次々に増えていきます。途中からは講習に使うルールブックの表紙にある文字やロゴなども写し書きしています。紙にびっしりと作品が描き込まれたころに休憩。

f:id:johan14:20160721120531j:image:w360:left 一息入れた後、まだ講義再会まで時間があるのでブラブラ歩いていると、彼がいるではありませんか。腰掛けて夢中になってスマホと格闘しています。そう、さっきの続きのゲームをしているのです。またまた一心不乱に。ここまできて、そんなにやりたいのかよ~(笑)。

 そて再び教室に着席。講義が始まると、またマンガ書きが始まります。こうして彼の一日はマンガとスマホゲームで終了。まぁ最低のケジメはつけて人様に迷惑はかけてはいないものの、いいのかな~これでって思いますね~。

 自分の気に入ったことしかやりたくない、という性向は、誰にでもあります。でも、このごろの若者には、それがひどく顕著だと感じることが多くあります。サッカーのプレーなどでもそう。やりたいことしかやらない。

 好きなサッカーをやっていて、審判資格を取る。基本的には自分のやりたいこと、好きなことの範疇であるはず。でも退屈な講義は一切、聞かず、その間ずっとマンガを書き続け、わずかな暇があればスマホゲームに一心不乱に熱中する...。

 こうした行動パターンを繰り返していけば、困難、苦労、難題...など心身に負荷がかかる場面が来たときに、絶対に乗り越えられないでしょうね。間違いなくダメですわ。というか、その前に「オレには無理』とか何とかいって、最初から回避してしまうんでしょうね。

 このままアベちゃんがチョーシこいて、トランブが大統領になって、ガンガン国防だとか戦争が当たり前になっって、はい中国や北朝鮮と戦うんです、だから徴兵です、となった時、こんな若者が多けりゃ間違いなく日本は負けますね(笑)。絶対、勝てません(笑)。

 

2016-07-20

ねぇ小学生、空気を読んでよ???

15:51

 サッカー審判講習会で見た面白い???場面をもう一つ、紹介しましょう。

 私の前に座ったのは小学生の男の子。狭い席の上にリュックやら何やら持ち物をたくさんのせて、自分は座面に向かって(本来とは反対向きの体制で)しゃがんで片付けをしています。

f:id:johan14:20160720155106j:image:medium:left その隣に高校生とおぼしくき参加者がやってきました。座ろうと思うのですが、隣の席で後ろ向きになって片付けをしている小学生が少し自分の席の側にはみ出していて、すんなり座れません。困ったな、という表情で立ち止まります。

 当然「ちょっとゴメンネ」と声をかけるものと思って見ていると、彼はしばらく様子をみたまま、そっと手を伸ばして荷物を自分の席に置こうとします。そう、とりあえず場所だけとっておきますよ、というときによくやる方法です。

 それで一旦、その場を立ち去り、小学生の片付けが終わった頃を見計らって席に戻って来るのかと思いきや、そうではなく、その場で荷物を置いたり持ったりして、小学生の様子を見ています。置く、持つ、置く、持つ、を2~3回繰り返していると、さすがに夢中で片付けをしていた小学生が、自分の隣に誰かが立っていることに気づき、さっと体を本来の位置に寄せます。こうして、高校生は無事、自分の席につけました(笑)。

 なんじゃーこれ。

 オマエ、口ついとらんのか???

 「ちょっとゴメンネ」とか「すみません」くらいコドモに向かって言えんのか!!!

 ...と叫びたくなる気持ちを抑えて(笑)一部始終を見終えたのでした。前々回に書いたコミュニケーション力不足にまたもや遭遇。あの高校生、審判やれるんでしょうか? 試合前「はい、両チーム、整列!!」って言えるんでしょうか? 確実なのは、小学生に「すみません」って言えない度胸でイエローやレッドは出せないということです。

ゲームを裁く資格なんですが...

12:08

 サッカー審判の講習会でのこと。その日の講習は少年たちも受講できるとあって、大勢の中高生の間に小学生もちらほら。

 私の隣に座ったのは小学生とおぼしきカワイイ女の子。講習に先立って各自が書類に必要事項を記入する際、スマホを取り出してママと通話している様子。

f:id:johan14:20160720120445j:image:medium:left 「あのさ、ヒの下にお弁当のベンみたいな字なんだけど、なんて読むの...」

 多分、聞かれたママも、その説明ではわからないらしく、調べるために一度、携帯を切ることになった様子。そこでおせっかいオジサン登場(笑)。

 「何がわらないの?教えてあげるよ」

 「アッすみません。これ、何て読むんですか?」

 「フムフム、それはね『ショウキュウ』(昇級)って読むの。あなたは今日4級を受けにきたんだよね。この先、3級、2級、1級と、より難しい審判の資格を取るつもりはありますかっていうことだよ」

 「はい、ありがとうございました」

 ヒの下にお弁当のベンみたいな字か...確かに(笑)。カワイイな~。でも...「昇級」が読めないような子が審判資格取っていいのかな~(笑)。

 斜め後ろに座った男の子は、多分、自分もコーチをやっているであろうパパが、少し離れた所から何かにつけて指示をだしています。「昇級」の希望について回答しなければならない書類に関しては『オイ、それには名前だけ書いておけばいいぞ!!」。難しいことは後でパパが書いてやるってことですね(笑)。

 少年時代から審判に関心を持つこと、なるべく多くの審判員を育てること。、そのこと自体は悪いことではありません。しかし...こうした実態を見てしまうと...。粗製乱造と非難されても仕方がないのでは...。

 

2016-07-08

ああ...コミュニケーション能力...(泣)

11:24

 成人チームの試合前のウォーミングアップ。ピッチ周辺にあるわずかな空きスペースを確保して選手たちがジョギング、ストレッチングしていると、遅れてやってきた対戦相手の選手たちがこちらの顔色を伺うようにしながら同じスペース周辺にウロウロ。黙って見ていると、そのうちの何人かが少しずつ同じスペースに進入...さらに黙って見ていると、再びこちらの顔色を伺いながらそろそろと他の何人かが侵入...やがて全員が流入してきて、いわゆる「横入り」「割り込み」を敢行しようとするではありませんか!!!

 そこで初めて私が出て行き「ちょっと待って。見ての通り、ここはこちらが使用しているのだよ。横入りは勘弁してよ」と言うと、彼らは黙って私を見るだけで何も言いません。

f:id:johan14:20160708111657j:image:w360:left 「あのね、数は限られているけど他にもスペースはあるでしょ。まずはそういう場所を自分たちで確保する努力をしようよ、ね...。それでもどうしてもこの場所が使いたいというなら、ご覧の通り既にこちらが使っているのだから、一言『僕らも使っていいですか』とかなんとか、声をかけてよ。そうすれば、まずは『あそこにも別の場所があるよ』と教えてあげられるし、それでも、どうしてもここが使いたいというなら『それでは半分ずつで使おうか...』などという方法も考えられる。とにかく一言、声をかけて相談してくれれば、いくらでも解決の道が見つかるじゃない...ね、そうでしょ。それをしないで、黙って顔色を見ながら少しずつ進入して横取りするという方々は、ちょっとおかしいよね...」

 ゆっくりと穏やかに、諭すように話しかけたのですが、全員20代前半とおぼしき彼らは皆、沈黙。大半は「この人、何でオレたちに説教してるんだろう」といったポカンとした表情。最も若いと思われる一人は「うるせえんだよ」と言わんばかりの挑発的な眼光。

 「どうする?スペースはあそこにもあるよ」と別の場所を指しながら確認する私。それでも沈黙は続きます。「あっちはいやなの?どうしてもここを使いたいの?そういうことなら、そう言ってくれれば半分ずつ、という相談には乗るよ』と私。さらに沈黙。「どうする? 半分ずつにするの?それとも別の場所に行くの?」と私。沈黙、沈黙。あれれっ...言ってること通じてるのかな?こいつら外国人? ニホンゴ大丈夫?

 そのうち、一人が別の場所に移動をはじめると、他のメンバーも黙々とそれに従って移動。この間、20人近くいた彼らからは、たったの一言も発せられることはありませんでした。何だか、こちらが追い払ったかのような感じになってしまったので、再び確認するように「いいの?ここ半分、使わないの?」と投げかけると、そこで初めて一人が「ああ、いいっす」と無表情で返答。

 ああ~ちょー恐ろしい!!! 若者のコミュニケーション能力不足が叫ばれて久しいのですが、現実がこれほど深刻なものとは!!!愕然としてしまいました。彼らは多分、学生でしょうけど、社会に出て行ってやっていけるのでしょうか? 余計なことですが、ひどく心配になりました。もし私が会社の上司で彼らのような部下がいたなら...完全にお手上げでしょうね(笑)。

 

 

2016-07-04

泣かせちゃったね、3年生

10:36

 「お父さんや母さんを感動させよう」というテーマで大会に臨んだ3年生、ついにやってくれました。最終日の最終戦で2-1の勝利!!!この望外の結果には指揮をしている私自身もびっくり(笑)。

 試合前「点を決められてもがっかりせずに、最後まで全力で頑張るんだよ...」と言い聞かせて送り出したのですが、先に点を取ってリードしまう想定外の展開(笑)に、ヘボコーチは戸惑うばかり。

f:id:johan14:20160704103211j:image:w360:left あれれ、どうしよう? いや、ちょっと待て、勝っているのだから「どうしよう?」はないだろう、などと自問自答(笑)しているうちに前半終了。ハーフタイムの笛が鳴ると、「このまま終われば勝ちだよね」と笑顔でチョー楽観的な子どもたち。「そうだね...。でもまだ半分だからね。後半に点を取られたら負けちゃうんだよ」とチョー悲観的なヘボコーチ(笑)

 「まぁ、そんなにウマい話はないはず...」と逆転負けを覚悟して後半戦に送り出すと、あらら...3分もしないうちに追加点を決めてしまった...ウソでしょう!? しかし、やはり現実は冷酷。すぐに1点を返されて、1点リードのまま緊迫の展開。

 ここから残り時間、大活躍の子たちを引っ込め、初心者、新加入、女の子も含めた交代投入で必死の抵抗!!!。しかし、その途中出場の子たちも雰囲気に後押しされて大健闘。そして、3時間くらいに感じた(笑)長~い長~い15分間が終わって、初公式戦の初勝利が転がり込みました。

 アイドル歌手の応援でもこんなに大きな歓声は出ないだろう(笑)というほど、我を忘れて(笑)応援してくれたお父さん、お母さんたちはその瞬間、まるでW杯に優勝したような歓喜の大爆発。感激のあまり涙を流すママも。

 いや~やったね3年生。お父さん、お母さんを感激させることが目標だったけど、大会二日目にその目標を達成、最終日にはその目標を超えて、ついに大人を泣かせてしまったね。

 子ども自身も、親御さんも、今回の初参加の大会を通じて、スポーツには勝ち負けを超えたところに一生懸命取り組む意味がある、ということに気がついてくれたものと信じています。上手い子も下手な子も、経験豊富な子も初心者の子も、生まれつき運動能力の高い子もそうでない子も、強きが弱きを補って、一つの目標に向かって、皆で力を合わせて全力を尽して戦うチームスポーツの素晴らしさを感じてくれたことでしょう。

 試合後、子どもたちから、カントリーマアム・ミルクソフトと、フーツグミ・もも味、をもらいました。頼りないコーチもよくがんばったね、というご褒美だと思います(笑)。

 

2016-06-22

感動したよ3年生!!

11:37

 再び前回、紹介した3年生の話。大会二日目の試合に身内の不幸があってやむなく欠席になった子がいました。伝え聞いたところでは、その子は親御さんに「休みたくない」と泣いて訴えたとか...。

 まだ入部したばかりで、正しくボールを蹴ることすらままならない子ですが、そんな気持ちでいてくれたとは...とても嬉しい限りです。大会一日目は大敗でしたが、その経験を通して小さな体にそんな強い意欲がわき出たのであれば、スポーツに身を投じた意味もあると思います。

f:id:johan14:20160626105844j:image:w360:left さて、今回の大会に臨んで、3年生に与えたテーマは「お父さんやお母さんを感動させよう」です。「勝っても負けても、自分の子どもがあきらめずに最後まで全力で一生懸命頑張っているところを見れば、応援しているお父さんやお母さんはすごく感動するのだよ」と言い聞かせてあります。

 そして大会二日目。大きな相手に勇敢にたち向かって行く子どもたちの姿は実に感動的でした。相手の猛攻にも体を張って粘る、粘る!!!。ぶつかって転んでも、すぐ立ち上がって再び激しく相手に向かっていく。経験の浅さから、わずかな隙を突かれて1点を失いましたが、猛攻を受け続けた試合はそのまま0-1で終了。勝負は負けでしたが、ホイッスルが鳴った瞬間、顔を紅潮させ、汗と土にまみれて食い下がった子どもたちの間を、すがすがしい風が吹き抜けたような気がしました。

 試合後「よくがんばったね。お父さんやお母さんはきっと感動しているよ」と褒めました。すると子どもたちがこう聞いてきました「コーチは感動した?」

 「ああ、感動したよ、すごく。君たちのコーチをやってよかったな~と思ったよ。君たちがあんなに頑張ったのだから、コーチも君たちをもっと上手にするために一生懸命、教えてあげなければいけないな、と思ったよ」

 練習練習試合を通して、少しずつ手の届く目標を与え、その達成度を確認しながら歩んでいます。しかし実を言うと「子どもたちはどこまで私の言うことを理解しているのやら」というのが本音です(笑)。ところが、彼らは彼らなりに消化してくれている、ということがよくわかりました。

 私のようなヘボコーチでも、時々、このように出来のいい子どもたちに恵まれて、指導の効力らしきものを実感できることがあります。だからいつまでたってもコーチが辞められない(笑)。

2016-06-17

亀の歩み..しかし着実に

12:29

 私の主宰するサッカークラブでは公式戦の参加は3年生からです。

 他のほとんどのクラブが1年生から本格的なチームづくりをしている中、2年遅れでのスタートは圧倒的に大きなハンディキャッブになります。案の定、毎年のことなのですが、大会初日は大敗してしまいました。

 言うまでもなく、子どもは早期に訓練を本格化すればするだけ、目前の結果は出てきます。特にスポーツは、早くから本格的に活動した時間が長いほど、確実に勝利に近づきます。しかし目前の勝負に勝つための指導がその子の将来の糧になるか否かは別問題です。

f:id:johan14:20150612105537j:image:w360:left サッカーに限らずスポーツ指導をする団体の多くが競技実績を全面に押しだし「強いから良い指導」と言わんばかりですが、そうした環境で芽が出るのは生来の素質に恵まれたごく一握りの子たちだけで、99%はその「何年に一人いるかいないか」の素材のために「使い捨て」されるのです。

 サッカーの場合、プロになれのは4万人に一人です。同じ学年だけでも何百校に一人、という確率です。チームのエース、区大会のスーパースターくらいの子は全国にゴロゴロいるのです。その程度では、将来、全く話にならないのです。だから大抵の「神童」も結局、15年後には確実に「ただの人」になるのです。ですから、少年時代のスポーツには競技としての勝ち負けの他に大切なことがたくさんあるのです。

 1、2年生、つまり6歳、7歳の子どもたちのやることで、勝った負けたと大人が熱くなるのはいかがなものか...レギュラーとその他の子との差が鮮明になるようなことがこの年齢に適当なのか...と私は考えます。そんなことから私たちは3年生まで公式戦の出場を見送っているのですが、実を言うと3年生でも公式戦はまだ早い、というのが本音です。しかし、そんなことを言っていると世の趨勢からは「浦島太郎」状態になってしまうので、3年生からの公式戦参加はギリギリの妥協です。

 しかし面白いもので、過去を振り返ると、3年生の時にズタズタにされた相手に、5年生、6年生になってリベンジなどということは決して珍しくありません。3年生の時に完膚なきまでにたたきのめされた子たちが、6年生になって区大会の決勝まで進出というケースも2度ばかりありました。2部リーグでしたが、市大会で優勝まで勝ち取ったこともありました。3~4年のスパンで考えれば、確実に色々な成長を見届けることができます。大切なことは、、個々のレベルで心身両面にどれだ成長があったか、ということです。その点を忘れなければ、何も1、2年生から周囲の大人が勝った負けた、強い弱い、と熱くなることはないのです。

 さて、我が3年生たち。今回はまだ試合のルールさえよくわかっておらず、何をやっているかも良くわからないまま目を白黒させていうちに(笑)大敗したことでしょう。しかし、試合と試合の合間にふと見ると、待機場所においた荷物や水筒の間をぬってドリブル練習をしているではありませんか!!!。もちろん私が指示したわけでなく、彼らが自らはじめたことです。

 そうです。こういうことが成長なのです。何が彼らのスイッチを入れたのかはわかりませんが、彼らなりに「上手くなろう」という思いが持ち上がったのでしょう。その日までは足でボールを扱うより手でボールを抱えている時間が長かった子たちが、自らドリブル練習の形を工夫してつくり実践しているのです。「自ら進んで課題に取り組む」といってはオーバーですが、少なくともそういう心理の萌芽があったことは確かです。