猫を償うに猫をもってせよ

2017-08-22 凍雲篩雪 このエントリーを含むブックマーク

説得力のない「共謀罪」反対論

 他人と意見が違い、議論をする時は、いつでも説得される気構えでいよ、という言葉がある。誰の言葉だか突き止められないが、私はだいたいそういう心構えでいる。

 先日来世上を騒がせている「テロ等準備罪」(共謀罪)に関する法案については、安保法制の時以来、反対論の嵐が吹き荒れた。そこで話を聞いてみたが、どうしてこうも説得力がないのだろうと思わざるを得なかった。

 まず「治安維持法」の再来だなどと言う人がいるが、治安維持法は、私有財産制度を否定する思想そのものを処罰の対象にしていたのだから違う。次に「何もしていないのに逮捕される」などと言う人がいたが、脅迫罪だって殺人予告だって爆破予告だって、単なるいたずらであっても逮捕されるではないか。

 ひどかったのは三浦瑠璃である。『週刊新潮』連載の「ツメ研ぎ通信」の五月二十五日号で、共謀罪法に反対してこんなことを書いている。「だって実例集がおかしすぎるんですもの。近所の主婦同士が、井戸端会議で、仲の悪い主婦の話題になり「嫌がらせに自転車を盗もう」と意気投合するのはOKだそうです。けれど、外国人すり集団の構成員らが、電車内で女性や老人を多数で取り囲み刃物でバッグを切り裂くなどして財布を奪い取ることを計画するとダメなんですって」。若い女であることをふんだんに利用したこの「ですって」で、「それはおかしい」という反応を三浦が期待しているとしたら、何か考え直したほうがいい。もし「日本人すり集団」ならよくて「外国人すり集団」ならダメ、ならもちろんおかしい。三浦は続けて「問題は、一般人なら大丈夫、一般人じゃなかったら検挙、という区分けそのもの」と書くのだが、前の文章はそういう風に書かれていない。三浦は知らないのかもしれないが、それなら暴力団対策基本法に徹底反対しなければおかしい。暴対法も反対する人はいたが、さほど盛り上がらなかった。暴対法では、暴力団構成員にマンションを売ったら、その価格とほぼ等しい罰金を課せられるのである。

 別に私は法学者ではないし法学部も出ていないが、政治学者の三浦が法に疎いとして、京大法学部教授の高山佳奈子の『共謀罪の何が問題か』(岩波ブックレット)を図書館で借りて読んでみた。高山はまず、三浦和義が米国警察に逮捕されたのは共謀罪があったからだとして、何やらこの事件を悲劇のようにとらえているらしいが、一般国民は、証拠不十分で無罪になってしまった犯罪者がやっと捕まって、自殺に終わってあまり気持ちよくはないがまあよかったくらいにしか思っていないだろう。

 高山は、共謀罪はテロ対策というのはウソで、パレルモ条約に入るためで、これはマフィア対策のための法だと言う。そして共謀罪はアメリカ的な法であって、日本の伝統とは違っており、ヨーロッパでも異質だという。しかし共謀罪はヨーロッパ諸国にもあるのだが、そのへんは突っ込んで説明しようとしない。それに、「日本の伝統」とは、貞永式目以来の伝統なのか。日本の近代法は明治期にプロイセンやフランス法を参考にして作られたものだが、憲法と民法は占領軍によって大幅改訂されたものだが、高山はこれも「アメリカ的」だと言って反対するつもりだろうか。刑法は明治四十年に制定されて以後大幅改訂はされていないが、これが「守るべき日本の伝統」なのか。

 高山は、共謀罪法でイスラムのテロは防げないと言い、イスラムのテロを防ぐ方法は日米安保法制を廃棄することだと言い出すが、北朝鮮が次々とミサイルを打ち上げ、ミンダナオ島ではイスラム系武装組織が跋扈している中(これは著作脱稿のあとだが)、そういう非現実的なことを言うか。まったく国民の不安を理解していないというほかない。

 また「密告の奨励」になると書いているが、犯罪を計画している者がいると知ったら警察に通報するのは市民の義務である。それとも、犯罪計画者集団の中から密告する者が出ることを、高山は憂うべきことだとでも思っているのだろうか。それでは、企業の内部告発を不道徳だとした山折哲雄と選ぶところはないではないか。

 私は共謀罪法の真の標的はオウム真理教だとにらんでいる。麻原彰晃らの死刑が確定しながらそれが執行できないのは、それに伴って起こるオウムのテロを恐れているからであろう。地下鉄サリン事件にしても、事件後すぐ警察が上九一色村に向かった点からある程度動向はつかんでおり、共謀罪法があればあの事件は防ぎえたのである。

 一九七○年代ころまで、世界的に「左翼」は社会主義者であり、自国に社会主義革命が起こることを希望し、自由主義国の政府はこれを警戒した。その結果が、治安維持法であり、赤狩りであり、ベトナム戦争だった。だがスターリニズム、文化大革命、ポル・ポトと北朝鮮の金王朝、ソ連・東欧の崩壊で、社会主義の夢は潰えた。だがかつて社会主義革命を夢みた全共闘世代はその夢を捨てきれず、不思議にもその後の世代にもそういう人たちがいて、その夢を単に西欧社会に対して敵対的であればいいというので、イスラム過激派や北朝鮮、さらにはオウム真理教などに投影しているだけである。

 ネット上で、共謀罪に反対している四コマ漫画が拡散しているというので見てみたが、政府関係者が最後に「マスコミの言うことをうのみにして政権に逆らわない人を一般人と見なします」と言っていた。安保法制のころからだが、政権がマスコミの情報操作をしているといった言説が「左翼」によってしばしば流れている。朝日、毎日、東京新聞を見ていて、これで情報操作がされているのかと呆れるほかないのだが、この四コマ漫画なども、この一言で説得力を失った口である。時には、彼らは無知なのではないかと真剣に考えることがある。ソ連時代の東欧や現在でも中共といった一党独裁国家の言論統制がどういうものか知らないはずがないと思うし、歴史上のそれだって学べば分かるはずである。むしろマスコミにおける「天皇制廃止論」の隠蔽だけはれっきとしたものがあるのだが、それは彼らにはどうでもいいらしい。

 日本ペンクラブも反対声明を出しており、国際ペンクラブ会長も賛同の意を表明したというが、ペンクラブはペン憲章で政治的活動を禁じているのになぜこういうことになるのか。国際ペンのウェブサイトには、政治的活動禁止の文言が載っているが、日本ペンのサイトでは載っていない。いつも政治的活動をしているからか。

 だいたい、東大や京大の法学部教授が護憲派・反自民が多いのだから何の言論統制であろうか。新聞寄港は原稿料がいいが、これまた反安倍・天皇礼賛のほうが声がかかりやすく、内田樹の「天皇主義者」宣言は朝日新聞がとりあげるが、天皇制廃止論はとりあげないのだ。あとは禁煙ファシストが新聞を支配しており、自動車への批判もマスコミには載らない。一九七○年代には、自動車社会への批判の文章がよく雑誌に載ったものだが、今ではほとんど見かけなくなった。いったい、言論統制をしているのはどちらであろうか。

2017-08-03 林達夫の剽窃冤罪 このエントリーを含むブックマーク

 都筑道夫の『黄色い部屋はいかに改装されたか』(晶文社、1975)に、わりと唐突に、林達夫の剽窃を示唆するみたいなことが書いてある。118pに「私の友人が平凡社の『林達夫著作集』のなかに、妙なところを見つけて、首をひねっていました」とあり、『著作集』第四巻の「『昆虫記』と『動物記』」という文章の一部が、「先ごろ話題になったバージェン・エヴァンズ『ナンセンスの博物誌』のなかの「動物の人間学的考察」という章の一部分とそっくりだ、と、二か所のページ数を細かく述べている。

 見ると確かに似てはいる。ところが、林の文章の初出は1952年の『東京タイムス』で、エヴァンズの本は1961年に原田敬一訳で毎日新聞社から出て、71年に完全版が大和書房から出たもの、原著は1958年である。これで林が剽窃したみたいに言うのはおかしいのである。

 なお当該箇所は、林のほうで引くと「動物学はかつては世界のどの地においても倫理学の侍女であった。・・・・」および「豹は龍のほかのあらゆる生きものに対して親愛の情を示す優しい生物」で「キリストをかたどっている」とある。ところが後者の豹のくだりは、中世において広く読まれた「フィジオログス」からの引用で、林は『フィジオログス』、エヴァンズの訳本は『生理学』としている。同じ本からの引用が似ているのは当たり前である。

 都筑の本は、2012年にフリースタイルから増補版が出ているので、ここは削られたかなと思って見たら、ちゃんとそのまま載っていた。平凡社の人は気づかなかったのか、気付いても無視したのであろうか。

(小谷野敦)

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