猫を償うに猫をもってせよ

2005-09-07 大学のウェブサイト このエントリーを含むブックマーク

 私のような人間が大学のサイトを見るときというのは、だいたいそこの日本文学科や英文科の教員の顔ぶれが見たいのである。しかし、三流私大のHPなどで、そういう情報がまるで分からない、あるいは不完全なものがある。読ませられるのは、明らかに実情とはかけ離れたすばらしい大学教育の宣伝文である。もちろんあちらは、私のような人間に読ませるために書いているわけではなくて、受験生目当てに書いているわけだが、要するに教員で大学を選ぶ、などということは念頭にない、ということである。時おり私に、「小谷野さんのような有名人なら私立で欲しいんじゃないですか」などと言う人がいる。まあ、早稲田の国際文化学部あたりの陣容をみると、そういうこともあるようではあるが、それは早稲田だからであって、三流私大を受験する高校生やその父母は、そんなことを気にしないから関係ないのである。たとえ恵泉女学園大学の学長が、日本における聖書学の権威であっても、そんなことを知って受験する者はあるまい。和光大学の前学長が「差別論」の専門家であっても、麻原彰晃の三女入学拒否がなんたらかんたら、という者どもはそれも知らないのである。

 もちろん、国立大学法人なら、教員名はだいたい明示してあるのだが、こちらは、更新が実に遅い。東大なんか、一年前に退職した人の名まで載っていて、使えないことおびただしい。その上、業績の欄が実にいい加減で、空欄だらけだったりする。これが、業績はたくさんあるんだが載せていない、と分かるならいいのだが、人によっては、ないんじゃないか、という疑惑をかきたてることもある。もう私は、業績のなさそうな教員を見つけると、気になってしょうがないのである。

 私の知るある英文学教授で、私が知ってから十年間、「来年は博士論文を書く」と言い続けている人がいる。もちろん、未だにできていない。私はある時、「お酒やめたら書けるんじゃないですか」と言った。彼は「それくらいなら書けないほうがいい」と答えたので、恐らく終生書けまい、と思った。しかし彼は教授であるのみならず、学会でも着々と出世しているのである。これを思えば、若い院生がせっせと博士論文を書いているのなんか、涙ぐましいというかバカ正直というか。北野大が「博士号は足の裏のご飯つぶみたいなもので、とらないと気持ち悪いがとっても食えない」と言っていて、これは多分どこかで言い伝えられているジョークなのだろうが、理系の話であって、文系ではとらなくても気持ち悪くないのである。もっとも念のために言っておけば、博士号はとっていないがよい論文をたくさん書いている、という人もいて、それはそれで尊重する。なにせ文学系では、「山高きがゆえに尊からず」ということが分からなくて、むやみと長い博士論文を求める傾向があって、あまりいいことではないからである。   (小谷野敦