郡山出張

暑い日が続く。
ほぼ空梅雨の6月を終えてすぐに真夏のような暑さの続く7月となった。そして西日本の豪雨。知り合いの家も床上浸水となったり非難したりを聞き、その後の片付けをこの拷問のような暑さの中行うことに胸が痛む。言ってる自分も暑い中毎日仕事にいくわけで、本当にあまりに暑い日は仕事を休みにしてもらえないかなと、お気楽サラリーマン丸出しの発言も出る始末。
そんな中、先週は郡山に仕事で出張。丸一日訪問先で作業を終えた後、郡山の駅前に戻り、色街とでもいうようなネオン街を抜けた先にあるホテルに向かう。こういうネオン街って必ず大きな街にはあるよね。大きな通りの一本隣とか、少し離れたエリアなんかに固まっていて。どこも怪しい町並みと、昼間は必ず酒屋さんの車がいて、夜は黒いベンツが止まっているのも一緒。そんな通りの少し先にあるホテルに荷物を置き、街に出る。「郡山は盆地」などど聞いていた割には東京より確実に涼しく、街を吹く風も優しく気持ち良い。しばらくぶりに復活したスマホで色々調べると、古い町並みが残っている通りが駅前にありそこに向かう。小さいアーケード街を抜けていくと、いきなり発見する映画の看板。完全に時代が止まっている。一瞬レトロ喫茶の装飾かな?と思うが、貼ってあるポスターを見ると今公開中の新作ばかり。

テアトルなんて呼び名も今は懐かしいって感じだが、これ現役の映画館だよな?ガッツリ昭和な看板の佇まいにちょっと不安になってくる。その斜め向かいに古びた飲み屋を発見する。暖簾がかかっており入り口のドアを開け放した感じでここも映画のセットのようなビンテージ感の溢れる雰囲気に入るのを躊躇するが、せっかく来たんだしと思い切って入ってみる。
中はカウンターと奥に座敷の作りで、すでに何組かの先客あり。カウンターも年季ものならば、奥の棚も黒ずんでいる上に年代物の小物箪笥がしつらえてあって、時代がわからない。店内の照明も薄暗く、これが東京ならば「雰囲気いいねえ」となるのだが、戦前のアセチレンランプのような趣で(知りませんけど)エアコンが効いているんだかいないんだか、入り口のドアを開け放した状態で奥から風が吹き込み、怪しい雰囲気満載ながら居心地は悪くない。カウンターではこれまた年季ものの二人の女性が切り盛りしていて、こちらが店内メニューを探していると、おそらく親子なのだろう、その娘さんと思しき方から「探しても何にもないよ」とそっけない口調でからかわれる。追っかけ「ビールと焼酎、日本酒しかないけど、どれにする?」とつっけんどんに言われ、これもこの店における一種のプレイなのだろう、「じゃ生ビールを」と乗っかる。「はいよ」とそっけなく生ビールを渡されるが、「これも」と白菜の小鉢も渡され、一応お客として扱われているらしいことにほっとし、冷たいビールをゆっくり飲む。ややあって炭火の前のお母さんから「すぐに出来るのは煮込み」とこれまた乱暴に言われるがままに煮込みを注文する。しかし本当に時代が止まっている場所だなあ。最近東京でも、新しいところよりも古くからやっている定食屋やレストランなんかの、時代に乗っかっていない感じというか、世の流れと距離を置いている感じがとても気に入って、通っている店が何軒かあるのだが、それと同種の匂いを感じる。お店の価値ってぶっちゃけそれだよね。そこらへん骨董品やビンテージと同じで積み重ねたり過ぎ去った時間の大きさが魅力となっているというか。で、そういうところって大抵どこも美味しい。このお店もなんだかそんな価値を知ってかしらずか保っているような感じがする。つっけんどんな応対もスタイルなのよ。それを楽しめる余裕が出てきたってことは、こちらもガッツリおじさんになったってことだけど、そんな価値を味わえるんだから、歳をとるのも存外悪くない。出てきた煮込みは上にネギが散らしてあり、小鉢ながら山盛りで、仕事終わりにもってこいの味だった。なんだか映画の中に入ったような気分で煮込みをつまみつつ、ビールを飲み、その後焼き鳥を2本焼いてもらう。この焼き鳥がまたすごくて、お母さんが目の前の炭火で焼いてくれるのだが、豪快にうちわで扇ぐもんだから、火の粉が店の中に舞い上がる!家の中で焚き火!しかも食ってる目の前で!それをよけつつビールを流し込んでいるうちに、もう逆に楽しくなってくる。僕らはこのお店のエキストラで、店のスタイルに従って楽しく飲むのがトーン&マナー。そうと来ればおかわりを頼むタイミングもアトラクションで、うまいこと「はいよ!」と声をいただけるかどうかもゲームのうちで。なんだか楽しくなりつつ、様子をみつつお代わりを頼み、さっきの映画の看板を思い出し、ニヤニヤしつつ小一時間ほど過ごす。後からお客さんも続々やってきて、この店が地元の人に愛されていることを感じたあたりで娘さんの方に声をかけ、二千円渡してお釣りをもらい店を出る。夜の涼しい風に吹かれつつ、夜道を歩く心持ちはすっかり昭和のお父さんのごとく。