猫を償うに猫をもってせよ

2006-10-15 高校時代のいじめ このエントリーを含むブックマーク

 いじめが原因で自殺した小学生のニュースが続いている。私の高校時代もひどいものだった。といっても暴力はなかったが、陰険陰湿、かつ加担する教師もいた。私が行ったのは海城高校だが、今と違って、進学校ながら東大進学者は年に五、六人だった。だから滑り止め校で、私は当時東大進学者の多かった県立浦和高校に落ちてここへ行ったのである。

 元は海軍学校で、江藤淳や小和田雅子の親戚の江頭家がオーナーだった。だから気風も荒く、体育教師が妙な権力を持っており、雰囲気は野蛮だった。

 私のクラスでのいじめの標的は、まず私、ついでIだった。いじめグループの親玉は久木尚志といった。先日、同姓同名の歴史学者がいるのに気づき、生年も同じなので、まさかと思ってその著作まで見てみたが、左翼的な学者で、とうていあの男がこんな学者になるはずはないから、別人だろうという結論に至った。あと三人くらいでグループを作っていじめをやるのだが、私へのいじめは二年になって私の成績がよくなるとやんだ。しかしIへのそれは続いた。Iは、平然と朝鮮人差別を口にするような男で、別に私は好きではなかった。

 一年生のある日、Iが病気で休んだ日に、Iの机の上板が剥がされていた。さて、担任は体育教師の大澤という、度し難いバカだった。大澤は、上板が剥がされた机を見て「なんだそりゃあ」と苦笑いをしただけだった。また、Iが休んでいる理由を訊かれて「顔が悪いんじゃないか」などと言ったのは、ギャグのつもりだったのだろうが、まるで中学生である。二学期だったか、Iはいじめの一環として学級委員に選ばれた。大澤もさすがにこれには怒りやり直させたが、結果は同じだった。

 二年生になってクラス替えがあったが、驚くべきことに、私と久木とIが同じクラスにされたのである。そして相変わらず久木を中心としたIいじめは続いた。今度は現代国語の教師が担任だったが、Iが登校してきて久木に蹴られたというので帰宅してしまったことがあって、担任は「お前ら、必要以上にIに構うな」と言った。

 もう一つ、教師いじめもあった。左翼的な日本史の教師Nを、クラス中で寄ってたかって攻撃したのである。この行為を非難した教師もいたが、右翼的な英語教師の小寺は、このいじめを快く思っていたようで「このクラスは明るくてね、僕は好きなんだ」などと言って、いじめを煽った。ちっとも明るくないのである。老人だったからもう死んでいるだろう。その時私は、Nについては中立だと言ったら、久木などから「中立は許さない」と言われた。英語文法の教師の河野というのは、ガマガエルのような顔をしていて、pancakeという単語を説明するのに、「うすっぺらいホットケーキのようなもの」と黒板に書いて生徒たちの失笑をかっていた。Oという、どうもアルビノらしい生徒がいたが、これは悪童だった。河野があるときOを叱ったが「だからお前は「白」って言われるんだ」などと言い、「教師の言うことか」と驚いていた生徒もいた。

 目良という東大教育学部卒の倫理の教師は、唯一、生徒からも慕われ、かつNいじめにも苦言を呈していた。私の卒業後、目良が教員組合を率いて学校を改革したとされている。

 いやもう、お話にならないひどい高校だった。それでも私が卒業できたのは、成績が良くなったからである。卒業した時は、まるで牢獄から出たような気分だった。久木には、本気で死んで欲しいと思っている。