映画をハシゴする。


ドラゴン・タトゥーの女」を遅ればせながらいつものシネマリオーネ古川で観てきましたが、最後の回で観客は俺一人!。巨大なホームシアター状態。ある意味HomeAlone。楽しい映画で一人もやだけど、こういう映画で劇場に一人にされても困るんですけど…。ちょくちょく後ろを振り返りながら観てました。
正直リスベット役のルーニー・マーラ(エリカ様ね)がちょっとインパクト薄いかなと思いましたけど、映画を観た後だとあのシーンをやることも含めて候補に挙がっていたようなビッグネームの女優さんがやるような役ではないですね。第一候補がナタリー・ポートマンだったらしいですが、そのまんま「ブラック・スワン」路線まっしぐらじゃないですか。候補に挙がっていたキーラ・ナイトレイ、クリスティン・スチュアート、エマ・ワトソンあたりで観たかったかも。
マイノリティ・リポート」では観客がオープニング・クレジットの時点で「犯人はアレだな」とプリコグのように予知できてしまうキャスティングでしたが、今回のもかなりアレに近いものがありました。まあ、あの人が最後の最後までいい人だったら新しいミスリードのキャスティングの形が確立されたでしょう。出た本人的には「なんでこの役俺なの?」ってことになるでしょうが。EnyaのOrinoco Flowがものすごく嫌なところで流れると聞いていて「いつかかるんだろう?」とビビりながら観てましたが、終わり頃に近付くにつれて「まさか…まさか…Massacre!」的なタイミングで来ましたね。アレハンドロ・アメナーバルの「テシス/次に私が殺される」の暗闇に入っていくあのいや〜な感じを思い出しましたよ。
脚本は「ボビー・フィッシャーを探して」「シビル・アクション」のスティーブン・ザイリアン。リスベットが読んでいたチェスの本がボビー・フィッシャー関連だったのは楽屋落ちですね。
三部作だそうですが、またリスベットに会いたいかというと答えはYes!ぜひまたこのキャストとスタッフで観たいですね。観光としても優れた映画でスウェーデンの寒い感じがまたいいんだ。

「戦火の馬」もシネマリオーネ古川にて次の日の最後の回に鑑賞。冒頭のイギリスのシーンの色が現在の映画とは思えないほど昔の映画っぽくて、個人的にはジョン・フォードの「静かなる男」のあの緑を連想させました。また馬の演技が作為的に上手いので最初は「猿の惑星」みたいにCGなのかと思いましたが本物でした。ジョーイを演じた馬(全部で14頭)のうち、メインロールと努めた”Finder's Key”はもともと競走馬で演技もできるので俳優に転向し数々の映画スターを乗せてきたそうです(有名なところでは「シー・ビスケット」のタイトルロール)。
ジョーイ(馬ね)は飼い主によってあっちへ行ったりこっちに連れて来られたりと受け身に生きている頃はただの馬って感じなんですが、中盤のあるシーンからガラッと目つきや顔つきが人間のそれに見えて来るんですよ。終盤に向けて地獄の惨状の中を怒涛のごとく疾走していくシーンは凄いです。このあたりから俺と後ろにいたおっさんと二人で最後まで泣いてたね。スピルバーグ映画特有のあの戦場から逃げられない感は今回も健在でやはりこの映画は劇場で観てもらいたいです。

シネマリオーネはいずれなくなる。それは間違いない。仙台までガソリン代はかかるけど、観たい映画がある時はここに来るしかない。それがよくわかった。その翌日、フォーラム仙台にて「ヤング≒アダルト」を鑑賞。ジェイソン・ライトマンの新作はチェックしとかないとね。何が怖いって、俺とシャーリズ・セロンはタメなんですよ。自分にもメイビスが抱えている家庭を持てない因子があるのは間違いない。いたたまれない気持ちで観てましたよ。メイビスが服が変われどベッドに突っ伏してる姿がまたΩ\ζ゜)チーンってな感じでブザマでいい。
またラストで凄い修羅場が待っててね。マイク・リーの「家族の庭」でも似たようなシーンがあるんだけど、あっちが凄いのは見下している側が先に手をまわして修羅場にさせないんですよ。日常生活でああいう場面がえてして修羅場にまで発展しないのと同じでそこがあの映画のリアルなとこなんですが、やっぱりハリウッド映画は爆発しないとね。でも見ていてあの場を壊したくない、空気読めない奴になりたくないという気持ちがこちらに出来上がっているのだから、あの映画の感情の積み上げ方もやっぱり上手いんだよね。メイビスの両親は可哀そうにこれから肩身の狭い思いをしていくんだろうなぁ。宇多丸師匠もシネマハスラーで言ってたけど、メイビスとマットのベッドシーンは俺も「ゴースト・ワールド」のソーラ・バーチスティーブ・ブシェミを思い出したっス。あのシーンは文字通りお互い全てをさらして向き合ういいシーンで思い出すと泣けて来る。

その後すぐに同劇場にて「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」を鑑賞。9.11を題材にした映画だというので、こちらも3.11から1年という時期的に何かリンクするものを感じて観ましたが、あんま関係なかったですね。「めぐりあう時間たち」の時系列の入れ替えは時代そのものが違うから、その時代ごとの価値観の対比が容易なのでそれなりの意味を生み出すんですが、この作品の時間の飛び方はたかだか数年の話なのでそのシーンどこからどこまでが回想シーンで、どこからどこまでが現在のシーンなのかが少年の見た目も変らないのでよくわからない。しかも主人公の少年がとる奇怪な行動の説明がなさ過ぎてただの変な少年にしか見えない。あとからその理由は説明されるんだけど、そこまで引っぱる秘密かとも思える。だから、マックス・フォン・シドーとの交流が面白く描けてるのは分かるんだけど、こちらはこの時点で少年のやりたいことがよくわからないので「この二人は何をはしゃいでいるのか?」と冷めた目で観てしまうのがちょっともったいない。
この作品に感じたモヤモヤしたところは原作読めば書いてそうなのでそちらをチェックしてみようと思いました。あの事件から10年以上寝かせてこの程度の帰結でいいのかという意味では期待はずれでした。観てないけど「ヒミズ」の方がまだこの映画よりリアルなんじゃないか?

フォーラム仙台の姉妹館チネ・ラヴィータで「ヒューゴの不思議な発明」を3Dで観る。3Dはシネコンの方が環境がいいと思ってたんだけど、Movix仙台よりもチネ・ラヴィータの方が3Dの環境は良いね。これにはちょっと驚いた。「Always 三丁目の夕日'64」の3D画面が暗かったのは作品が悪いのか、劇場が悪いのか判断できないけど、こちらは画面も明るかったし目も疲れなかった。スクリーンは若干小さめだけど、映画はスクリーンの大きさだけじゃないからね。ガラガラの新宿ミラノ座で観るなら、満員の新宿武蔵野館で観た方が映画は断然面白いのだ。これからは断然こっちで観る。
「ヒューゴ〜」は3Dで観ることが前提で撮られているので随所に視覚的に面白く見せる工夫が凝らしてあって、ピクサーのアニメを人間の俳優の演技で観ているような不思議な感覚を味わった。アカデミー賞は「アーティスト」が取ったけど、技術革新が進んだこっちが取れなかったという意味では昨年の「ソーシャル・ネットワーク」と同じ事を繰り返したわけだ。
「アーティスト」はいい映画だろうし観るつもりだけど、俺が一時期サイレントにハマったほど観た人をサイレント映画を観るまで引っぱる力はないだろう。俺がサイレントに惹かれたのは今の映画よりもよほど新しいことをやってる新作として観ていたからなのであって懐かしさからではないんですよね。「ヒューゴ〜」の画面には3D映画の未知の可能性を感じたし、ルネ・クレールの「巴里の空の下」を観ているかのような華やかさ賑やかさもあって大きな事件も起こらない映画なのに不思議と気持ちが温かくなって来る。日本映画で言えば沢島忠の映画の世界ですよ、これは。
あと「戦火の馬」の後に観ると、ちょうど時代が被っていてサシャ・バロン・コーエンがそれまでどうやって生きて来たのかとか、ジョルジュ・メリエスがどうして世の中に絶望することになったのかが、特に説明がなくてもすんなり理解できるんですよね。製作者も製作意図もまるで異なる映画がお互いを補完しあうなんてことが映画を観ているとたまにあります。