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定斎屋の藪入り

2017-09-24

同人雑誌『宇宙の黴』を発刊した茂木久平

 茂木久平の自伝「真説 人生劇場」が面白かった。茂木の通った開成中学校は秀才ばかり。生まれながら叛骨精神を持ってゐた茂木が友人たちと始めたのが『宇宙の黴』といふ摩訶不思議な題名の文学雑誌。ちゃんと定価もついてゐる。トルストイの影響だといふが、どんな意味があるのか。実物には由来が書いてあるのだらうか。

 書店においてもらったところ、たまたまそれが大杉栄の門下生の目に留まった。大杉や辻潤らの元に出入りするやうになり、官憲に目をつけられた。その上母親に泣かれたので、もう少し穏健な売文社に行くやうになった。

猯文、卒業論文、借金の言訳け、広告文案等々、なんでも代作いたします瓩箸い堺の筆になる偽悪的な広告が新聞に載ると、たちまち評判になり、申込みが殺到して、てんてこ舞いの忙しさだった。僕は、そこで広告文案などを書かされて、月給を三十円もらった。

 高畠素之と北原龍雄は社会主義的な学術書を出さうと北原出版部を、茂木と尾崎士郎はやはらかい読み物を出さうと茂木出版部を創立。それぞれ『カウツキーの資本論解説』、『欧米社会運動者評伝』を出版した。

ところが、アニはからんや、二冊の本が同日に出版されると「資本論解説」の方は、一行の訂正を命じられることもなく、発売を許可され、たちまち数万部を売りつくしてしまつた。それにひうきかえ、「評伝」は、どうしたことか即日、発売禁止となつた。

 これがきっかけで茂木は正統的な社会主義運動から外れることになったといふ。大杉と知り合ひになったのも、どちらも出版が関係してゐる。

 これは第一回。続きが読みたいのだけれど、この雑誌、公的機関の所蔵が見当たらず。

 

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2017-09-06

野村胡堂に藤田勇を紹介された譚覺眞

『潜行三十年』(譚覺眞著、文言社、昭和52年10月)は譚の日本での潜行ぶりを中心に記した文集。譚は1909年広東省生まれ。早稲田大学に留学後、汪兆銘政権に参加。駐日大使館情報部長などを務めた。

 巻頭には写真が多数。梅機関協力者として谷萩那華雄らも写ってゐる。集合写真が多く、詳しい人が見たらキャプションにない人も特定できるかもしれない。

 日本の敗戦後、米軍による戦犯容疑を受けて潜行を決意した譚。杉森孝次郎の娘の次に訪問したのが銭形平次の作者、野村胡堂。野村から新聞記者時代の同僚、藤田勇を紹介された。

現代の日本に、藤田勇氏をおいて、そういうことを、頼める人物はないかも知れない。義侠心に富み、温情、識見ともにそなえた人こそ頼むに足る。正に、昭和の頭山満先生に代る藤田氏かも知れない。

 大正時代印度人志士を匿った頭山翁に匹敵するやうな人として、藤田を描いてゐる。徳川義親の別邸に住んでゐた藤田を訪問した。

 「俺も、かつては“社会主義者”として問われ、大杉栄上海に逃げたことがある。上海では、お国の人に助けられた。君のために役立てば、本望だ」

 と二つ返事で身柄を預かった。「頭山先生の配下」の弁護士応援も得て、仮名や設定を決めて日本人に化けた。東北京都での潜行生活が面白い。京都の藤田の邸にも感嘆し、「どれ一つをとっても美術品」、主の藤田は「なかなかのお洒落で貴人然としている」と褒める。写真の藤田は蝶ネクタイをしてゐる。

 戦時中は汪兆銘の下で機関紙の編集を担当。上海での「和平運動」工作の様子も描く。日本人では影佐禎昭らが出てくる。

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2017-08-31

日本調査学院を設立した石田武子

 『財界』(財界研究所)の昭和37年12月15日号を読んでゐたら大木惇夫が出てきた。

 「リレー対談 懐しの水野ウドン屋」は大宅壮一水野成夫の対談。大宅は昭和の初めごろ、熱海に翻訳会社をつくり、失業青年らを働かせた。大木惇夫は韻文担当部長。

 大宅 いやいや、僕はあまりやらないボスだから(笑)。それから韻文がたくさん出てくるんだね。韻文は素人は訳せないから、韻文部長として詩人の大木惇夫が入った。

 水野 大木さんにはしょっちゅうわれわれも嘗められておった。ところきらわず嘗める癖があるんだ(笑)。戦争中などよく僕の家に来まして、尾崎(士郎)君や浅野君が集まると、いい気持になって嘗める(笑)。フィリッピンでは本間将軍まで嘗めちゃった。 

 嘗められるといふのは格下に見るとか馬鹿にするとかいふことではなく、実際に舌でべろべろ嘗めた。押さへつけて無理に嘗めた。ちょっと怖い。本間将軍は本間雅晴。水野はやられさうになったが未遂らしい。アラビアンナイトの猥詩の部分を集めて配った大宅は警視庁に捕まった。

 水野のウドン屋は成分などを科学的に分析したので旨かった。のちに木下半治に譲った。

 「暗躍する産業スパイ 国際スパイ団と企業防衛学校の実態」の記事では、開校した日本調査学院に触れる。「産業スパイ養成学校」のキャッチフレーズで、創立者石田武子。

 設立者は石田武子(四十七才)という女院長。満州陸軍少佐の娘として生れ、十八才のとき満州靖安軍に入隊。表面は近衛公が主宰していた雑誌「政教社」に関係して軍事スパイをやった。

 顔写真の下には「失意の東洋のマタハリ石田武子氏」とあるが、実態は怪しかったやうだ。技術も理論も持たず。諜報と防諜の区別もなかったといふ。生徒もなかなか集まらず、経営できたとは思はれない。この経歴も本当かどうか分からない。正しくは政教社の雑誌が「日本及日本人」で、近衛文麿は主宰してゐない。政教社には永田美那子が働いてゐたので、それをなぞったのかもしれない。

 日本調査学院の元講師らが新たに開講したのが日本企業防衛専門学院。院長は元トルコ大使の栗原正・日本セイロン協会理事長。講師陣は戦艦大和元通信長の深町譲、元海軍省上海報道部長の松島慶三ら。学院の「推進力」とされてゐるのが元城南特務機関長の古谷多津夫。

まことに得体のしれない人だ。戦時中は陸軍海軍の諜報マンで一時は海軍第三艦隊の下部組織G機関(別名城南機関)のキャップをして八百名余の工作員を使ったこともある。南支那海一帯をうけもち、ある時には奇怪な行動をしていた児玉機関を追跡したという。

 児玉誉士夫側を追跡したくらゐだから、こちらの経営はうまくいってさうだが消息不明。

明大が行ってゐる本棚募金。本棚の本を提携会社に売った代金を、奨学金に充てるといふ。寄付なので本の提供者の利益にはならない。

 案内に「皆さまの読み終えた本がこれからの社会を担う学生たちを輩出する手助けとなります」とある。本来は「人材が輩出する」といふ自動詞で、「人材を輩出する」といふ他動詞は誤用とされてゐる。そもそも輩出するのは優れた、有能な人物。「社会を担う」のは学校を卒業した人物なら普通のことなのではなからうか。

 そもそも「学生たちを輩出する手助け」といふのが学校目線の物言ひに映る。別のところでは「学生を経済的に支え、未来を切り開く助けとなります」とあり、これなら学生のためになるのだと分かる。

 査定額についても、新しい本ほど高く買い取るやうに設定され、「読み終えた本を本棚で眠らせず、本棚募金に早めにご提供いただく」「新しい本で、より確かな支援に」とある。別のところでは「本棚で眠る本、積みあがったCD(略)が、学生の奨学金になります」とある。本棚に眠る本を活用するやうなイメージながら、実際は本棚に眠る前の新刊を歓迎するやうに映る。

 重箱の隅をつついた感なきにしもあらずですが、全体的にちぐはぐな印象が拭へませんね。

2017-08-15

検閲官に感謝する鄭然圭

『皇道理論集』は鄭然圭が国体神道、皇道についての理論をまとめたもの。昭和17年5月刊。

 著者は朝鮮出身で、神話日本の歴史への、半島や大陸の影響を論じる。日本にとって進んだもの、よい物がもたらされたといふ説が多いなか、鄭は悪影響を取り上げる。

 鄭は、神話の神々は超自然的な、不思議な神霊などではなく、実在した人間のことであるといふ。

 皆様の考へてゐる神様観念の大半は理想神の想像神であるが、そんな神様が果して日本にゐるだらうか。皆様も知つてゐる通り日本の歴史高天原よりはじまるのであるが、高天原の神々は皆その昔実際に高天原に住んでゐらせられた方々であらせられて、人間であつて想像上の神ではない。

 天之御中主以下の造化三神が天地万物を産んだなどといふのは朝鮮から輸入された虚説である。日本国を生んだいざなぎ・いざなみ、天照大御神神武天皇国体御三神とし、各戸で奉るべしと説く。

 皇道主義と皇道破壊主義の別にも紙数を割く。両者は名前が似てゐても全く別のもので、暴力的な皇道破壊主義を指弾する。危険な破壊主義が先にあり、皇道の名前の下にそれを実行するやうになった。二・二六事件もその一つである。

日本におけるこうした破壊観念もやはり外来観念であつて、日本本然の国体観念においては斯る破壊思想観念の発生すべき余地はないのである。ところが大陸より伝へられて来た外来観念をば、日本本来の皇道観念ででもあるかの如くに誤解して、こゝに荒唐無稽きはまる皇道破壊思想観念を生むに至つたのであつて国内にその破壊観念が甚だしくなつたのは、支那から道教思想と仏教思想とが伝へられて来た頃からではなからうか。

 平和な日本に、大陸からの悪影響として破壊思想がやってきたと説く。

 このやうな鄭の研究は、なかなか理解されず、迫害され、皇の字を用いることも禁止されたといふ。ここで意外なところから味方が現れる。

世に鬼ばかりはゐなかつた。私を最もよく知つてゐる警視庁が――検閲課並に内鮮課の諸賢がよく信用してくれて、或は陰に或は陽に私をかばふてくれたことを私はどうして感謝せずにゐられよう。殊に私が困つてゐる時に色々と助けてくれ、よく助言してくれた。又内務省の検閲官諸賢にあつては、短気な私と満面朱を注いで論じあつたことは決して一再ではなかつた。

私の説いてゐる皇道思想はこうした検閲官諸賢の親切な指導の賜りものであつて、斯くも熱心に導いて育てゝくれた諸賢のことを私は今でも決して忘れてはゐない。検閲官といへば世間からは往々にして誤解されやすい役目であるにもかゝはらず、こうした隠れた美談もある。感謝せずにゐられるだらうか。

 鄭と検閲官とは、顔を真っ赤にして何度も論じ合った。検閲官の仕事は黙々と読書するだけではなかったやうだ。検閲官の名前も挙がってゐて、ほかの資料からも在籍が裏付けられる。未然に発禁にされないやうにするには、このやうに直接検閲官の協力を得るケースがあった。

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2017-08-12

読書療法を紹介した『光の門』

 『光の門』は光明思想普及会の冊子。昭和11年5月発行の非売品。本文48ページ。編輯兼発行者佐藤勝身。生長の家を宣伝するもので、教団の本や機関誌の抜粋、手紙に加へ、一般紙からも参考になりさうな記事を集めてゐる。表紙にはスタンプで「お読の後は有縁の人へお贈り下さい」とある。

緑色の目次を写す。

生長の家」とは 表紙の2

生長の家七つの光明宣言 一

迷つてゐる時如何にすべきか 谷口雅春 二

「生命の実相」讃 辻村楠造 六

讃仰の声 一〇

失業者が一人もなくなる 一四

漫画 常春の国 市村実 一五

万教帰一の時来る 一六

結核の治つた話 一八

時事特報 一八

統計に現れた生長の家の実践力 二四

近眼は治る 二六

種々の難症の治つた実例(16例) 二八

新しい芸術・教育の話 三九

物語 信ずる事のみ輝く 四〇

最も新しい婦人運動 四六

光明の便り 四八

 辻村楠造は陸軍主計総監。ほぼ毎日谷口宅に参るといひ、数々の奇跡を見聞したといふ。交通事故で子供を轢いたが、『生命の実相』を持ってゐたので傷一つつけなかった人がゐたらしい。これは谷口著の『中心に帰一する道』のはしがきを引用したもの。「中心」のルビは「すめろぎ」。

 「讃仰の声」は諸名士の賛辞。宇山熊太郎陸軍少将は「吾国体に合致せる教」の題で、「軍人として安心して皆さんにもすゝめる事が出来るよ」といふ。これは夕刊大阪新聞から採ってゐる。そのほか、前東北帝大総長の井上仁吉、総持寺貫主の伊藤道海、無我苑の伊藤証信らからの手紙が紹介される。

 市原実の漫画は「常春の国」。光の門の中では虎もライオンも花もニコニコ。ライオンにまたがる子供の服には「KAMI」と書いてある。

 統計の見開き記事では、光明思想で5ヶ月にわたり工場を管理した結果、病者が6分の1に激減、名古屋の稲葉駅では従業員が『生長の家』を読んでから7ヶ月間、無事故を誇ると報告されてゐる。

 「時事特報」は下一段のスペースを利用した記事。「日比谷図書館に於ける読書統計」は教学新聞の引用。宗教書で過去半年間、最も多く読まれたのは『生命の実相』だと示す。

 同じく「新案読書療法」は東京朝日新聞の引用。スペインマドリードでラツソ・デ・ラ・ヴエガ氏が提唱した読書療法の紹介。読書による精神療法で、「闘病精神と朗らかな神経とを養ふ」。

患者は入院すると、職業、年齢及び病状に応じて適当な図書目録を渡され、選んだ書物看護婦が美しい声で読んで呉れる。

 マドリツドの各病院における読書療法の結果は、単に生理学的な点からでも頗る有効だと解つた。

このやうなことは『生長の家』では数年前から実行されて、徹底的効果を挙げつゝある。外国で流行り出したら迷信だと云はないで、生長の家でやつてゐると迷信視するのは変である。

 「看護婦が美しい声で」とあるから生長の家でも女性が読んでくれたのかな。

 

 日本読書療法学会は読書療法が鬱病治療に効果があるとして、現在も活動してゐる。宗教とは関係ない。顧問の一人はリンボー先生。設立は平成23(2011)年で、この冊子は75年先行してゐる。交通事故でも無傷だったり結核も治ったりといふのは別にして、鬱病には効果があったのだらうか。

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