もりのひとの寄り道 RSSフィード

2011-02-11

「玉藻」最終話

| 11:11 | 「玉藻」最終話を含むブックマーク

 次の日、『玉藻』の記録撮影のためにやってきたのは、真っ黒なサングラスの怪しげな男だった。ぼくとマコ姉は二人揃って玄関でその男を出迎え、マコ姉はあいさつと、ぼくら二人分の自己紹介を済ませると、じゃあ、撮影はどちらでなさいますか、と尋ねた。

 するとその男は、ふっふっふっ、と含み笑いを漏らしたかと思うと、

「ジャジャーン。」

と言ってサングラスを外した。その瞬間、マコ姉は顔面蒼白になって、ガクリと膝から崩れ落ちた。

 サングラスの男は、おじいちゃんだったのだ。

 ぼくは一瞬何が起こったのかわからず、目を白黒させていた。おじいちゃんは肩にかけていたカメラバッグを床に下ろすと、えっへんとばかりに腕組みをして、話し出した。

「いやいや、ビックリしたかね。すべてを仕組んでいたのは何を隠そう、この私だったのだよ。事の始まりは、翔太が初めて一人で我が家へやってくる、という連絡を受けたことだった。私は孫息子の記念すべき初一人旅を祝福すべく、『冒険』をプレゼントしようと思ったのだ。それで考えたのが、偽書をつくり、その偽書に込められた陰謀を暴くまでの物語だ。その偽書には実は、本当に存在したはずの『玉藻』という物語と正反対の物語が書かれていた。それを知り、そしてそれがどうして書かれたのかを推理して欲しかったんだが……。いや、昨日のトラブルにはこちらも驚かされた。何しろ『玉藻』の内容をいっさい読み取らずに偽書だと知ってしまったのだからね。しかも二人ともとんでもない有様でわんわん泣き喚くし、さすがに祖父として心が痛んだ。しかしこちらも大変な元手をかけてこの『冒険』を演出していたからね、何しろ偽書版の『玉藻』の執筆からはじまってだね、古書捏造の専門家に渡りをつけ、料金を支払い、蔵の中の本も、もともと整頓されていたのをわざとぐちゃぐちゃにするのには大変な手間が……。」

 ぼくはあまりの馬鹿馬鹿しさにめまいがしてきて、目を閉じて滔々と語るおじいちゃんの相手をする気がまったくしなくなってしまった。隣では、マコ姉が相変わらず真っ青な顔で「やられた……」とつぶやいている。

「ねえ、マコ姉、どしたの?」

 ぼくがおじいちゃんがいい気分で演説してるのを邪魔しないように、こっそりマコ姉に尋ねた。

「どうかしてた……そうだよ、藤堂貴宗だったんだよ、私たちのおじいちゃんは……。」

「おじいちゃんが藤堂貴宗って名前なのが、どうかしたの?」

 マコ姉はようやく正気を取り戻した様子で、こちらに向き直った。

「翔太お前、ずいぶん読書傾向に偏りがあるみたいだな。」

「いったい何の話してるの?」

「だから、おじいちゃんはミステリー作家なんだよ。現役バリバリの!」

「……ぼくたちを実験台にして、作品が実際に成立するか試してた、とかそういうこと?」

「そういうこと!ああもう、悔しい!なんで気付かなかったんだろ、バカバカ!」


 マコ姉はずっと悔しがってたけど、ぼくはあの本がおじいちゃんが作った偽物の本で、本物の古書でなかったことですごくホッとしていた。ぜんぶおじいちゃんのお話だったんだ。よかった、おじいちゃんの信頼を裏切ったわけじゃなくて。おじいちゃんに意外な一面があることもわかったし、なんか怒ったり泣いたりいっぱいしたけど、終わってみれば全部いい思い出だ。マコ姉にはブスなんて酷いこと言って、悪いことしちゃったな。ああでも、マコ姉のおっぱいは柔かかったなあ。もっとじっくり味わえばよかった。

profaneprofane 2012/01/17 03:51 明けましておめでとうございます。今年はよろしく。

わたくし、実は、ないしょですが、歯医者に通ってます。駅前の巨大なビルの、上の方にある歯医者です。施術台に座って、主治医の金持ちを待っていると、青い空と白い雲が目に優しいです。治療は厳しいです。

で、実は、ないしょですが、水曜日、朝から歯医者でした。だから、火曜夜ではなく、水曜昼、正午過ぎからにしません?気が向いたら、電話なさい。あと、携帯とか買いなさい。しつこいけど。タコみたいにしつこいけど。

たけおたけお 2012/01/18 21:43 あけましておめでとうございました。去年はよろしくされてなかったみたいですね。

ということで、こちらのコメントを完全に無視してあなたのお店に突入してしまいました。アルコールを摂取した翌日は麻酔の効きが薄れるという説が確かなのか、確認および報告をお願いします。携帯はどうしよっかな。仕事探しには欠かせない気もする、のだが。

2011-02-10

「玉藻」14

| 06:34 | 「玉藻」14を含むブックマーク

「ただいまー。」

という声がどこかから聞こえて、どやどやといくつかの足音が聞こえた。

 パチッ、という照明のスイッチの音がして、途端にシホの甲高い声が響いた。

「うわあおう、二人とも、いつの間にそんな関係になってたのよお。」

 すぐさま京子伯母さんの声。

「あらやだ、若い子たちは情熱的ねえ。」

 続けておばあちゃんの声。

「あんたたちふざけたこと言ってんじゃないよ。この子たちがそんなことするわけないじゃないか。」

 ぼくとマコ姉は、抱き合ったまま眠り込んでいたのだ。目を開けようとしても、なかなか開かない。きっと、泣きすぎてひどく腫れてしまっているんだろう。とにかく身体を起こして、気合で目をこじ開けると、顔を真っ赤にしたマコ姉が、ぼくと同じようになんとか起き上がろうとしていた。

 おばあちゃんたちがワイワイ言いながら、買ってきたものを冷蔵庫に入れたりしている音がしている。明るくなった部屋で、ぼくらは、さっき起こった出来事が夢だったことを祈るように、『玉藻』のほうを見た。やっぱり、破けている。現実だった。もうパニックにはならなかったけれど、胸の奥がうずいた。

「あ、れ?」

 マコ姉が素っ頓狂な声を上げた。腕を上げて、『玉藻』の破れ目のところを指差す。「白いよ、コレ!」

「え、どういうこと?」

「ほら、破れ目をよく見て。紙の表面と、全然色が違う。ねえコレ、古く見えるように表面を着色してあるだけなんじゃないの?」

「はあ?」

「だ・か・らあ!偽書だよコレ!偽物、に・せ・も・の!」

「ええええええ?」

 ぼくらは何度もその破れ目を確認して、本当に偽物だったらしいことを確信した。おじいちゃんがくれた、大事にしなきゃいけない本であることに変わりはない。でも、ぼくらの気持ちがその発見によって、ずっと軽くなったことは事実だった。


 その夜、夕飯のあとに、またマコ姉がぼくのところにやってきた。

「ねえ翔太、また百万円のひとからメール来ちゃった。」

「何それ、諦めきれない、とか?偽物でした、って返事しとけばいいんじゃない?メールに写真添付して送れば信じてくれるよ、きっと。」

「ううん、それはもう伝えたんだよ。でも、偽物でもいいからどうしても記録しておきたいんだって。カメラ持ってうちに来たいって。撮影はこっちでやってメールで送りましょうか?って言ったんだけど。それじゃ不満らしいんだよね。どうする?」

「別に構わないけど……ヤだね、変なひとだったら。」

「変なひとなんだろうね。でも、ここまで変だとちょっと見てみたいな。」

 確かに、といってぼくらは笑った。じゃあオーケーの返事出しちゃうからね、とマコ姉は戻っていった。その後でふと、あれ、なんでぼくマコ姉とこんなに仲よく話してんだろう、と思った。

2011-02-09

「玉藻」13

| 07:42 | 「玉藻」13を含むブックマーク

「触らないでよ、ぼくの本に。」

 マコ姉はさっきの出来事なんて覚えてないみたいに、いつもの調子で答えた。

「いーじゃん。どーせあんた読めやしないんだから。」

 この一言で、またぼくの理性は決壊してしまった。

「いいから返せよ。勉強してすぐに読めるようになってやる。」

 まだ、マコ姉は手放さない。

「放せよ、ブスマコ。」

 ぼくは手に軽く力を入れていた。マコ姉は、「ブスマコ」という言葉に一瞬反応して、ページをめくっていた手に力を入れてしまった。

ビッ。

二人が飛び退るようにしてその場を離れたのは、ほとんど同時だった。聞こえてはいけない音がした。マコ姉は身体をのけぞらせたまま、硬直していた。元々大きな目が、さらに大きく見開かれていた。ぼくだけが、ふらふらと本のそばに近付いていった。

確かめたくはなかった。でも、確かめないわけにはいかなかった。確かめずにいられなかった。ちょうど開かれていたところ、右側のページ。綴じたところから一センチくらいの上端に、ほんの三ミリほどの、けれど否定することのできない破れが生じていた。

もう、わけがわからなかった。ぼくの胸の真ん中に突然ブラックホールができて、すべての内臓を飲み込もうとしているような、今まで味わったことのない苦しみが襲ってきた。ぼくの口からは、そんなつもりもないのに、う、う、という音が漏れた。マコ姉と目が合った。不思議と怒りは湧かなかった。マコ姉の表情は悲痛な叫びに満ちていた。ぼくもきっと、同じような顔をしているんだと思った。ぼくの口から、言葉がこぼれ落ちた。

「お、おじ、おじいちゃん、おじいちゃんがぼくに託してくれ、たんだ、し、信頼してたから、信頼してくれたからぼくのものだって、言って、言ってくれたのにぼくは、だい、じにしようと思ってたんだ。思ってたからおばあちゃんに端切れをもらって包んでたんだ。それなのに、それなのにそれなのにぼくは……。」

 それから先は嗚咽にしかならなかった。泣いたらダメだ、泣いたら涙がこぼれる、涙がこぼれたら本が濡れちゃう、ダメだダメだと思っているうちに、パタッ、パタタッと本に涙が落ちる音がした。どうしようもなかった。ぼくはただわあわあと泣くことしかできなかった。他に何もできなかった。

 不意に顔から肩、背中にかけて圧力を感じた。ぼくはわあわあ泣き続けていた。マコ姉がいつの間にか起き上がり、ぼくを抱きしめているのだった。

「ゴメンゴメンゴメンゴメン、翔太ゴメン私が悪かったよ。全部私が悪いんだ、ゴメンよ、ゴメンよ、許して翔太ゴメンよゴメンよう……。」

 ぼくはわあわあ泣き続けて、マコ姉はゴメンゴメンと謝り続けた。その時間はいつまでもいつまでも続くような気がした。背中にサラサラとマコ姉の長い髪が当たっていて、ぼくはなぜか天使に抱きしめられて慰められているような幻影を見た。マコは、悪魔の革命姉ちゃんのはずなのに。諸悪の根源のはずなのに。

2011-02-08

「玉藻」12

| 07:22 | 「玉藻」12を含むブックマーク

ぼくははしゃぐマコ姉をじっと睨みつけていた。何も答えなければ、すこしは頭を冷やしてくれるかと思ったからだ。信じられない。ぼくは身体の芯から震えるような怒りを覚えていた。マコ姉は、ひたすらお祭り騷ぎを続けていた。

「勝手なことしないでよ。誰が売っていいって言ったんだ。絶対に売らないよ。ごめんなさい売れませんって謝罪のメール、今すぐ書いてきてよ。」

 ぼくは自分でも聞いたことがないような声で喋っていた。マコ姉もようやくぼくが本気で怒り狂っているのに気付いて、すこし落ち着いたらしかった。

「なんだよ、そんなに怒るなよ。いーじゃないか、どうせ昨日まで翔太のモンじゃなかったんだろ?最初っから貰わなかったと思えばいいじゃないか。百万円が空から降ってきたみたいなもんなのに。」

「売らないったら、売らない。いい加減にしろよ!」

 ぼくは全身全霊を込めて怒鳴った。その直後、ぼくをかわいい孫だと思ってくれているおじいちゃんおばあちゃんを、もしかしたら悲しませたんじゃないかと思ってすこし後悔した。でも、どうしても譲れない。

 マコ姉もぼくの剣幕にさすがに諦めたらしく、あーあ、興醒め、とぶつぶつ言いながら、またパソコンのある部屋に去っていった。ぼくはイライラが止まらずに、ずっと部屋を歩き回っていた。誰かにどうしたのと聞かれて、事情を話すような羽目には陥りたくない。とにかく気持ちを落ち着けよう、と思って、ぼくは散歩をすることにした。

 一時間ほどして、ぼくは家に戻った。イライラはなかなか消えなくて、景色もほとんど目に入らなかった。でもなんとか平常心らしきものを取り戻して、すくなくともマコ姉以外の相手なら普通に話ができそうな精神状態だ、と判断してから帰ってきた。

 ところが、家に上がり、居間に入ったぼくの目に飛び込んできたのは、寝っ転がって『玉藻』のページをめくる、マコ姉の姿だった。ぼくはこめかみのあたりに激しい痛みを感じながら、かろうじて問い掛けた。

「マコ姉、何してるの?」

「おかえりー。いや、気になっちゃってさ、百万出しても買いたいっていう奇特なひとがいるって、本の内容が。あ、断りのメールは出しといたから、安心しなよ。」

 ぼくは自制心を最大限に発揮しながら、マコ姉に近付いた。自分を必死で抑えなければ、飛び掛ってしまいそうだったからだ。ぼくはゆっくりゆっくりマコ姉の隣に座ると、『玉藻』の端を掴んだ。直接手で触るのを避けられるほどには、理性は働いてくれなかった。

2011-02-07

「玉藻」11

| 10:13 | 「玉藻」11を含むブックマーク

「玉藻、か。」

 マコ姉がぽつりとつぶやいた言葉に、ぼくは耳を疑った。

「知ってるの、マコ姉?」

「いや、知らない。読めるだけ。」

「読めるだけでもすごいよ。へー、たまもって言うんだ、この本。どういう漢字なの?」

 んー、と言いながらマコ姉はあたりを見回したけど、そんなに都合よく紙とペンがあるわけもない。と思ったら、マコ姉はぼくの左手を取って、指で字を書いてくれた。くすぐったかったけど、ありがたかった。

「どうしてこんな字読めるの?」

「まあ、書道やってたからね。しばらく。」

「すごい。ぼくも読めるようになりたいな。母さんに頼んで習わせてもらおうかなあ。」

「部活で十分じゃないか?高校のときは、選択授業でも取れたな。」

 野蛮な悪魔だと思っていたマコ姉に、こんな特技があったなんて知らなかった。ぼくは一気にマコ姉を見直してしまった。

「なあ翔太。」

「なに?」

「これ、売ったらいくらになるかな。」

 芽生えかけてた尊敬の念は一瞬で消え去った。

「売るわけないじゃん、おじいちゃんからもらった大事な本なんだから。」

とぼくが言うのを完全に無視して、マコ姉はドタドタと部屋から出て行って、またすぐに戻ってきた。その手には、デジカメが握られている。そしてバシバシとフラッシュを焚いて撮影を済ませると、マコ姉はどこへともなく去ってしまった。

 なんだか、ものすごく嫌な予感がする。


 蔵の整理はもう終わったけど、一週間早寝早起きを続けたせいか、翌朝も七時には目が覚めてしまった。朝ご飯を食べてボンヤリしていたら、マコ姉がバタバタとやってきて、頬を上気させて叫んだ。

「翔太、百万円だ。やったぞ!」

「……なんのこと?」

「玉藻だよ、玉藻!昨日の夜、ネットオークションにかけてみたんだ。いや、売るつもりはなかったんだよ、ただどのくらいの値段になるか興味があってさ。そしたら結構早く入札されたから、別IDでチクチク値段を吊り上げてたんだよ。千円からスタートしたのに、競り相手がヒートアップしちゃって、二万五千円くらいまでいったのかな、そしたら直接取引きの申し込みしてきて、こっちも売るつもりなんてないから、絶対に買わない値段をつけようと思って、百万円ですってメール書いて返信したらさあ。買うって返事が来たんだよ、どうする百万だぜ百万!分け前は半分でいいぞ。いやー、季節外れのお年玉だあ!しばらくバイトしなくていいぞ!」

2011-02-06

「玉藻」10

| 11:22 | 「玉藻」10を含むブックマーク

 結局、作業完了までには一週間かかった。ぼくとおじいちゃんは毎朝早めに朝食を済ませ、日が高くなる前に作業を終え、昼食をとってから午後の時間を過ごした。午後には近所の市民プールに泳ぎに行ったり、おじいちゃんに映画館や喫茶店に連れて行ってもらったり、セミやカブトムシの取り方を伝授してもらったりした。そんないかにも夏休みといった時間も、もちろん楽しかった。でも、午前中の蔵の整理には、どこか自分を特別な存在だと感じさせてくれるような、そんな喜びがあった。尊敬するおじいちゃんと一緒に過ごして、たくさん話を聞けること。おじいちゃんが、ぼくの話に真剣に耳を傾けてくれること。そして何よりも、貴重な本の扱いを、ぼくに任せてくれること。蔵の中には、昭和や明治どころか、江戸時代や、なんと室町時代古書まで所蔵されていた。一度テレビで、白い手袋をつけた博物館のひとが、とても大事そうに古書を扱っているのを見たことがある。そんなものを、おじいちゃんはぼくに運ばせてくれたのだ。おじいちゃんは毎日のように「ありがとう」と言ってくれたけど、それはぼくからおじいちゃんに伝えたい言葉でもあった。

 ただ、蔵の整理を終えて、ひとつだけ問題が残った。

 目録に載っていない古書が見つかったのだ。それは他の古書に比べてひときわ古びて見える本だった。室町時代古書よりもずっとだ。おじいちゃんとぼくは、この本を碁盤のようにじっと見つめながら、すっかり考え込んでしまった。すると、おじいちゃんが突然言った。

「よし、翔太。この本はお前のものだ。」

 ぼくは口を開けて呆然とする以外に、どうしようもなかった。しばらく放心状態で、ようやく口にすることができたのも、言葉にならないような言葉ばかりだった。

「で、な、だ、ダメだよそんな。こまっ、ぼくっ。」

 でもおじいちゃんは、冗談で言っているつもりはまったくなさそうだった。

「まあいいじゃないか。こうして私たちが見つけなければ、いつまでも埋もれたままで、火事で焼けていた可能性だってある。学術的な観点からは私の振る舞いは完全に失格しているだろう。だが、もしかしたらこの一冊が、お前を大きく育てるかもしれない。どうだろう、翔太。受け取ってくれないか。」

 おじいちゃんの目は、真剣そのものだった。ぼくには、断ることができなかった。

 その日の晩、ぼくは布団に入る前に、居間の縁側にそっと本を置いた。おばあちゃんから端切れをもらって包んでおいた、その包みを開いた。ぼんやりと、表紙を眺めた。改めて、とんでもないことになった、と思った。なんだかとてつもなく貴重なものなのに、その持ち主たるぼくは、この表紙に書かれたくねくねした文字すら読めないのだ。どうしたらいいんだろう、と途方に暮れてしまった。途方に暮れたまま、じっと本を眺めていた。

「月明かりに学ぶか少年よ。ずいぶん渋い絵だな。」

 突然の声に振り向くと、マコ姉が立っていた。マコ姉はドスドス布団を踏みつけながらこっちに歩いてきた。ぼくはとっさに本をかばうような体勢を取った。

「どったの、それ。」

 マコ姉は顎で本を示しながら尋ねた。

「蔵の整理してて、おじいちゃんにもらったんだ。」

 ほほう、と言いながら、マコ姉はぼくをグイと押しのけて本をまじまじと見た。ぼくはなんとか本を守ろうとしたけど、マコ姉は押しても引いてもビクともしなかった。

2011-02-05

「玉藻」9

| 11:35 | 「玉藻」9を含むブックマーク

「ごちそうさまでした。おいしかったあ。」

 何はともあれ、晩ご飯は終了した。自分の食べた食器ぐらいは片付けようとしたら、シホとマコ姉にギロリと睨まれ(私たちまでしなきゃいけなくなるだろ、って意味だと思う)、しかも台所の前で京子伯母さんに、

「男子厨房に入らず。」

と言われて追い払われてしまった。その後縁側でおじいちゃんと囲碁を打っていたら、

「『孟子』に書かれている内容はすこし違っているんだが……まあ、千代子と京子の意思だからね。尊重してあげるといい。」

と穏やかに諭された。

ぼくはその晩、気付いたときには敷かれていた布団で、ぐっすりと眠った。


「翔太、ちょっと手伝ってもらえないか。」

 翌朝、朝食を食べ終えると、おじいちゃんは言った。何を、と聞くと、蔵の整理なんだが、という答えが返ってきた。詳しく聞いてみると、裏庭にある蔵には先代までに収集された文字通りの蔵書が詰まっていて、かなり乱雑になっていたのを整理したいと思っていたのだという。

「汚れ仕事になるよ。頼めるかい。」

ぼくは仕事次第で断ろうと思って詳しく聞いたんじゃない。最初から引き受けるつもりで聞いてたんだ。もちろん、と答えると、おじいちゃんは、そうか、助かるよ、と言って微笑んだ。

 おじいちゃんとぼくは、手ぬぐいをマスク代わりに巻いて、蔵に向かった。まず、おじいちゃんから手順の説明を受ける。蔵の入り口の前に新聞紙を敷く。その上に蔵から運び出した蔵書を積み上げる。中の棚が空いてきたら、蔵書目録どおりの順序で棚に入れていく。

ということで、ぼくとおじいちゃんはいそいそと働き始めた。蔵は六畳ほども広さがあって、明り取りの窓はそれほど大きくない。薄暗いところではわからないけど、外に出ると、本にはかなり埃が積もっていたことがわかる。服にもかなり埃がつく。確かにこれは汚れ仕事だ。とりあえずひとつ棚を空けないことには話にならない、ということで、重点的に片付ける棚を決め、片っ端から本を出していく。新聞紙の上にできるだけ本のタイトルが見えるようにおいて、目録と照らし合わせてみると、それらの本が置かれていた棚に戻せる本は、半分くらいしかない。

「おじいちゃん……ご先祖様、ずぼらだったんだね。」

「いや、まさかこれほどとは。」

二人で顔を見合わせて、ぼくたちはひとしきり笑った。

 どうやら、手順を変更したほうがよさそうだ。棚は一面に四段あって、計十二の棚がある。新聞紙を棚の数だけ広げておいて、ひとつだけ分配用のスペースを用意する。まずは分配用のスペースに蔵書を運び出して、そこから各棚に割り当てた新聞紙の上に置いていくことにしよう。

「じゃあ、ぼくが蔵から本を運び出すから、おじいちゃんは目録を見ながら本を配っていって。」

 ぼくはせっせと本を運び出し、おじいちゃんはパラパラと目録をめくりながら、本を置いていく。おじいちゃんも最初は分厚い目録から本のタイトルを探し出すのに苦労していたみたいだったけど、そのうち分類の規則を掴んで、パッパと本を配れるようになってきた。

 けれど、夏の太陽がぼくたちの行く手を阻んだ。朝の八時ごろから働き始めて、三時間もすると日差しも気温も、働き続けられるレベルではなくなっていた。本の運び出しはまだ四分の一程度でしかなかったけど、今日のところはこれくらいにしよう、というおじいちゃんの提案に、ぼくは一も二もなく賛成した。表に出していた本にはブルーシートをかけておいた。おばあちゃんに外から声を掛けて出してもらった麦茶が最高においしかった。

「こうなったら最後までとことんやろうよ、長期戦の覚悟で。ね、おじいちゃん。」

「そんなに甘えてもいいものかな。いや、少々見積もりが甘かったようだ。」

「気にしないでよ。これはぼくの意思だからね、尊重してもらわなくちゃ。」

 ぼくが昨日のおじいちゃんの言葉で反撃すると、おじいちゃんは、これは一本取られたね、と言って、気持ち良さそうな笑い声をあげた。