猫を償うに猫をもってせよ

2014-05-06 佐々木力 このエントリーを含むブックマーク

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 佐々木力『東京大学学問論』をちらちら読んだ。余計な部分が多い。これは、セクハラで停職処分になった元東大教授・佐々木力が、冤罪を主張した本である。この件については、ウィキペディアで編集合戦になり、ついに佐々木力の項目を立てられない完全削除状態になってしまった、ということで記憶している。同じことは大澤真幸の場合にも起きているが、完全削除まではされていない。一体何者が、佐々木力のセクハラによる処分を不都合だと感じて介入したのか、ということも気になる。

 佐々木は、東大科学史科学哲学の教授で、私が阪大にいた頃、『学問論 ポストモダニズムに抗して』という本を生協で見つけて買ったことがある。ところが、中身は左翼的なもので、しかも非科学的なパラダイム論の信奉者だから、期待したのとは違っていたので、売ってしまった。

 どうやら佐々木はトロツキストで、左翼グループとも関係があるらしい。しかも今回の本は、あの折原浩が、仲間としてあとがきを書いている。印象はめちゃくちゃ悪い。

 で、肝心の「セクハラ」のところなのだが、相手方は台湾から来た女子院生である。この女子院生は、精神的に不安定なのだろうと思うのだが、ともかく、数学史を佐々木の下で学んで博士課程に進んだ彼女は、佐々木が出席する南仏での国際会議に出たがったので、佐々木は同伴することにした。だが院生は会議には出られないことが分かり、院生は、行きたくないと言いだした。佐々木はこれを、資金が足りないので行けないと言っているのだと解釈し、行きたくないのだとは思わなかったと書いている。ところがその一方で、「信義を守る」ようにと叱るようなことも言っていて、どうもおかしいのである。読んでいて、なんでそうまでして一緒に行きたいの?佐々木先生、と訊きたくなってしまうのである。この「はっきり言わない限り拒絶とは見なさない」というのは、ストーカーにありがちな心理的欺瞞である。そしてこの叱責が、「強要=不利益の示唆」と見なされたのだが、「行きたくないのだと思わなかった」ならなんで「信義を守れ」と説教することになるのか、とんと分からないのである。

 結局これがセクハラ事件に発展するのだが、どうも佐々木が誠実に全部書いているという印象を受けないのである。もちろん、本来はここで批判されている人、特に、佐々木を陥れたとされる村田純一の言い分を聞くべきなのだが、それは不可能である。さらに、処分決定のあと、佐々木は不当処分で大学を提訴しようとしているが、していない。また、自分が東大を辞めるまでこの本を出さなかった。

 折原が何ら根拠も示さずに罵倒の限りを尽くした羽入辰郎についても、佐々木もまた誹謗中傷しているが、自分の見解を示してはいない。

 また、東大の科学哲学といえば、中山茂に冷や飯を食わせ続けたことでも悪名高いのだが、佐々木は中山のなの字も出さない。そして、大森荘蔵、伊東俊太郎、村上陽一郎、廣松渉らを「錚々たるメンバー」として礼讃するのである。私は、大森は知らず(それは中島義道に任せるとして)、比較文学で「正しくても面白くない論文より、間違っていても面白い論文がいい」と暴言を吐き、佐伯順子がフェミニストでないからいい、と言い、麗澤大学で藤井巌喜が「シナ」呼称を使って解雇された時、それを当然として、平川先生が異論の手紙を出しても返事もしなかった、天皇崇拝家の伊東俊太郎が立派な学者とはとても思えないし、村上にしても、初期の著述はともかく、結局博士号もとらず、近頃はスカスカの本を出している姿勢が立派とは思えないのである。だいたい、佐々木は折原が、中沢新一の採用に反対したことを称賛しているが、村上陽一郎は賛成派だったではないか。そういう帳尻はどこで合っているのか理解に苦しむ。

 さらに、村田純一が「変なやつ」だという一例として、佐々木が、「現代帝国主義の」とかいう本を読んでいたら、村田が「そんなことは終わったことでないの?」と言ったというのが挙げられている。これも唐突で意味が分からないのだが、要するに村田は社会主義者ではないというだけのことではないの?

 そして話は、あたかも植草一秀と同じように、自分は「御用学者」ではないから排除されたのだ、という風に進みゆく。しかしそれなら、小森陽一とか石田英敬とか、そういう人はなんで罠にはまってないんでしょうねえ。

 かなり納得のいかない本であるが、植草のお笑いの域には達していない。しかしまあこれを読んで、大学の教員なんかやってなくて本当に良かった、と思えるのは成果であろうか。

(小谷野敦)