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シネマの舞台裏(金子遊のブログ)

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2009-12-29 映画芸術評論賞

johnfante2009-12-29

今年最後のエントリーをどうしようかと考えていたら、「第1回映画芸術評論賞」の佳作を受賞したとの朗報が入りました。


http://eigageijutsu.com/article/136847298.html


1月30日発売の「映画芸術 2010冬号」に掲載予定です。

色々なことがありましたが、最後をいいニュースで締めくくれて良かったです。


f:id:johnfante:20080731193535j:image


「批評の奪還 松田政男論」と題して、原稿用紙50枚ほどの評論を書きました。

(上の写真は、松田氏の近影です)

論旨は以下のようなものです。



ここ30年近く蓮実重彦の「表層批評」を標榜した主題論的な批評言語が、映画批評の言葉のなかで圧倒的な影響力を持ってきた。

蓮実の批評言語は、作り手に向けられた言葉として映画作家を生み出す手助けをしてきたという長所がある反面、映画的記憶と称して映画名や作家名を列記し、読者に映画的知識を強いる強迫的なところがある。

そのことによって、固有名詞ばかりを並べ立てる偽のシネフィルを生み出してきた。

また、ヌーヴェルバーグ的な映画観を強調するあまり、映画を映画監督ひとりの手柄に還元してしまうきらいがあり、脚本・撮影・美術・音楽などの多要素から成る総合芸術としての映画の側面を後退させてしまった。

このように衰弱させられた映画の批評言語から、いかに私たちは映画を語るための言葉を奪還できるのか。

松田政男の風景論、沖縄的出自と「第三世界」の問題、政治活動と批評家のあり方を読みながら、これからの批評言語のあるべき姿を考えていく。


それでは皆様、よいお年をお過ごし下さい。