猫を償うに猫をもってせよ

2007-12-21 南日恒太郎と村松剛 このエントリーを含むブックマーク

 匿名で人を揶揄するけしからぬ「大波小波」の「孫の手」であるが、村松英子の本姓は「南日」であるから、明治期の英語教師南日恒太郎(田部重治の兄)と関係があるのではないかと思っている、調べたらどうか、などと書いていた。確かに『文藝年鑑』などでは村松英子、本姓・南日とある。

 それで村松の高齢出産記『天使とのたたかい』を見たら、なあんだ、ちゃんと書いてあるじゃないか。母方の祖父の弟が田部重治。南日家は恒太郎、田部隆次、重治の兄弟だから、これで祖父が恒太郎とはまだ決定しないが、ならばなぜ英子の本姓が南日なのか、養女にでもなったのかと思ったら、英子の夫は、これは普通の勤め人らしいが、南日兄弟の誰かの孫で、つまり英子のはとこに当たる人。しかし姓が南日なら恒太郎の孫で、もし三人兄弟なら、英子の母方祖父は田部隆次ということになる。

 ところで、村松剛兄妹と村松梢風は関係ない、と書いておいたが、実は双方とも武田信玄幕下高坂弾正の子孫で、弾正の孫の一人が信州に住みついてその子孫が、代々医家たる剛の家、その兄だか弟だかが駿河に住みついたその子孫が梢風らしい。まあそこまで遡れば、勅使河原蒼風と勅使河原純もまんざら他人ではないわけで…。「孫の手」さん、簡単に調べられますよ。

 なお村松剛には年譜がないようで、これには驚いた。