Benjamin Biolay / Negatif (2003)

julien2004-02-17


私は結構フレンチポップスが好きなんです。レコードを掘ったりはまだ全然してませんが、Serge GainsbourgDavid Bowieと並んで自分のなかでは特別な場所にいつもいるし、レコード屋でお薦めになってる新譜はまめにチェックしてます。
最初はJane BirkinFrance Gallといった、日本でも人気があった昔のアイドルを聞いてましたが、現在のフランスにも恐るべき才能がいるぞ、ってことを教えてくれたのが、このBenjamin Biolay
最初に知ったのは、彼がプロデュースした妹コラリー・クレモンのCDを聞いたことで、ポップでありながら文学的なたたずまいをもった素晴らしいアルバム、何よりもストリングスやピアノによる美しいアレンジに、あっという間に引き込まれてしまって、彼自身のアルバムや、他にプロデュースしたKeren AnnやHenri Salvadolの作品にまで手を拡げていきました。
ちなみに、コラリーは2年前に渋谷のClub Quatroでライブをやったので、それにも行きました。客もフレンチ好きそうなお洒落な人間(年齢層バラバラ)だけで雰囲気もよかった。アコースティックな凄くいいライブでした(兄貴は来てませんでしたが)。2ndと再来日希望。
そういえば、そのライブは「フランス祭」とか名売ってたものの一貫だった気がするんですが、フランスにしても最近はヨーロッパって、日本じゃ話題にならないですね。音楽的にもハウスやテクノくらいかな。ブランドはヨーロッパのものが中心だと言っても、その国の文化とは切り離されて、単なる商品としてしか流通していない。アメリカはアメリカでいいけど、他の情報が並列的に入らないのは如何なものか。日本はかつてあの国にボコボコにされたってことを忘れてるんじゃないのか?藤田省三が言うような「敗北の経験」はどこへ行った?自分は右傾化する気はまったくないけど、国際化って意味が分かってないんじゃないのかと疑問に思う。いいものはいいものとして素直に感動できていた明治は、今よりは感性が純粋だったように思える。
EUは無視できないよ、経済においても。その辺りに関心払ってるメディアは、一部の例外を除いて皆無に等しい。みんなが見てるのはアメリカか中国だけじゃん。
閑話休題


で、その兄貴バンジャマンですけど、これは去年発売された2nd。変則2枚組で、2枚目は1枚目への返歌のようになっています。5回聞いた程度じゃ何も分からないほどの濃密な音の世界。
先ほども少し触れましたが、彼の特徴は、ポップでメロディアスな曲の上に、ストリングスなどの生音を変幻自在に使いこなして構築する”音の壁”にあります。ピアノからバイオリンまで自身何でも使いこなせるがゆえに生み出される魔法のような音。彼がフランス本国で「天才」「ゲンスブールの再来」と呼ばれる由縁は、他の誰も真似できないプロデュースワークにあるんですね。
でも、それだけじゃないんです。
このアルバムにも、そうした本領は十分に発揮されていますけど、かなりフォーキー、アコースティックなものに作られています。歌詞も極めて内省的なものが多く、国内盤の発売はないので歌詞はまったく読めませんが、よく行かせていただいてる向風さんのサイト(現在、休止中なのが本当に残念です)に紹介されている翻訳を少しだけ引用させていただければ、こんな感じ。

「私の苦悩の広がりを前にして,私は人魚たちの歌を聞いたか?私の苦悩の広がりを前にして,私はセーヌ川に裸で飛び込むべきか? 生きていようが死のうが,私はネガティヴである。すべては逃げ去ってしまう。」"NEGATIF"

こういう絶望的な歌を、ゲンスブール直系のボソボソかつ淡々と味のある声で歌うのを聞いていると、これは単なるスタープロデューサーとは違う深いものを感じずにはいられません。フランスの歌手は、必然的にボードレールランボーの後継者であるのだから、歌詞に文学的なものが多く見られます。私が彼らに惹かれることにも、それは大きく作用していますが。
ワインを傾けながら、じっくり聞きたい「大人」な一枚。絶望的であることは、生き死にと関わりなく、常にここにあるものだ。

ASIN:B000093FHR

Keren Ann / La Disparition (2002)


バンジャマンと公私に渡ってパートナーだったのが、ケレン・アン
去年発売された英語圏向けアルバムについては以前にも触れたので、今回は彼女の2ndを。
20年に一人の逸材とも呼ばれる彼女は、モノクロ・セピアなジャケットのなかでフレンチとしか言いようのない60年代風の服装をしています。ジャケットを包む白と紫の組み合わせが、どこか物憂げで、部屋の隅にさりげなく置かれたポプリのような、不思議な佇まい。でも、タイトルは「La Disparition」・・・《消滅》。。
バンジャマンのアルバムとは違って、SSW的なアコースティックサウンドのどこに、そんな暗い影が落ちているのかと考えて、それはプライベートの彼女にとっての何かであったとしか、やはり思えない。最後の曲の歌詞のなかの、死を意識しながらも、生を求める彼女のように。
この作品の発表直前に、バンジャマンは故マルチェロ・マストロヤンニの娘と結婚します。そして、彼女とバンジャマンの協力関係は「消滅」し、彼女は英語圏を意識したアルバムを発表する。。でも、そこには彼とともに作った曲が数曲含まれたまま。


何かが消滅するっていうのは、なんなんだろう。記憶は消滅せず、形を変えて残る。不在が、不在そのもとして、そこには残る。
棄てられたポプリの残り香のように、表面では忘れられたまま、でもそこには、かすかな記憶が漂う。
永遠を約束されたものは、形は変え、現在にしかない色彩は失われて、いつまでもそこに残る。
消滅は、不在を漂わせながら、モノクロになって残るものたちの合唱なのかもしれない。記憶は、多くのものを喚起しながら、それでも時間は今もここで続いていくのだから。


去年発売された英語盤のタイトルは『Not Going Anywhere』。これは彼女のことじゃないよね。私はそう信じたい。「どこにも行かない」のは、思い出だけでいいから。
ASIN:B000060K0E

Coralie Clement / Salle Des Pas Perdus (2002)


バンジャマンにとっての唯一のピグマリオンゲンスブールにとってのフランス・ギャルのような意味で)でもある、妹コラリー。
歌のトレーニングとかまったくしないで録音されたような彼女の声ですが、ここでの主役はやっぱり兄バンジャマン。
ケレン・アンや兄貴の作品と比べて目立つのは、完全にラウンジよりなサウンド。ボサノバ、サンバ、タンゴといった、ブラジル系のアレンジに、ストリングスを加えたような音。センシティブだけどとても明るくて、バンジャマンの作品が苦手な人にも、優しく入ってくる音に溢れてます。フランスの明るいカフェにいるみたいな。前述の向風さんが、日本人のために作ったんじゃないか?って言われるのも納得ですが、個人的には大好きですね、これ。
でも、歌詞はとても文学的。「私の部屋の窓は中庭に向けて開く」なんて、内向的な少女のメタファーとしても素晴らしい。
国内盤も発売されているので、そんな切ない歌詞も読むことができます。フレンチ知らない人にも、かなりお薦め。
ASIN:B0000641QK

Dancer In The Dark

どうも言葉に踊らされてるような気がする。思ったことをそのまま書いているんだけど、レポートだろうがなんだろうが、適当に書き始めてもそれなりに人が納得してくれるものになっていくので、深く考えないでいたけど、実際に私を知ってる人は「は〜、コイツにはこういう面もあるのか」っていう感じに受け取るんじゃないかと思う。
普段は黒いジョークやらを撒き散らしてるし、結構危険な趣味も持っているし(かなり薄れてきたけど)、人前で感傷的になることもほぼ皆無だから、私の裏まで見抜いていそうな某友人に言わせれば「××(私の本名)にはこういう書く場所が必要だよ」ということになる。こういう面は内部に沈殿させるよりも、昇華(消化?)させといたほうがよいということかしら。確かに、私の妙に感傷的で感情的なものは、形を与えていったほうがいいかもしれない。

私個人は全然シャイではないです。はっちゃけてることも時々(しょっちゅう)ある。
どうも、表現が巧くいってないように思えてならない。私生活が滅茶苦茶なのにも困る。
・・・そろそろ、小説を書いてもいいタイミングなのかもしれない。