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シネマの舞台裏(金子遊のブログ)

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2006-08-17 華城連続殺人事件 〜殺人の追憶〜 

johnfante2006-08-17
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 悪魔め!

 この世に存在するすべての呪いをきさまに浴びせても私の心は晴れない。

 常にしこりが残る。いくら呪ってもこの怒りは静まらない。

 きさまを罵りながら呪ってもふと被害者の顔を思い浮かんだときは、頼むから殺人をやめてくれと、つぶやくときもある。

 しかし、きさまは殺人をやめない。きさまはむしろ、より残酷になった。

 ああ、この怒り! この怒りがおさまらない。

 きさまは私が捕らえる。必ず捕らえてみせる。


〜「殺人犯へ送る手紙」河昇均(ハ・スンギョン)(華城事件の現場捜査チーム長)〜


1人目、2人目の犠牲者


 韓国の首都、ソウルから南に約50キロ、電車で一時間。京畿(キョンギ)道・華城(ファソン)市の田舎町でそれらの事件は起こった。

 稲刈りの終わった牧歌的な田園風景のなかで。

 今まで(2004年現在)華城連続殺人事件に投入された人員は、約34万人の捜査員を含め、のべ200万人に達する。

 2万人を直接取り調べ、4万人の指紋を照合し、580人のDNA鑑定もした。韓国の犯罪史上、類を見ない規模である。


 1986年9月15日、早朝6時20分頃、イ・ワニさん(当時71歳)の殺害事件は起こった。 

 発生した現場は華城市台安邑安寧里の道端にある草むら。遺体は下半身だけ服を脱がされた状態だった。

 イ・ワニさんは前日、家の畑で栽培した大根数束と唐辛子を水原(スウオン)市(隣町)内にある市場で売ったあと、家から1時間ほど離れた場所にある娘の家に寄った。

 そこが事件現場となる台安邑安寧里であった。

 娘の家で一夜過ごした老婆は、家の畑の仕事が心配で、日も昇りきっていない早朝に娘の家を出て、そのあと失踪し、4日後に町の住民によって遺体のまま発見された。

 娘の家のすぐ近くの人家のない路地だった。犯人は歩いていたイ・ワニさんを草むらに引きずり込み、服を脱がせて犯行に及んだ。

 そして、抵抗する被害者の首を絞めて殺し、所持品をあさり、金を持って逃げた。

 被害者の下半身だけ裸にして、脚をX字に交差させたあと、腹部に密着させた点が特徴(書籍に発見当時の生々しい写真あり)といえる。

 検死の結果、精液の反応は現れなかったが、状況から性の犯罪が行われた可能性を考えずにいられない。

 被害者が吐き出した胃腸の内容物が草についていた。


 パク・ヒョンジャさん(当時25歳)は、家事手伝いをするおとなしい娘だった。

 台安邑松山里に暮らすホさん(当時44歳)の養女であり、ホさん宅を頻繁に訪れていた。

 養母のホさんは、パク・ヒョンジャさんの結婚相手を探しており、お見合いをさせてもいいと思った青年が現れたので、ホさんは彼女の自宅に招いた。

 1986年10月20日のことだった。

 パク・ヒョンジャさんは養母の家に午後2時ごろに着き、近所の青年と楽しくお見合いの食事をした。

 午後9時ごろ、ホさんの家をあとにして、バス停に向かう途中で失踪した。

 3日後、畑に出ていた住民によって遺体が発見された。

 稲刈りのあとの枯れ草が広がる田園風景。

 パク・ヒョンジャさんは、セメントでできた農水路の中で裸のまま、仰向けで体を折り曲げられた状態だった(書籍「華城事件は終わっていない―担当刑事の綴る『殺人の記憶』」に発見時の写真あり)。

 胸部にはドライバーのようなもので4ヶ所ほど刺された傷があった。

 解剖の結果、膣液から精液の陽性反応が出たが、血液型は判定不能。ただ、現場に残された空の牛乳パックからB型の唾液が検出された。毛髪もB型であった。

 被害者がO型であったことから、犯人の血液型はB型である可能性が高かった。

 1人目の犠牲者が出た場所から、さほど離れていなかった。


3人目、4人目の犠牲者


 グォン・ジョンスンさん(当時24歳)は結婚して間もない平凡な主婦だった。

 1986年12月12日、水原市内で夫と夕食を食べた彼女は、夜10時半ごろ、ひとりでバスに乗って帰った。

 夫はまだ仕事があったのだ。

 彼女はそれきり行方不明になった。

 遺体が発見されたのは131日後。

 田の畦のなかに埋められており、発見者はその畑の持ち主だった。

 ひどく腐敗しており、形態すらまともに把握できない。 

 口は彼女のガードルとストッキングでふさがれ、ストッキングのもう片方が首に巻きつけられていた。

 被害者のパンティが頭から顔にかけて、かぶせられていた。

 外傷はなかった。

 ひどく腐敗していたため、解剖もできなかった。


 イ・ゲソンさん(当時21歳)は、小さな会社に勤める平凡な女性だった。

 周囲の人々からよく可愛いと言われていた。

 1986年12月14日、会社の仕事のあと、親戚の紹介で水原市内にある喫茶店でお見合いをした。

 互いに好感を持ち、ふたりで夕食をしたのち、夜の8時40分ごろに別れて、ひとりでバスに乗った。

 バスを降り、田園地帯を歩いて家に向かう途中で失踪した。

 7日間捜索がつづき、町民のひとりが田の畦に積み上げておいた胡麻の束に注目した。

 束の下から赤い服が見えたからだ。

 事件当日は雨だった。イ・ゲソンさんは両手を後ろにまわしたままブラウスで縛られていた。

 ストッキングが首に巻きつけられ、ガードルが頭と顔にかぶせられていた。

 傘の柄に血がついており、犯人がそれで被害者の陰部を何度も差したことがわかった。

 処女膜がひどく破れていた。

 現場に残された毛髪、陰毛、一部の血痕からB型の反応が出た。

 この事件以降、「雨の日の赤い服」を見ると犯人が興奮し、犯行をおかすというデマが住民の間で流布された。


 △悗弔鼎