猫を償うに猫をもってせよ

2010-09-30 「邪宗門」の事実 このエントリーを含むブックマーク

 少し前にカニさんid:kanimaster が、芥川龍之介の「邪宗門」は、長編になるはずだったが中断してしまったと書いていた。私も長くそう思っていたのだが、どうも違うのではないか。

 芥川は北原白秋を尊敬していて、だから始め柳川隆之介の筆名を使った。柳川は白秋の故郷、白秋の本名は隆吉である。「邪宗門」も、白秋からとったのである。

 さて芥川は、「大阪毎日新聞」と契約を結び、他の雑誌に小説を書いてもいいが、他の新聞には書かないという条件だった。漱石大阪朝日で、これも雑誌には書いても良かったようだが、書かなかった。毎日と朝日はもともと大阪が本社で、ただ当時「東京毎日新聞」というのがあったため、毎日東京版は「東京日日新聞」になり、「大毎東日」と称された。もともと新聞小説というのは、村井弦斎、菊池幽芳、渡辺霞亭などの「家庭小説」つまり通俗小説の連載が主だった。そこに、尾崎紅葉小栗風葉小杉天外などが加わり、徳田秋声も通俗小説を連載した。明治40年頃からの自然主義の勃興で、朝日は夏目漱石二葉亭四迷長塚節森田草平など「純文学」作家にも連載させ、読売は島崎藤村などを起用したが、毎日は相変わらず、霞亭、塚原渋垣園といった顔ぶれが多く、大正元年に柳川春葉の通俗もの「生さぬ仲」が大ヒットした。

 大正五年から、大毎東日は、鴎外の史伝三部作「渋江抽斎」などを連載したが、これは読者受けが悪く(当然だ)、連載が完結しても単行本にもならなかった。そこで通俗ものと別に、谷崎、芥川、有島武郎といった新進作家に、1−3ケ月くらいの中編を連載させた。

 その頃の大毎東日の連載は、だいたい以下の通り。通俗長編に●をつける。

1917年

 2−7月 誘惑 徳田秋聲

 7−12月 七色珊瑚 小杉天外

 9−10月 細木香以 森鴎外 

 10−11月 戯作三昧 芥川龍之介

 10−12月 北条霞亭 森鴎外

1918年

 1−6月 片絲 岡本綺堂

 2月 少年の脅迫 谷崎潤一郎

 3−4月 生れ出る悩み 有島武郎

 5月 地獄変 芥川龍之介

 5−7月 白昼鬼語 谷崎潤一郎

 6−2月 女の生命 菊池幽芳●

 7月 ある国 武者小路実篤

 7−8月 狂人 成瀬無極

 8−9月 日曜 水上滝太郎

 9−10月 猫八 岩野泡鳴

 10月 牡丹縁 久米正雄

 10−12月 邪宗門 芥川龍之介

1919年

 1−2月 母を恋ふる記 谷崎潤一郎

 2−8月 焔の舞 真山青果

 2−4月 次の日曜日 水上滝太郎

 4月 藤十郎の恋 菊池寛大阪

 4−6月 或る人々 長与善郎(大阪

 6−8月 路上 芥川龍之介大阪

 7−9月 人間苦 吉田弦二郎(東京

 8−翌3月 白鳥の歌 長田幹彦

 8−10月 友と友との間 菊池寛大阪

 10−翌1月 落伍者 江口渙(東京

 10−12月 友情 武者小路実篤大阪

 従って、純文学は元から、半年というような長編の予定ではなかったのであり、「邪宗門」も、長編が予定されていたのではなく、30回くらいで頼んだのが、終わらずに中絶した、と考えるべきであろう。