猫を償うに猫をもってせよ

2011-08-23 江口榛一の伝を読む このエントリーを含むブックマーク

 和田芳恵の伝記を読んだ流れで同じ著者の『地の塩の人』という江口榛一の伝を読んだ。

詩人の江口榛一(1914−79)が自殺したという新聞記事は、私が高校生のころ、新聞に大きく出た。むろん私はその名を知らなかった。「地の塩の箱」という、寄付したい人が金を入れ、必要な人がそれをとるという運動をしていた人だ。

 これはその客観的伝記というより、戦後江口が『素直』の編集長だったころそこで働き、ここで働いていてデビューした梅崎春生らと知り合った著者の半私小説的なもので、その分まとまりは悪い。江口は明大文藝科で里見とんの組にいたこともあるが、その後は里見には就かなかったようだ。阿部知二、舟橋聖一などに世話になっているが、酒癖、女癖が悪く、貧乏なのに妻を何度も妊娠させ、時には中絶に追い込み、妻は自殺未遂を図り、次女は自殺、妻はがんで死ぬ、貧苦とまことに壮絶な人生が描かれている。長女の江口木綿子が、のち著作集を編纂し、自身も詩を書いている。

http://www.vinet.or.jp/~toro/genko/syowa3.html 

 これは2001年ころか「秦一」ではなく「榛一」本名は新一、大分県耶馬渓の出身である。

 梅崎春生の酒癖の悪さは、しかし、江口以上だったことが分かる。あと自殺時の新聞記事には、山本周五郎の作品に、「地の塩の箱」と似たようなエピソードが出てきて、江口はきっとこれは自分の運動をモデルにしたに違いないと思っていたが、実際は山本が若いころ勤めていた山本周五郎商店(筆名をここからとった)の主が、店の外に設置しておいた箱のことを描いたものだったという、哀しい話も書かれていた。

 

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全身小説家」というのは、褒め言葉である。考えようによっては絶賛である。私は井上光晴をそれほどの小説家とは思わないが、原一男が映画のタイトルとして考えついたのは、むろんそれはそれでいい。しかし、自ら名乗ったらちょっとそれはまずいだろう。先日、私を「全身私小説家」と呼んだ人がいたような気がして、ふと、新刊の帯にいいかなと思ったのは、帯は本人の言葉ではないから、営業の言葉だからである。「生涯一捕手」というのも、自己礼賛だが、まあ六十を超えた人が言う分にはいいし、やはりいくらか謙遜の意もある。

 だから鴻巣友季子がエッセイ集を文庫化するにあたって『全身翻訳家』と改題し、それも別段、編集者に押し付けられたのでもなく本人がつけたと思うと、やっぱりそういう人だったのか、という気がして、島田雅彦が「文豪」を名乗ったのは、まだジョークの趣があったがこれはそうではなくて、結構怖いものを感じたのである。

 「全身翻訳家」などと名乗るためには、せめて六十才を超えて、百点以上の翻訳があって、それでもなお、自分で言うことではないだろうという気がするし、だいたい翻訳以外のエッセイも書いていてなんで名乗れるのかと。