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2003-05-02

WTC

定義と論争

まとまってないので、覚えとして。

1 定義をなぜAdefBで形式化したくないのか。理由。AとBの間の非対称性が隠蔽されるがゆえに。Aは通例、語であるが、Bは通例、文である。また、定義であるから、AとBは内包的には等しいはず。ではなぜ、BはAではなく、AはBではないのか。それはBが、定義文が、語ではないからで、それゆえに、語Aの解釈が、決定されるとともに、多義的にもなる。つまり、Bは記号表現としてAと異なるという自明な事実の重要性、とりわけ、語と文の違い。

2 規約定立的な定義の使用も、論争的範疇であると定義を定義するのにさまたげにはならない。なぜなら、意味論において、無からの創造はありえない。定義行為は、すでにある語によって遂行される。規約定立的な定義の使用とは、実際には、論争状況においてこれはこのようにわたしが定義したのだと、主張しうるためにあらかじめの宣言であるとみなす。つまり、時間的に同時ではない論争状況。

3 定義は厳密に言えば、論争に外的な権威によって保証されている場合もあるが(たとえば法的定義)、おおむね、その根拠としての権威は、その定義の説得力にかかっているといえるだろう。つまり、その定義のルールにわれわれはあらかじめ暗黙のうちに従っていたのだ、という幻想を与えることによる。

4 そこで課題。

 特定の定義が説得力をもつ理由。そこからプラトン的な実在論的な意味論が再建されうるか? それともこの説得力の理由は別なところにあるか?

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