猫を償うに猫をもってせよ

2018-04-22 凍雲篩雪 このエントリーを含むブックマーク

一、中村光夫の文学史では、島崎藤村が『破戒』という本格小説をせっかく書いたのに、田山花袋の「蒲団」が出たために本格小説の芽が摘まれて自然主義・私小説全盛が来ることになっているが、近松秋江の全集を読んでいて、これは間違いではないかと思った。

 「蒲団」のあと、花袋は新聞連載で「妻」や「生」といった日常を淡々と描く退屈な小説を発表するが、これが「平面描写」である。むしろこれらは「蒲団」のような、暴露的でストーリー性のある作品とは違うものになっているのである。つまり、『破戒』と「蒲団」の間に断絶があるのではなく、「蒲団」以後に断絶があるのだ。藤村もまた、『春』『家』『新生』などを新聞に連載していくが、『春』は北村透谷を、『家』は藤村の子供が病気で次々に死ぬ話を、『新生』は姪との情事を描いているのに、藤村が抑えた文章で書いているために全体に退屈感がある。

 近松秋江は、自然主義の作家だと思われているが、当時、花袋や島村抱月の自然主義派の評論に対して批判的だった。だから秋江の「別れたる妻に送る手紙」や「黒髪」連作は、花袋の『生』や『妻』ではなく、「蒲団」につながっているのだ。「蒲団」は話題になったが、その後で文壇で崇拝されたのは国木田独歩のほうで、独歩の自然描写に影響を受けて、『生』や『春』の文体が形成されたのだと考えるべきだろう。

 大正時代後期になると、私小説批判が始まる。久米正雄によると、これは『中央公論』『新潮』などに載せる小説に、作家が自分と仲間の交友などの身辺雑記を無茶に書きすぎたせいなのだが、その際、「本格小説」の例としてあげられるのは、『アンナ・カレーニナ』など西洋の小説に、せいぜい夏目漱石、尾崎紅葉で、ここでどういうわけか有島の『或る女』があがらない。『或る女』は、近代日本の本格小説として三本の指に入るくらいの名作なのだが、長いこと文壇や文藝批評の世界で黙殺されてきた。有島は有名だったが、作品としては「生れ出づる悩み」や「カインの末裔」などの短編ばかりが論及された。『或る女』は、国木田独歩の最初の妻・佐々城信子の醜聞をモデルとしたもので、最後に死んでしまうところは懲罰的だとも言われている。

 『或る女』ははじめ『有島武郎全集』に入れられ、単行本として出たのは、昭和八年の改造文庫が最初だろうか。戦後は新潮文庫、岩波文庫に入り、読まれてはきたが、中には、コロンビア大学のポール・アンドラの博士論文『異質の世界』が書かれてから初めて、『或る女』は批評的に取り扱われるようになった、という説すらある。これの邦訳が出たのは一九八二年である。

 自然主義にとってカリスマ的存在だった国木田独歩を捨てた女をモデルとし、独歩も嘲弄的に扱われているこの小説は、大正期の文学者にとって何かタブー的な存在だったのだろうか、とも思われるが、この長編一つを無視したことが、近代日本の文学批評にあるゆがみをもたらしたような気がする。

 ところで二葉亭四迷の『浮雲』について、二葉亭が若いころ叔父のところに寄宿していた際、似たようなことがあったのではないかと私は考えているが、坪内逍遥晩年の『柿の蔕』には「『浮雲』が其事件といひ、人物といひ、悉く空想の産物で、彼れ自身の実生活には、どういふ事実的関係も無かつた」が主人公文三の性格には二葉亭自身が現れている、とある(『逍遥選集別冊』)。しかしだとすると『平凡』の雪江さんのところも、まったく事実がなかったということになってしまい、『浮雲』のお勢と雪江さんではちょっと違うが、同じネタだろうと思う。

 逍遥はここで、嵯峨の屋おむろ・矢崎鎮四郎が、二葉亭は明治二十一年ころ、英文でマルクス『資本論』を読んでマルクス主義者だったと書いているのに対する疑義を書いている。この『柿の蔕』後半は、逍遥周辺で昭和六年から逍遥の死んだ九年まで出された『藝術殿』という雑誌(国劇向上会編、四條書房)に連載されている。この雑誌の細目は国会図書館デジタルで見られるが誰か詳しく調べてくれないものか、それともすでにどこかにあるのだろうか。

二、杉本秀太郎という人は、フランス文学者で日本古典にも詳しいが、京都の旧家・杉本家の持主ということでも尊重されていたのだろうと思っていたが、一九九七年ごろ『新潮』に連載された随筆を集めた『まだら文』(新潮社)を読んだら存外面白かった。だがどちらかと言うと、杉本が「それまで読んでいなかった」という、シャーロック・ホームズや歴史・時代小説について書いているのだが、そういうものを読まずに文藝評論家というのはできるのか、と新鮮に感じた。杉本は、ヴァレリーの『テスト氏』はホームズがモデルなのではないかと、ヴァレリーがホームズを読んだ証拠はないので妄想だ、と言いつつ述べているが、ホームズものより『テスト氏』を先に読む人など現代の日本では珍しいだろう。しかし私も若いころ、『テスト氏』がどうこうと言われるので福武文庫で読んでみたが、ちっとも記憶に残っていない。

 あと田宮虎彦の自殺(一九八八年)について書いてあり、田宮は夫人を亡くしてからそのことを嘆くものばかり書いて、ある文藝評論家に「女々しい」と言われ、それでさらに追い詰められて自殺したが、その新聞の追悼文である作家が追い打ちをかけた、とあった。どちらも故人になったと言うが、後者はあるいは「讀賣新聞」で、杉浦明平が、偏屈さを夫人が中和していたのに亡くなったため、酒も飲めず、などと言っているのであろうか。もっとも杉浦はこの時点では生きていた。

四、坂口安吾は「教祖の文学」で小林秀雄を批判したが、その後で小林と対談したりしている。しかし知識人の教祖の系譜というのもあり、明治の高山樗牛、夏目漱石、小林、新左翼の教祖・吉本隆明、ニューアカ時代の教祖・蓮實重彦や柄谷行人、あるいはずっと教祖的な柳田国男や折口信夫といるわけだが、最近では井筒俊彦とか中井久夫が、範囲は狭いが教祖的に扱われているようだ。私は教祖をいただくということが嫌いなので、あっこれは教祖だなと思うと批判することにしている、というかなってしまう。瀬戸内寂聴も教祖っぽいのだが、さすがに本物の仏僧だからか、危険な教祖化していない。

 つい最近ふとしたことで、哲学者・日大教授の永井均も教祖化していることが分かった。川上未映子が永井を尊敬しているとか言っていたが、私は常々、若者が哲学に凝るのは、宗教と同じようなもので危険だと感じている。実害はさほどないのだが、哲学の中には、フッサールが「世界観哲学」と呼んだような、学問ではないものがあり、若者の精神に害毒である、少なくとも害毒だと言う人間がいてしかるべきだと思っている。哲学に凝るくらいなら、アイドルに夢中になったり、女を追いかけたりしているほうがまだましだと思えるくらいだ。