Hatena::ブログ(Diary)

Oblivion? Oblivion! このページをアンテナに追加 RSSフィード

2003-07-02

vermilion::text 2007階 夜と歌とお道化と

1 Sympathy for the Devil.

 「どーいうことよ!」

 「なんだよ、アルウェン、やぶから棒に出てきてさ」

 「お黙り、犬にも劣る愚か者の分際で」

 「犬にも劣るって、犬には勝ってるよ!」

 「そうね、じゃあ、犬なみということにしておくわ」

 「あー、無駄な会話しちゃったよ」

 「あら、無駄じゃないことをあなた、したことがあって?」

 「だーかーらー、会話が進まないだろうよ」

 「きいてるのはあたしよ! どーいうことよ!」

 「……エンドレスか? エンドレスなのか?」

 キアスは天を仰いだが、あいにくと星のない闇夜では気が滅入るばかりだ。所詮そういう星回りなのだ。

 アルウェンは不意に短剣を懐から出すとキアスの首筋に突きつけた。

 「きいてるの? シュリア・ライノがあのいやらしいフェダールと結婚するって言うじゃない」

 「そういうことを聞く体勢かよ、これ。おれとしちゃ若干の異論を禁じえないね。……ああ、そうか、きみは『潔斎の巫女』になるために神殿にこもってたんだったな。そうだよ。いい縁組だと評判さ」

 「いい縁組ですって?」

 首筋に心なしか圧力が加わったのでキアスはあわてて言葉を継いだ。

 「ひとがそういってるってことさ。セオリアスでひとの評判ってものがどんなものか、君だって知ってるだろう」

 するとアルウェンは真剣な顔つきのまま短剣をしまいこみ、少しキアスから体を離した。

 「で、あなたはあいかわらず論評してるだけなのね」

 「ただの道化に何ができる?」

 「道化なのはあなたの諦めよ。それ以外にはあなたは少なくともただの何かじゃないわ」

 「お褒めに預かったと見るべきなのかな」

 「そうよ、けれどさげすみに変わりそうだわ」

 「では聞くけど、きみはシュリアになにがしてやれる? シュリアはそれは強いられたに違いないさ。あいつのところにははいて捨てるほどフェダールには弱みがある。借金だってそうだし、ジーオンの事件の時だって口をきいて出してやったのもフェダールだ。けどさ、シュリアが選んだことでもあるんだぜ」

 「かもしれないわね。でもそんなこと関係ないわ。たとえことがめちゃくちゃになってだれも幸せにならなくても、わたしは運命が目の前を黙って通り過ぎるのを見過ごす気はないわ」

 「これはシュリアの運命じゃないか。きみのじゃない」

 「さっきまではね」

 アルウェンはその紅玉のようなひとみに剣呑な輝きをきらめかせると、背後の丘陵を指差した。その向こうにはかれらの暮らすセオリアスの町並みが広がる。

 「ねえ、キアス、奇妙な音が聞こえない、不思議な明るさが見えない?」

 ささやくようにアルウェンがいった。

 たしかに、木々がきしむときのような、ため息のような、巨大な軍勢の叫び声のような、そのくせなぜか軽やかで危険な割にはうつくしい、あらあらしいのにひそやかな音が聞こえていた。そして、空は、赤かった。

 キアスは舌打ちして丘に駆け上がった。

 「火か!」

 大火であった。セオリアスはごうごうとした火によってやかれ、かろやかな偉大な創造のイメージをたたえていた。阿鼻叫喚は届くことなく、ただあかあかと闇の中に炎の舌が、やちまたのおろちがあばれるのがみえるだけだ。みわたすかぎりの夜の海のなかで、あかあかとした溶鉱炉の湖がひろがっている。それは歌のようでもあり、魔的な饗宴の舞台のようでもあった。「なんてことを、きみなのか?」

 アルウェン・ハールダートは低い、刺すような声で言った。「そうよ」

 

 「……シュリアは?」

 「あそこよ。きっと救助に走り回ってるでしょうね」

 「!」

 「そうよ。フェダールはもういないわ」

 「きみは、シュリアがこのさきどんなことを思っていきつづけると思うのさ、こんなことを知ったら」

 「もちろん、知ってるわ、わたしが教えたのよ」

 「どうして」

 「そうすれば彼女はわたしのことを忘れないわ。罪の意識とともに、そしていくらかの恥ずかしさとともに、何度も、何度もわたしのことを思い出す。悪夢にうなされて、今夜の記憶とともに目覚めるとき、彼女はきっと、アルウェンとつぶやくのよ」

 キアスは返す言葉を見出せなかった。

 ためいきをつくと、キアス・ロールは、

 「馬を用意してくる。待っててくれ」

 そういった。

 「それでどうするのよ」

 「決まってる」

 キアスはいった。

 「運命を出し抜くのさ」

2 helpless reflexion of sadness

 夜を徹して森を抜けると、すでにセオリアスのしろしめす土地からはやとおざかって、レニアの神殿騎士団の領地に近づく。アルウェンは神殿には多くの知己がいたがかれらに頼るわけにはいかなかった。イセリアにおいて火災は宗教的な意味をもっており、かれらは法やおきてだけではなく、すでに神々より追われる立場であった。

 ゆっくりと、植物相が変化していく。セオリアスの乾燥した気候は森によって水気を帯びた風がさえぎられて生じる。森を抜けるにつれて、キアスとアルウェンはみなれた草やかぜのにおいやそらの色とは異なる土地にきていることを感じ始めていた。そして、もうその時期から虫たちが鳴き始めていた。

 それぞれの馬の背でふたりはまったく話をしようとはしなかった。かたるべきことがあろうとは思われなかったし、また、ただ早がけのためにそんな余裕はなかったということもあった。

 いくつかの小川をこえたとき、やや大きな川が眼前にあらわれた。すでに夜が明けようとしていた。静かに、しらじらと、世界が目を覚まそうとしていた。川の名はレーベス、はるかのアンセルオキスに源流を発する偉大な大河アンデダネインの末流だという話だったが、むしろ、この川はそこでウンディーネが目撃されることがあるといううわさで知られていた。

 さすがに馬で押し渡ることはできず、橋を探していると、川縁でひとりの若いとも老人ともつかない人物が釣り糸をたれているのに行きあった。濃密過ぎる空気から逃れるように、キアスはその男に声をかけた。

 「橋は遠いのでしょうか」 

 「行き先がどこかによるな。あんたがたは、どこを目指しておられるのかな」

 キアスは胸を切り裂かれたような気がした。

 「我が星の照らす彼方。そして、とりあえずは、……シフォーへ」

 突然、アルウェンが口をひらいた。シフォーはイサキアからなおとおく、シデアをこえて、デラスの港から船が出るという島の名だ。それはなかば伝説の名のようでもあったが、たしかに実在するのだというはなしだった。シフォーは交易商人たちのおきにいりの売り文句であり、すばらしいもの、うつくしいものはすべて、その島からもたらされたことにされてしまうのだった。しかしキアスには、なぜアルウェンがそんなことを言い出したのかわからなかった。

 「なるほど。あなたがたはたしかに星に導かれておられるようだ。このあたりの夜は野獣たちでさえ恐れるほどさまざまなものたちがおるところなのです。案内はしましょうが、まずは我が家への招待を受けてはいかがかな」

 アルウェンはさきをいそぎたいようだったが、キアスはこの老人(いまはかれが老人であることは明らかだった)に興味を抱いた。危急のときにあって好奇心や皮肉な精神のうごきをまぬかれないとはばかげた話だと思いながら、かれは謎めいたもの前で沈黙することはできない性分なのだった。また、実際に食事が必要なことも確かだった。

 「お願いします」

 うなずくと、老人は釣り糸を上げた。そこには、あざやかな青いいろの大魚がかかっていた。魚を無造作に片手に持つと、かれはたちあがってうしろもみずにすたすたと歩き出した。

 

 そこは川縁のちいさな小屋だったが、気持ちのいいつくりで、ふたりは馬をつなぐと、ふっとため息をついた。急にすべてが現実の中に戻ったかのようであり、あたかも日常を再開することが許されるような気分に期せずして襲われたのだった。

 こころのこもった食事が終わったころ、老人がなにか話し始めようとしたのだが、不意にドアをたたく場違いに大きな音がした。

 「ひとを探している。だれかいないか」

 老人は立ち上がるとドアを開けて、外でその人物としばらく何か話していた。 

 息を潜めていた二人は戻ってきた老人に思わずものといたげな視線を向けてしまう。

 「西で大火があったそうですよ。かなり亡くなったようです。壊滅状態だとか。地獄のようだったとか」

 「いまのは……?」

 「医者をさがしてるのですよ。この近くに住んでいるらしいのです」

 「警吏ではないのですか」

 老人はちょっと黙って、

 「ひどいはなしですよ。火をつけたのがいたんですよ。だが怖くなったんでしょう」

 アルウェンが矢のように立ち上がった。

 「どういうことです!」

 詰問の語気だった。

 驚きもせず、老人は、

 「名乗り出たそうですよ。少女だというじゃありませんか」

 キアスは目を一瞬、閉じ、「どうなるのでしょうか」

 アルウェンはまたはじかれたように、「で、いま、ど、どこに」

 「どこに、というのは難しいご質問ですな」

 「というと?」

 「どこにもいないともいえますし、そこと天を指すこともできます。いや、地の底かもしれませんが」

 「いけしゃあしゃあと、最後まで祈りをやめなかったそうですよ」

3 Intermission

 ひとは解き放たれたときにこそ、追われてもいなければ、目指すべき場所もない、そういうときにこそ、なにものかに試されるのかもしれない。おぞましい茶番の中にこそ、真実がひそんでいるのかもしれない。キアスは倒錯したことに、自分の中に奇妙な快感と悲しみが入り混じっていることに気がついた。それはアルウェンへの場違いな復讐心のようなものでもあり、また、ことはこのようにすすまねばならなかったという運命そのもののありようへの静かなかなしみをともなった納得のようなものでもあった。

 「アルウェン、きみが死んでもしようがないよ」

 「そう見えた?」

 「わからない。けれど一応はね」

 「そう、たしかにあなたは道化なのね。愚かさという美徳にしがみついているのだもの」

 「非難されたのかな」

 「感謝したのよ」

 惰性のようにしてキアスとアルウェンは老人の家を出ると、謝辞もおぼつかないまま旅立った。老人は何も聞かなかったが、釣り上げたあおい魚を食料にとくれた。

 橋はすぐそこにあった。わたりきるのに数秒とかからないかのようだった。だが、もどることはないような気がキアスにはしていた。それは、逃亡者であった昨夜よりもなお、そう思えるのだった。すべて見慣れたものから、自分を切り離したような気がしてならなかった。だが、と、キアスは思う。おれはなぜアルウェンの運命にここまでつきあうのだろう。色恋だろうか? そうはおもえなかった。苛烈な運命はそのような情熱によって耐え切れるものとは異なると思われたのだった。

 街道をそのまま進み、いくつかの町を抜けたとき、不意にアルウェンはなぜ戻らなかったのか聞いた。

 「きみこそ何故だい? 贖罪? そんなふうにはおもえないよ」

 「……わからないわ。問いさえもわからない答えを探しているようなもの。戻ることは許されていない。そのことはたしかにわかっているのよ」

 「ぼくのこたえは単純だよ。道化に戻るべき家はない。いるべき場所は微笑を失ったものの前さ」

 「すくいようがないわね」

 「すくいなんかないさ」

4 How many miles to Babylon?

 ……少女は幼いころから歌を歌うことがなぜか好きだった。そしてあらゆることに興味をもった。それで「なぜ?」という意味のクワムと呼ばれていた。聞きたがりの彼女はあるとき、飼い猫の黒耳のシュリアを抱いて、さんざんおとなたちに辟易された挙句、屋敷のすみに遊びにおいやられた。そこは、いまはだれもつかっていない部屋で、むかしふうのものがところせましとほこりをかぶっているのだった。しばらく、答えのない疑問ではちきれそうになりながら、彼女はそれらのものと妖精のように戯れていたが、ふいに、どこかから美しい歌声が聞こえてくるのを聞いた。いこう、シュリア、そういうと彼女は声がどこからしているか探した。声はその部屋の壁の向こうのさらにとおくから聞こえてくるようだった。ちゅういぶかくかのじょが壁を調べていると、そこにいかにも白い漆喰の壁のようにして、じつは白い紙でカモフラージュされた抜け穴があることに気が付いた。(この抜け穴についての話はまた別の話、むかしここにすんでいた双子の兄弟がどうやって両親を再び幸福にしたかについての話だが、ここでは語っている余裕がない。またいつか、別の機会にそれは語られるかもしれない)そこで彼女はいさんで(そう、彼女は知りたがりなのだ)その抜け穴にはいりこんだ。ほどなくして、その穴はあっさり屋敷のはずれから、隣のふるい家の裏庭に出た。

 そこはうつくしい庭園で、外からは窺い知ることのできないかぐわしいにおいにみたされ、いろとりどりの花が咲き誇り、噴水がゆっくりときらめいていた。この庭園のはずれから、歌声は聞こえてくるのだった。

 すこし警戒しながら、クワムは庭園に入り込み、声のするほうへと近づいていった。

 だがややもすればその視線は花の美しさにとらえられがちになった。

 不意に、歌声がやんだ。

 クワムが顔を上げると、そこにはおそろしく年老いた、しかしものやさしげな老婆がたっていた。その視線は夢見るようで、どこかにふかい悲しみの影があった。そして、おかしなことに、だがなぜかあまりにもふさわしく、ちいさな指輪ほどの大きさの煉瓦のかけらのペンダントを首にかけていた。それは普通の煉瓦よりも年代を感じさせ、そのくせ鮮烈な朱色をとどめていた。

 「あ、あの、こんにちは」

 クワムは緊張してもじもじしながら、挨拶すると、そのひとは手招きをしてかたわらのいすを指差した。

 「いい庭でしょう?」

 「はい!」

 クワムはそう答えるのに何の躊躇もなかった。おそるおそるちかづいていすに座ってしまうと、もう安心したように彼女はまじまじとそのひとを見つめた。

 「わたし、ここにおばあさんが住んでるなんて思いませんでした。だってあんまりきれいで静かで、そして古いんですもの。なんだかそういう手の触れてはいけないようなものって気がすることってありませんか」

 「まあ、ありがとう」

 そこで、無視するなよ、というように、黒猫がながくにゃあんとないた。

 気が付いて、そのひとは、

 「なんというのこの子は」と聞いた。

 「はい、シュリアです」

 それを聞くと、老婆は不思議な感動に襲われたようにシュリアを抱き上げ(この不羈の動物が嫌がりもしなかった)、ふと、おかしくなったようで、「あら、あなたのお名前をきいていなかったわね」

 「クワムとみんな呼びます。いつもなぜなぜって聞くからだって。でもおばあさんみたいに、長生きしてなんでもしってたらそうじゃないかもしれないけど、わたしまだ何も知らないからそれがとってもやんなっちゃうんです」

 「そうね、でもわたしもまだ、なんにもわかっていないような気がするときがあるわ」

クワムはびっくりしたようだった。

 「あら、そんな顔をしないで。そりゃあ、少しは経験もしたのよ」

 「あの、聞かせてください。わたしこんなうつくしいお庭に住んでいるおばあさんのような素敵な人のこと、もっと知りたいんです」

 すると、そのひとはまるで少女のような表情になって、

 「そうね、ではわたしたち、お友達になりましょう。そうしたら、この世界のいろいろな不思議な物語、わたしが経験した奇妙で悲しいことやうつくしいことをはなしてあげるわ。かわりに、あなたはあなたのことを、あなたのうつくしいとおもうことを、あなたが不思議だと思うことをわたしにきかせて」

 クワムはただ元気よくうなずくだけだった。

 そうしてそのひとはお茶とお菓子の用意をしていすに少し疲れたように座って、目をつぶって、夢の中から歌うように語り始めた。彼女はひとことだけ前置きをした。この物語はたくさんの苦痛とよろこびのすえに、不思議なめぐりあわせで世界の果てにたどり着き、そこから戻ってきた二人の若者の話だと。

 「……そう、それはまだわたしがおろかでわかくて、そしてひとりの道化た若者の真価を知らなかったころのことだったわ。わたしたちにはひとりのそれはそれはうつくしい友人がいて彼女の名前は……」

了。

vermilion id:masproさん

http://d.hatena.ne.jp/maspro/20030702

おお、すげえ。一階がどうとかはルール、初期に考えたんですけど、たしかいまは消してあるはず。(ふたしか)。とにかくそのへんかまいませんよ。

イレギュラーな形にするとしても面白ければいいので。

バビルの塔は曲がいいんだよなあ。

自作はとりあえず途中まで書いて破棄。だめだ。最初から別設定で書くことに。

とりあえず、その没原稿。

 その男の名はシェフィールド・ライト、親譲りの財産のお蔭で齷齪働くこともなく、土地を代代の雇い人たちが経営することで十分に暮らしていくことができる身分のひとりだった。だが彼はそれで一生を趣味人として生きよう、などと殊勝な考えを起こすたぐいの男ではなく、かといって、なにか大それた理想を描くにはあまりにも世俗に目をふさがれて暮らすことに慣れきっていたし、また、そんな勇敢さも持っていなかった。

 そういうわけでちいさくまとまって何事もなかったように自然とともに一生を終えることには耐えられず、かといって形のある何事かをするには志をあまりにも欠いていたシェフィールドがたどりついたのは、同じような境涯の人々の多くが結局はそこに落ち着いたように、蓄財、すなわち金銭に執着することだった。けだし俗世にしか視線が届かないにもかかわらずみのほどを知ることもできない人々の多くにとって、金銭とは、ただひとつの信仰であり、宗教であり、なにか超越に近いかがやきを帯びたものなのである。そこには、なにか、ある限度を超えさすれば、この金銭というなんでもない俗悪なものが、不意に変身を遂げてユートピアの入り口となる、という、不思議な、ほとんど不可解な千年信仰さえいきづいていたのだった。

 はじめ、シェフィールドはただ倹約をやかましく言い立て、なにか儲け口はないかとそわそわと同輩の軽率な資産家たちの噂話に聞き耳を立てているだけだったのだが、やがて、何度かそうした資産家たちに寄生する身なりのいい無頼漢たちにだまされていくうち、はじめは良家の子息らしく鷹揚だった表情はけわしくなり、視線はつねにあらぬ方を見やるようになり、ますます不思議なことに奇蹟信仰につかれた行者のように狂的な雰囲気を身にまとっていった。そうしてさらに鉱山とかアメリカとかうわごとのような話に大枚を投資した挙句夢のようにすってしまって以来、かれは丘の上の周囲と隔絶した屋敷に閉じこもり、外とはまったく交渉しなくなってその動静は誰にも聞かれなくなってしまった。

 そしてその不思議な沈黙は、はじめ数日限りのものだろうと誰もが考えていたのだったが、やがて数週間となり、数ヶ月となり、ついには何年もかれの姿を誰も見るものはなくなったのだった。奇妙なことに。いや逆説的なとでもいおうか、かれがこんなふうな唐突な隠者と化してより、かれの忠実な雇い人たちはむしろ闊達にくらすことができるようになり、土地は潤い、人々は安穏な暮らしをたしなむことができるようになった。それはさながら、その力の大きさゆえに大地の神が、現に降臨しているときよりも不在のときの方がより人々に利益を与えるのに似ているのだった。

 じつをいえば、そのあいだかれはこんなことをただひたすら考えていたのだ。まったく、おれがこんな不始末のあげくにこうして世間にも顔向けできない羽目になったのはなぜだろう。いったいおれがいけなかったのか、それともこの金というやつがいけないのか、たしかにおれは軽率でおろかだったかもしれない、だが、世間の金銭を巡る争闘がなければおれだってそんなめったな気は起こさなかったのだ。いや、なにもおれは世間がいけない、社会の罪だなどとばかげたことをいいたいわけじゃない。他を凌ごうという世間の風潮をが許せないなどとことあらためていおうというのでもない。ただおれは納得がいかないのだ。おれがあれだけ求めたもの、そして人々がこれだけ求めているものが、なにか薄気味の悪い、どこにも実体のない何かだということに。