年賀状という形式


 年賀状って、めんどくさいな、って思ってた時期があるんだよね。てか、今もそう思うんだけどね。なんか古風で、お中元とかお歳暮みたいな「日本の妙な文化」だなって。もう21世紀には必要ないじゃんって感じるのは、僕だけじゃないと思うけどな。別にそんな形式だけの挨拶なんていらなくね、ってね。小学校のときなんかは、冬休みで友達と逢えないから、その友達から年賀状が来るのが楽しみでしょうがなかったけど、歳をとるとそういう「逢えない」っていう縛りもないし、メールや電話やウェブやブログやTwitterで知り合いの近況はわかるわけだから、別にハガキとか必要か、って、見下してた部分があるんだよね。まあ今はね、めんどくさいなと思う部分はあっても、見下す部分はなくなったかな。


 というのもね、こういった形式や仕来りを守ってる人ってのは、きちんとしてる人が多いなって、というか、もう少し正確に述べると、きちんとしてる人ってのは、形式や仕来りを守ってるなって気づいたわけさ。だからさ、理屈とか利便とか効果とか関係ないんだよ。年賀状を送るっている風習があったらそれを守ることが、オトナなんだろうなと思ってきたんだよね。



 そこに意味があろうがなかろうが、形式って大事だなということを、最近よくよく感じるんだよね。風化させちゃいけないってな具合でね。まあこういうのが、歳を取って落ち着くってことなんだろうけどね。