問いを発する能力と問いに答える能力

ノーベル医学生理学賞を受賞したシドニー・ブレナー氏の自伝(琉球新報社『エレガンスに魅せられて』)に、次のような一節があります。

もちろん、クリックを私はいつも尊敬してきた。彼は常に適切な問いをする頭脳の持ち主である。もっとも、彼が常に正しい解答を得たというわけではなかったが。


問いを発する能力は、研究には必須の能力だと思いますし、研究以外でも質の高い仕事をするためには重要でしょう。

ただそれとは別に問いに答える能力というものもあり、一方が欠けていたらなかなかよい仕事はできません。

ここでの「問いに答える能力」は、知識だけでなく技術や人脈、体力や器用さなども含みます。

どちらの能力も高いことが理想だと思いますし、実際にそういう人物も少数ながらいると思いますが、研究者としてそこそこの仕事をしていても、一方に偏る人が多いのではないでしょうか。


最近の研究、特に生物学の場合、一人で研究を進めるという状況は稀だと思いますが、もしそうなった場合には、問いを発する能力と問いに答える能力のうち、低い方に応じた成果が出るのではないかと思っています。

問いを発する能力が低ければ、研究が小さくまとまってしまい、革新的な研究は難しいでしょう。

逆に問いを発する能力が高くとも、問いに答える能力が低いと、問題提起しただけで終わってしまいます。


問いを発する能力が高ければ、それに応じて問いに答える能力も磨かれそうですが、実際は必ずしもそうではなく、一方に偏りがちです。

問いを発する能力はある一点を深く掘る能力に近いと思うのですが、問いに答える能力はある程度広い知識と技術を必要とします。

ある一点を深く掘る傾向が強いと、知識や技術の新規開拓には消極的になる場合が多いのではないでしょうか。

また新規開拓に積極的だと、知識や探求の深さを維持することは概して難しくなります。

両者をバランスよく兼ね備えた人物はめったにいない印象です。


先ほどは独力で研究する場合について考えましたが、複数人のチームで研究する場合はどうでしょうか。

問いを発する能力の高いボスについていれば、問いに答える能力だけでも質の高い研究ができるかもしれません。

逆に問いに答える能力の高いボスについていれば、問いを発する能力だけで研究できるケースもあるかもしれませんが、学生の頃はボスの設定したテーマに取り組むことが多いですから、こちらの方は稀かもしれません。

おそらく若いころは「問いに答える能力」の方が重要視されがちで、研究者として生き残れるかどうかもそちらの能力の方が大きく影響すると思います。

しかし、自ら研究室を運営する段階になると、「問いを発する能力」の方が重要になってきます。

つまり、若いころに求められる能力と、ベテランになってから求められる能力に齟齬が生じるわけです。

業界内での競争を促し全体の質を高めようとする戦略は様々な問題を引き起こしますが、個人的には上記のような求められる資質の齟齬が一番深刻だと考えています。