猫を償うに猫をもってせよ

2011-04-11 笙野頼子教授について

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 本年度より立教大学文学研究科特任教授となった笙野頼子が、ウェブちくま上で三回にわたって私の『現代文学論争』にいちゃもんをつけている。これは別に一方的なものではなく、私もウェブちくまに三回書く場を与えられたのだが、それは書かないことにした。そこに書けば、笙野はまた筑摩書房にからんでくるに決まっているからだ。

 なんで筑摩はあんなものを載せる安請け合いをしたのか、などと言っている人がいるが、そもそもの間違いは笙野に連載などさせたことで、だから笙野は連日、担当編集者に電話をかけてきてがあがあ言ったから編集者はノイローゼ状態になり、載せざるをえなくなったのである。

 だいたい前から言っているが、私と笙野教授は、別段意見が相違しているわけではない。純文学擁護という点では一致しているのに、まったく不毛で、論争にすらなっていない。

 単に、笙野が、上野千鶴子大庭みな子を(文藝評論として)批判したのをとらまえて「女にだけウラもとらず」と批判したのが、上野は男の作家も批判的に論じているし、文学作品を論じるのにウラをとるというのはおかしい、と言ったのが発端である。それに対して笙野が、『早稲田文学』に載せ、ついで『徹底抗戦! 文士の森』(河出書房新社)に載せた文章で私に罵詈雑言を投げつけたのである。

 さらに笙野は、またしても懲りずに河出が出した『人の道御三神といろはにブロガーズ』に付録としてついている「論争福袋」でも、またしても卑怯なことに私を「鰓井博士」などと書いて(筒井康隆か)いろいろとわけの分からんことを書いている。

 「事実誤認百カ所」などというのはまったくのでたらめである。私のところへ来た分は21カ所で、それでも「警察に言った」(海底八幡宮)のを「警察に届けた」と私が書いたら、届けてはいない、と言うレベルのもので、いちゃもんに過ぎない。それでいて、「大学在学中から作家をめざし」と書いたのを、事実誤認だ、公務員試験を受けて落ちたのだ、などと言ってきて、じゃあ訂正しましょうとブログに書くと、プライヴァシーをさらしたなどと言うのだから(いろはに)、人を罠にはめているようなものだ。

 『いろはに』では、どういうわけか、笙野は津島佑子を批判しないのが変だと私が言ったことになっていて、しかしそれはある、と言っているが、『一冊の本』に載ったものなら知っているし『現代文学論争』でも触れているが、ほかにあるのだろうか。あるなら書いておかなければ分からんよ。

 だいたい私は、笙野が徒党を組んだとは書いたが、「誰それを批判していないのはおかしい」というのは、通俗作家でありながら純文学作家として通用している宮本輝高樹のぶ子について言ったのである。しかし笙野は、高樹についてはちらりと批判している。また、東浩紀小谷真理の友人だから批判しない、と書いたのは、後でしていると分かって撤回している。間違えば私は訂正しているのだ。

 しかるに笙野は、文学を論じるのにウラをとるだの、上野千鶴子が「女だけ」批判したなどという途方もないでたらめを、まったく訂正しようとはしない。それで関係ないところでごちゃごちゃと「告発」だの「怪文書」だのと言うのであって、まったく始末に負えない。

 だいいち内容証明にしてからが、私は謝罪を求めたのであって、それすら拒否している。山形浩生小谷真理に謝罪したのに、小谷は多額の賠償金をふっかけて提訴したのである。いかに笙野‐小谷が悪質であるか、分かるであろう。

 立教大の院生諸君は、決してこういう、自分の間違いを認めないという姿勢を学ばないようにお願いしたいものである。

http://wwwj.rikkyo.ac.jp/kyomu/in/01bun/Jj0/194_0_2.html

http://wwwj.rikkyo.ac.jp/kyomu/in/01bun/Jj0/195_0_1.html

http://wwwj.rikkyo.ac.jp/kyomu/in/01bun/Jj0/195_0_2.html

http://wwwj.rikkyo.ac.jp/kyomu/in/01bun/Jj0/196_0_2.html

http://wwwj.rikkyo.ac.jp/kyomu/in/01bun/Jj0/200_0_1.html

 

2011-01-20 人迷惑な笙野頼子と佐藤亜紀

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 『現代文学論争』の最後のほうで、私は笙野頼子をめぐる論争をまとめたのだが、刊行されて半月ほどして、笙野が筑摩書房の担当編集者宛に電話で文句を言ってきた、と聞いた。そのうち、事実誤認が百カ所あるとか、佐藤亜紀小谷真理も文句を言ってきていると聞いた。佐藤もそんなことをツイッターで書いて私を病人扱いしていた(12月1日)。しかるになかなかその後の連絡がなく、年末の忙しい時になって、百カ所のリストというのを担当編集者宛に送りつけ、しかし担当編集者が、とてもこれは見せられないと言って削った結果21カ所となった。私が見たのはこれ。そのうち、間違えたのは既にここに書いたのと、読売新聞文藝季評になっていたというあたり。あとは、「在学中から作家を目指し」というのが間違いで、公務員試験に落ちて司法試験の準備をしていた、とかいうもの。そんなこと、講談社文芸文庫の年譜にも『文藝』の特集の年譜にも書いてないんだから知るわけない。あとは、「警察に届けた」というのを、警察に言っただけで届けてはいないとかその類のいちゃもん。

 それで年末の忙しい時に担当編集者に毎日毎日電話掛けてきて編集者はノイローゼ状態。私のほうの担当がメール出しても返事は担当編集者にするし、直接私に言ってくるようにと言っても、二重伝言で、それは嫌だと逃げ回る。で一応私の見解は示して返したが、どうするつもりやら。反論を筑摩のウェブサイトに載せろと言ってるらしいが、どうぞご自由にとしか言いようがない。だいたいそれなら、河出書房新社のウェブサイトで私の抗議文を掲載するのが先だろう。自分が悪いことを認められないんだからしょうがない。

佐藤亜紀のツイートは以下の通り

関係者が事実誤認を100箇所以上指摘してる模様。@hazy_moon 『現代文学論争』 - ハッピーハロウィンへようこそ! http://bit.ly/gTQc2z

8:53 AM Dec 1st, 2010 Tweetie for Macから hazy_moon宛

ほんとは私も怒った方がいいんだろうな、とは思うんだが、気の毒な人の気の毒なやっつけ仕事相手ではどうにもやる気がしない。私に関する部分はほとんど2ちゃんねるコピペだもの。元を読む手間さえ掛けていない。具合が悪いって本当だったんだな、みたいな。

9:04 AM Dec 1st, 2010 Tweetie for Macから

 そこで私は、佐藤が話し合いをする気があるかどうか見るために、

多分、夫婦別姓に反対する人の殆どは、夫婦それぞれの背後に控えている、生きている人も死んだ人も含めたご一族様の存在が目に見えていない人だと思う。親の墓を無縁にするしかない無念を考えたことがないのだと思う。抽象的な核家族の幻想しかしがみつくもののない、全くの流民なのだと思う。

6:37 PM Dec 19th, 2010 Osfoora HDから

 これに対して「それを家制度思想というのです」とリプライしたのだが、佐藤は私をブロックし、

どなたか小谷野先生の面倒を見て上げて下さい。ご面倒でなければ、ですが。

6:52 AM Dec 29th, 2010 Osfoora HDから

tamanoirorg 前から少し具合の悪い方だと思っていたので、お付き合いはお断りし、向こうもそれで納得しておられた筈なのですが、急に何日も前の書き込みで絡んでいらしたので、あまり調子が良くなさそうだと判断しました。RT @hidetomitanaka: どうかしたんですか? 小谷野さんが?

7:09 AM Dec 29th, 2010 Osfoora HDから

tamanoirorg まあ一番悪いのは、ああいう不安定な人を煽って、本調子ではないのに問題の多い本を出版させてしまった出版社だろうな。以前の先生なら絶対にしなかったような事実誤認や不確かな憶測、無責任な言説の無断引用だらけ。校閲はついていなかったんだろうか。

7:14 AM Dec 29th, 2010 Osfoora HDから

私は特に迷惑を被ってはいないからいいけれど、実際に被害のあった人たちから要請があった時に、出版社がどの程度対応してあげるのかには多いに疑問がある。勿論先生は対応できる状態にはない。煽って本を出させ矢面に立たせて、面倒が起ったら切る、では、先生が可哀想すぎるよ。

7:18 AM Dec 29th, 2010 Osfoora HDから

tamanoirorg 所謂「しばらくネットから離れろ」状態だと思うよ。でなければ私に絡んで来たりはしない。全然関係のない人だもの。RT @tinouye: 適当に相手してあげてる方はいるように見えるんですけどね、、、

7:20 AM Dec 29th, 2010 Osfoora HDから

tamanoirorg 本当は優秀な人なのではないかと思うのですが。残念です。RT @hidetomitanaka: それは難しいおつきあいだと察します。

7:25 AM Dec 29th, 2010 Osfoora HDから

 と罵詈雑言(事実に反する嫌み)を連投した、というわけ。ところでこの時相手をしている田中秀臣って何者だ? 事情も知らないバカか。(これらを採集している最中またブロックしたのでコピーした)

2008-11-27 そうなんだよ

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 「新ゴーマニズム宣言」は、相変わらず佐藤優の言論弾圧との戦い編である。最後に、佐藤が、小林よしのりが先に撃ってきた、と言っていることについて、「いつから言論界には先に批判したやつが悪いというルールができたのだ。幼児のケンカか?」(大意まとめ)とあるが、私もあれは不思議だと思っていたね。

 笙野頼子もそういうことを言うのだ。「海底八幡宮」で、名は出さずに私をさして、「何の恨みもないのに」批判してきた、と書いているのだが、笙野にとって、文学上、言論上の批判は、恨みがあるからするもの、恨みがなければしてはいけないものなのか? 未だかつて「なぜ何の恨みもないのに批判するのだ」などと言った奴はいない。佐藤も猫好きだし、笙野と気が合うんじゃないか。

 もっともよしりん、場を設けて佐藤と論争しようとしたというお人よしぶりにはちと驚いた。佐藤が正々堂々たる議論になど応じるわけがないではないか。言いたいことは言いっ放し、批判されて鬱陶しければ裏から手を回す、そういう奴なんだから。アイヌに対する差別がどうこうとよしりんにいちゃもんをつけたようだが、天皇を崇拝すること自体が差別なんだよ、佐藤学士。

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『週刊新潮』の掲示板で佐伯順子先生が探しものをしておられる。船越英二主演の『痴人の愛』である。なるほど、同じ木村恵吾でも最初の、京マチ子と宇野重吉のはビデオになっているが、これはビデオになっていない。佐伯先生、谷崎作品の映画化の研究でもなさっているのかしらん。

2008-07-10 笙野頼子の二重基準

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 笙野頼子に内容証明を送って謝罪を要求したのは一ヶ月ほど前のことだ。そしたら回答期限ぎりぎりに速達で返事が来た。しかも三人もの代理人弁護士の名前で。私は個人名で出したのにね。ちなみにその三人は、東京21法律事務所の岡田宰、広津佳子、杉本博哉。「謝罪する必要はない」とか言って、まるっきり見当違いの判例を挙げている。実に弁護士というのは悪辣だ。笑止なのは、私が「民事訴訟も辞しません」と書いたのに対して「司法という権力に訴えようとするのは文芸評論家としての名をおとしめることになる」(大意)とかいう文言。笙野に無断で弁護士連が書いたんじゃないかと思ったよ。だってそれなら小谷真理にもそう言わなきゃならんだろうしね。第一私は日本国民として日本国家による保護を受ける権利があるのだ。なんだよ権力って。

 20世紀には、笙野が私に対して行ったような罵詈雑言を活字にする作家も編集者もいなかった。もちろんインターネット上で罵詈雑言を発する匿名人間もいなかった。そんな時代の常識を今ごろ持ち出すな。

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波多野春房といえば、有島武郎の心中相手となった波多野秋子の夫である。当時53歳くらいの実業家と新聞に報じられたのだが、杉森久英『滝田樗陰』(中公新書)を見たら、号を烏峰といい、『日本魂』という雑誌を編集していた、とあり、「波多野烏峰」を調べて仰天。明治から昭和にかけての大アジア主義者にしてイスラーム学者で、著書もたくさんある。ところが、烏峰の本名を「養作」としている論文が二点ある。では杉森の間違いかというに、国会図書館に波多野烏峰(春房)の著作があり、近代デジタルライブラリーで現物が見られ、確かに奥付に「波多野春房」とあり、まえがきに「烏峰」とある。

 もし波多野秋子の夫が波多野烏峰であるなら、心中事件当時はまだ42歳である。果して波多野秋子の夫は、チベットへ旅行した軍国主義の著述家・波多野烏峰なのか。仮に烏峰だとすれば、自由思想家・有島武郎を快く思っていないのは当然ながら、妻を中央公論社のような自由主義的な出版社に勤めさせるだろうか。

2008-06-02 大西巨人と笙野頼子

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(活字化のため削除)

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私は近所の区立図書館で予約しておいて見に行くという日々なのだが、先日、15冊くらい予約しておいたら、出してきた図書館員が「ああ・・・多いですねえ・・・二週間ですが大丈夫ですかぁ」などと呟くように言った。この図書館員には、「本」というのは「読む」ものとして認識されていて「調べる」ための本という概念がないんだなあと思った。何しろ閲覧のための予約というのがないから、全部借り出して図書館内で見て、必要なところはコピーをとり、必要な情報がない本はすぐ返すのだ。