感想用忘備録(何

本番はたぶんぐーぐるぷらすー

一般意志2.0はマクロなものが対象の世論調査であり、それを決定の機関とするためには多数決の域を出てない為に問題がある。
→その為に熟議するんだろってつっこみ入るだろうけれど、それを言い出したらなんでもありですし。できるだけ熟議をいれずに一般意志2.0だけで決定に近いところまで行くのが理想かもとも

一般意志2.0の問題点は3つ
・国民的な議論が巻き起こってる問題しか扱えない
 →一部の人だけがわーわーいってるような問題だと、それが一般意志であるのかの見分けがつかない。データとしては賛成にみえたとしても、サイレントマジョリティは反対かもしれない(いわなくても当然だからいわないだけ)
・すべての国民に対してほぼ等しくメリット、デメリットがある問題しか扱えない
 →原発の問題とかは震災前だと、電力が供給できる、リスクはない、安全でデメリットがほとんどないので、大都市圏(東京、大阪など)に住んでる人たちは賛成するんじゃね。逆に原発自治体に住む人の声が消える
・国内問題しか扱えない、外国では使えない
 →一般意志2.0が成立するためには、日本国民だけが意見をいって、それを回収できる場が必要。外国の意見も必要だけれど、ある程度、フィルタリングされるべき。英語が公用語の国だと使えないかも、、、

一般意志2.0は所詮システムなので、バグがあれば、それを改善されるようにアップデートされるはず。例えば、上のでも、メタデータを回収すればどこに住んでいるかを調べることができる。

一般意志2.0の実装には大きくわけて2つあって、ひとつは世論調査的なマクロな視点でのGoogle的な一般意志2.0。もうひとつが議論の場に観客が参加できるニコ生的な一般意志2.0。

はてな10周年

 らしいです。おいらのネット生活は実質、カトゆー家断絶はてなから始まったといっても過言ではないので、この二つのサイトが同じ日に生まれ、そして現在まで存在しているのは感慨深い。しかし、この二つのサイトの成長過程は本当に真逆。はてなはリニューアルにつぐリニューアルを繰り返し、現在に至る。カトゆー家断絶は驚くほど変化がない状態で現在に至る。
 それにしても現在のはてなは元気がないねー。過去にmixiの株式公開とはてなの米国進出で、日本のweb2.0が終わったなーと思ったことがあったけれど、それは結果的にあっていたように思う。技術的な意味ではなくて、ブームというか、流れみたいなものがそこでストップした。現在は携帯SNStwitterの時代だし。
 はてながどうやったら復活するかなんて議論をしてもいいけれど、無意味なのでやらない。ただ、米国で生まれたサービスのコピーで賑わっていたサイトであるというのは、良くも悪くも事実なので、そこを打破できなかったというのは悲しくもあり。twitterだって、生まれて最初にブームが出てから、いろいろコピーサービスができたけれど、結局本家本元が全部持って行っちゃったもんなぁ。
 現在はてなのサービスで使用しているのは、ダイアリーとアンテナだけ。その二つも代替サービスがあれば、出て行くという現状。アンテナは代替サービスがなく、ダイアリーは慣れているからという理由で居座っております。
 はてな10周年の放送をみたけれど、やっぱりはてなはてななんだなぁとか。はてなイズムとでもいいますか。近藤社長が居続ける限りは変わらないだろうね。ネット自身もいろいろ世代交代みたいなことをしているし、変わり続けてる。今あるサイトが4年後にあるとは限らない。10年後にあるかもわからない。だけれども、10周年はやはり目出度い。
 はてな10周年おめでとうございます。

ネットがつまらん

 twitterをやめて、ネットの海を漂っているわけですが、驚くほどつまらない。そこにあるのは、やらおんとか、刃とかの亜流みたいなサイトばかり。刺激的なブログと、おもしろいネタを提供する2chまとめサイトはどこにいった。
 おそらく流れとしては2chから人材が流出しているのと、いろいろきな臭くなったり、身内でつるむのが楽しいってことで、おもしろいネタが外部に出てきにくくなってしまったんだろうなぁ。おもしろいコンテンツはtwitterとか、facebookとか、SNSにいってしまったのではないかと予想。
 それを外部に公開する為のtogetterも胡散臭い人たちにおもちゃにされて、壊滅状態。ただのログまとめの為のツールにしかなってないんじゃないかという状態。トップページも文字だけの、興味関心をまったくそそらないものになってしまったしなぁ。
 ネットがおもしろくないから、おもしろくするためにtwitterを再開するとかいう、twitterを辞めたときには想像すらしていなかった理由で再開しそうな予感。それくらいネットはつまらなくなった。
 もちろん、自分におもしろいコンテンツを収集する能力がなくなっただけかもしれないけれど。

カオスラウンジ騒動の終着点までに一定の道筋がみえてきたみたいなので、個人的な雑感

 最初にいっておくと、キメこな騒動とかは興味ないです。その他諸々も。キメこな騒動にしても、ネットで匿名の有象無象が私刑的な行いをしなくても、警察にいくなり、裁判所にいくなりすればすぐに終わる話。それをうだうだネット上で話を展開させようとするから、面倒な話になる。そもそも論からいって、著作権はデリケートな部分も多い、日本の裁判所にそれがきちんと捌けるのかはともかくとして、自分に正義があると思うのならば裁判所に行くべきだろう。私刑的な行いはすべきではない。
 
 で、本題。
 おいらは前からカオスラウンジの展覧会やらなんやらにはいっていて、いろんなところで作品をみせてもらっている。なおかつネットでの動向にも注目していて、カオスラウンジの存在をしることになったGEISAI大学から、カオスラウンジと村上隆さんの共闘、そして別離までをネットの隅っこでみさせていただいていた。
 んでもっと、今回なわけだけれど、カオスラウンジの対応はどーなのよ。炎上させるでもなし、手打ちするわけでもなし、対立させるわけでも、するわけでもなし、のらりくらーり。どうなのよ。
 カオスラウンジが村上隆さんによくいっていたのは、俺たちには俺たちの流儀がある。みたいなこと。ネットが表現の主戦場でもある彼らの言葉なら、そういう意識はあるなだろうなーと思ってた。
 反面、今はネットではマイナーで話題性もない集団であるカオスラウンジは、現在の村上隆さんみたいに世界的な評価を受ける対象になったときに、ネットから反発された場合にどうするんだろうなとも考えていた。村上隆さんがあれだけ猛反発を受けている現在において、カオスラウンジも批判を受ける可能性はかなり高いのは誰が考えても予想がつくはず。
 村上隆さんにも世代の違いや、ネットの流儀なんて息巻いていて、もし彼らがネットの敵になったとしても、そのときは上手くやるのだろうと思っていた。で、結果がこれですよ。
 
 別に村上隆さんみたいな普通の作家だったら何にも思わないけれど、ネット文化をテーマに盛り込んでいるであろうカオスラウンジの対応として、これは如何なものか。私は割とアートみたいなのも好きだけど、根っこはやっぱりネット民なので、そこからするとカオスラウンジの評価は下がった。
 それに村上隆さんにあれだけいっていたことも、口だけだったのかよwwwみたいな部分も出てくる。無論、その辺りはカオスラウンジよりも、どちらかといえば破滅の方面の領域でもあるだろう。だけれど、最終的に東浩紀村上隆に敵役をしてもらって(やらせとか脚本という意味ではないよ)、ネットと直接対決することもなく、終了に向かってる。
 最終的な終着点は、カオスラウンジと村上隆の対立でなんとなーく終わるんでしょう。これからカオスラウンジがネットって言い出しても、説得力は落ちること請け合い。だって、あなたたち、何もできなかったじゃない。終わり。単純なアーティストとして生きていくつもりなのならば、それでいいだろうけどねー。
 
追記:http://togetter.com/li/153304

カオスラウンジ「村上隆って、ネットの流儀なってないからwwwwwwwwww」
   ↓
村上隆「ネットの流儀がなってないみたいなので、いろいろ教えてもらいます(キリッ」
   ↓
ふたば民「カオスラウンジ、ネットの流儀なってないからwwwwwwwwww」
   ↓
黒瀬陽平「いやいや、ネットの流儀っていってもいろいろあってね。
     アーキテクチャーに光を当てようとしてるのに、それを理解しないお前らは駄目」

 村上隆さんにカオスラウンジがネットの流儀がなってないって説教してたのをしってるから、序盤に軽く笑ってしまったwww
 やっぱ今回の騒動はカオスラウンジ的には最大の危機なんだけれど、守りに入ってるのがいかんと思うなぁ。ネットに反発されるカオスラウンジとか、どーなのよ。もちろんカオスラウンジの魅力はそれだけじゃないけれど、やっぱり大きな魅力としてはそれがあったわけだし。
 
更に追記:本日、コンテクチュアズ本社に行き、作品を見てまいりました。すごい作品でした。でかかった!作品自体の大きさよりも、作品自体が拡張しているようなイメージで、その後ろにキャラクタが天使のように聳える。素晴らしい作品でした。終わり。

だらだらと根拠なく、10年後のネット

 半年くらい前から思っていることだけれど、民主党政権になってからのネトウヨ(及びヲタなどそちら側の人)のやりたい放題っぷりがすごい。デマとか普通に流れてくるし、それに近いんじゃないかという情報も普通に流れてくる。別にネットはそういうところだからいいっちゃあ、いいんだけれども、みんな、これがまともな状態だと思ってんのかなというのがちと気になる。別に異常と言いたい訳じゃなくて、ただ単純にどう思ってんだろうと。
 私としては、マスコミが民主党にバイアスを掛けて報道されるように、ネットは自民党にバイアス(どちらかといえば反民主党のが強いか)が掛かって話が展開されていくから、そういうバイアスが掛かってることを自覚してみるのはネットリテラシーとしては賢い選択なんじゃないかと思ってみてる。てか、最近、そういう人がやりたい放題すぎて、自民党が軽く嫌いになりかけてて(何の責任もないのにw)、あ、ちょっとやべーなーとか思ったりもしてたり。
 おそらくこれから10年とかそれくらいの時間を掛けて、現在のネトウヨみたいな人たちがネットで仮想敵みたいな状態になっていくんじゃないかと思ったりしてる。別に日本とか、ネットの思想が左に行くとか言いたいわけじゃなくてね。そんな話ではなく。どちらかといえば、ネトウヨに対する敵は別の右みたいな感じになるんじゃねーかな。
 現在のネット、その他をみてると普通に左になることはないでしょ。というか、右左が変に類型化されていて、原発の問題とか基本的には政治的な立ち位置とは無関係であるはずなのに、政治的な問題にされて、原発推進=右、反原発=左みたいになってるし。そういうところで、変わってくるんじゃないかなーと思ったり。
 てかね、左であるというだけで悪口になったり、韓国、中国でもそうだけれど、その人の個性とかパーソナリティを考えずに、レッテル貼って、対象を非難するってのが最近多くなってきてる気がする。多くなってきてるというか、それまであまり表に出てこなかったのが、表で大々的に語られるようになってきたというべきかもしれない。そういう風潮は単純によろしくないわな。
 日本人の民度(笑)はもっと高いんじゃないかと勝手に思っていたんだけれど、こんなに低かったんだと絶望する毎日です。

母さん、ネットは今日も平和です。。。

 東浩紀さんと宇野常寛さんがまた喧嘩をしているけれど、東さんと宇野さんは戦っているフィールドが違うんだから、喧嘩を仕掛けても仕方ないと思うけどねぇ。本人が価値を見出していない事柄/方向性などに対して、一方的に価値を見出せといっても無理だよ。
 AZM48のときは宇野さんに否があるかなぁと思ってたけれど、今回ばかりは東さんが悪い。東さんは謝るべきなんじゃないかなぁ。
   
追記:この件に関して話をややこしくしてるのは、他の件とかでもそうなんだけれど、謝ったら負けという文化があるからだろうなぁ*1。ここで謝ったら批評家として終わりとか、話を聞いてもらえなくなるとか。そらのさんみたいに後戻りできないところまで追い込まれるとか(あれはソラノート自身の過失が大きいけど)。
 たとえ謝ったとしても、謝ったことに対して評価されることはなく、謝ったんだからすべてお前の責任みたいなところがある気がする。上手いところに落としこむのが下手な印象。よっぽど上手く謝って、いい方向に進ませない限り、居直ったほうが得になる。
 今回の件だけじゃなくて、ネットの揉め事や政治でもそんな感じよなー。今回は宇野さんに否があると書いたけれども、探せば宇野さんが逆側の立場になっているのもありそうなくらい、よくある話だよ。こういうの。

*1:日本にあるのは事実だと思うけれど、外国にあるのかは知らない。日本については謝ること、謝らせることが下手な文化があると思ってる