「都会のナポレオン」「都会のシェイクスピア」

もうすぐ「梟の服-Owl Dress-」の稽古が始まる。伊久磨さんや清水さんと、しばらく会ってない。二人とも元気にしてんのかな。
稽古は一度、始まってしまうと、もう止まらず進む。9月15日は埼玉公演だ。およそ二週間。
昨日、台本の初稿が完成。これから、確認しながらもう一度読む。
台本を昔より直さなくなり始めている。
昔は一度書いたものをもっと直していた。誰かに見せる時には、第三稿目ぐらいになってないと気が済まなかった。叩いて叩いて叩きまくる。そんなイメージだった。
けど、変わって来た。フルタ丸の本公演でも、外部に書く時でも、僕は直さなくなり始めてる。
直すことが嫌になったんではなく(むしろ、納得いくまで直す作業は好きだ)、直すことの良さを個人的にあんまり感じなくなったから。
筆を入れる瞬間(パソコンのキータッチだけど)に集中力を注ぎ込み、書いたそばから台本が完成していく。それが、一番うつくしい。

買ってあったDVDを見る。劇団ひとり「都会のナポレオン」「都会のシェイクスピア

おそらく10年以上前に発売されたDVD。とにかく劇団ひとりさんの演技が凄いのだが「姥捨山」という未見だったネタを見て溜息。冒頭からしばらくは笑いがなく語りだけで淡々と進む「富良野支店」「象の花子」のようなネタが大好きなんだが、この「姥捨山」もその系統。「すごい、すごいな」と画面に向かって言い続けながら見終えた。

自然は強制感が良い

北軽井沢キャンプが終わって数日。すっかりキャンプ熱が高まった僕は、年内にもう一度どこかへ行けたらと画策を始めている。寒い時期ならば寝袋も買わないと行けない。新しいクーラーボックスも欲しい。ネットで調べまくる内に時間が経っている。。キャンプ用品を一つずつ買い集めて行く楽しさがあるなんてことは、最近分かったことだ。自前のものを揃えたくなる。

昔は退屈だった時間が、今では喉から手が出るほど欲しい時間にすり替わっていることにも気付いた。それが空を見ることだった。強制的にボーっとする時間に突入する、あの感じ。確かに東京でも空を見ることはできるが、僕に邪念が多過ぎる。邪念を振り払い、虚栄心を脱ぎ捨て、煩悩を束の間だけ忘れるには自然しかないという結論。そんな人間に付ける薬は自然しかないのだ。自然は強制感が良い。有無を言わさず「とっととやれ」である。

垣間見た空をいくつか。

日中、葉と葉の間から見えた空。

紫色に染まっていく夕時の空。

雲間に消える月の夜空。

最高の気分に浸りました

「金足農vs大阪桐蔭」という画に描いたような決勝戦が決まった。漫画みたいに両校のドラマが幾重にも折り重なった一戦。高校野球の神様はマッチメイクのプロだ。そんな決勝戦は仕事で見られないことが分かっている。録画しておいて結果を知らぬまま後で観ることが、果たして成立するかどうか。情報氾濫のこのご時世、街を歩くのが不安過ぎる。見ざる聞かざるを徹底するために、目をとじてワーワー言いながら歩いていたら完全に不審者だ。家に帰れなくなる。昨日からどうしようか悩んでいるが、解決方法を思い付けていない。

昨晩、本多劇場ヨーロッパ企画サマータイムマシン・ワンスモア」観劇。

これはどうしても観たかった演劇でした。劇団力が凄まじい次元で一つの作品に向かっている。そして、その真ん中に逃げ隠れもしないコメディーがあった。一番観たかったものを観れた。最高の気分に浸りました。来年4月はこの本多劇場で「おはようインコさん」の演出。

自分による自分のための自分会議

東京に戻って来たら、自分の部屋に注文したテントが届いていた。

大きなテントを買ったら、当たり前だが組み立てる前の状態も大きい。
これが車に積めるかどうかが気になり、起きぬけでメジャーを持って車の荷台をチェックしに向かった。何かを測るためだけに出かけるなんてことは、普段ない。ただそれだけのことが豊かに感じてしまった。もうキャンプは始まっているのだろう。

疲れが抜けず、朝ごはんを食ってから昼まで再び寝て、ようやく始動。事務所に行き、台本に手を付けずぼんやりと考える。なんとなくYouTubeを見たりしては、またぼんやりと考える。それを繰り返す内に、だんだん気持ちが高ぶって来た。たった一人、扇風機の回る事務所でエモーショナルになる。その時点で今日という日の価値は充分あった。その勢いのままに、今思ったこと、思い付いたこと、これだあああ!となったものを書きつける。感情を筆圧に乗せ、誤字脱字含めて書き残さないと落ち着かない。これはたまにある自分会議。自分による自分のための自分会議。自分への質疑応答。質問するのも自分、答えるのも自分。悩むのも自分。解決するのも自分。先送りにするのも自分。いや、待て先送るなと止めるのも自分。自分、自分と書きすぎだ。

帰省の夏が終了する

いま、デジタルであらゆることが進歩してるけど、花火っていうのは全く変わってないな。手持ちの花火に火を付けようとして、全然付かないじれったさとか、打ち上げ花火の導火線に火をつけて「にっげろー」と離れるせわしなさ。けど、ボタンを押して火の粉がふいてもつまらないし、遠隔操作で花火が上がっても楽しくない。僕らはもうすでに完成されたものを繰り返し繰り返し時を越えて楽しんでいる。この類は無くならない。きっと花火のスタイルはこの先も同じだ。

帰省の夏が終了する。今年は途中で東京に戻ったりもしたけど、延べ10日間ぐらいいた。仕事しながら、高校野球が気になり(昨日の試合で金足農が完全に勢いに乗った)、時に走ったり泳いだりして過ごした。東京で全く運動できていなかった分、いい気分転換になった。東京に戻ったら運動と岩盤浴。これは決めた。あんなに暑かった美濃の夏も、昨日から驚くほど涼しい。朝なんか少し寒いぐらい。どうした?あんなにも暑かったのに、もう秋がしのびこむように近づいた気配。

これから娘の自転車に乗る練習に付き合う。昨日から各段に進歩した。親として今までサボっていた分、この帰省で取り戻そうと試みた。帰京したら、18時からの生放送『らぶ&MUSIC』。何を話そう。

三部作を、三週連続で

岐阜で過ごす夏のカウントダウンが始まっている。
土曜日には娘を連れて帰るので、あと3日間か。

隣の関市に「マーゴの湯」というスパがあり、一人でそこの岩盤浴に出かけた。
ちょうど一週間前も来たので二週続けて来てしまったことになる。
それにしても岩盤浴は良い。こんなにも良いものだとは知らなかった。義務教育で習ってない。どうして教えてくれなかった。身体中の毒素という毒素が抜け落ちる気がする。いや、実際はよく分からないのだけど、いろいろなことが効いている気がする。東京に戻ったら通えるところにスポットを探す。


「趣味:岩盤浴


OLみたいなことが書ける日が僕に来るのか。

家族が寝静まった今、一人倉庫に戻って来た。さっきから光に吸い寄せられた蛾が、窓ガラスにバンバンぶつかっている。静かにしてくれ。

甲子園の盛り上がりが最高潮の今、脚本を書かせて頂いた作品の宣伝をしよう。
『スリーアウト』という舞台作品が来週から始まる。
ある女子硬式野球部の創部から終焉までの10年間を描く三部作。
三部作が新宿村LIVEで3週間の連続上演。これはありそうでなかった気がする。
いきなり3部作を3週間ぶちぬきでやるなんて、正直、気が狂っている。けど、そのへんをひっくり返すようにやってしまう。こういう無茶なことは好きだ。無茶やりたい人、無茶やらせたい人、フルタに連絡下さい。なんとかします。


■「スリーアウト 〜プレイボール篇〜」
 8月22日(水)〜26日(日)@新宿村LIVE
(脚本:フルタジュン/演出:諸江亮)

■「スリーアウト 〜ホームラン篇〜」
 8月29日(水)〜9月2日(日)@新宿村LIVE
(脚本:フルタジュン/演出:猪狩和真)

■「スリーアウト 〜サヨナラ篇〜」
 9月5日(水)〜9日(日)@新宿村LIVE
(脚本:フルタジュン/演出:重友健治)

時代に負けてんじゃねぇよ

約束していたプールへ娘を連れて行くことになる。
地元の市営プール。ネットで見る限り、まだ営業しているじゃないか。
小学生の頃、しょっちゅう来ていたが、あれから全く来ていなかった。所在地さえあやふやな記憶のまま車を走らせ、だんだん近づくにつれて、そうだそうだ、ここを曲がり、坂を上るのだ、と記憶が追いかけて来る。
確かに、まだ営業していた。

25年ぶりの美濃市民プール

雨が降っていたこともあり、プールの中はガラガラ。
僕らよりも先に入っていた客は2組の家族だけ。
よって、ほぼ貸し切り状態。
屈強なプールの監視員が、広いプール園内に10人くらいいる。客の方が人数が少ない。ほぼ一対一の目で追われる監視率。この空気、どこかで見たことがある。北朝鮮だ。重々しい空気感。しかも曇天、雨降りによる自然のシャワー。スピーカーからは徳永英明のカバーアルバム。寂寥感が半端ない。
子供の頃、さんざん遊んだ長い「滑り台」は「スライダー」に名前を変えていた。けど、実体は同じ滑り台だ。時代に負けてんじゃねぇよ。
およそ2時間、順番待ちの一切ないスライダーを滑りながら、その滑り落ちるスピードの中で、記憶がタイムスリップしていった。当時、このプールで水泳大会があったけど、今は行われているのだろうか。少年野球の合宿でプールに隣接する勤労青少年ホームに泊まって、板の間で寝たな。この朽ち始めているプールはいつか無くなってしまうのかな。色々なことが頭を過ぎった。

家に戻り、仕事を始める。ずっと考えていたアイデアがようやくまとまった気がして、嬉しくなりジョギングに出かける。走りながらアイデアをもう一度吟味する。冷静になって、どうなのかどうか再検討する。考えながら走ると、不思議と体力的には疲れない。脳みそを使う疲れの方が肉体の疲れよりも勝るという話は聞いたことがある。