シンクロばかり

また、小説にまつわるシンクロニシティが! ――新しい作品(12月に出るものではなく、その次の作品)に「タイのスワ○ナプーム空港」と書いたのはいいが、実は自分で行ったことがない(わたしが最後に行った頃はまだドンムアンが国際空港だった)。だから、しょっちゅうタイに行ってる友人に新空港の様子に関して訊き、裏をとらなければ、と思っていたのが、ちょっと前のこと。
先週、その友人から「今日の今日だけどランチでもどう?」と突然の連絡があったのだけど、タイミング的にあまりにも時間の余裕がなく、「別の日にしよう」と断ってしまった。でも…うーん、○ワンナプームの取材はしたかった…と思っていたら…ちょうどその日の夜、テレビのニュースをつけると、そこにスワンナプー○空港占拠の様子がまんまと写っている! 
『世界人類…』のときは、書いている最中に秋田のなんとか鈴香の事件が起こり、作中の子供の名前を「あやか」にしていたのを慌てて「あやね」に変えた、ということがあった。『カルトの島』では最後に「羊水」と書いたら、発売直後に「k田k未羊水発言」が話題になった。(ここまでは前にも少し書いたかもしれない。)今月末に出る新刊でも実は、最初の方に「チベット対中国」のようなことを書いたらその後すぐチベット問題が起きた、というような事がもう既に出始めている。その他、書かないけど細かいシンクロ多数。
こういうことを書くと「そんなの偶然だろ」と馬鹿にされるかもしれないというリスクがあるのだから、むやみに言いたくはないし、言っても何の宣伝にもならないのだけれど、実際にそうであるし、頻発すると忘れそうなので、自分用の記録としてここにメモしておく。とにかくわたしが書くことは、何故かやたらとニュースになったり、私生活上の現実となったりして現れてくるのだ。こうなると、もはや驚くというより「またか」というような気分だ。そして、本人に「予知」というような自覚がないのでまったく何の役にも立たない、単に「シンクロニシティだね」としか言えない、というのが情けないところ。
あと、わたしの場合、こういう妙なシンクロは、芸術方面を媒介にしないと起きないらしい。日常的には霊も見ることができない、どちらかというと鈍感な、普通の人です。文学とか芝居とかの中にだけ、別次元の世界に通じる破け目(わたしにとっての)があるみたい。(文=目黒条