石原氏の退任を惜しむ

 石原慎太郎芥川賞の選考委員を退任するようだ。まことに残念なことである。私は以前、石原の意向がどの程度受賞に反映しているか、調べたことがある。実際には大して反映されていないのだが、まるで石原が反対したために、そいつらの好きな作家が受賞できないかのごときデマを振りまいたり、石原と宮本輝の意見は選評を見たって一致しないことが多いのに、まるで二人がいつも結託して同じことを言っているかのごとくに言うデマゴーグが後を絶たない。
 石原や村上龍の選評は、いつも溜飲を下げさせてくれたもので、今回の候補作罵倒にしたって、候補から漏れた私にしたら痛快でしたとも、ええ。
 石原を悪く言う連中というのは、都知事としてとか、保守派政治家としての発言とかが気に入らないのだろうね。しかし橋下と石原では、橋下は政策がファシズムなのに対して、石原はそうではないということ。そしてもちろん、それは文学者としての作品への判断とも別ものである。いわんや、「太陽の季節」を読んだくらいで、この程度の作品を書くやつが、とかいうのは論外で、じゃあ批評家には作品の判断が出来ないことになるし、石原の作品について何か言うなら、『生還』『弟』『わが人生の時の時』くらいは読んでからにすべきであろう。
 円城塔については、私は全然面白くはないのだが、それはたとえて言えば、将棋や囲碁に私が興味がないのと同じで、詰将棋などというのも、けっこう父親に教えられたりしたのだが、こうこうこうすると詰むが、こうしたらダメ、と言われて、ふーんと思って、で、そんなことして何が面白いの? ということになる。囲碁のほうは、さらに何も知らないのだが、円城の良さが分からないのかあっと叫ぶ人というのは、お前はなんで将棋や囲碁に興味がないんだあっと叫んでいるのと同じだと思う。ちなみに私は、ナボコフも全然面白いと思わない。若島正の『ロリータ、ロリータ、ロリータ』を読んで、なるほど、これじゃ面白くないはずだと分かった、というありさまである。若島はチェスやるからね。まあ、林道義なら、囲碁の奥深さが分からないとは何ごとだ、って怒りそうだけど。子供の頃、数学はパズルのように楽しめます、と言われて、ええ、そのパズルってのが好きじゃないんです、と思ったもんだ。
 栗原さんが解説するのを聞いていて、漱石の『文学論』の「F+f」を思い出した。栗原さんは「F」は説明するんだが、それに伴う「f」を、感じる人と感じない人とがいるわけで、漱石の『文学論』も、意外と役に立つなあと思ったことであった。