『里見とん伝』系図にある山中まさ生年1908年というのは、1898年の間違いです。『日本の有名一族』も同じく。なんで今まで放置されていたんだろう・・・。

天皇制批判の常識 (新書y)

天皇制批判の常識 (新書y)

 
訂正 p.19 「ウンベルト三世」→「二世」
 p.38 イスラエルの総理公選制は2001年に廃止  
 p.83 「湯島天神」→「神田明神
p.123 ドイツ語はロマンス語ではないですね。
 p.166「皇帝アヤトラ・ホメイニ」→「パーレヴィ二世」
(何やってんだ、俺)
 p.172 「ワロン人の民族主義政党フランデレン・ブロック」→「フランデレン人の」
 確認できなかったので書かなかったのだが、大江健三郎井上ひさしとの対談(1999年1月1日『週刊朝日』)で、昔福田恆存とテレビで議論して、護憲だから天皇制も認めると言ったと言っている。しかしネット上の情報では、護憲だが天皇制には反対だと言って福田に矛盾を突かれたことになっている。誰かきっちり取材してほしい。
 さて本書を寄贈した中から、長谷川三千子先生からお手紙をいただいた。長谷川先生はいつも手書きのお手紙で、今回もしかるべく反論しておいでである。最後に、ブログで紹介してもいいけれど、都合のいいところだけのつまみ食いは許しません、とあって、それでは紹介しづらい。むしろ、私の言論は公の場に活字として出ているのだから、手紙でなど反論せずに、どこかへお書きになればよろしいのではないか。
早大教授兼築信行先生が論及してくださる。今年54歳。老教授だなんて、嘘つき。
http://blog.goo.ne.jp/unsyusanjin/e/ec20ba27896ffecd1782a72a82ba452c

http://blogs.yahoo.co.jp/fm2629/23611053.html
 いくつか間違いを指摘され、上に反映させたが、コンスタンティノープル総主教座については、事実上モスクワが主導権を握ったとみてよかろうと思う。
 それはそれとして、天皇・皇族が国民の一員だというのは、それこそびっくりである。それでは憲法13条と天皇制がまるっきり矛盾してしまうではないか。
 皇統が変わると光がつくというのは、『なぜ悪人を殺してはいけないのか』で詳しく書いたが、伊藤喜良『中世王権の成立』にあることで、歴代見れば明らかなのだが、日本史学者らがまじめに取り上げないのがいけないのである。北朝天皇が光をつけているのは、南朝への対抗策であろう。
(付記:鬱病らしい)
http://hryo.at.webry.info/201002/article_75.html 
憲法の「法の下での平等」は国民にしか適用されないから、私こんなこと言ってない。

http://66712091.at.webry.info/201002/article_9.html
 なんかこの本についてブログを書いている奴って知能程度が低いな。憲法違反ではないってのに。
http://chakochakosan.dtiblog.com/blog-entry-20.html
 実は私の文章には「天皇制は差別の根源だ」とは書いてないのだよね。見出しにあるだけ。まあ、見出しも見ているわけだが、この程度はいいか、と思った。詳しくは『なぜ悪人を殺してはいけないのか』を参照せよ。まあ親切に言うと、生徒の「差別がいけないならなぜ天皇はいいんですか」という質問に教師が答えられない、それが差別の根源だ、というのである。
http://blogs.yahoo.co.jp/fm2629/23730004.html
 なぜか光仁が出てこない、とあるが、それは自明なので書かなかっただけで、それはやはり『なぜ悪人…』のほうに書いてある。そこでも紹介したのだが、光字については野村朋弘氏が詳しく書いている。私は以前から、論文か著書にしてほしいと言っているのだがなかなか難しいのだろうか。
http://www.toride.com/~sansui/posthumous-name/mokuji05.html