特に書くこともないのでつらつらと

 日記っぽく。「エビータ」を見てからエビータについての本を読んだ。マドンナはあいかわらずすばらしいんだけど、アルゼンチン国民は怒るよな、という演出。もとのミュージカルがそうなんだろうけど。アメリカの政治思想はある意味明確というか単純で、政治的な「政府からの自由」と「集会結社言論の自由」を原則にしていて、それらがふみにじられる「独裁」となると、一切その功罪の功の部分は見ない。ペロニズムにはペロンのおもわくをこえて、進歩的な側面もたしかにあったという部分がちょっと捨象されすぎで(腐敗した独裁だったというのは勿論、事実だ)、エバに関する出所のあやしいうわさも事実にしてしまっている。まあ、フィクションだからしょうがないけど。
 それでもこの映画が微妙なのは、そういうエビータを肯定しているように見えることだけれど、それは肯定なのかどうなのかよくわからない感じであつかわれていて、この曖昧さは人間の矛盾をそれとして描くとかそういうのとはすこし違う気がする。たしかにそれはエビータ本人の曖昧さでもあるんだろうけど。
 でも歌はいい。バンデラスがいい男だからというだけの扱いなのは気のせいだろうか。というか、チェ・ゲバラの役だというのはいわれないときがつかないぞ。

地域通貨とアソシエーション

 山形さんが地域通貨批判をしていて、納得はしないのだけれど、反論というかきちんとそれがあたらないという主張をするとけっこう大変そうなのでうーむと思っている。地域通貨は原子的な個人としての経済人を想定してないというかそういう合理的な利益追求者として個人が立ち現れないように非経済的な面から抑制をもたらす仕組みだと思うので、経済学的なセキュリティホールはたしかにいろいろあるんだと思う。だから問題なのは地域通貨はそういう「貨幣」としての自己目的化や自己増殖をどうやって食い止めるかということなんだろう。
 イノベーションと利子に関しては、イノベーションインセンティブの問題と、イノベーションが生産の拡大へと帰結する仕組みの問題は別で、技術と文化レベルの進歩は、生産の量的拡大とイコールではないから、生産の拡大、経済の成長という意味では、たしかに地域通貨は停滞を志向しているのだと思う。すくなくとも積極的にそれを推進する仕組みはない。

ヒトラーの経済学

http://d.hatena.ne.jp/masah/20030613#p1
http://www.mainichi.co.jp/news/article/200306/12m/017.html

しかし、ここや、
http://www.melma.com/mag/76/m00001576/a00000154.html
ここの
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/6729/qanda/ecomonicpolicy.htm
記述を読むと、やっぱり有効需要の創出のための公共事業ということで、供給サイドの問題ではないような気がするんだけど。

 http://www.ok-corp.co.jp/book5.html

 ついでにこれも。
http://www2.plala.or.jp/dogcat/jiyuu.htm