内容スコアは機能しない

http://d.hatena.ne.jp/hatenadiary/20050415/1113548568

内容スコアは機能しないと思います。

どうも、はてなは、キーワードのテキストは、些細な修正が後から加えられることはあっても、主たる内容は作成者の手になるものである、あるいはそのケースが多いという誤解があるのではないか、と思えてきました。しかし実態は違います。ほとんどのキーワードのテキストは、どの部分がどの編集者の手になるものか、判別できないし、また区別しても意味はない、という状態にありますし、それはキーワードがWikiの特質を部分的にもっていることからも必然です。

キーワードのテキスト内容は安定していません。内容スコアが、意味を成すためには、特定の時点の内容に対してなされるものでなければなりません。内容スコア投票者が、自己の意に反する投票に結果としてならないためには、つねにキーワード内容を監視し、スコアに値しない内容に変化したときはスコアを撤収するという能動的な行為を必要としますが、言うまでもなく、これは無理です。

もちろん、キーワードのテキストは、長期的にみれば、ある程度の安定性をもつ傾向がありますし、それだからこそ、情報として価値を持ちうるわけですが、しかしそうはいっても、その安定性は、文言の安定性であって、内容的方向性の安定性ではないわけです。つまり、文言としては、安定していても、僅か数文字、たとえば「ではない」と書くだけで反対の意味になりうるわけです。

ですから、たしかに内容スコアは、六割程度のキーワードについては、つまり、内容的質や方向性がたまたま長期的に安定しているキーワードについては機能すると思いますが、つねに、無視できない割合の、不当なスコアのキーワードを存在させることになると思いますし、意図的なスコア操作の攻撃に対しては、きわめて脆弱だと思います。

また、その関係で、内容スコアは、キーワードの(投票時点での)最終状態への評価であるので、作成・編集したキーワードの内容スコアと、作成・編集したユーザーとを関係付けることは、基本的には不合理です。たとえば、ひどい内容のキーワードをまともな(ここでの価値判断的用語は内容スコア的にあとからみて評価されたかどうか、という観点でいいます)内容に修正したユーザーがいて、そのあと、またひどい内容に編集され、そのためスコアが極めて低くなったとします。あきらかに、このまともな(スコア的に評価されるような)内容に一時的に変えたユーザーの評価は、この「貢献」ゆえに下がります。これは不合理です。

こうした問題は、編集差分に内容スコアをつけることで解消されるでしょうが、そうした煩雑さが機能するかどうかはまた別問題でしょう。

このへんは、やはり、どうしても、キーワードのテキストを、特定の編集者に属するものとして理解してしまう傾向というのがあるように思えます。しかし、キーワードのテキストは、主たる編集者と些細な、あるいは相対的に訂正に属するような小さな副次的、付加的編集者という図式とはまったく違います。(もちろん、そういうケースもありますが)そうではなく、むしろ、キーワードのテキストは、かなり大幅に書き換えられたり、文言的にはたいした変更ではなくても意味的には大きな変更になったり、量的にあとからの変更のほうが主たる内容を形成したりすることも、それなりに普通です。

他方で、最後の編集者は、それまでの編集者を尊重して、あるいは編集合戦になることを予期して妥協して、容認できないような、意に反する内容を積極的に残す場合もあります。

どちらのケースでも、以前の編集者も、最後の編集者も、全面的な、すくなくとも、その内容への評価が自分の評価に直結するような意味で、責任を負えるような完全な編集の自由度をもっているとはいえないでしょう。

そういうわけで、内容スコア、およびそのユーザー評価との関係付けには反対です。編集履歴の公開についても、利益よりもトラブルや不当な編集監視行為をまねくだけのように考えるので反対です。