私はキネマ旬報ベストテンが発表されると、それらの映画のDVDを借りて観る。それをキネ旬至上主義だの権威主義だのと言う人がいるのだが、それはあくまで「目安」である。もちろん、それ以外の映画を観ないということはないし、もしベストテン映画が下らなければ、映画評論家というのはダメだということが確認できるわけである。ノーベル賞だって同じことで、もしノーベル賞をとらなければ、シンボルスカの名など知らなかったろうし、オルハン・パムクやイェリネクも知らなかっただろう。いちいち目安に目くじらを立てることはないのである。

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(『駒場学派の歴史』補遺)
ピーター・デールの『日本的独自性の神話』というのは、日本文化論の非学問性を指摘したいい本なのだが、邦訳がない。実は1989年頃佐伯順子さんが翻訳していたのだが、なぜかお蔵入りになってしまったという。もっとも、佐伯さんは伊東俊太郎から「君、あんな本を訳したら、日本文化論をやっている人たちから総スカンを食らうよ」と脅されたそうである。

 昨年暮れ、ひどい目に遭った。東大比較の先輩であるYという女性教授から、比較が美人をかわいがる点については面白い話がたくさんあるので私と対談したい、と言ってきたのは秋ごろか。すぐには無理だったので、12月になって編集者に室をとってもらって対談したのだが、途中で心変わりしたらしく、比較は美人に甘いというのは、ないと思いますと言い出し、私は、話が違うと内心で驚きつつ、その場は平和裡に対談を終えたのだが、帰宅してその人のメールを見たら、明らかに「裏切られた」ことが分かり、対談を没にした。一昨日あたり行われた平川先生の出版記念会に、その人も出席していたそうだが、既に教授なのに、何ゆえ旧師や出身研究室をそう怖れるのか、実に不思議である。編集者に盛んに売り込んでいたというから、売り出したかっただけかもしれない。