猫を償うに猫をもってせよ

2008-11-11 金井美恵子先生を読む榊敦子先生 このエントリーを含むブックマーク

 『新潮』の12月号に、トロント大学の榊敦子教授のエッセイが載っている。文藝雑誌初登場である。私には決して執筆させない『新潮』である。中味は金井美恵子先生研究ノートで、題は「金井美恵子を読んでは書く日常それとも非日常?」で、文章もすっかり金井先生調になっている。金井美恵子については『行為としての読書』で既に『岸辺のない海』に触れておられたのだが、かなり読み込んでおられる。さすがに若い頃の優等生的文章からはひと皮剥けた感じ、「文盲」ならぬ「映盲」の自分は金井先生のために映画を観るようになり、ジャン・ルノワールの「牝犬」を観て、とか、ある。それに、文学作品の価値は政治的、経済的システムの権力によって生産されるという建前のために凡庸な作品を(も)論じなければならない北米の日本文学研究の現状にうんざり、などと書いているのも、教授になったればこそだろう。お元気そうで何よりである。

 ところで金井先生の外国語訳は「兎」くらいしかないようなのだが、ひとつ気になるのは『タマや』の「ウエマシャ?」のくだり、英訳してフランス語で書いたら面白くないし、仏語訳だったらますます意味をなさず、トロントあたりはフランス語も通じるわけだから、日本文学専攻の学生が日本語で読んでも、「ウエマシャ?」という字面に面白さを感じるか、頭の中でフランス語に変換して読むからおもしろくないか、のいずれになるや、ということである。榊先生にはまた登場して、その辺のことを語っていただきたいと念じたことであった。

 (小谷野敦