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定斎屋の藪入り

2017-06-15

桜沢如一「ウナギの国、日本」

 神保町にできた鰻丼屋さん500円で、月に一度はもっと安くなるとかどういふことなの。

 マクロビの創始者桜沢如一の著書に『うなぎ無双原理―新しい立身出世の秘訣』がある。昭和16年10月初版で、手元のものは昭和47年7月の第2版。発行所は日本CI、世界正食協会。発売所はオーサワ・ジャパン、ムソー食品。印刷ではどちらも発行所になってゐて、二重線で訂正して「売」のスタンプが押されてゐる。

 ウナギの生態については入江幹蔵『鰻』などを参考にしたとある。

 著者は、ウナギが長い旅をして困難や抵抗に遭ひながらも川を上ることに感銘し、個人の立身出世や日本の興隆にたとへてゐる。

 ウナギ上り! 鯉のぼり

 ウナギの木のぼり、鯉の滝のぼり! 

 わがウナギの国、日本は不信と敵意と悪意の逆流、激流をのぼりにのぼって世界観の最高峰に達しなくてはならないのです。

 「日本民族は数千年来、ウナギのごとくウナギ上りに成功し、ウナギのごとく静かに、長く発展してきたのではないでしょうか」ともあり、日本はウナギの国であることを論じてゐる。

 ただしこれは天然ウナギの話。養殖ウナギはインチキで味もまずい、食べた人は病気になる、養殖業者もたくさん破産してゐると罵詈雑言を浴びせてゐる。おいしくするには滝を利用するなど、養殖の仕方を工夫しなければならないといふ。

 

 

 はつ夏にうなぎを食めば思ほゆる

  身を養ひて捧げたる大人

2017-06-01

伴林光平の心境を体験した茂呂宣八

 続き。真如親王奉讃会には鈴木善一の他にも、神兵隊事件関係者が加はってゐた。栃木出身の茂呂宣八は、終戦後も徹底抗戦を主張し愛宕山に立て籠もった後に自決した尊攘義軍十二烈士女の一人。

 『大願』では毎号のやうに編集後記を執筆。役員一覧には名前がないが、編集の実務を担ひ、活動日誌によれば調査や出張も行ってゐる。

 神兵隊であったならば神道を奉じるべきなのに、なぜ仏教の真如親王を奉讃するのか。編集後記を辿ると思想の一端がわかる。昭和18年5月号では2頁にわたって思ひを語る。

国学の真義は、皇国の志を闡明するに在る。単なる我が国固有の文化を墨守するのみでは、皇朝の道に忠実であるとは云へない。大度宏量世界の文化を摂取消化するところに日本の偉大さがあり、無窮の大道がある。世の日本主義者は仏教界の現状を看て直ちに仏教を否定する愚をしてはならぬ。

維新の精神とは、真なる神を求めて愈々努力精進することでなければならない。未だ階段の途中に居るのに既に二階に上った様な思ひ上つた自惚れは、求道者の最大禁物である。自己維新を疎かにして傲然と、神棚や仏壇に坐つてゐる者は神仏を私するものであり、国体を冒涜するものである。

 10月号では、『公論』の10月号は「悲しむべき軽薄なる廃仏毀釈号であつた」と批判

仏教儒教弊害は固より少しとしないが其の我が国民精神の健全なる発達に益する所また甚大なるに眼を蔽ふてはならぬ。(略)昭和の神風連を以て任ずる者は克く克く此の事を念頭に置いて仮初にも神意を僭称するの過を犯してはならぬ。

 仏教弊害があることは認めるけれども、よいこともある。外国のよいところも日本に合はせてとりいれるべきだといふ。

 終戦を認めずに愛宕山に立て籠もったのも、真如親王奉讃の夢のためだったのだらうか。本当のところは本人にしかわからないが、別の資料を見るとさう単純ではなささう。

奉讃会に居た頃、その仏教思想の矛盾と僧俗名士を列ねた半官製運動の弱点を同志に指摘されるや久しき苦慮熟考の末、遂に決然として自論を擲ち、猊下閣下御歴々の懇篤に引止めるのを振切つて奉讃会を脱し、伴林光平の「本是神州清潔民」の心境を体験し得たりと述懐した。(『尊攘義軍玉砕顛末―愛宕山十二烈士女』)

 同志らの指摘に悩んだ茂呂は奉讃会を脱退。僧籍を脱して維新の志士となった伴林光平のやうに、神州清潔民の心境だった。

維新の精神とは、真なる神を求めて愈々努力精進することでなければならない。未だ階段の途中に居るのに既に二階に上った様な思ひ上つた自惚れは、求道者の最大禁物である。

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2017-05-30

真如親王の夢を見た人々

 澁澤龍彦の『高丘親王航海記』で知られる高岳親王。別名真如親王で、平城天皇の皇子。昭南島、現在のシンガポール薨去されたとして戦時中に奉讃運動が盛り上がった。

 真如親王奉讃会の機関誌として『大願』が発行された。昭和18年5月号には役員一覧が載ってゐる。会長は細川護立、顧問28人のうちには大川周明葛生能久、小泉又次郎正力松太郎、徳川義親らが並ぶ。評議員30人は学者、宗教者が多く、花山信勝新村出ら。理事は23人でうち常任理事が16人で里見達雄、長井真琴ら。各官庁といふ項目もあり、宮内省以下15人。情報局の井上司朗の名もある。

 常任理事の一人が鈴木善一。神兵隊事件に加はり、『東亜文化圏』はじめ諸種の機関誌紙を編集してゐた。『大願』には巻頭言や論文を執筆してゐる。

 6月号には頭山翁の談話「高丘親王と現代国民」。

立助(翁の長男、東亜文書院出身、昭和十六年七月三日逝去)が、生前常に英米の討たざるべからさ[ざ]ることを力説し、シンガポールを我が手に入れて高丘親王の尊霊を彼の地に奉祀したいと病床で頻りに唱へ居つたが、今の戦さの目覚ましい進捗振りを見てゐると、千百年も前に薨去された此の宮様の英霊が、現代に生きて皇軍を導いてゐるやうぢや。

 と、頭山立助の遺志でもあったといふ。

 8月号ではビハリ・ボースが、頭山翁や立助から高丘親王のことを聞いたといひ、「私は闇夜に灯台を得たる如き力強い感じを受けた」と感動してゐる。

 同月号に、夢荘散史が「或る老書生の日記―昭和四十年春巡拝記から―」を寄せてゐる。昭和18年に掲載されたものなので、22年後の世界を想像して描いた未来日記だ。奇しくもシンガポールが独立した年にあたる。

高野山には親王を祀る大殿堂、大図書館、研究所が完成し、修行道場もできた。大東亜共栄圏の各地から青年僧が集まり、「万国の本つくにたる本朝に学んでゐる」。

 昭南島の設備は雄大神厳で、「文化上、産業上その他万般の建造物、山川風物、まことに、南アジアの一大中心地」。昭南からは海底隧道の大東亜鉄道印度支線で、チモール島まで行ける。

かくまで遠い地を気楽に歩きまはり、いたるところで鼓腹撃壌するすめらみたみとともに、随所に齋きまつられる護国の神霊を拝することができた

 大東亜鉄道ビルマからチベットを経て、北京にも通じてゐるやうだ。

 夢荘散史は回想する。

暴慢な米英が枢軸国抹殺する夢を描いて、野獣の本性を現はして盲爆虐殺を敢へてしつつ、一方では盛んに謀略戦を試み、独伊は勿論、皇国にまで巧みな宣伝を行ひ、日本人であり乍ら所謂「偽装」する左翼主義者を手先につかつて、知識人の混乱を狙つて策動したが、神州不滅の確信を堅持する万民われらは、遂にその戦を戦ひ抜いた。

 昭和19年1月号で松室孝良理事長・陸軍少将は語る。

 親王奉讃の志ある人士に会ふ毎に、自分は「御遺徳御事蹟顕彰事業には大きな夢を見て下さい」と懇願する。自らも身体の小さいのに似ず 親王顕彰事業の大きな夢を見てゐる。

 米英の夢に対抗するためにも、多くの人が真如親王の夢を見てゐた。つづく。

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2017-05-15

藤沢親雄兄弟と旅行した福冨忠男

『あぶく』は地質学者、福冨忠男の随筆集。昭和41年8月、国土社発行。装丁・カットは斎藤愛子。序文は徳川義親。

福冨さんとの交遊は世俗に堕ちず、学究的でもなく、時に近く、時に遠く、飄々乎として風船玉の如きものか。正に この あぶくの著者先生こそ我が古き友、親しき友。

 創作はなくすべて実体験。地質や鉱物に詳しくなくても面白い。徳川のことは「旧尾張藩主犢嗅攘太郎瓠十醋嬰なお殿様」で取り上げてゐる。虎狩りに行ったマレーの言葉で侯爵のことをアレーキといふので荒木、北海道で熊を捕ってゐたので熊太郎として、変名にした。宿泊中に偶然侯爵だとわかると、急に宿の態度が変る。当時は侯爵以上の旅行には厳重警戒だったといふ。

 「登山は常に危険がお伴する―生きてる熊と一夜を明かす」は中学生時代の小旅行の思ひ出。すでに鉱物を蒐集し、神田の「金石舎」とかいふ標本店に毎週通ってゐた。現地で採集したくなり、秩父に出かけることにした。同行者は親友の藤沢兄弟。

弟の威雄君は後に八高を経て東大工学部に進み、終始運動部で活躍しただけあって大賛成であった。兄の親雄君は一高から東大法科に入ったクソベン秀才型で、子供時代より運動は苦手故、余り乗り気でなかった。けれど結局渋々ながら同行することになった。

 福富は東京府立四中の一年生、藤沢親雄開成中学校一年でともに14歳、藤沢威雄は富士見小学校高等科一年で12歳。「空腹と疲労はだんだん足の運びを鈍らして来た。親雄君は最も甚だしく、ブツブツ言って私を困らせた」などとある。かはいい。夜遅くに泊まったのが粗末なあばら家で、おばあさんが「ここは日本の一番端だぞえ」といふほどのところ。お爺さんは生きた熊と帰ってくる。強い訛りをおさへて、ゆっくりと話して捕らへかたを教えてくれた。家の周りを狼の大群が取り囲み、吠え声で話し声も聞こえなくなったといふ。

 「非常時の異常心理北海道駒ケ岳の大噴火」は火山の調査に向かったエピソード東京日日新聞に「福冨博士山頂で大火傷」「摂氏900度の高熱熔岩を踏んで足の裏に大火傷をした」などと書かれたが、これは「誇大偽事」。火口内で溶岩ができたのが900度で、福冨が踏んだ時は50度くらゐに冷えてゐた。「熱い!」と叫んだだけで火傷などしてゐない。調査を終へ、噴火が終息に向かふと発表した福冨。今度はそれが住民たちに誤って伝へられて大騒動を引き起こす。

 「空前絶後の超特大修学旅行――全国旧高校生の南洋見学」は大正4年7月に出発した南洋旅行。各島民の良い印象、悪い印象を率直に書いてゐる。「世界第一の温泉場――経営絶妙なカールスバッド」は「超デブちゃん」の肥満を治す施設の見聞記。チェコスロバキアにあったもので、具体的に痩せさせ方を書いてゐる。「金鉱狂とダイヤモンド狂――原鉱発見に無我夢中」は鉱脈の発見に人生を賭けた二人の男の物語。鉱物の鑑定もしてゐた福冨。金鉱を探してゐる男が、ある決意のもとにやってきて…といふ話。「蒙古王と若い王妃たち――長い箸で大歓待」は満州での接待。福冨は田辺治通の甥で、大歓迎を受けた。「ノモンハン鹵獲戦車――戦争は公々然たる大強盗」はソ連戦車の分析の話。材質や資源について陸軍兵器部で話し、協力した。

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2017-05-01

高橋伸典「さあさあさあという言葉は朝朝朝」

 『日本は世界に叫ぶ 憲法改正必要の意義』は高橋伸典の著。昭和39年8月、郡山市大和道本部発行の非売品。

 手元のものには旧蔵者による書き込みがある。著者には批判的で、傍線や「ヤレヤレ」「独断」「?」などとある。

 かがみ という言葉の中にある「が」は即ち人間の我を示している。(略)この我をとれば、人間はかみに接近するのである。

 の下には「!! ザブトン一枚」とからかってゐる。

 第三節の国家的進化論では、生物の進化論神道的な用語で解説。生魂(いくたま)がウイルス、足魂(たるたま)が単細胞生物、魂集魂(たまつまるたま)が単細胞生物が集まった群体、魂統魂(たますめるたま)が多細胞生物だとしてゐる。群体とはサンゴなどのこと。

 日本の今上天皇は、この群体(ハイドロゾアー)の研究で世界的に有名であるが、国体の組織の哲学を、ハイドロゾアーに求めて研究されているということは、何と考えても偶然の研究ではないと不思議に思われるのである。

 「いわば人間の群体生活こそ、社会生活であるといえよう」といふ著者にとって、昭和天皇のハイドロゾア研究には重大な意義があるとみえたやうだ。書き込みには「!!? カイカブリモイイカゲンニシロ」。

 語呂合はせも著者の主張に多く見られる。日本の古称、敷島の国といふのも四季島の意味だといふ。

 また四季島の国という文字を当てるならば、春夏秋冬の国であり、世界のそれぞれの自然の持ち味がすべて日本の国土の上に集約されていることが判る。日本人は、いながらにして、それぞれの世界の気候を体感することができる。

 書き込みは「ああ やれやれ こりゃこりゃ」。

 著者によれば夜朝昼夕といふ言葉にも重大な意義がある。夜は神と人の魂が「寄る」ことであり、拠る・揺る・縒る・選るにも当てられる。朝には次の意味がある。

 日本は仕事を始めるときに、「さあさあ仕事にかかろう」という。このさあさあさあという言葉は、あさあさあさ即ち朝朝朝のことである。一日の始め、この世のはじめが朝なのである。従って夜の世界は、死の世界であり、無意識の世界なのである。

 ちなみに夕は結うで終はり、末法、終末を意味するといふ。

 旧蔵者は著者とは意見がだいぶ違ふやうだが、中には「仲々イイコトイウ」「ココダケ合ッテル」といふ書き込みもある。何より、最後まで通読してゐるのが偉い。

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