2011-06-01
5月31日(火)
6:00 起床
6:30 朝食
7:15 黒潮旅館の前で、ご主人の堺さんと全員で記念撮影。

7:20 荷物を持って出発
7:30 最後の作業開始。
田上先生手書きの通し番号札を箱一つ一つに貼りつける。
2階の段ボール箱を1階に運ぶための置き場を長机の脚を折って作成。
千葉先生、水上さんも来て、様子を確認し、漁協から来た若者に作業の指示。
(窪田、小熊作業)黒潮旅館の冷凍庫で凍結してあった最重要資料6点を漁協に運び、
番号を与え、通し番号1の段ボールに詰める。それをマル栄さんの冷凍庫に運び、
そこに保管してあった4つの段ボールに通し番号を張る。
9:00 すべての段ボールに通し番号が貼られる。合計145箱。
漁協の職員によって2階の段ボール箱すべて1階に下ろす。
これで、明日奈良から到着する10トン冷凍車に運び入れる準備完了。
9:15 島内巡見出発(堺さんと小松さんの車に分乗)
亀山頂上:風光明美な風景ではあるが、山の中腹に山火事の跡。地震のあと
油が流出し、それに火がついて文字通り「火の海」になったという。強風の
ため火が飛び火して、あちこちが山火事に。地震、そのあと津波、そして火
事。恐怖の連鎖に地元の人々の苦悩を思い、心が痛む。
大島神社:大きな岩がご神体。神殿の奥にその岩が鎮座する。神主さんご夫
妻の歓迎を受ける。こういうときに、人との心の触れ合いを感じる。
小田の浜から長崎の集落に抜け、そこにある昭和8年の地震の碑を見学。
漢文で書かれてある。タイトルは英語で書かれ、珍しい碑文の形式である。
その時、島の2か所が津波で横に分断され、島が3つに分かれてしまったと
いう。以前から、地震と津波の恐怖にさらされてきた島を実感する。
漁協に戻る途中、港から亀山へのロープーウェイのロープが分断され、駅が
破壊されている姿が目に焼きつく。
10:50 千葉勝衛先生が、我々を労うためにご自宅に案内してくださった。千葉先生
が初めて民俗学に目覚めたという昭和17年に購入された柳田国男の『子ど
も風土記』を見せてくださった。その後購読されていた『旅と伝説』『民間伝
承』をお出しになり、さらに大島の初代組合長である菅原熊太郎と柳田の出
会いが書かれている『雪国の春』を手にしながら、その当時の話をしてくだ
さった。そして、うれしいことにこれらの本を常民研に寄付してくださると
いう。ありがたいお話であった。そのあと、佐野所長はすかさず千葉先生に聞き書き調査開始。
11:30 聞き書きを続けれ佐野所長を残して、われわれは千葉先生宅を辞する。
12:00 名残を惜しみながら、フェリーで大島を出発。
気仙沼駅前の食堂で昼食。そのあと、お土産物屋で買い物。
14:26 気仙沼駅発。
15:49 やまびこ号で一関発。
18:48 東京駅着。解散。お疲れさまでした。
(文責 小熊)
2011-05-30
5月30日(月)
昨日に引き続き、梱包作業を行う。
台風2号の影響で、強い雨と強い風。気温も、9度まで下がる。寒い。
6時 起床
6時30分 朝食
雨のため畑作業中止。
7時15分 黒潮旅館出発
7時30分 作業開始
漁協関係者の方の協力もあり、昨日定めた目標分の作業がほぼ終了したので、資料群2-1の梱包作業にも着手。
12時 昼食
13時30分 作業再開
13時50分 佐野所長到着。
資料群2-1の梱包作業も終了。ラベル貼りと後片付け以外の全工程が完了。
18時 夕食
最後の晩餐。漁協元組合長の水上さんから、ビールの差し入れあり。
旅館の堺さん、避難民の方々とも交流。
21時30分 ミーティング。一人一言。ラベルと写真の確認作業。
11時30分 作業終了。
●作業の進捗状況
全資料群の梱包作業が終了。1000以上の袋に詰め、総数150箱以上の梱包作業を終了した。
明日は、段ボールにラベルを張り、冷凍業者にすぐ引き渡せる状態にする。
●プロジェクトに参加して(発言順)
佐野所長
今回の活動は、常民研にとっても意味あるプロジェクトであった。常民研の活動は、下から目線の活動であるが、それが結果的に国との連絡が取れて、震災レスキューにつながった。そういう意味で、震災というマイナス面がプラスにできたのではないか。人と人のつながりもできた。学長の決断によって始まった震災援助活動であったが、それは学長の歴史家としての目があったからで、高く評価できるのではないか。
関口
今回は何かしたいと思いつつ何もできないでいたところで、常民研の活動があり、前日に急きょ決定したが、現地を見て作業ができたのは良かった。
現地の方の「神奈川大学の事は忘れない」「大島の事を忘れないで」のお言葉を心に留め、このまま捨て置くことはできないという思いを新たにした。
田島先生
色々作業をしたが、この資料を使って何をしたいのかを考えさせられた。歴史にとってもこの活動がどのような意味を持つのか考えさせられた。
学長の決断は素晴らしいと思う。しかし、学長に我々の活動が伝わっているかどうかわからないので、今回の我々の活動とその成果をぜひ伝えていただきたい。
岡田
今回のように直に資料に触れられる機会は少ないので感慨深く、日常使っていたような文書が資料としての価値を持つというということを実感することができ、興味深かった。
小熊先生
このような資料に触れる機会は少ないが、ここのように資料が多種多様に残っている事例は少ないということを知り、興味深かった。
たんなる漁業の組合にとどまらず、島の活動全体にかかわる活動があったということに驚きを感じている。
漁業の活動の転換の歴史が垣間見え、興味深く、常民研で何ができるのではないかという思いを新たにした。
常民研はボトムアップの活動をしているが、その活動により国を動かしたということに、成果が表れていると思う。
伊津野
現地の人の気持ちを知りたいと思い参加した。今回現地の方の話を聞けてよかった。
高野
研究という観点で参加したわけではなく、ニュースなどで流れている被災地の状況を自分の目で確認したいと思ったのと、自ら何かをしなければという思いで参加した。
我々の歴史というものが今回携わったような文書の形で残っているが、多くの歴史や文書が消えてしまっているのだという思いを持った。
窪田
何もしないでよいのかという思いを持っていたところに、今回のプロジェクトがあった。
多くの人数がそろい、多くの文書が救えたが、今回のように手を差し伸べることができる例は少なく、
消えてしまった記録の事を思うと心が痛む。常民研の持つ複製資料の活用について考えさせられた。
于
今回のように大事な資料を守ることができてよかった。これからも今回のような機会があれば参加したい。
白井
若狭の方でも知人の学者が文書レスキューの活動を行っており、ニュースでも流されていたが、今回の活動は周知がなされていなかった。
今回のような活動を神奈川大学もすでに行っていたことを知り、自分も何かしなくてはと思っていたので参加した。
建築などの観点においても、海に関する観点を向けなくてはならないという思いを抱き、今回の活動により資料をつぶさに残すという活動が出来たことは有意義であった。
田上先生
リーダーがその都度変わるという活動は上手くいかないのが常であるが、今回は常民研および、歴民の下地ができており、上手く活動ができたのがよかった。
震災という現象により、人の結びつきが新たに強固になったというのは、得る部分が大きかった。
一致団結した時の強さを実感できたこと、ひとつ残らずやり遂げることが出来たということは評価に値するであろう。
2011-05-29
5月29日(日)
前日の方針変更を受け、真空冷凍乾燥に出すための梱包作業を行った。
6時 起床
6時30分 朝食
雨のため畑作業中止。
7時30分 黒潮旅館出発
7時45分 作業開始
エタノール消毒を行っていた作業台の片付けを行い、梱包作業のスペースを確保する。
8時30分 梱包作業開始
4班に分かれ梱包作業を行う。
午前中は資料群2−4−1から2−4−6の梱包を手分けして行う。
12時 昼食
13時15分 作業再開
資料群2−4の作業終了後、A班およびC班は1階の梱包作業に着手。
B班およびD班は引き続き、2階の資料群の梱包作業を行う。
18時 夕食
18時40分 ミーティング
●作業の進捗状況
資料群1-5、1-6、2-2、2-3、2-4の梱包作業が終了。ダンボールが計70箱となる。
明日は引き続き梱包作業を行い、資料群1-1、1-2、1-3、1-9、1-10、1-11、2-5、2-6を終了させることを目標とする。
資料群1−4、1-7、1-8は個人の資料のため欠番とし、資料群2-1以外の資料、約120箱を発送可能状態にする。
5月28日(土)
6時 起床
6時30分 朝食
小雨のため畑作業中止。
8時15分 黒潮旅館出発
8時30分 エタノール消毒およびキッチンぺーパー挟み込み湿気取り作業開始(6名)
山口悟史氏(東大史料編纂所)到着。資料の状況確認
10時ころ 越智信也氏到着。
10時過ぎ 大島漁港白幡きよさんから差し入れを頂く。感謝。
11時45分 午前の作業終了。黒潮旅館で昼食。
13時00分 午後の作業開始
14時ころ F班後続隊8名到着。
3班に分かれて作業。
(1)エタノール消毒およびキッチンぺーパー挟み込み湿気取り作業
(2)真空冷凍乾燥に向けた梱包作業
(3)資料保管場所選定作業
17時 午後の作業終了
梱包済み段ボール4箱をマル栄さんの冷凍庫に移動、保管。
18時 夕食。16人そろってカレーを頂く。おいしかった。
19時30分 ミーティング
ミーティング終了後、明日の真空冷凍乾燥作業に向けてのタグ作成。
◎資料保存作業の方針変更について
海水を被った資料の防かび対策としてエタノール消毒とキッチンぺーパー挟み込み湿気取り作業を行ってきた。
しかし、処理済み資料の保管場所が従来の木製書類棚であり、かびが再発生しはじめた。そこで、作業開始当
初にNPO法人宮城歴史資料保存ネットワークから勧められていた真空冷凍乾燥に移行するため、そこを通して
奈良文化財研究所と相談をした。その結果、文化庁の文化財レスキュー事業にのって、大島漁協資料を奈文研
に送って真空冷凍乾燥処理をすることになった。さっそく、数日後に奈良の冷凍業者から冷凍車が派遣される
ことになった。そのため、明日からは真空冷凍乾燥に出すための梱包作業に集中することになった。
◎資料保管場所選定について
真空冷凍乾燥作業終了後に資料を保管する場所を選定するため、工学部建築学科の重村先生と田上先生が、千葉先生と
水上さんの案内で島内数か所を回った。大島漁業のノリ集荷場、大島総合開発センター、学校の空き教室などを回った。
保管する資料の分量、保管方法などを検討してふさわしい場所の選定をこれから行うこととした。
(文責 小熊)
2011-05-28
5月28日(土)
6時 起床
6時30分 朝食
小雨のため畑作業中止。
8時15分 黒潮旅館出発
8時30分 エタノール消毒およびキッチンぺーパー挟み込み湿気取り作業開始(6名)
山口悟史氏(東大史料編纂所)到着。資料の状況確認
10時ころ 越智信也氏到着。
10時過ぎ 大島漁港白幡きよさんから差し入れを頂く。感謝。
11時45分 午前の作業終了。黒潮旅館で昼食。
13時00分 午後の作業開始
14時ころ F班後続隊8名到着。
3班に分かれて作業。
(1)エタノール消毒およびキッチンぺーパー挟み込み湿気取り作業
(2)真空冷凍乾燥に向けた梱包作業
(3)資料保管場所選定作業
17時 午後の作業終了
梱包済み段ボール4箱をマル栄さんの冷凍庫に移動、保管。
18時 夕食。16人そろってカレーを頂く。おいしかった。
19時30分 ミーティング
ミーティング終了後、明日の真空冷凍乾燥作業に向けてのタグ作成。
◎資料保存作業の方針変更について
海水を被った資料の防かび対策としてエタノール消毒とキッチンぺーパー挟み込み湿気取り作業を行ってきた。
しかし、処理済み資料の保管場所が従来の木製書類棚であり、かびが再発生しはじめた。そこで、作業開始当
初にNPO法人宮城歴史資料保存ネットワークから勧められていた真空冷凍乾燥に移行するため、そこを通して
奈良文化財研究所と相談をした。その結果、文化庁の文化財レスキュー事業にのって、大島漁協資料を奈文研
に送って真空冷凍乾燥処理をすることになった。さっそく、数日後に奈良の冷凍業者から冷凍車が派遣される
ことになった。そのため、明日からは真空冷凍乾燥に出すための梱包作業に集中することになった。
◎資料保管場所選定について
真空冷凍乾燥作業終了後に資料を保管する場所を選定するため、工学部建築学科の重村先生と田上先生が、千葉先生と
水上さんの案内で島内数か所を回った。大島漁業のノリ集荷場、大島総合開発センター、学校の空き教室などを回った。
保管する資料の分量、保管方法などを検討してふさわしい場所の選定をこれから行うこととした。
(文責 小熊)
5月27日(金)
快晴。 かなり日差しが強い。 エースポートに向かうタクシーの運転手さんによると、今日は特別暑いとのこと。
午後2時過ぎ F班先発隊6名、午後2時10分予定どおり無事に浦の浜に到着。
水上さんにお会いし、作業場を案内していただく。
5時まで、引き続きエタノール消毒を行う。
前の班との引き継ぎが出来なかった為、作業手順などかなり戸惑ってしまった。
[作業経過」
2−4−3書庫の未処理資料のエタノール消毒と乾燥作業を6名全員で行う。
空いている3つの長机をつなげて作業台を確保する。
エタノールのせいか、頭がボーとする人が出る。
そのため、作業マニュアルに則り、30分ごとに外に出て休みを入れる。
台風が南から接近しているはずなので、書類が心配。

午後5時 黒潮旅館の堺さんにピックアップに来ていただく。
午後6時 夕食
午後7時15分〜45分 ミーティング
文責:高野・小熊
2011-05-26
5月25日(水)
5月25日(水)
本日はD班の最終日であり、次のF班への作業場の引き継ぎ・清掃を主目的として行った。
6:00 起床
6:30 朝食
7:20 出発
7:30 畑仕事開始
8:30 畑仕事終了
8:40 巡検
10:00作業開始

主に清掃と、暴風対策のトタン板を付け終える。
C班の作業していた文書にカビを発見し移動した後に噴霧を再び行う。
11:30 作業終了
12:00 D班帰浜
●今回の作業を振り返って
大島入りして、半壊・全壊している家々を目の当たりにしてマスコミで報道されている
以上に深刻な被災地の今を目撃した。
被災地の人々は今回の大震災を冷静に受け止めていたのが非常に印象的だった。
(文責:濱崎 壮)