永井洋一のフットボールスピリット

2016-06-22

感動したよ3年生!!

11:37

 再び前回、紹介した3年生の話。大会二日目の試合に身内の不幸があってやむなく欠席になった子がいました。伝え聞いたところでは、その子は親御さんに「休みたくない」と泣いて訴えたとか...。

 まだ入部したばかりで、正しくボールを蹴ることすらままならない子ですが、そんな気持ちでいてくれたとは...とても嬉しい限りです。大会一日目は大敗でしたが、その経験を通して小さな体にそんな強い意欲がわき出たのであれば、スポーツに身を投じた意味もあると思います。

 さて、今回の大会に臨んで、3年生に与えたテーマは「お父さんやお母さんを感動させよう」です。「勝っても負けても、自分の子どもがあきらめずに最後まで全力で一生懸命頑張っているところを見れば、応援しているお父さんやお母さんはすごく感動するのだよ」と言い聞かせてあります。

 そして大会二日目。大きな相手に勇敢にたち向かって行く子どもたちの姿は実に感動的でした。相手の猛攻にも体を張って粘る、粘る!!!。ぶつかって転んでも、すぐ立ち上がって再び激しく相手に向かっていく。経験の浅さから、わずかな隙を突かれて1点を失いましたが、猛攻を受け続けた試合はそのまま0-1で終了。勝負は負けでしたが、ホイッスルが鳴った瞬間、顔を紅潮させ、汗と土にまみれて食い下がった子どもたちの間を、すがすがしい風が吹き抜けたような気がしました。

 試合後「よくがんばったね。お父さんやお母さんはきっと感動しているよ」と褒めました。すると子どもたちがこう聞いてきました「コーチは感動した?」

 「ああ、感動したよ、すごく。君たちのコーチをやってよかったな~と思ったよ。君たちがあんなに頑張ったのだから、コーチも君たちをもっと上手にするために一生懸命、教えてあげなければいけないな、と思ったよ」

 練習練習試合を通して、少しずつ手の届く目標を与え、その達成度を確認しながら歩んでいます。しかし実を言うと「子どもたちはどこまで私の言うことを理解しているのやら」というのが本音です(笑)。ところが、彼らは彼らなりに消化してくれている、ということがよくわかりました。

 私のようなヘボコーチでも、時々、このように出来のいい子どもたちに恵まれて、指導の効力らしきものを実感できることがあります。だからいつまでたってもコーチが辞められない(笑)。

2016-06-17

亀の歩み..しかし着実に

12:29

 私の主宰するサッカークラブでは公式戦の参加は3年生からです。

 他のほとんどのクラブが1年生から本格的なチームづくりをしている中、2年遅れでのスタートは圧倒的に大きなハンディキャッブになります。案の定、毎年のことなのですが、大会初日は大敗してしまいました。

 言うまでもなく、子どもは早期に訓練を本格化すればするだけ、目前の結果は出てきます。特にスポーツは、早くから本格的に活動した時間が長いほど、確実に勝利に近づきます。しかし目前の勝負に勝つための指導がその子の将来の糧になるか否かは別問題です。

 サッカーに限らずスポーツ指導をする団体の多くが競技実績を全面に押しだし「強いから良い指導」と言わんばかりですが、そうした環境で芽が出るのは生来の素質に恵まれたごく一握りの子たちだけで、99&はその「何年に一人いるかいないか」の素材のために「使い捨て」されるのです。サッカーの場合、プロになれのは4万人に一人です。同じ学年だけでも何百校に一人、という確率です。チームのエース、区大会のスーパースターくらいの子は全国にゴロゴロいるのです。その程度では、将来、全く話にならないのです。だから大抵の「神童」も結局、15年後には確実に「ただの人」になるのです。ですから、少年時代のスポーツには競技としての勝ち負けの他に大切なことがたくさんあるのです。

 1、2年生、つまり6歳、7歳の子どもたちのやることで、勝った負けたと大人が熱くなるのはいかがなものか...レギュラーとその他の子との差が鮮明になるようなことがこの年齢に適当なのか...と私は考えます。そんなことから私たちは3年生まで公式戦の出場を見送っているのですが、実を言うと3年生でも公式戦はまだ早い、というのが本音です。しかし、そんなことを言っていると世の趨勢からは「浦島太郎」状態になってしまうので、3年生からの公式戦参加はギリギリの妥協です。

 しかし面白いもので、過去を振り返ると、3年生の時にズタズタにされた相手に、5年生、6年生になってリベンジなどということは決して珍しくありません。3年生の時に完膚なきまでにたたきのめされた子たちが、6年生になって区大会の決勝まで進出というケースも2度ばかりありました。2部リーグでしたが、市大会で優勝まで勝ち取ったこともありました。3~4年のスパンで考えれば、確実に色々な成長を見届けることができます。大切なことは、、個々のレベルで心身両面にどれだ成長があったか、ということです。その点を忘れなければ、何も1、2年生から周囲の大人が勝った負けた、強い弱い、と熱くなることはないのです。

 さて、我が3年生たち。今回はまだ試合のルールさえよくわかっておらず、何をやっているかも良くわからないまま目を白黒させていうちに(笑)大敗したことでしょう。しかし、試合と試合の合間にふと見ると、待機場所においた荷物や水筒の間をぬってドリブル練習をしているではありませんか!!!。もちろん私が指示したわけでなく、彼らが自らはじめたことです。

 そうです。こういうことが成長なのです。何が彼らのスイッチを入れたのかはわかりませんが、彼らなりに「上手くなろう」という思いが持ち上がったのでしょう。その日までは足でボールを扱うより手でボールを抱えている時間が長かった子たちが、自らドリブル練習の形を工夫してつくり実践しているのです。「自ら進んで課題に取り組む」といってはオーバーですが、少なくともそういう心理の萌芽があったことは確かです。

 

 

2016-06-08

同じシーンの繰り返し

15:48

 前回、女子バレーサッカー五輪代表のことを取り挙げ、両者とも決定機に決め切れないことを嘆きました。まったくで同じことの繰り返しが男子バレーサッカーA代表でも見られました。

f:id:johan14:20160608145656j:image:medium:left 男子バレーリオ五輪予選、せっかく流れをつかみかけても何度サーブミスして相手を楽にさせたことでしょう!!!ここで決めてくれれば、という場面でエースのスパイクが何度、相手のプロックにシャットアウトされたことでしょう!!!ちょっとでも十分なトスがこないと安易に軟打かフェイントに逃げてしまう気弱さは、少しで体制が悪いとシュートしないでバスに逃げるサッカーの選手と全く同じですね!!!

 サッカーA代表キリンチャレンジカップ決勝、準決勝で弱体化が著しいブルガリアに大勝して浮かれていたら、本物の実力者であるボスニアヘルツェゴビナに冷や水を浴びせられましたね。何十年も繰り返されている決定機を逃す「お家芸」(笑)を繰り返している間に、ボスニアはきっちりワンチャンスをものにしました。

 f:id:johan14:20160608144954j:image:medium:rightバレーサッカーも、ホームで大観衆の圧倒的なサポートを受け、メディアにスター扱いされている選手がたくさくいるところは同じ。そして、決めるべき所で決められない「絶対的な」「圧倒的な」「他に類を見ない」(笑)勝負弱さも同じ。

 サッカーバレーも、運動能力の高い子が大人の言うなりになっていれば勝てる高校生くらいまでの指導の質が諸悪の根源なんでしょうね。ここまでの間に自分の栄誉欲にまみれた大人が国内で「勝たせる」ことに執着して「勝利のバターン」にはめ込みすぎるから、いつまでたっても自立して臨機応変に立ち振る舞える選手が育たない。

 勉強もそうですね。目先のテストにバスする「術」を覚えることで精一杯になるから、自ら問題を発見して多角的に調べ、知識を深め、広げていく喜びなど得ようがない。図式的な記憶量だけは多くても、それを応用しアレンジする力が乏しい。受験で覚えたものを端から披露しても、火星にロケットを飛ばしたり、難しい国際交渉をまとめたりすることはできないのにね(笑)。

 なんだか日本人って、どうでもいいことにやたらと大きなエネルギーを消費しすぎているように思えるのですが...。話を大きくしすぎか(笑)。

2016-05-27

ああ「決め切れない」ニッポン

11:07

 トゥーロン国際大会U-23代表が散々な結果になっています。しばらく前に五輪アジア予選を突破した時「インターナショナルレベルではわからない」とこの欄で指摘しましたが、やはり心配したとおりでした。一クラス下のチームを送った相手にも勝てないのですから事態は深刻です。

f:id:johan14:20160527102725j:image:medium:left 決定機に決め切れない...。守備の連携の乱れ...。各メディアがその原因を指摘していますが、これって「サッカーで何より一番大事なところ」じゃないですか!?。極端な話、他はどうでもいいからゴール前できっちり守って、チャンスできちんと決めていれば、他はどうでもいいわけですよね、サッカーって(笑)。その優先順位の一番と二番がダメということは、チームとしてどうしようもないということじゃないですか(笑)。

 またその話か...と言われるほど繰り返し言っているのですが「決定機に決め切れない」という課題は98年フランスW杯に初出場した時に岡田監督が改善を求めてレポートしていること。あれから18年。まだ同じこと言ってるんですね。いっそもう「決め切れない」ことは日本サッカーの「お家芸」としてしまってはどうですか(笑)。「決め切れない」サッカーで世界に挑む日本サッカー...なんてね。

f:id:johan14:20160527102006j:image:medium:right 「決め切れない」ことは女子バレーボールも同じ。少し前に「リオ最終予選」なるものを見ましたが「このセットを取れば」「この一点をとれば」という場面でことごとくミス。サーブを入れなかったりスバイクを外したり...。逆に相手はそういう場面をしぶとくもっていきます。何なんだこの差は!?

 そもそもサッカーと違って、負けても負けても何度も何度もいろいろな大会で五輪出場のチャンスがある方式事態が???。今回も「このセットを取れば」というセットをリードしながら最後に逆転されて落としたので「もうだめ?」と思いきや、今度は次のセットを取れば、次の試合に勝てば、みたいに「泣きの一回」みたいなチャンスが次々に回ってきてあれれ?という感じ。

 結局、日本が出場権を獲得する試合の相手はすでに予選突破を決めていてモチベーションが高くない状態。ガチに勝負してもぎ取った、という印象はまったくありません。

 もしかして、これって最初からそういうこと想定した組み合わせ、試合順になっているんじゃないの?と勘ぐりたくなりますよね。まぁ、そもそも、日本が五輪に出られるか否かが決まるような重大な大会を日本で開催する時点で???は結構あるわけですから、そんなこと言ってもしょうがないわけですよね(笑)。

 こうやって、いつもいつも日本のTV局のチカラにモノを言わせて、ジャニーズまで呼んで、体育館全体で日本コールという圧倒的に日本が有利な状況を用意してあげているということは、見方を変えると、ライバル国のメンタルの強さ、逆境での強さを毎回、育ているということです。あからさまな日本びいきを設定することが、かえって相手をより逞しくし、日本のメンタルを弱くして決定機に「決め切れない」選手を輩出し続けているのではないでしょうか。バカげたことです。

 

 

 

2016-05-10

ああ、バカ父、アホ母

11:04

 とある一日。緑豊かな公園を父の車椅子を押しながら散策していると、子どもの泣き声が...。見ると4~5歳の女の子。母親と自転車練習をしている様子。「怖い」「できない」と泣いています。

 まだ幼いのだから自転車なんか乗れなくてもいいのに...と思ったのですが、母親はどうしても乗れるようになってほしいのか、あれこれと乗り方の指示を出しては「やってみなさい」と半ばキレぎみでまくしたてます。母親の語気が強まれば女の子の泣き声も大きくなるばかり。

f:id:johan14:20160510110339g:image:w360:left そんなに自転車に乗れることが大事なのか...泣きながらでも練習するようなことなのか...と思いつつその場を離れ、車椅子を押しながら園内の小高い丘の後方に伸びた散策道をのんびりと回り、15分くらいしてからまた元の場所に戻ってくると、女の子はまだ泣いています。今度は母親だけでなく父親も加わって、泣いている子に厳しい言葉を投げつけています。

 「乗りたいって言ったのは・・・(女の子の名前)だろ!!」

 「それなのになんで怖がってばかりなんだ!!」

 「一生懸命教えてるのに、そうやって泣いてばかりじゃ、こっちだって面白くないよ!!」

 いやいはや、「もともと乗りたいと言い出したのはおまえだ」とばかりに我が子の言質を取って責め立て、挙げ句の果てに「こっだって面白くない」などと、楽しい一日が台無しになったのは、おまえが泣いているからだとばかりに我が子を非難する。4~5歳レベルの許容力?

 一方、母親と言えば、まだヨチヨチ歩きの次女とおぼしき子を抱き抱えるようにして自転車に乗せ、ほとんどサドルに座らせているだけの状態なのに「はーい・・・(次女の名前)ちゃんは怖がらないで上手にできるよね~」と、泣いている長女の前で当てつけがましく次女を乗せた自転車を支えながら動かしています。怖がる長女を発憤させるため???それにしも意地の悪いこと極まりない行為。大人げない。言うまでもありませんが、そんなことを見せつけられる長女は泣き続けるばかりです。

 4~5歳の子供が自転車に乗れないことに対して、まるで自己責任を突きつけるような発言をするバカ父。追い打ちをかけるように次女を使って当てつけがましく非難の感情を示すアホ母。こんな両親に育てられたら、子どもがすこやかな精神とともに育つ期待がもてません。きっとあの女の子も、いずれ同じような視点で人を見ていく子になってしまうのでしょうね....。悲しいことです。

 「あのね。おじちゃんだって乗れるようになったのは小学校に入ってからだよ。自転車なんてそのうち乗れるようになるさ。慌てなくてもいいよ。また練習しようね。もし一生、乗れなくたって困ることはないよ、大人になったら車を運転すればいいんだから」と声をかけて慰めてあげたくなりました。

 私が父と公園に来てから立ち去るまで、30分以上、その子は泣き続けていました。本当に心が痛みました。

 

 

 

 

2016-05-03

レスター優勝から考えること

11:02

 レスター優勝しました!!!

 オッズ5000倍だったといいますから「そもそもあり得ない」というレベルの話。現地コメンテーターの多くも「サッカー界の」奇跡、という表現ではなく「スポーツの」奇跡という表現を使っています。どんなスポーツでもこんなこと前代未聞ということです。

 レスターがどんなチームなのか、大活躍のバーディーがどんな経歴なのか、各メディアがこぞって取り上げるでしょうから、ここで詳しく紹介する必要もないでしょう。

 レスターがプレミアリーグで優勝したことから学べることがあります。

f:id:johan14:20160503102318j:image:w360:left まず一つ目は、チーム、選手とも「自分が何ができて何ができないか」をよく理解し「勝つために何をなすべきか」を徹底することで、無名軍団が年俸が何十倍ものスター軍団にさえ十分に立ち向かえるということ。

 決して華麗ではなく、美技が盛り込まれているわけでなく、手の込んだ戦術があるわけではないレスターのプレースタイルをどのように評価するかは意見が分かれることでしょう。多分、日本なら、南アフリカW杯岡田監督批判されたように「つまらないサッカー」とか「将来につながらないサッカー」などと言われることでしょう。「所詮リアクションサッカー、カウンターだけじゃないか」などという批評も出ることでしょう。

 しかし、一発勝負のトーナメントではなく、十二分に研究されながら戦う長期のリーグ戦でさえも戦い抜けた意思の統一は素晴らしいことと思います。「こんなサッカーオレがやりたいスタイルじゃない」なんてブーたれる勘違い選手など一人もいなかったんでしょうね。

 二つ目は、無名でもロートルでも、しっかりと役割を理解し、持っている長所が発揮できる起用をし、信頼して使い続ければかなりの戦力になるということ。

 少年からプロまで、個人能力の高い選手を集めて並べれば勝てるのは当たり前ですが、指導、コーチングの手腕がわかるのは、評価の高くない選手の使い方。ラニエリ監督はチェルシー時代、期待したほどの結果が残せませんでしたが、スター軍団の「並べ替え」よりも無名軍団の「やりくり」が性に合っていたのですね。

 来季チャンピオンズリーグに出場するレスターが、あの戦い方でどこまで行けるのか、興味津々ですが、その前に、活躍した選手の多くが格上のビッグクラブに引き抜かれてしまうでしょうね。何人が残るのでしょう。

 一方で、大型補強が実現するかもしれません。そうなると今度は、現在のビッグクラブがそうであるように、スターの「並び替え」的なチームに様変わりし、レスターらしさがなくなってしまうかもしれません。ファンは勝ってくれれば何でもいいのかもしれまぜんが...。

2016-04-11

お受験ママ聞きましたか!?ムヒカさんのメッセージ

12:34

 私が尊敬する人物の一人、ムヒカ・元ウルグァイ大統領が来日し、数々の素晴らしいメッセージを残してくれました。

 「あなたが何かモノを手に入れたとき、それは、それを手に入れるために失った時間の代償なのです」

f:id:johan14:20160411113449j:image:w360:left より多くの物質や金銭を多く手にしようとして、私たちはどれだけ貴重な人生の時間を浪費していることか....ムヒカさんはそのことを嘆きます。人生そのものを売って豊かなモノを手入れて何になるのだ、それは生きるために本当に必要なことのなのか、と。際限ない欲を満たすために人生の大半の時間を浪費して、年を取るまで借金(ローン)に追われて、それでどうして幸せなのですか、と。

 生まれてたった8年か9年で受験地獄に組み込まれ、より良い中学、より良い高校、より良い大学、より良い企業と進むことが、よりよい土地に家を持ち、より良いモノを買い、より良いものを食べ、より安心な老後を送ることだ、それこそが「幸せ」なのだ、という神話を信じて我が子を受験に駆り立てる親たちがいます。

 幼い我が子の「老後」まで考えて、楽しく快活に動き、泣き、笑い、作り、壊し、群れ、ぶつかり、考え、悩み、感じ、想い、豊かに創造を膨らませるべき時間を強制的に略奪し、机にかじりつかせて受験術の反復を強要するのです。子供たちは本来あるはずの「子供らしく生きる時間」を奪われます。

 こうして老後まで設計するために早々と略奪されてしまった「子供らしく生きる時間」は、その後、計画通り大企業に入って安心の老後を獲得したとしても、二度と取り戻せません。本来、子供時代に経験すべき「子供らしい時間」を全て奪われた人間は、どんな感性を持つ大人になるのでしょうか。

 人の痛み、苦しみがわかる人になれるのでしょうか? 仲間を思いやれる人になれるのでしょうか? 自分の時間を投げ打ってでも人や社会の役に立つことのできる人になれるのでしょうか? 物質的、金銭的に豊かなら、そういうことはどうでもいいのでしょうか?

 受験だけでなく、私たちの多くは「将来」のために「今」を犠牲にします。そして、その「将来」に期待しているのは物質的、金銭的豊かさであることがほとんどです。一度きりの限られた人生の中で「生きる時間」を削って物質欲を満たす。それが本当の人生の「幸せ」なのか、私たちは考えねばなりません。特に将来のある子供たちが「失う時間」の意味はとても大きいと想います。

 



 

2016-04-09

アスリート不祥事の紺本的な原因

17:51

 バドミントンのトップ選手二名が違法な賭博の常習者だったことが発覚、世界ランク2位の桃田選手の五輪出場が見送られる見通しになりました。

 野球の件も含めて、トップアスリートが社会の顰蹙を買うような事案が出るたびに、彼らの社会性の欠如が取り沙汰されます。少年の頃から勝利至上主義にどっぷりと浸かり「勝てば官軍」の精神が骨の髄まで染みこんでいて、勝てばいい、強ければいい、結果を出した者が幅をきかせる、という心理が形成された結果、いわゆる「天狗になる」「調子に乗る」といった軽率な行動が取られるのです。

f:id:johan14:20160409163849j:image:w360:left そうした事態を予防するために...ということで、少年スボーツでは勝利よりも礼儀、忍耐、協調性など人間性を高めることを重視した指導を、というステレオタイプのコメント、評論が出されます。

 かくして少年も中学生も高校生も、ほとんど意味のないような「礼」をあちこちにペコペコと何度もする風景が日本中で見られます。「自分よりもチームのために」などという優等生の発言を小学生でもします。表層だけを見ると、日本のスポーツ少年たちは間違いなく世界一礼儀正しく、世界一指導者の言うことを遵守し、世界一自分よりもチームのことを優先させているはずです。人間教育が徹底されているから、と思われています。

 そんなに優等生の少年ばかりの日本のスボーツ界なのに、なぜ彼らがやがてトップ選手になると常識のタガが外れ「少し冷静になって考えればわかるはずなのに」と言いたくなるような幼稚な行動をとってしまうのでしょう。

 それは、礼儀とか、規律の遵守だとか、協調だとか、スポーツ技能以外の人間形成に大切な要素すらも、「監督に言われたからやっている」ことであり、少年自らが「大切なことだから」と心の底から感じて実践しているのではないからではないか、と私は感じています。

 「監督に言われたから」と実践していることは、言い換えれば、小言を言う監督がいない場所では効力がなくなります。普段は深々と腰を折り、必要以上に長く頭を垂れるような礼ができる高校生の選手たちが、その一方で万引き、飲酒、喫煙、暴力、いじめをいつまでたっても根絶することができないのは、彼らのやることなすこと全てが「言われて」やっていることだから、言い換えると強制されて守っていることだからであり、監視する人がいなくなると効力がなくなる脆い概念だからなのではないでしょうか。

 何でも指導者の言われたとおり、常に監視者の顔色をうかがいながら、という行動バターンは、表層的には整然と規律あるすがすがしいものに見えます。技能以外の人間性が高く養われているかのように見えます。しかしそれは一皮はがせば、動物の調教と同じで、エサとムチがあってこそのもの、ということも少なくないのではないでしょうか。

 アスリートがあるレベル以上の技量に達すると、多かれ少なかれ唯我独尊になりがちです。そして、良い結果を出し続けていると、周囲は持ち上げる人ばかりになり、苦言を呈する人がいなくなります。「叱られる」人がいなくなれば、あとはムチで打たれない調教動物と同じで、思うがまま、好き勝手をするだけになるのです。

 少年時代から「自分のアタマで考える」という習慣をつけさせてもらえず、勝利至上主義の中、強権の指導者に技能から礼儀まで全て「強制」されたものに従って育った選手の行く末は、考える、判断する、省みる、という能力が極めて乏しい成人になってしまう恐れがあるのです。

 国の支援を受けて日の丸をつけて、世界ランク2位になって、メディアで注目されて、そういう立場でそんなことしたらどうなるかわからないのか...?と常識のある人は言います。しかし、わからなかったのでしょう。「そんなことしたらダメだろう」と叱る人がいなかったので、自分自身だけでは冷静に判断できなかったのでしょう。

2016-03-25

クライフ氏逝去に思う

11:59

 かねてから健康状態が優れないと聞いてはいましたが、68歳の若さでこの世を去ってしまうとは思いませんでした。現役時代のプレーがいくらフライングダッチマンと称されるほどスピーディーであったとはいえ、天国へ駆け上がるスピードはもっとゆっくりでもよかったはずです。

 74年W杯クライフ氏は衝撃でした。

 初戦で古豪ウルグァイに手も足も出させず、何度も繰り返しオフサイドトラップの餌食にしつつ完勝した試合のプレー、アルゼンチンのゴールエリア付近で難しいトラップを一発で決めGKをかわして挙げたゴール...。東ドイツ戦では途中で雨が降り出したためスパイクを履き代えたのですが、相手の密着DFはクライフ氏が靴を履き替える間(試合は続行中)でさえもタッチライン横で待ち続けていたというシーンもありました。伝説の「クライフターン」が披露されたのはスウェーデン戦、「フライングダッチマン」の称号のきっかけとなったジャンピングボレーは前回(70年)王者のブラジルを2-0で葬り去る試合で飛び出しました。そして、地元・西ドイツと対戦した決勝戦、キックオフから1分、たったの一度も西ドイツの選手にボールを触らせないまま、当時、密着マークをさせたら世界一だったフォクツ選手を振り切ってPKを獲得した圧巻のスーパードリブル....。

f:id:johan14:20160325120719j:image:w360:left それ以来、クライフ氏を「神」として信仰するようになった私の背番号はずっとクライフ氏にあやかって「14番」。今乗っている車のナンバーも「14」。このプログのIDも「johan14」。さまざまなことにクライフ氏にまつわるものを使わせていただきました。

 人生最大の出来事とは何だ、と問われたら、迷わずそのクライフ氏を直接、取材できたことと答えます。

 幸運なことに二度、氏の自宅内でサッカー論のあれこれを拝聴することができました。クライフ氏自身が故郷のオランダでプロのトップチームに招かれた17歳当時、痩せて非力だった彼のコーナーキックがゴールまで届かなかったという逸話、バルサの監督だった当時、逸材と目をつけたグァルディオラを一軍に登用しようとした際、周囲のほとんどが反対したのを押し切ったという逸話などなど、予定の時間をはるかにオーバーして熱く語ってくれたクライフ氏と共有できたあの時間は、私の人生最大の宝物です。

 氏の「美しいサッカー」へのこだわりに関しては、さまざなま所で紹介されているのでここでは敢えて触れません。しかし、氏が単純に華麗なプレーを追求していただけでなく、その裏付けとして常に「クレバーさ」にこだわっていたことも付け加えておきましょう。「同じパス回しの練習でも、区切られたエリアが四角い場合と丸い場合とではポジショニングが違ってくるよね...」などと、身振り手振りを交えて、的確な状況判断の重要さを語ってくれたのでした。

 「技術を重視するあなたの哲学は十分理解できますが、コンパクトな陣形でプレスが激しくなっている昨今、かつてのようにテクニックを駆使するのは難しいのでは」という私の質問に対して「激しいプレスにやられるのはテクニックが低下しているからだ。正しくテクニックを磨けばプレスなんて関係ない」と一喝されたことは強く印象に残っています。「そりゃ、あなたの技術ならわけもないことでしょうけど...」と心の中で苦笑いしたものです。

 「今は理論が先走りすぎて、創造性がないがしろにされている。机の上でフットボールが作られている。その典型的な例がファン・ハールだ」などと、当時、日の出の勢いで注目されていた母国の後輩監督を批判もしていました。「理屈でフットボールを作るから、強い肉体で当たり続け、長い距離を走り回るプレーになってしまう。私なんか、センターから左右に15mくらいづつしか走る必要がなかった」とも。

 クライフ氏の語った理想は今、実現しているのでしょうか?66年イングランド大会から2014年ブラジル大会まで13のW杯を見てきて、マイベストは「74年」としてしまうのは、個人的な思い入れの強さゆえなのでしょうか...?

 

 

2016-03-20

進学の季節に思うこと...

13:02

 卒業、進学のシーズンです。スポーツと勉強との両立を考える時期でもあります。

 スポーツなどやる暇があれば模試や特訓教室に参加すべき。そうでなければ受験戦争に勝ち残れず、勝ち残らねば将来の「良い生活」が保証されない...とせき立てる親たちに押さえ込まれ「受験術」という本来の「学習」とは似て異なる作業に強制的に没頭させられる子供たちが出てくる季節でもあります。

 それなりの企業の「社畜」になり、35年ローンでまあまあの土地にそこそこの家を建て、子供はできれば名の通った私立校で学ばせ、年に一回くらい家族旅行ができるような生活ができることを人生の目標としろ...と子供に強制するならそれもいいでしょう。そういうことこそ人間の究極の「幸せ」なのだ、という人生観なら...。

f:id:johan14:20160320130146j:image:w360:left 過去40年近く少年の指導に携わって、そうした人生観を持つのであろう親の子どもが、多感な時期に早々と「将来の良い生活」を念頭に受験体制にねじ込まれていく姿をいやというほど見せられてきました。そして、彼らの成長した「その後」を何百例も確認する中で「あれが親の思い描いていた未来だったのか」...と複雑な気持ちになる例が後を絶ちません

 港北FCのようにナイター練習のクラブチームでは勉強がままならず、進学の内申書でも不利だからと、学校の「部活」でプレーすることを選択する家庭があります。しかし皮肉なことに、3年後の進学先がクラブチーム出身の子と同じ高校だった、などという例はいくつもあります。そして、その高校から大学受験をしたら、現役で合格したのがクラブ出身の子で部活を選んでいた子は浪人、などという例も数知れず。

 世間で言う「良い学校」から「大きな会社」に入ったものの1年で退社しフリーター生活なんていうのもありました。ノイローゼで引きこもり、というケースもありました。ストレスで暴飲暴食、別人のように肥満体になってしまったというケースもありました。

 このように、一見、想定通りの出世コースに乗ったものの、やがて人としてどこかに心理的歪みがでてしまった、というケースに共通するのは、少年時代の強権的な親の存在です。「世の中を勝ち抜く方程式とはこれだ」と決めつけて、有無を言わさず子供をその軌道にねじ込む親です。

 思春期くらいまでは、何となく「そういうものだろう」と親の言うがままになっていたものの、やがて決められたコースに乗るだけでは打開できないことが世の中には数多くあることに気づく。しかし、親の「飼い犬」と化していたじ自分はその能力があまりに未熟で「成熟した大人の世界」では太刀打ちできないと気づく。言われたことをまじめにこなすことなど当たり前で、勝負はそれ以降の企画力、創造力、臨機応変な対応力と、それらを決断できる自立した実行力であることに愕然とする。

 何であんなになったんだか...と親は嘆くのですが、成人してからでは取り返しがつかないのです。単語や数式を何百覚えても、社会を逞しく動かしていく「人間力」は、少しも醸成されないのです。