猫を償うに猫をもってせよ

2016-05-10 偽公文書事件?

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 月曜に、久しぶりに本郷の江知勝へ行ったら、個室なのに灰皿がなく、外で吸ってくれと仲居が言う。驚いて店主を呼んだら、東京都から、禁煙にするよう要望が来ていると言う。課長通達かと思ったから訊いたら、「いやそれが誰からか分からないんですよ、ただ東京都とだけあって」。

 というので灰皿は無事持ってきてもらい、東京都、法の定めもないのにとんでもないことをしやがって、と思ったのだが、課長通達であれ、責任者の名前がない公文書があるはずがない。偽文書ではないかと思い、東京都に電話して飲食店などの担当部局へつないだら、そういう文書を出すというのは考えられない、うちではない、と言う。

 さてはどこかの禁煙ファシスト団体が公文書偽造をやったな。

ところでその都庁の職員が江知勝を知らなかったから、驚いて、地方の人ですかと訊いたら東京の人だというから、「西のほうですか」と訊いたら二十三区内だという。

(小谷野敦)

2011-10-14 志賀直哉のどこが偉い

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 コンビニで老人がライターを買いあぐねていた。子供が発火させないように、普通に押したのでは火がつかないようなライターしか売ってはいけないことになったのだが、これは老人にはきついことだ。このようなことは阿呆らしいことで、自宅に子供がいないことを証明すれば従前のようなライターを買えるようにすればいいのである。

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http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20110710

これ、『高見順日記』第八巻に「堀田君が窃盗をしたと新聞に出ている」とあるではないか。さらに二日後には「堀田君のこと、酔余のいたずらとわかる」とある。

 その高見日記の1950年1月17日のところ。

 木村(徳三)君の話。有力雑誌十社の編輯長の会が過日あったという。席上、誰か(新潮の斎藤(十一)君自身ではないらしい)の話で、斎藤君が××××に呼びつけられ、××から、「○○○○」の前の自分と、あとの自分とは、違うとタンカを切られたという。「社会的名士」になったという意味らしい。

 バカな奴だと席上、大笑いになったというが、編輯者たちもそうして蔭では××を笑い、雑誌にはやはり××の小説をありがたがって載せている。

 とあるのだが、この伏字部分は「志賀直哉」「文化勲章」だと思うのだよね。志賀ってそういう奴だもの。なんで志賀崇拝者とかいるのか、理解できんね。

2011-02-26 三島由紀夫「喜びの琴」

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 版元から送ってきてくれた『睦月影郎読本』に、別名ならやたかしの「ケンペーくん」が復活している。睦月氏は『もてない男』が出たころに便りをくれた人で、私はそのオナニー日記を天下の奇書として珍重している。

 その「ケンペーくん」の最後の長めのものは、禁煙ファシストらをばったばったと切り倒すもので、よろしいが、ややファシストめらに遠慮している感が否めなかった。ポイ捨てする者を切り捨てたりしているが、それは描かなくていいのだ。禁煙ファシストのほうが、ポイ捨てする奴より悪いというのが現状なのだから。それと、喫煙者が少数派だとケンペーくんが言うのは間違いで、実際は嫌煙家などというのは三割くらいしかいないのである。要するにボリシェヴィズムで、多数派でもないのにマスコミをのっとっているのが現状なのである。

全身官能小説家 睦月影郎読本 (ローレンスムック)

全身官能小説家 睦月影郎読本 (ローレンスムック)

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樋口毅宏氏の、自著を図書館に置かないでくれというあとがきがニュースになっているが、私は、あまり気にしていない。というのは、図書館で読んでも、持っていたいというので買う人もいるだろうし、図書館になかったら、全然読まない、という人もいるだろうからで、図書館になかったら買うという人の数が、それほど多いとは思っておらず、

図書館で読んで買う人=A

図書館で借りても買わない人=B 

図書館になければ買う人=C

図書館になければ読まない人=D

図書館と関係なしに買う人=E

とすると、図書館に置いてあると、買うのはA+E、図書館にないと、買うのはC+Eだが、A>Cのような気がするからで、かつB<Dだから、読まれるほうを良しとするのである。

2010-11-23 年代記小説の退屈

[] 19:09 年代記小説の退屈 - 猫を償うに猫をもってせよ を含むブックマーク

http://www.pipeclub-jpn.org/column/column_01_detail_81.html

(第二回)菅直人の返答希望。

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 サルマン・ラシュディの『真夜中の子供たち』を読み始めて、なんだまたあれか、と思って少し読んだがやめてしまった。

 こういう、三代か四代くらいの一族の歴史を描く年代記小説というのは近ごろ大流行で、たいていは作者自身の家をモデルにしている。その源流はトーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』(1901)で、ほかにフォークナーの『アブサロム、アブサロム!』(1936)、パール・バックの『大地』(1932)があるが、私に面白かったのはフォークナーで、その後の『百年の孤独』や『枯木灘』以下、たいていはフォークナーの亜流である。北杜夫『楡家の人びと』はむろんマンの真似。たいていは途中に戦争があって、変人のおじさんかおばさんが出てくる。

 私はこういう小説に飽き飽きしている。有吉佐和子もよくこういう小説を書いたが、こっちは女代々が主人公で、直木賞をとった佐藤得二『女のいくさ』もそれ。有吉の場合、『紀ノ川』『鬼怒川』など川の名前が題名になる。

 あと『チボー家の人々』というのもあるが、ある時期までノーベル文学賞はこういうのが大好きだったらしく、マルタン=デュ=ガールもバックもマンも、これで受賞している。アルンダテイ・ロイのやつもそうだったな。

 もう私にしてみればみなフォークナーの亜流に見えるのである。あと、有吉佐和子系はただ着物とか装飾品のことがこまごま書いてあるだけだし、いずれも富裕な家であるというのが面白くない。

2010-11-12

[] 12:02 2010-11-12 - 猫を償うに猫をもってせよ を含むブックマーク

 私の著作に触れて「純文学の必要十分条件とは何か」と書かれたブログがあった。ちょっと面白いと思って考えたのだが、十分条件は「私小説」であることである。しかし、必要条件は難しい。純文学でないことの必要条件なら、あるような気がするのだが、難しい。

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http://www.pipeclub-jpn.org/column/column_01_detail_80.html

 パイプクラブの新稿です。

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「米国の核」頼みの日本は、十五年で中国の属国だ (総力特集 リセット、日米同盟)

伊藤貫 『諸君!』2009-03

 この文章、どこにも「十五年」なんて数字は出てこないのだよねえ。そういうことをする雑誌だったんだ。