(後記:鈴木貞美氏の文章が別にまとめられてリンク切れになっているので、トップページを掲げておく)
http://www.nichibun.ac.jp/~sadami/index.html
 鈴木貞美氏の新しい文章である。読んでいないのに書いたのはなぜか、ということは説明したが、というのは私は鈴木氏の研究会に何度か出席して、変だ変だと思っていたからである。その一端については、ここに書いてある。
 http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090619 
 ほかまだまだ疑問はあるのだが、それは鈴木氏著を読んでからにしよう。鈴木氏の「民衆文学」の定義とか、西洋でも文学部の中に宗教学はあったのではないか、といった疑問があるからである。
 もっとも、「読んでいない」というのは、精読していないという意味であって、自分の疑問に対する答えがあるかどうか、ぱらぱらと見ることくらいはしたのである。

 さらに続けて書かれた。
 まず、西鶴は民衆文学か。とてもそうは思えないのである。『好色一代男』が難解であることは知られており、とうてい民衆の読めるものではない。鈴木氏が、俳諧などをやる教養ある町人のことを言っているなら、それは西洋にだって、騎士道小説、バロック小説、マニエリスム小説といった、スキュデリー嬢に代表されるような大衆小説は存在したのである。いわんや、芭蕉は韻文である。韻文であることによって、東西を問わず文藝の藝術性が保証されたのが前近代であり、だからこそ『源氏物語』は多くの和歌を含む「歌物語」なのである。シェイクスピアだって韻文で書いたのだ。
 ディケンズの前期小説というのが、『オリヴァー・トウィスト』などのことであれば、その通りである。しかしそれよりはるかに売れた通俗小説があった。ホイットマンの詩は、当時こそ異端だったが、民衆詩と銘打ったにしても、金子みすずが読まれるように読まれたわけではない。
 菊池寛が「純文学」と言えなかったと言われるが、菊池は芥川・直木賞制定に際して、こう言っている。

直木を紀念するために、社で直木賞と云ふやうなものを制定し、大衆文芸の新進作家に贈らうかと思つてゐる。それと同時に芥川賞金と云ふものを制定し、純文芸の新進作家に贈らうかと思つてゐる。これは、その賞金に依つて、亡友を紀念すると云ふ意味よりも、芥川直木を失つた本誌の賑やかしに亡友の名前を使はうと云ふのである。

 「純文藝」と言っている。鈴木氏は、純文藝であって純文学ではない、と言うのだろうか。
 谷崎潤一郎は、純文学とか大衆文学というのは最近の用語だが、昔から、藝術小説とか、通俗小説という言い方はあったと言っている。大正六年頃から活躍した久米正雄は、盛んに、通俗的だと非難され、自分はなぜ通俗ものを書くかといったことを弁明している。
 「ラブ・ジョイ」というのは、アーサー・ラヴジョイのことだろうか。
(付記)さらに加筆された。
 当時、日本にも西洋にも、高級か低級かという概念はなかった、というのは、その通りである。それなら鈴木氏は何を根拠に、西鶴近松を「民衆文学」と言うのか。むろん、近世文藝において、漢語漢文が第一文藝であるからだ。しかし、これは日本の特殊性として言われているはずで、それなら西洋文藝との違いとして論じること自体が無意味ではないか。まあその辺は、本を読むと分かることなのだろう。
 鈴木氏の議論は、循環論法に陥っている。日本と西洋とでは、語法は全然違う。違うものを比較して「日本では早くから民衆文学があった」というのは、まったくおかしいので、比較する物差しがあるのであれば、西洋にだってマニエリスム小説があった、ということになる。藝術性の根拠は何かといったって、それはむろん現在時から見て言うのである。
 こういう「比較文化論」は「恋愛輸入説」も同じで、恋愛という語はなかったから、恋愛は前近代にはなかったとか、性という語はセックスの意味ではなかったから云々というもので、言葉がなくたってそれに該当するものは存在するのだ。「非モテ」という概念がなくても、非モテが存在したように。
 鈴木氏の著書をぱらぱらと見て、私はほとんど西洋文学史上の人名、作品名を発見できなかった。それで、答えは書いていないと判断したのである。今回もそうだが、私がバロック小説とか騎士道小説とか言っても、鈴木氏はそれには答えない。同氏は東大仏文科卒だが、学部卒程度では、西洋文学についての十分な知識を持っておられないのではないかと思う。むろん私とて十分とはいえないが、研究に必要な程度には呼んできた。鈴木氏は、いったい西洋文学の歴史について何ほどのことをご存知なのか、尋ねてみたい。
 なお毎度言うことだが、国内では相手にされなかったが、外国の学者が翻訳を申し込んできたというのは、さしたる意味を持たない。外国の日本文学研究はレベルが低いからである。それは、フランスではデリダだのドゥルーズだのが、アカデミズムの異端なのに、米国や日本では持ち上げられたのと似ている。それに、オーストラリアの日本文学研究者は、日本の英文学者が歌舞伎を観たことがなかったりするのと同様、英文学のことは知らなかったりするものなのである。
 韻文であることが藝術性をはかる基準だったのは、西洋ではだいたい19世紀半ばころである。シナで、『水滸伝』や『三国志演義』は、あれはそもそも講談であるけれど、白話であり、口語だったから、漢詩よりは一段と劣ったものと見られたが、明末の批評家・李卓吾が既に藝術として評価している。日本にもいくらかその風は伝わっている。だから既に近世において、『源氏物語』は物語として論じられるようになった。ただまあ基本的に近世の第一文藝は漢詩漢文、謡曲である。
 mass などと言っているあたりからもう怪しいのだが、「大衆文学」は西洋にはない、というのが「mass literature」という語がないという意味だとすると、根本的に比較文化の方法を誤っているというほかない。それなら、「恋愛」「愛」「恋」が英語ではみな love だから、恋人へのそれも親子や神のそれも、西洋では一緒くたであって区別していない、と言っているようなものだ。
 直木賞の規定は、

一、直木三十五賞は個人賞にして広く各新聞雑誌(同人雑誌を含む)に発表されたる無名若しくは新進作家の大衆文芸中最も優秀なるものに呈す。

 なのだが、芥川賞のほうは「大衆文芸」のところが「純文藝」ではなくて単に「創作」となっている。これは今回初めて気がついたのだが、二時間ほど考えて謎が解けた。久米正雄は、純文学=私小説論者なので、純文藝といったら私小説にしか与えられないことになる。しかし芥川は私小説作家ではない。そこで「純文藝」の文字を避けたのであろう。